彼女と一緒に登校

 さて翌日。冬休みを迎えそうな十二月。

 学校という檻から抜け出したいと切実に思いつつも、残念ながら平日という日を迎えてしまえば登校しなければならない。

 一日が二十四時間というのがもどかしい。平日は十二時間体勢にシフトチェンジしてほしいと、都合のいい思いを抱いてしまう。


 両親が仕事熱心なのか、ただ単に社畜根性が据わっているからか分からないが、カバンを持って家を出る頃にはすでに姿はなく、玄関のドアノブに手をかけても「行ってらっしゃい」の言葉はなかった。


 代わりに聞こえてくるのは───


「せ〜んぱいっ! おはようございます♪」


 グレーのロングコートを見に纏った、学生服姿の睦月の声であった。


「おう、おはようさん」


 玄関に鍵をかけ、家の前に立つ睦月の側まで寄る。

 横に立つと睦月は嬉しそうに笑みを浮かべ、いつものようにそのまま学校に向けて歩き出した。


 睦月と付き合い始めて数ヶ月。俺達の間にはいくつかルールが設けられている。

 行き帰りは必ず一緒にいること。昼飯は一緒に食べること。他の人と遊びに行く時、相手が異性であれば必ず報告すること等々(※睦月案)。


 その中に『行きは睦月が俺の家まで迎えに来て一緒に登校する、帰りは俺が睦月の家まで送る』といったものがある。流石に、暗くなり始める時間帯を一人にさせたくない。後半のこれだけは、俺の発案だ。


 そのルールに則り、学校がある日はこうして睦月が家の前に現れる。


「しかしまぁ……睦月が俺の家の前に現れるのも違和感なくなったよな」


「そりゃ、付き合って数ヶ月は経ちましたからね〜」


「初めは玄関の前でソワソワしながら待っていたっけ?」


「ッ!?」


 隣を歩く睦月の顔が一瞬にして朱に染る。

 普段は茶目っ気と余裕のあるいたずらっぽい笑みを浮かべ甘えてくるので、こうした照れる表情は大変貴重である。


「本当に、あの時の睦月は可愛かったものだ───」


 当時の睦月を思い浮かべる。

 玄関をそっと覗けばソワソワしながら待ち構え、いざ玄関を開けると肩を跳ねさせ顔を真っ赤にしながら俯き、恥ずかしがりながら「おはようございます……」と口にする───あぁ、あの時の睦月は本当に可愛かったなぁ。


「ば、ばっかじゃないですか!? そそそそ、そんなことしてませんし! いつも私はよゆーのある大人のレディーでしたし!」


 照れているからか、著しく語彙力が落ちた睦月。

 それもまた可愛いのだと、思わずにはいられない。


「ま、まったく……先輩のくせに私をからかうなんていい度胸です。今度、『八時間耐久睦月ちゃんに膝枕』の刑に処します」


「地味に辛いな、その処罰」


 足が痺れそうだ。


「ごほんっ! そ、そういえば先輩? ちゃんと作ってきましたか?」


 睦月は大きく咳払いし、話題を変える。

 これ以上は追求するなという合図だろう。


「ん? ちゃんと作ってきたぞ?」


 作ってきたか? というのは、昨日の『付き合ってからしてみたかったこと』のことである。

 昨日のうちに一緒に考えて作ろうと思っていたのだが、これが案外思いつかず翌日に持ち越しになってしまったのだ。


 やってみたいことなど、付き合う前まで散々あっただろうにと思っていたのだが、本当に思い出せなかったのだ。

 色々と思い出せたのは、結局今日の朝方である。


 とりあえず、俺は懐に入れておいた紙を取り出し睦月に見せた。


「ふむふむ、どれどれ────」


【付き合ってからしてみたかったこと】

 ・手を繋いでみたい

 ・一緒にご飯を食べたい

 ・食べさせ合いっこをしてみたい

 ・お家デートしたい

 ・たまにでいいからハグしてみたい


「うぶですか!?」


「うぶだったよ、悪いか!?」


 本当にこんなことしか思い出せなかったんだよ! っていうか、本当にしてみたいって思ってたの! 仕方ないじゃん! 睦月が初めての彼女なんだからさ!


「○ックスとか書いてもいいでしょう!? 男の子ですよね!? 男の子だったら、もう少し欲望の丈をぶつけましょうよ!」


「お前何言ってんの!?」


「うぶな先輩に怒ってるんですよ!」


「理不尽すぎるだろう!?」


 ○ックスって書かないといけないっておかしくない!? いや、確かにやりたかったといえばやりたかったけどさ!? 普通こっち書くでしょ!?

 こちとら純情可憐ボーイで名を売ってたんだぞ!?


「だから、初めてのちゅーは私からする羽目になったんですね……やっと、その理由が垣間見れましたよ」


 やれやれ、と。肩を竦める睦月。

 その姿に、普通にイラッとしてしまった。


「じゃあ、睦月は付き合ってから何をしたかったんだよ?」


「○ックスですね」


「もうやだっ、この子!」


 だから、最近ずっと「やりましょうよ先輩〜」って言っていたのか!?

 やっと、迫りに迫ってきた理由が垣間見れた気がする!


「俺は、睦月をそんなプレイガールに育てたつもりはありませんっ!」


「奇遇ですね。私も先輩に育てられた覚えはありませんよ」


 そういうのはもっと大人になって、互いに責任を取れるような立場になってからするものでしょうに……誰だい、この子をこんな風に育てた人は?

 ……あの母親な気がするなぁ。


「よく考えてください、先輩。私達、『恋のABC』のAは済ませてあるんです」


「もはや死語なんだが……よく知ってるな」


「であれば、そろそろCに移行してもいいと思うんですっ!」


「可哀想なB……」


 普通に飛ばされたぞ。まぁ、個人的にはほぼ意味は変わらんのだが。


「いいか、睦月? お前がしたいというのなら俺は一向に構わん。未だにDTだからな、初めての相手はお前がいいとは思っている」


「DTも死語ですけどね」


「だが、流石に世の法令ぐらいは守ろう。お互いに十八を超えてから───」


「先輩、今日は私のお家……誰もいないんです」


「話聞いてた!?」


 どうしてこの文脈で意味深な言葉を残す!?

 この子、どんだけ俺の純情を弄ぶ気!?


「まぁ、いいですよ。先輩が奥手で、純情で、お真面目さんなことは知ってますから」


「……じゃあ、言わなくてもいいじゃねぇか」


「ふふっ、からかってみただけですよ。先輩をからかうのは楽しいですから! でも───」


 睦月はそう言葉を止めると、急に俺の腕を引っ張り端正で愛嬌のある顔を背伸びをしながら俺の顔へと近づけた。

 そして、唇に柔らかい感触だけが伝わ───。


「っ!?」


 そっと触れるだけ。もう何回もしているはず。

 それなのに、不意を付かれたことによって顔が真っ赤に染まってしまい、思わず体ごと後ろに仰け反ってしまった。


「これぐらいは、してもいいですよね♪」


 離れた睦月の顔には「してやったり」といったいたずらっぽい笑みが浮かぶ。

 そんな顔を見て、思わず苦笑いをしてしまった。


「この、小悪魔め……」


「ふふっ、先輩だけに対しての小悪魔ちゃんですからね、私!」


 不意を付かれたとしても、いたずらだったとしても、どうにも怒る気分になれない。

 それは、赤くなった顔が証明している。

 自分からする分には感じないが、不意を付かれてしまうとどうにも照れが先にきてしまう。

 それもこれも、全部睦月だかたそうなってしまうのだろう。


「先輩、嬉しいですか? こんなに可愛い彼女とちゅーできて?」


「ま、まぁ……嬉しくないわけはないよな」


「これって、付き合ってないと味わえないことですよね?」


「む……」


 確かに、こんな気持ちは付き合ってからじゃないと味わえない。

 キスという行為はラブが前提としてあるからこそ成り立つ行為であり、所々に楽しいと思えるようなコメディも、ちゃんと俺達の会話には入っていた。


 なるほど……これが付き合ってからのラブコメか。片鱗を掴んだ気がする。


「だが、睦月の言っていた『付き合ってからしてみたかったこと』はどこにいった? これじゃ、ストーリーが───」


「先輩、先輩」


 睦月は空いている方の手で俺達の間を指さす。

 そこには、指を絡めた俺の左手と───同じく指を絡めた睦月の右手があった。


「Why!?」


「ちゅーする時に握っちゃいました! それで、先輩はいつの間にか握り返してくれました!」


 全然気が付かなかった……。こうして指摘されて初めて、指の間に伝わる温かさと感触を感じてしまう。

 付き合ってから数ヶ月。幾度も手を握ってはきたが……まさか握るという行為に違和感を覚えないほど順応していたとは驚きである。


「まずは一つですっ! この調子でどんどん、やってみたかったことをやっていきましょー!」


 やる気を見せながら、睦月は俺の手を引いて通学路の先を歩く。

 その背中に、やれやれと肩を竦めたくなってしまいそうだ。

 それと同時に───


(よく考えたら、俺って全部やりたかったことをすでやったような気がするな……)


 果たして、こんな感じでいいのだろうか?

 そう思わずにはいられなかった。


【付き合ってからしてみたかったこと】

 ✖手を繋いでみたい

 ・一緒にご飯を食べたい

 ・食べさせ合いっこをしてみたい

 ・一緒に水族館に行きたい

 ・たまにでいいからハグしてみたい

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