第21話 此処は地獄の一丁目
★創世歴20,201年★
「三途の川のシュティクスから報告します。生きた人間二十人を地獄巡りツアーへ引継ぎします」
シュティクスが、
クルーズ船から下船して地獄の一丁目桟橋へ整列させた乗客たちの目の前で、シュティクスから二十人の生きている人間達を引き渡された。
一括りで人間と呼ぶけれど、
規則通りに、あたしも引き取りの確認をしておく。
ひとりひとりの顔を見て数えながら、地獄巡りの注意書きをプリントしたチラシを手渡してゆく。
うん。
あたしだって、百人くらいまでなら数えることが出来るんだからな。
よし。
間違いなく二十人、いる。
クルーズ船には五十人くらいの乗客がいたようだけど、残りは自由に地獄の一丁目でショッピングなどをするらしい。
そっちは、あたしの責任じゃ無いから、アタマの隅から掃き出しとくことにする。
さてと。
あたしも、シュティクスに向き直って敬礼をする。
「生きた人間二十人を、地獄巡りのツアコンである、エレシュキガルが受け取りました」
生きた人間という表現にギクリとしている乗客がいるが、無視だ無視。
いまでも、行き先が無い亡者たちをシャーンの船が運んで来る事があるから、死者と生者の区別をつけとく習慣があるだけだ。
上の世界を仕切っておいでの
だから。
人間達は無宗教というのが多数派だが、中には勝手に神様をでっち上げて拝んでいる団体もある。
そういう人間達は死後、でっち上げた神様の支配する世界へと入る事になるのだけれど。
それじゃぁ、無宗教の人間達はどこへ行くのか?と訊かれたならば。
大半は消えて無くなるだけだけど、中には消えることも出来ずに現世を彷徨うヤツも出たりする。
そんな連中を引き取って、ハーデスが支配する此処の地獄で面倒を見るというのもビッキー様から命じられた仕事の一つだ。
それはさておき。
これで、あたしは二十人の人間の命を握ったことになる。
毎度のことながら責任は重大だけど、馬鹿な行動に出る乗客がいないことを願うばかりだ。
お。
シュティクスが、背中を向けて片手を上げるとクルーズ船へと戻って行ったぞ。
さてと。
「みなさま、わたしが此処から先の地獄巡りを案内させていただく、ツアコンのエレでございます」
ただの人間相手に
あたしの見た目は二十代の巨乳娘に見えるけど、これでも別の世界線においては自分自身の冥府を持っていた、ベテランの女神様だ。
あ?
本当の歳はいくつだ?なんてことを女神様に向かって訊くんじゃないよ!
あたしが着ている衣装も、地獄のシチュエーションに合わせて臍出しスタイルに、腰には短剣を着けて手には長柄のモーニングスターを握っている。
短剣もモーニングスターも本当は要らないんだけど、アトラクションのコンセプトデザインとやらにマッチさせろと、ビッキー様が仰ったんだ。
あたしは、痩せても枯れても女神としての神格を持っているから、人間達や幽霊達ごときは素手で叩き潰せるだけのパワーは持っているんだけどね。
ふ~~ん?と思ったんだけど、このコスプレは、男たちだけでなくて若い女たちにも人気があるらしい。
なんでも。
男たちを従わせている雰囲気を、自分たちも真似してみたいとか聞こえてくるんだけど、この格好はポロリ!があるから大変なんだぞ?
あたし個人としては、ポロリでもスッポンポンでも気にするような歳ではないから、売り上げになるんだったら何でもするつもりはある。
かつて、あたしを祀る神殿が建っていた世界には、スッポンポンのエレちゃん神像が飾られてたりしてたしな。
あ?
だからさぁ、女神様に本当の歳なんか訊くんじゃないと言ってるだろう?
「おぉ~~!俺は地獄巡りなんかしなくていいから、エレちゃんに踏んづけられてるほうがいいなぁ~?」
ほ~ら。
速攻で
「はいぃ~~!ご無事に地獄巡りからご帰還になられましたら、踏み踏みでもベシベシでもして差し上げますよぉ~~」
ご無事に還って来られたら、ね。
あたしが踏み踏みしたら、人間の男なんかペシャンコ・ノシイカ!になっちゃうんだけど、そこんところは黙って笑顔で誤魔化しておこう。
「よっしゃぁ~~!無事に還って来るってエレちゃんに誓っちゃうぞぉ~~!」
あんたねぇ?
若い女たちだけでなくて若くない女たちからも、冷たい視線を向けられてるってことを知っているんだろうね?
それに。
文字通りの老婆心ながら、言っとくけれどさぁ。
あたしも自分の魔力が衰えたとは自覚してるけど、モノホンの女神様相手に誓いなんか立てないほうがいいと、思うんだけどねぇ?
ま、いっか。
「はいぃ~~!ちゃぁ~~んと、注意事項をお守りくださいねぇ~~?」
そう言って、あたしは乗客たちに手渡したチラシを掲げて見せる。
「読んでいただけましたねぇ~?ご質問はございますかぁ~?」
ぐるりと乗客たちを見回すけれど、不明な点は無いらしく質問の声は上がらない。
うん。
今回はアタマの出来が良い乗客たちが揃ってるようだ。
文字の読めない乗客がいるかどうか?確かめてやるほど細かなサービスは、仕事の範疇には入って無いし。
自己申告が無いのなら、それは無問題だということだ。
あたしが片手を上げて合図をすると、女性の悪魔たちで編成された警備分隊が、乗客たちの脇を固める位置に整列をした。
分隊員の悪魔たちは、地上にある海賊島の警備隊と同じような制服を着て統一感を出している。
違いがあるとすれば。
制服の胸に
「みなさま。もしもトラブルがありましたら、この制服の
間に合えばだけどね!と口には出さないのが、あたしの優しさというもんだ。
二十人もの人間たちが地獄の一丁目で好き勝手を始めたら、全員の行動を把握するなんて芸当は、出来っこない。
一人や二人は魔物に捕まって喰われるか、人間をペットにしてやろうと待ち構えている悪魔や鬼たちに誘拐されるってのは、織り込み済みだもん。
喰われちゃう方は助ける手段が無いけれど、誘拐された方は状況次第で、金貨一枚を払えば開放してもらえることになっている。
状況次第という事であって、無条件では無いというのが要注意というところだ。
でもさぁ。
あたしが口を酸っぱくして注意しているのに、聞き流しちゃう
美男か美女の悪魔に色目を使われて自分から捕まった馬鹿は、これもアトラクションの一つだと思っているらしくて、金貨一枚を払って解放されるよりは奴隷にされたほうが楽しそうだなどと抜かす始末だ!
此処は亜空間に造られた、ハーデスたち神々の想念が生み出して仮想現実が実体を持つ事になった、理解不能な仮想世界だけれど。
人間にとっては実体のある現実世界と同一で、打たれりゃ痛いし斬られれば死ぬんだぞ。
それだけじゃなくて。
此の仮想世界が、存在している限り。
悪魔に捕われた人間は殺されるのでなければ、世界の終りまで生き続けることになるという結構なオマケが付いている。
あぁ?
相手が悪魔であろうと美女に捕まって、奴隷の身でも永遠に一緒の生活が出来るのは男の夢だと抜かすのかい?
ま、美女の下着を洗濯させられるのが楽しいと思ってるうちはいいけどな?
五十年が百年となり。
百年が千年となり。
千年が万年となってみな?
料理も掃除も洗濯も、それだけあれば達人となれるし。
ペチペチされるとか踏み踏みされるとかだって、奥義を窮められることは保証してやるよ。
そして。
そんだけの時間があるとなれば。
並の人間なら、やることのネタが品切れになって、退屈な時間が延々と続くんだ。
自分の責任で捕まりたいと言うのなら、事前に細部まで確認をしてからにしてもらいたいもんだよ。
途中でキャンセル!なんてぇのは、悪魔や鬼は絶対に認めてはくれないからな?
それでも泣きを入れて来る阿呆が、シュティクスの川の真砂の数ほど居るっていうんだから、人間どもは救い様の無い脳筋集団に違いない。
そんな碌でもない申し立ての始末に振り回されて、ハーデスの政庁は
今では面倒事を起こす人間どもは、即決裁判で鉱山での無期限!労働に放り込まれる事になっているらしい。
ふん?
人権侵害だとか被告の権利だとかいう寝言は、地上に戻ってから言うほうがいいとだけ忠告しておくよ。
戻れたら、だけどね。
なにしろ。
単なる金銀ではなく、魔力を帯びた金銀ともなれば地上の魔技師たちが高値で買い取りしてくれる。
領地の経営には費用が掛かるということで、経営者でもあるハーデスは地上へ輸出できる鉱物資源と製品の増産に、躍起になっているらしいが。
労働力不足、わけても熟練技術者の不足をどうするか?という問題の解決法が馬鹿な人間どもの取り込みなんだとか。
だから、生者も死者も無差別・無制限でウエルカムというのが
ズブのトーシロだって、百年も鍛えてやれば熟練労働者に化けてくれるらしい。
地上との揉め事を承知でも、そこまでするにはそれ相応の理由があるそうだ。
最近では。
元々の住人である悪魔たちや鬼たちは、きつい仕事なんか嫌だってんで公務員になるか商業従事者になるかという傾向にある。
工業系だって、CAM・CAD連動のマシニングセンタや汎用3Dプリンタで頭脳労働者も優遇されてるんだけどな。
他には勤務手当が良いのと見栄えが良いということで、あたしと組んでいる警備分隊の女性悪魔たちのような仕事に、希望者が殺到しているってんだ。
でもさぁ。
ポンキュッポンで臍出しの制服なんか着ていると、尻に触ろうとする馬鹿な
中には制服から覗いている胸の谷間に銀貨を突っ込もうとする猛者もいるから、彼女たちも気苦労は多い事だろう。
あ?
チップ稼ぎを狙って、擦り寄って見せる女性悪魔もいるんじゃないか?ってかい?
そんな事もあるかもしれないけど、そのレベルなら当事者同士の話し合いで済んでいるらしいから知ったこっちゃない。
ま、いいや。
あたしは事件や揉め事のケツを取らなくてもいいと、ビッキー様から保証されているから好きなようにしておくれ。
ハーデスがグチグチ言うくらいは、どうってこたぁないし。
さてと。
持っているモーニングスターは星球の棘を引っ込めさせて、腰のベルトに装備しているフックに掛ける。
「では、みなさま!地獄巡りツアーに出発いたします。この旗を目印にして迷子にならないようにお願いしますねぇ~」
いつものようにベルトから抜いた小旗を片手に揚げて、あたしは船着き場から地獄へと
*****
「もしもし?其処の美人のお姉さん!お買い得の宝石がございますよ?」
「ちょっとぉ、男前のお兄さん!金貨一枚で胸の大きな綺麗な娘が天国までご案内させていただきますよぉ?」
ったく。
地獄の一丁目で
それでも結構な数の男たちが引っ掛かるのには、いつもながら呆れるよりも感心しちゃうよなぁ。
此処は地獄の一丁目にあるグレート・マーケットのメインストリートで、観光客相手の土産物を売る店や、土産物ではないプロ用の何かを売る店が間口一間ほどの入り口を並べて競い合っている。
エレちゃんが小旗を翳して、はぐれないようについておいでと言った筈なのに。
列から離れて店を覗き込んでいる男女が多いのには、呆れるばかりだ。
土産物のほうは、毒にも薬にもならないようなガラクタがほとんどだ。
・・・
曰く。
天国行きのパスポート
効能書き?には十戒の全てを犯した悪人であろうと、このパスポートがあれば地獄に堕ちることなく天国の門を潜ることが出来ることを謳っている。
百年間の保証付きだと、金箔文字が押されているが。
だいたいが。
地獄の一丁目で、んなモノを売っててもいいのかよ?
・・・
曰く。
不老不死の霊薬
効能書き?には四苦八苦に囚われることなく、永遠の健康と活力を得ることが出来るのだという。
こちらも、百年間の保証付きと金箔文字が押されているが。
何処の神様が認証したとか、製作者である錬金術師の名前なんぞは書かれてはいない。
そもそもが。
地上は知らず、此処では時間なんて有って無いようなもんだしな?
・・・
えとせとら。
土産物ではないプロ用の何かのほうは、もっと怪しいものばかり。
・・・
曰く。
天地創造の時に余った光を閉じ込めた黒水晶
プロの錬金術師や魔法使いたちでも、何に使えるのかと迷うシロモノ。
ビッキー様もソフィア様も、そんな光など知らないと仰っておいでになるのだが。
あ。
現在の地上には、人間の錬金術師や魔法使いは、いないんだっけか?
魔技師というのはいるらしいけど、何が違うのかは判らない。
・・・
曰く。
大洪水を生き延びた大型船の欠片。
次の大洪水が来た時は、この
ただし、此の世界では大洪水など起きていないし、起きる予兆も無いけれど。
近いうちに小惑星の雨が降るかもしれないとは、どっかで聞いた記憶があるような無いような?
・・・
えとせとら。
*****
そして、いまここにも怪しいシロモノに騙されようとしている純真そうな少年が、店先のアレコレに興味津々の状態だ。
この子は、過保護気味のお母さんとツアーに参加している坊ちゃんだよな。
もしもし、坊ちゃん。
そんなモノに手を出したらヤバい事になりますぜ。
俺は唇の先まで飛び出しそうになった忠告の言葉を、両手で押さえて口の中へと押し戻す。
「あらぁ、
店番をしているモノホンの悪魔嬢がDカップを揺らしながら、他意は無いわよという笑顔で俺に手を振って挨拶してくれる。
店の制服なのか、彼女の私服なのかは知らないけれど。
ビッキー様やサキュバスたちも顔負けの、胸の谷間を強調した上に臍丸出しのポンキュッポンでございますという凄いコスチュームデザインだ。
大きな違いと言えば、お尻から、先っぽに鏃が付いた尻尾が生えていることくらいだろうか。
俺は揺れているDカップや尻尾のほうには目を遣らずに、悪魔嬢の目付きだけに注目をしている。
人間の男どもだったら騙されちゃうのかもしれないが、俺くらいの歳になると悪魔嬢の色香くらいで物事の判断を誤るようなことはない。
そう。
あの目付きは、余計な事を言ったら地獄の商店街総出で挨拶をするという警告だ。
ぶねぇ!ぶねぇ!
此処は地獄の一丁目だから、俺たちのような
そんなのは、あくまでも建前上の決まり事であるというだけのことだからな。
モノホンとは言っても悪魔嬢の一人?くらいなら、下級神たる俺の敵ではないのは互いに承知しているけれど。
冥府の支配者であるハーデスは別格としても、地獄の悪魔たちや鬼たち全員を敵に回して立ち回りが出来るほど、俺の戦闘力は高くは無い。
俺は単なる運転係の船乗りであって、同じ船乗りでも荒事を受け持つ海賊たちとは生活ベースが異なるからな。
よしんば勝てたとしても、他人の縄張りを荒らしたらビッキー様から船長資格を剥奪されて、桟橋掃除の作業員あたりに左遷を食らう事は間違いの無いところだ。
余計な事をして高給取りの仕事を失う義理なんか、無いからな。
「ちぃーす!おねえさん!」
愛想笑いで誤魔化して、坊ちゃんの危機については見なかった事にする。
え?
大事な乗客をほったらかしにしておいてもいいのか、ですかい??
いいんでげすよ、これが。
何故かと言えば。
俺は、単なる運び屋の責任者。
水の上では乗客たちやクルーたちの生命を預かってる俺だが、
地獄巡りツアーのほうは、エレちゃんの責任だ。
警護役だか見張り役だか知らないが、付き添いの女性悪魔たちの目を逃れて勝手にふらついている坊ちゃんの運命は、俺が心配する事では無い。
そんな事を考えているうちに、エレちゃんが率いるツアーのグループは向こうの街角を曲がって見えなくなった。
「あ!この石はアンモナイトの化石だよね?お姉さん?」
ツアーに付き合う必要の無い俺は、坊ちゃんの声を聞いて店のほうを振り返る。
「良く知ってるわねぇ!それはバイアーン地域にある古い地層から掘り出された希少価値のある化石なのよ?」
語尾が上がったのは、坊ちゃんの関心を引こうということか?
「わぁ~~!でもボクのお小遣いじゃぁ、買えそうにないなぁ~?」
お。
坊ちゃんも語尾を上げる高等話術なんか使っちゃって、値引き交渉に持ち込もうという魂胆でござんすかい?
でもねぇ。
口が裂けても言えないけれど、悪魔嬢を相手に駆け引きしようなんてぇのは、百年どころか千年くらい早いんじゃぁござんせんかい?
なにしろ。
ヤワな人間の一人や二人、お八つ代わりに喰っちゃうという噂の御姐さんたちでげすからねぇ。
生まれてから十年程度の坊ちゃんなんか、腹の足しにもならないでしょうよ。
それとも。
骨が固まっていない子供のほうが美味しいとか、悪魔嬢の好みがあるんでござんすかねぇ?
うわ!
俺の考えを読んだのか、悪魔嬢から殺気がひとつ飛んで来たでげすよ。
いえいえ、あっしは商売の邪魔なんかする気は、マリーンスパイクの先っぽほども持っちゃぁおりませんよぉ~~。
ましてや、
ん?
俺も、下級神ながら神様の数に入ってたっけか?
まぁ、万一という事もあるのが世の中だし。
くわばら、くわばら。
「そうねぇ。もう少し値段の低い化石が倉庫のほうにあるから、一緒に行って相談してもいいわよ?」
悪魔嬢が、必要も無いのにDカップを揺すっているし。
うわぁ。
一瞬の間に、悪魔嬢と坊ちゃんの遣り取りが進行してるけど。
会話の全部が、語尾上がりで出来てるじゃんか。
「うん!もっと見せてよ、お姉さん!」
悪魔嬢のDカップに見惚れ乍ら、坊ちゃんは笑顔で返事を返してる。
どうにでも解釈できるようなアブナイ表現は、とても十歳程度の子供の言葉とは思えないんだよなぁ。
アングリと口を開けたままの俺をシカトして。
悪魔嬢と坊ちゃんは仲良く手を繋いで、地獄の二丁目へと続く木戸を目指して歩いて行った。
あぁ~~あ。
知らないよと呟いて、俺はクルーズ船へ戻るために船着き場へと踵を返した。
うん。
何にも見てはいませんぜぇ。
本当ですぜぇ。
神掛けて!
・・・見てはいけない
*****
「あぁ~~!」
地獄の一丁目商店街の真ん中で、女性の声が響き渡ったのは。
シャーンが自分のクルーズ船へ戻って、乗船したのと同じ頃のことだった。
「何かありましたか?お客様?」
ツアー客たちの護衛に当たっている女性悪魔のひとりが、目の前で叫び声を上げている
もしかして、財布でも落としたとか言うのだろうか?
「あたくしの坊やが、いないのよぉ~!」
彼女がキョロキョロと商店街の前後を見回している姿に、思わず聞かれない程度のタメ息が出てしまう。
一人や二人の人間たちが自己責任で!迷子になろうと消えようと、あたし《エレシュキガル》の責任じゃ無いけれど。
こんな場所で、ちょっとでも騒ぎなんか起こしたら。
一丁目と二丁目の境界にある木戸を守る、番所の鬼たちがすっ飛んできて、騒ぎが事件サイズになってしまうのが定番だ。
あたしに責任が無いと言ったって、ハーデスのヤツにグチグチ言われるのは目に見えている。
同格の冥府神同士とは言うものの、信者がいなくなってしまった女神であるあたしに比べると、ハーデスは現役の地獄を経営しているというアドバンテージを持っているからなぁ。
まぁ、実際の処はモグリで稼いでいたところをビッキー様に捕まって、海賊島のアトラクションとして押し込まれたというあたりだけど。
それでも、独立した管理者権限を維持しているのは大したもんだ。
あたしなんか、ビッキー様の温情で雇われのツアコンリーダーをさせてもらってる状態なので、トラブルは願い下げにしたいというのが本音だからねぇ。
で?
その坊やがどうしたってんだ?
相手をしている女性悪魔と目が合うと、彼女もウンザリとした様子で肩を竦めてから左右に首を振る。
「ラアマ?」
「こちらのお客様の坊ちゃんが見えなくなったということなんだけど?」
棒読みだよ!
「うん」
子連れで参加した母親が叫んだ理由は聞いたけど。
地獄巡りツアーでは一切のトラブルは自己責任で解決することと、クルーズ船から下船して地獄の一丁目桟橋で手渡したチラシのアタマに明記してある。
一人や二人のトラブルの為に、二十人近い客が参加している地獄巡りツアーを中断するなんてことは出来っこない。
なんとなれば。
桟橋で待っているクルーズ船の出航時間は決まっていて、乗客が帰って来なくたって上の世界へ戻ることになっているからね。
もしも、出航時間までに戻れなかったら?
次の便となるクルーズ船に空席があれば、そこに押し込んでもらえるという希望はあるかもしれない。
本日の便に空席が無ければ、どうするかって?
此処、地獄の一丁目にあるホテルに泊まって明日の空席を待つことになるね。
あぁ?
明日の便にも空席が無かったら、どうなるんだろうだって?
そりゃぁ、あんた。
明後日の便に空席があることを、どっかの神様に必死を扱いて祈ることになるだろうよ。
え?
当然だけど、あたしじゃダメだよ。
あたしも別の冥府の女神の一柱だけど、神様としての能力なんて消滅しちゃったもんね。
ついでのことに、此処を仕切っているハーデスに頼んでもダメだよ?
あいつは上の世界から迷い込んで来る人間たちを獲り込んで、労働力不足を解消しようと狙っているからね。
帰してくれるなんてことは、有り得ないんだ。
そうそう。
船待ちをしている間に地獄の一丁目で泊まるホテルの代金は、当然ながら本人負担となっているのは知ってるね?
そうだよ?
クルーズ船の船賃やツアーの料金は、海賊島の入場料に含まれているから帰りの船賃は掛からないけれど。
ホテルの宿泊料や食事代は、一日につき金貨一枚がキッチリと請求されることになっている。
もしも、だけれど。
帰りの船便に空席が無ければ、ひと月でも一年でも百年でも待機の日々が続くことになるのは解るよね?
あぁん?
手持ちの金貨や銀貨が品切れになったら、どうなるんですか?だって?
女は娼館、男は鉱山に送られて、日当は銀貨一枚ってのが相場だけどね。
ふん?
人権侵害だなどと言う与太は、たとえ寝言だろうと口にしちゃぁいけないのが
というようなことを縷々、説いてはみたんだけど。
「それでも、あたしは坊やと一緒でなければ家には帰りませんからね~!」
言い張る母親の勢いに、ラアマは
そりゃぁ、そうかもしれないけどさぁ。
ま、いっか?
「では、自由行動を取られるということで承りました」
あたしがラアマに手を振って見せると、ラアマは母親の服の襟元にピンバッジを着けてやりながら注意事項を告げている。
「お客様。出航時間までに、さっきの桟橋へ戻って来てくださいね」
相手が頷いたのを確認して、通りの向こうに見える白塗りの番所を指差す。
「もしも乗り遅れたら、あそこの番所に申し出て指示に従ってください」
「はい!それじゃぁ、あたしの坊やを探しに行って来るわ!」
慌ただしく駆け出していく彼女の背中を見送って、
「お待たせいたしまして、申し訳ございません」
これも仕事の内だから、あたしも女性悪魔たちもお詫びの気持ちはキッチリと込めて頭を下げる。
「それでは、ツアーを続けさせていただきますねぇ~」
残り十八人の人間と警備の悪魔嬢たちをを引き連れて、あたしは一丁目と二丁目の境界にあるゲートへと向かって行ったんだ。
*****
「ちょっと、あんたぁ~~!あたしの坊やを何処へ連れて行こうってのよ?」
どっかの女が尻尾を揺らしながら、あたしの坊やと手を繋いで向こうのゲートへと歩いて行くのを見つけたのよ。
あたしの名前はタミと言って、シモザシ地域で手広く金属製品のチェーン店『浜町交易』を展開している会社経営者なんだけど。
うちで扱う商品は金属で造られたモノなら、家庭用の調理器具から戦士用の武器に至るまで幅広いことで、人気を呼んでいるのよね。
常備在庫ではなくても注文があれば工業用の大型3Dプリンタであろうと、CAMとセットになったマシニングセンタであろうと、店には無くても手配はしちゃうし。
出所は言えないけれど、哨戒艇程度なら軍艦だってどうにか出来ちゃうんだから。
それらの商品はシモザシで製造されたモノだけじゃなくて、フソウ全域から仕入れているモノもあるという、ヴァリエーションに富んだ品揃えで評判が高いのよ。
あ?
勿論、遥かな海の彼方にあるアングルとかガリアやモナルキという国々の武装貿易船もシモザシに来る時にはうちが荷揚げの面倒を見ている関係で異国のモノも手に入るのよ。
ただね。
アングルとモナルキは昔から犬猿の仲!以上の戦争状態が続いていて、遥々と南の海を回ってフソウへと着くまでに、拿捕・略奪の戦闘行為を潜り抜けて来なければならないらしいの。
だから。
アングルの武装貿易船がモナルキで製造されたモノを荷揚げするとか、モナルキの武装貿易船がアングルで製造されたモノを荷揚げするとかいうことがあると、シモザシに駐在している二か国の領事館同士が訴訟合戦に及ぶという騒動も日常茶飯事ね。
シモザシの当局は外国同士のトラブルについては門前払いを食わせるし、うちの仕入部だって、遥かな彼方で行われた海賊行為の事なんか知ったこっちゃないというのが本音だもの。
出所はともかくとして、遠路遥々と運んで来たモノを荷揚げしないで持ち帰るなんて無駄な事を、武装貿易船の船長がするはずも無いからうちとしては買い叩くチャンス到来ということなのよね。
うん?
うちに隠れて高値を付ける同業者がいるんじゃないか、ですって?
そんなことをしたら、武装貿易船が帰国する時に水も食料も燃料他の消耗品も、一切合切が船に届くことは無いわよ。
シモザシから見える浅瀬には、帰国できなかった武装貿易船がいくつか陳列されているという、名所も出来ていることだしね。
それはさておいて。
今日は
地獄の一丁目と言う波止場に着いて、地上の海賊島とは全く異なる風景には目を見張らされたわ。
坊やとブラブラ見て回っても良かったんだけれど、地獄巡りツアーと言うサービスがあると聞いて参加したまでは良かったんだけどねぇ。
気が付いたら、隣を歩いている筈の坊やの姿が見えなくなっていたのよ!
「あぁ~~!」
思わず大声を上げたあたしに、護衛役をしている女性悪魔が訊いてきたの。
「何かありましたか?お客様?」
「あたくしの坊やが、いないのよぉ~!」
前後をキョロキョロ見ながら慌てていると、ツアコンのエレという女性がクルーズ船の出航時間までに戻って来るという条件で、自由行動をしてもいいと言ってくれたんだけど。
もしも、乗り遅れたら面倒な事になると念押しをされたのよねぇ。
通りのあちこちを見回していたら、どこかの女が坊やの手を引いているじゃない。
慌てて、二人の前に出て睨みつけてやったわ。
「あ、お母さん!このお姉さんが珍しい化石を見せてくれるんだってよぉ~?」
あたしの心配なんか何処吹く風と言う調子で、坊やが笑顔で言っているの。
「ほら。船の時間に間に合わなくなるから、帰るわよ」
あたしが片手を差し出して促すと、坊やは不思議そうな顔をするじゃないの。
「でも僕は珍しい化石を見に行くところなんだよ、お母さん?」
「そうですよぉ~。坊ちゃんは、あたしとあっちへ行くことになっているんですからねぇ~?」
坊やの返事に合わせるように、坊やの手を握っている女が口を挟んでくる。
「え?」
向き合う格好になった女の顔を改めて見て、あたしは言葉が出せなくなったのよ。
それと言うのも。
その女の頭には二本の角が生えているし、瞳は真っ赤に輝いているじゃない。
「あ、悪魔ぁ~、さん?」
かろうじて絞り出した、あたしの声に女は楽しそうな声で返事をしてくれる。
「うん、あたしは此処で店を出しているリーサっていう悪魔だよ?」
「も、もしかして?」
あたしが戸惑いながらリーサの顔を見ると、リーサは凄みのある笑顔で疑問を肯定して来たの。
「うん、この坊ちゃんはリーサが預かる事にしたからさぁ」
それを聞いて、あたしはツアーガイドのエレから渡されたチラシを取り出して字面に目を走らせたわ。
此処で悪魔や鬼に捕らえられた観光客は、身代金として金貨一枚を支払って解放して貰わなくてはならないと書いてある。
「あの、これで坊やを解放して貰えます?」
あたしは、取り出したチップ込みの金貨二枚をリーサに差し出したんだけれど。
「お母さん。僕はお姉さんに化石を見せて貰うと約束したんだよ?」
坊やがKYそのままに、とんでもない事を言い出しちゃったのよ。
「ねぇ、坊やのお母さん?」
リーサが、あたしが手にしているチラシに指を突き付けて首を横に振っている。
「此処に、捕らえられた
読んだから、そう書いてあることは知っているわよ。
でも、そんな事を認めるわけにはいかないわ。
なにしろ、この子は一人息子で姉妹もいないから、大事な大事な跡取りなのよ。
「いろんな事情があるんだろうけど、
決まり事を破ったりしたら、地獄の王であるハーデスからキツイお仕置きが下されるのだと、リーサは首を横に振る。
よし、此処は相手の利益になる球を投げなければいけないぞと、商人として培ってきた経験が、自分自身に語り掛けて来たのよ。
うちの坊やが悪手を打ったからと言って、あたしまでもが地獄の悪魔の言い分を丸呑みしては、シモザシで名を知られたタミ姐さんの名が廃る。
跡取り息子を失うのも大きな痛手であるけれど、地獄の悪魔如きを相手に尻尾を巻いたと聞こえたら、空を駆ける二つの太陽を見て街を歩く事なんか出来ないじゃないのさ。
「ねぇ、リーサさん」
あたしは母親の顔ではなく、商人としての顔で地獄の悪魔に取引を持ち掛けることにした。
「あんたの一存で、出来るかどうかは知らないけどさ」
財布から名刺を抜いて、リーサに手渡す。
「此処に上での商売を取り込んで、あんたの店を大きくするつもりはないかしらねぇ?」
これまでに商店街を見た限りでは、地上で売っているレベルの機械類は置かれている様子は無かったし。
名刺を受け取ったリーサは何だという顔をするけれど、あたしの会社の名前を見て表情が動いたようだわ。
リーサが地上の生活に詳しいかどうかは怪しいところだけれど、シモザシでそこそこの影響力を持つ会社の噂くらいは、知っているらしい。
ほんの数十秒の時間だけど、あたしにはリーサの目が坊やと名刺の間を何回か往復して複雑な計算をしているのが判る。
何かの答えが出たと見えて、腰に着けた小物入れから手の平サイズのガラス製品を取り出すと、表面に指先を走らせ始めた。
指の動きを止めて、ガラスの表面に注目している。
「たしかに、あたしの一存では直ぐに坊やを解放することは出来ないけど」
リーサは何かを決めたという表情で、あたしに目を合わせて口を開いたのよ。
「此処の商工会を仕切っているヘルメー様に、あんたの考えを話してみてもいいかもね」
オッケー、交渉の余地はあるということだわね。
さすがに、地獄の王であるハーデス様に直談判できる訳ではないらしいけど、商工会の会頭あたりなら呑み込んでもらえる可能性は高いかもしれないわ。
「それじゃぁ、案内をお願いしますね」
ちょっとだけ、下手に出ておこうかしらね。
「わかった。ついといで」
リーサの返事に、うちの坊やの声が重なる。
「ねえ、お姉ちゃんが僕に化石を見せてくれるんだよね?」
事情が分かってない極楽蜻蛉そのものの言葉を聞いて、あたしは思わず天を仰いだのよ。
え?
あたしの目に見えたのは青空じゃなくて、洞窟風のゴツゴツした天井だったけどね。
*****
「あんたが、うちと取引をしたいって言う上の世界の経営者さんか?」
リーサが釣り上げて来た人間の女に、
あん?
あたしの顔を見て
「か、会頭が愛想笑いをするなんて。雪でも降るんじゃないかしら?」
リーサが口の中でブツブツ言ってるけど、聞こえているからな。
おい、人間達に舐められるから其処ででチビッタりするんじゃないぞ?
悪魔や鬼は、人間達に怖れられてナンボだぞ?
「はい。シモザシで浜町交易という商会を仕切っておりますタミと申します」
さすがは、上の世界で手広くやっている経営者だけの事はあって、返事は確かだ。
彼女の横に座っている、極楽蜻蛉風のガキじゃなくて坊やの母親とは想像できないほどに、しっかりとした面構えの御姐さんだ。
「上の世界のブツを売ってくれるということだけど、こっちのブツも買ってくれることもできるということかい?」
上の世界には上なりの、こちらでは製造できないブツがいろいろとあるけれど。
こっちでも作ったはいいが、土産物屋で並べるくらいしか販路が無いというブツも多いからなぁ。
土産物屋で観光客相手に売れるブツなんて、金額はともかく品数は限られてくるから、イノベーションなんて言葉は書物に書かれた流行語でしかない。
「はい。手前どもで製造している製品はこちら様への独占契約で。仕入れている製品は製造元と交渉して卸値から更に割引して手配させていただきます」
タミは笑顔を見せて、商談を続けて来る。
「こちら様の製品につきましては、手前どもに優先契約をいただければと存じますが?」
うん。
ガキを人質に取られているにしても、随分と下手に出て来るじゃないか?
こっちにとっては好条件で、ハーデス様への上納金を増やせるとあれば、ダメ元でやるだけの価値はあるということかな?
「支払いとか返品とか細かい事は、実務者レベルの相談でいいか?」
「はい。ご指示を頂ければ、手前どもの番頭を派遣させていただきますので」
ほんとに、このタミという人間の女は打てば響くような返答を返してくれる。
人間にしては
もしかして、人間以外の部族という事は無いよな?
*****
「ったく!
大悪魔であるヘルメーが地獄なんかと言っちゃってもいいのかよ?とは思うけれど、言葉にして口には出さない。
荒れ模様のヘルメーの向かいに座って、エレシュキガルは出されたグラスの縁を、チビリチビリと舐めていた。
ヘッラス地域の地酒だという触れ込みの、素朴ながら口当たりの良い蒸留酒だけど、滅茶苦茶なアルコール度数の飲み物だ。
現地では古来よりツィプロと呼ばれた地酒に、アニスの香りを付けたとかで、独特の香りが鼻へと抜けて行く。
「ほら、あんたも座って一杯やりな。商談自体は大成功だったんだからな」
ヘルメーに声を掛けられて、リーサと言う名の女悪魔が、ソロリとソファーの端っこに尻を乗せて来る。
先日の地獄巡りツアーに参加した
なんでも。
タミという名の
いかにヘルメーが大悪魔という高位の悪魔であろうと、地上へ出て行くなんてことは騒動になる案件なのだが、タミが手を回してくれて海賊島のゲートも通過出来たそうだ。
ゲート前広場の駐車場にはシモザシ警察の大型車が待っていて、小耳族のイチノシンという大警部の護衛付きで、浜町交易の本社ビルまで送迎してくれたのだとか。
そして、浜町交易の応接室へと案内をされたヘルメーが見たものは。
レオとエリアスという、ハルティア・グループを仕切る大耳族の男たちだった。
あわよくば
「言い忘れてたけど、あたしは
しれっと宣ったタミの顔を、茫然と見つめるしかないヘルメーとリーサの二人は、出された契約書にサインすることになった。
「騙した様な格好だけど、利益は十分に出させてもらうから勘弁してよねぇ」
タミに追い打ちを掛けられた二人はビジネスランチと言う名の御馳走を出されたけれど、味など覚えて無い程にビビらされたのだった。
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