第22話 ヨハンはエルマと再会をした

★創世歴20,201年★


 今日もメイドカフェ・ハルティアではご主人様たちとあたしメイドたちとの他愛も無い会話が繰り広げられているの。


 「それでねぇ~、海賊島に新しいアトラクションが出来たらしいんですよぉ~~」

 うん。

 セルマのブリッコ偽装も、名人芸の域に入ってきたようね?

 「海賊島のカフェテラスでメイドをしている、友達のイーナから聞いたんですけどぉ~~」

 「ふ~~ん?」

 ジョン様が興味津々というお顔を、セルマのほうへ身を乗り出しておいでになるわ。

 本当にセルマの話に関心をお持ちなのか、それともセルマのメイド服の胸元に関心をお持ちなのかは、判らないところよねぇ?

 ヨハン様は、晩御飯として注文されたカツ丼とお箸で取っ組み合いの最中で、セルマの話がどれくらいお耳に入っておいでかは怪しい感じがするけれど。

 なんてったって。

 お箸などという、木を加工した二本の棒を使って食事をするフソウの食文化?を最初に見た時には、あたしたちだって驚き桃の木山椒の木おどろきもものきさんしょのきだったわよ!

 え?

 驚き桃の木山椒の木って、どういう意味なんだ?ですって?

 知らないわよ。

 フソウの人たちが吃驚した時に言うんだと、ご主人様のどなたかが仰っていたのがハルティアでも定着しただけだもん。

 もしかすると。

 もっと昔に聞いた噺だったのかもしれないけれど、何時の事だかなんて忘れちゃったわね。

 木といえば。

 シモザシを含むフソウ一帯では、タケとかブナとかアスナロとかの木を伐採加工する製材から出た端材を使って、お箸に加工しているらしいのよ。

 はい?

 タケは木ではないだろう?ですかぁ~~?

 う~~~ん?レーラ、判んないぃ~~❤

 

 で、ね。

 ヨハン様たちが勤務をしておいでのゴールデン・ビクセンの艦内食堂街には、レストランや食堂が勢揃いをしているんだけど、料理を食べるのにお箸を使うという店は少数派らしいのよ。

 「アングル島の海賊船に乗ってた頃にゃ、腰に着けてるナイフ一本だけで肉を切り分けていたもんなぁ?」

 ヨハン様が、ヨハン様の箸の使い方を見ているあたしレーラに苦笑いをしながら仰っているの。

 「海賊船では、フォークもスプーンも使わないんですかぁ~?」

 「うん。使う食器が増えると、洗うための水の消費が増えるだろう?」

 あたしたちが聖都から脱出した時に乗って来た小さな商船カラックでも、水の無駄遣いは出来なかったけど、ソフィア様の空間魔法で十分な水は積んであったし、造水魔法という手もあったから不自由は無かったんですけどね。

 「小さな船では水樽の積載量が限られてるし、大きな船には乗組員も多いからさ」

 魔法使いでもなければ、大海原の真ん中で真水なんか手に入れられないから、節水という言葉では不足だと言うくらいに、水の使用は切り詰められていたんだとか。

 ナイフや食器の洗い物は、軍艦の舷側から汲み上げた海水でやっていたんですって!

 「それだって、天候が荒れているとか敵艦との遭遇戦が見込まれる時などはNGだったしなぁ」

 食事にスープが付く時にはスプーンも使ったと笑われたけど、そりゃぁそうよねぇと思ったわ。

 「そういう点では、リーン河で河賊をやってた頃は楽だったよなぁ・・・」

 水は船縁からバケツを投げ込めば好きなだけ使えたし、飲料水は陸にある根拠地の井戸で汲むことが出来たもんだと。

 遠い目をして、何かを思い出しておいでのヨハン様。

 そのヨハン様をチラリと見てから、セルマがジョン様に海賊島の話の続きを聞かせているわ。


 「それでぇ~。イーナが聞いた話ではシュティクスの川をクルージング船で地獄へ向かう途中に、セイレーンたちが岸辺で歌を聞かせてくれるんですって」

 「ふ~~ん?妖精たちの歌なんか聞いて、大丈夫なのか?」

 ジョン様が大真面目に、セルマに訊き返しておいでになるの。

 「妖精たちの歌を聞くと、いけない事でもあるんですかぁ~~?」

 セルマの疑問は、あたしレーラの疑問でもあるのよね。

 あたしたち大耳族エルフは。

 相手が妖精でも夢魔でも、言葉に魔法を載せた歌を聞かされたって、惑わされる事なんか無いから気にした事なんか無いんだけど?

 「伝説では、美女の妖精に惑わされる男の話ってのは沢山あるけどな?」

 場所によっては、船が岸辺に引き寄せられて座礁・遭難の憂き目を見ることもあったんですって。

 ジョン様の答えに、セルマが小首を傾げているわ。

 「でもねぇ~?そのセイレーネンたちのひとりが、自分を置いてっちゃった男への恨み節を歌ってるんですってよぉ~?」

 「へぇ~~?どんな歌だか、セルマちゃんは知ってるのかい?」

 ジョン様の問い掛けに、セルマがうろ覚えだという歌詞を読み上げてみせたのよ。

・・・

 ♪岸辺の岩に腰掛けて

  来ては去り航く船を見る

  あたしの髪が綺麗だと

  言ってたあんたはもういない

  川から海へと行ったきり

  風の噂も聞こえない

  それでもいつかは会えるかと

  あんたが呉れた黄金きんの櫛

  手にして今日も髪を梳く

 ♯お嫁にすると約束をした

  あたしのヨハンは何処行った?

・・・

 「セルマちゃん!今の歌を誰が歌ってるんだって?」

 ジョン様とセルマの間で交わされている雑談にしか聞こえない話の最後に、ご自分と同じ名前が出て来たことで、ヨハン様が強く反応されたのよ。

 グッとセルマのほうへ身を乗り出されて、掴みかからんばかりの勢いだもの。

 「え?海賊島の、地獄巡りツアーというアトラクションに出てる、セイレーンのらしいですよぉ~?」

 「どんな娘かは、知らないんだろうなぁ?」

 セルマが引きそうな顔をしてるのを目にされて、ヨハン様は少し調子を落とされたのだけど。

 随分と、関心をお持ちのご様子なのよ。

 「その歌を歌ってるセイレーンのが、どうかしたんですかぁ~~?」

 「うん。歌詞を聞いて俺が住んでた村の娘に約束したことを思い出したんだ」

 ヨハン様は昔の景色を見ているような、遠い目をされたのよ。


          *****


 私掠船の艦長なんてぇもんは。

 獲物の配分を間違えないようにして、荒くれ男たちや荒くれ女たち乗組員の機嫌さえ取っておけば。

 あとの仕事は、事務長兼執事長兼メイド長のジャミーレが処理してくれるから、気楽なもんじゃわ、コンコンコンコンコンコンコンと。

 いつものように、尻尾の数だけ高笑いをしておこうぞと思ったのじゃが。

 「ナナオ様ぁ~~!あたしのデスクに、書類が山積みになって崩れそうになってるんですけどぉ~~?」 

 七本の尻尾を揺らしながらゴールデン・ビクセンの艦長室で食後のコーヒーを楽しんでいたわらわの気分を台無しにしてくれる、ジャミーレめの声が耳に飛び込んで来たのじゃった。

 声だけが飛び込んで来たのならスルーしてやろうと思っておった妾の前に、書類を掴んだジャミーレめがハッチをすり抜けて、入り込んで来ておる。

 艦長室のうちでも、執務室としている艦長公室への出入りについては。

 事務長兼執事長兼メイド長のジャミーレは木戸御免!の特権を持っておるから、護衛の立耳海兵も止めようとしないし、妾もジャミーレが勝手に出入りしても文句は言わぬことにしておるけどの。

 けどの。

 「ナナオ様ぁ~~!極楽妖狐極楽蜻蛉なんか決め込んでないで、人事書類くらいは目を通しておいて下さいよぉ~~?」

 お?

 ジャミーレめが、アタマに出したキツネ耳をペタンと垂らして、泣きを入れておるではないか。

 尻尾も下がっておるが、よもや勝手に漏らしてはおるまいのぅ?

 のぅ?

 じゃが、の。

 「艦の人事は、ビッキーのほうの縄張りではなかったのかえ?」

 なんとなれば。

 妾たちを拾い上げたとか、航海長を拾ってきたとか。

 ぜぇ~~んぶ、オーナーで裏番長を兼任のビッキーが独断と偏見で仕切っておるのが、ゴールデン・ビクセンにおける人事の実態じゃからの。

 妾なんぞは、只の雇われ艦長。

 いや。

 艦をはしらせれば右へヨタヨタ左へヨロヨロ、三遍回ってコンと啼き、艦の位置など判らぬわ!

 てて加えて、海図は読めぬし六分儀は壊す、デスクワークは大嫌いと揃ったならば。

 妾の存在意義なんぞ。

 群を抜く美貌と、大きな胸やミニスカ艦長服で、乗組員の男どもを誑かすだけの、単なるお飾り。

 いっそ、本艦の金ぴかのフィギュアヘッドに成り代わって艦首で胸でも出してやろうかの。

 男どもが喜ぶのなら、ジャミーレと並んでお漏らしなんかしてもよいぞえ?

 ・・・。


 「ナナオ様ぁ~~!そこでブゥ垂れてないで、あたしの話くらいは聞いてくださいよぉ~~!」

 ん?

 ジャミーレめが、珍しくマジ顔で書類を突き出してきておるの。

 「は、いつでも真面目に仕事をしてるんですからぁ?」

 ふん。

 いつぞやも、妾と一緒に男どもの目の前で連れ漏らしなんかして、悶えながら喜んでおったくせに?

 「はいはい。嫁き遅れには付き合わさせて頂きますから、ちょっとコレを見て下さいよぉ~?」

 うむ。

 オノレひとりが先に嫁入りする気は無いという殊勝なる心掛けに免じて、コレなる書類を見てやることにするかの?

 ジャミーレが目の前に突き出している紙を手にした、妾は。

 「なんじゃぁ~、コレは?」

 思わず、叫んでしもうたのじゃった。

 「だからぁ~。ヨハン上等水兵が転属願を出してきたんですよぉ~?」

 「お前は、コレを転属願と承知の上で受け取ったのか?」

 「だって。ヨハン上等水兵はじゃぁありませんからねぇ?」

 たしかに。

 乗組員の内、妖狐族と眷族の立耳族については、妾に生殺与奪の全権がある。

 それは、雇われ艦長としてビッキーの勢力下に組み込まれていようと、族長としての権利の内じゃが。

 それ以外の、ビッキーが誘拐・拉致・あんなこと・こんなこと・して取り込んで来た、乗組員や契約商店関係者については、妾の管轄外であることは明々白々。

 艦長としての職務以外の行動について、妾に命令権などは無い。

 管轄外の筆頭は航海長ノアじゃが、アレはいかぬぞえ。

 話が逸れたかの。

 ならば。

 「どうして、水兵ヨハンが転属願を艦長に持ち込んで来るのじゃ?」

 いや、答えずとも良い。

 それがお前艦長の仕事だろう?と、ジャミーレの顔に書いてあるからの。

 ノアが本艦に乗って来てから、どうもジャミーレの忠誠心の在処ありかが怪しくなって来ておるようじゃ。

 いやいや。

 妾に対する忠誠心というか忠義心というか、そのこと自体に疑うべき処は微塵も無いと断言出来るのじゃが。

 ふたりで揃うて男どもノアたちに連れ漏らしを見せてしもうた時以降、妾との上下の距離が縮まっているような気がしてならぬのじゃ?

 う~~む。

 「わかった。コレは預かっておいて、妾のほうで処理をするぞえ」

 ジャミーレよりも大きな胸を張って見せて、妾は威厳を見せたのじゃった。


          *****


 「それで、ビッキー様?」

 「うん。ヨハンのヤツは訳アリの身でさ」

 そりゃあ、そうでござんしょうね?とは。

 ナナオとてビッキーの前で口に出さない程度の分別は持ち合わせている。

 だいたいが。

 そもそもが。

 何でもいいが、ゴールデン・ビクセンの乗組員たちは、訳アリの身か凶状持ちのどちらかだ。

 乗っていた空母が轟沈して、故国では戦死したことになって墓石の記述では海軍中尉から海軍少佐へ特進している軍医のローガン。

 ジョンやヨハンたちは、処の海軍だか警察だかから指名手配の、海賊稼業。

 ノアに至っては、神罰祟りの落とし方をやり過ぎて、一万年もの長期神権停止を食らった前科持ちの上級神で風来坊。

 ナナオたちだって、故国に戻れば反逆罪扱いで打首獄門モノの身だ。

 目の前の、ビッキーが何をやったのか?については情報が無い。

 「あたしのことは、いいんだよ」

 「はい。すみません」

 「ヨハンの件は、海賊島に配置転換という事で納得してやってくれないか?」

 「はい。そういうことで」

 ビッキーから下手したてに出られたら、ナナオに異議などあろう筈は無い。

 この艦長室までビッキーが出向いて来て降臨されて、ジャミーレが淹れたコーヒーを飲みながらの首脳会議だ。

 「ところで?」

 何で、ビッキーがヨハンに肩入れしてやっているのかが見えて来ない。

 「うん。海賊島の地獄巡りクルーズに、エルマという名前のセイレーン妖精をスカウトしてきたんだけどな」

 まさか。

 ヨハン上等水兵が、一目惚れで結婚したいとでもホザイテいるということではあるまいの?と喉元まで出掛かった呪いの言葉を、ナナオは宙に浮かべて弾け飛ぶまでじっと待つ。

 「あたしにもお前にも縁が無い恋バナだけれど、聞いてくれるか?」

 「はい、喜んで!」

 前置きには思う処もあるけれど、下級神並みの不老長寿で妖狐族を束ねる族長ナナオに言い寄ってくれる、酔狂な男などはいなかった。

 いまさら、他人の恋バナなど聞かされたところで参考になるとも思えないのだが。

 艦のオーナーで上級神のビッキーに持ち掛けられて、断れる筈なんか無い。

 返事のついでに、七本の尻尾も振っておこうと思ったナナオなのだった。


          *****


 火星のタコたちに土産物として持って行くコロールを収穫した、ガリアの土地をテクテク歩いて東へ行くと。

 歩きたくないというヤツは、走ろうと転がろうと勝手なのだが。

 一週間も歩けば山岳地帯へと突き当たる、らしい。

 健脚なヤツならば一週間、トロトロ行けば一か月とも、人は言う。

 その突き当りの山岳地帯の向こう側と言うか、山地の上のほうと言うか。

 だいたいその辺りに、リーン河という名前の立派な河が、南から北へと大量の水を流していると思って欲しい。

 本艦の上等水兵として勤務しているヨハンという男は、その河で河賊稼業をやっていたという。

 いや。

 独りでは河川用の戦闘艦を操っての切取御免など出来よう筈は無いから、一族だか村だかを挙げての仕事だという事は想像がつく。


 一帯を領地として持っていたニールプフェーアト伯爵は、領地の目の下を流れるリーン河で跋扈している河賊たちには、大いに言いたい事が積もり積もっていた。

 言いたい事の量を例えて言えば、ジックラトゥに匹敵するほどだった。

 ジックラトゥとは東の彼方にある、リーン河とは別の大河の畔に立つ巨大な人工の山だと聞いたが。

 伯爵自身がその山を見た事は無いし、見に行く積りも毛頭無い。

 領地を放り出して長駆、往復に半年から一年はかかるであろう旅に出る事など、考えるのも愚かの極みだ。

 伯爵という貴族の位は名目上、ラインラント王家から与えられたという形になってはいるが。

 その実態は、先祖代々が周辺の諸勢力と鎬を削って切り取って来た支配地域の持ち主だという事の追認に過ぎない。

 毎年、王家には何がしかの上納金を差し上げているのは看板料みたいなものだ。

 自分のほうに落ち度が無くても。

 あそこを切り取ってやるべぇと思った同類がいるならば、事件や事故は向こうからやって来るのは世間の常識。

 大きいほうは近隣にいる領土欲に駆られた貴族たちから始まって、小さいほうは村の一つもカッパらおうかという盗賊団あたりと枚挙にいとまがない。

 そのうちで貴族が相手の抗争ならば、王家から認証されている伯爵という看板が盾になることもある。

 王家の調停に持ち込めるなら、看板の威力がモノを言うからだ。

 ただし。

 それは双方の戦力が拮抗してればの話で、相手がこちらを潰してしまった後ならば文句を言っても取り合っては貰えない。

 文句を言う前に、こちらの首が飛んでいるからだ。

 そんな周辺状況を考えるなら、多額の支出ばかりで1ペニッヒ小銅貨一枚の稼ぎにもならない旅などよりは、足元を固める事に傾注するのが最善策だろう。

 そこで取り掛かろうかと考えたのが、河賊たちの一掃作戦という訳だ。

 あいつら河賊は。

 本来ならば伯爵領に入る筈の、河川通行料という税金を掠め取って行く。

 どういう事かと言うならば。

 伯爵領の目の下を流れるリーン河の河畔には、伯爵から任命された河川通行料徴収係の代官が、小さな砦に陣取っているのだ。

 目の前を他領から来る船が通航する度に呼び止めて、通行料を頂戴カツアゲするという仕組みの、執行官という辺りか。

 そのこと自体は、リーン河に限らず大河の畔に領地を持つ貴族たちならやっていることで、王家からも黙認されている。

 通行料を支払わずに押し通るという豪の者も少なからずいるが、砦の船着き場から警備艦という名の小船が出て行って捕まえることもある。

 捕まえられた不埒者は、船から積み荷に船長以下の乗組員までが没収されて伯爵領の収入となる。

 運良く逃げる事が出来ても、次回は見張りに認識されるのが早くなるから二度とは通航することが出来ずに、商売は店仕舞いせざるを得なくなるのが常識だ。

 そこまでは、いい。

 問題は。

 伯爵の代官が行っている仕事の、上前を撥ねるヤカラ河賊がいることにある。

 日常は普通の荷船でこちらの岸とあちらの岸との荷渡しをしたり、商人から依頼されれば上流や下流へと荷運びをしたりして生活している真面目な顔の領民たちだが。

 どうやっているのか?代官たちの目を盗んで通り掛かる他領の船を捕まえて積み荷の一部か通行料を取り立てカツアゲているらしい。


          *

 

 「御前様、代官のシュタインが面会を願い出ておりますが?」

 執事長であるヴァルトの声に、ニールプフェーアト伯爵は目を通していた書類をデスクへ置いてヴァルトの顔に目を向ける。

 今朝、ヴァルトから聞いた面会予定にシュタインの名前は入っていなかったような気がするが?

 「いえ。定期報告ではなくて、急いで申し上げる事があるそうですが?」

 日常業務の調整とか消耗品の補充とかであれば、ヴァルトが片付けてくれているから、代官から飛び込みで面会の申し出など滅多にあることではない。

 「用件は聞いたか?」

 お前の裁量で片付かなかったのか?と伯爵は含みを持たせたが、ヴァルトは表情を変えずに頷いて見せる。

 「リーン河で好き勝手をやっているヤツラ河賊のことだと申しております。御前様」

 そろそろ、本腰を入れて取り締まりをしなくてはならないということで、情報収集を命じてあったなと振り返る。

 「尻尾を掴んだと申しておりますが?」

 掴んだ情報の内容までは、ヴァルトに教えていないらしい。

 部下の手柄は自分の手柄で、自分の手柄を上司に横取りはさせないということか。

 それくらいの欲を持っていなければ、貴族でも騎士でも無い家柄のシュタインが出世をするのは中々に厳しいのが現実だ。

 「よろしい。騎士長も呼んでくれないか?」

 伯爵家の騎士たちを束ねて戦時には斬り込み隊長、平時には警備隊長と警察隊長を兼務しているシュペアには詳細を聞いておいてもらわねばなるまい。

 

 「結論から申し上げます」

 ニールプフェーアト伯爵の執務室ではなくて会議室へと集められた男たちを前に、砦の代官を務めるシュタインが手元のメモを読み上げる。

 「河賊たちの塒は、フェルス村に在ることが判りました」

 「あんな所に、戦闘艦なんか隠せる場所があったかな?」

 警察隊長として領内の隅々まで歩き回るだけでなく、リーン河には船を浮かべて河岸一帯の村々も見て回っている、騎士長のシュペアが首を傾げて見せる。

 シュペアの家は代々、伯爵家に仕えて来た一族で地元の地理にも精通している筈だし、部下の騎士たちや警備隊員や警察隊員たちも同じようなものだ。

 シュタインの言葉を疑っているのではなくて、自分の知識を攫い直しているという顔つきで天井を見上げている。

 「俺は船乗りじゃないから判らないけどさ。小さいとは言ってもなぁ。艦首の棒をバウスプリットと言ったか?そこから艦尾までの長さが二十メートル近くにもなる艦を隠しておけるとは思えないけどなぁ?」

 「騎士長様のお言葉は、ごもっともでございます」

 シュペアの呟きに近い疑問に、シュタインが同意の言葉でヨイショする。

 「手前どもも、河岸の砦を預からせて頂いておりますので、警備艦の艦長などにも訊いてみたのでございますが」

 誰もが、思い当たるような場所など思い浮かばないと、首を振っていたとシュタインは言う。

 「ところが、隠し場所を知っているという若者から、情報提供タレコミがありまして」


 シュタインの話では、こういう事であったらしい。

 「ファビアンという若者がフェルス村に住む、エルマという娘に惚れておりましてね」

 ファビアンは伯爵領にある、別の村に住んでいるのだけれど。

 知り合いに誘われて行った夏祭りの催しでダンスをしているエルマを見て、一目惚れをしたのだという。

 それだけなら、何処にでもあるような若者の恋愛話だが。

 「エルマという娘に交際を申し込んだけれど、約束を交わした男がいると断られたのだと。ファビアンが、わたくしに申したのです」

 それでも諦め切れないファビアンは時々、フェルス村へ出掛けてはエルマの姿を見ていたのだという。

 そして、エルマと恋人である男が連れ立っている場面を見た事もあったとか。

 「ふむ。感心できる行動ではないが、それと河賊たちの話と何処で繋がるのだ?」

 「はい、伯爵様」

 ニールプフェーアト伯爵の口調にイラつきを感じ取ったシュタインは、話を端折って結論へと持って行くことにした。

 「ファビアンがエルマの恋人らしい男の身元を知り合いに尋ねても、リーン河で渡し船に乗っている船乗りで。名前はヨハンだという事くらいしか判らなかったようなのですが」

 「はい。フェルス村の他にも、いくつかの村ではリーン河の両岸を結ぶ渡し船で稼いでいる者たちがおりますよ」

 今度は執事長のヴァルトが村人たちの生業仕事について口を挟んで、伯爵から睨まれ肩を竦める。

 そんな事は、と言うのは。

 リーン河の上流域から下流域まで、領岸に村や街道がある場所には数え切れないほどの渡し場があって、大小の渡し船が運賃を稼いでいるのは住民たちにとっての常識だ。

 その運賃の幾許かが、それぞれの流域を治める領主たちへ税金として上納されているという順番だから、伯爵でさえ知っている。

 「それで。ある日もエルマとヨハンの行動を見張っていると、二人が村外れの林の中へと歩いて行ったのだとか」

 シュタインの話を聞いている全員が、この野郎めが不埒な事をヌカシたらタダでは済まさないぞという顔つきをしている。

 「後を付けて行ったファビアンが見たのは、村の集会所よりも大きな製材所で働く男たちや女たちの姿だったそうです」

 「はい。フェルス村にはリーン河に突き出した岩山の横に大きな製材所があって、上納される税金は大したものでございますよ」

 うんざりしたような声で、ヴァルト執事長がシュタインの話に裏付けを与える。

 「流域の各地から切り出された木材を製材して、生産者から手数料を貰う事もありますし、製材した材木を買い取って他領へ売り出していることもありますよ」

 そこから納められる上納金も相当な額になっていると、伯爵領の財政を預かっている執事長が断言をする。

 「ふん」

 伯爵閣下は、何処に行き着くか判らないシュタインの話を聞き流す積りになったらしい。

 他のメンバーも、会議室の大きなテーブルに肘をついて長期戦の構えに入った。

 リーン河に繋げた水路から流れを引き込んで水車を回し、組み合わされた歯車の力を製材機とか製粉機とかに使うのは、岸辺の村々の主要産業だ。

 製材所の場合は、リーン河の流れに乗せて運ばれて来た木材を作業場まで引き込むために、大きな石組みの水路も整備していることが多い。

 「おい。その水路は戦闘艦が通れるくらいの幅や深さがあるものなのか?」

 ボンヤリと聞いていたような様子から一変して、警察隊長としてのシュペアが鋭い目線をシュタインに向ける。

 「はい。製材所へ流されてくる原木は巨大なものがありますから」

 答えながら、シュタインの顔色が陰りを帯びて来る。

 「で?」

 「ファビアンは二人が製材所へ入って行ったので、そのまま帰ろうかと思ったと言うのですが」

 ファビアンが住む村は内陸にある農地で、小麦を育てたり牧畜をしたりするのが生業なので、製材所に興味を引かれたのは不思議な事では無いだろう。

 「製材所に近づくと、腰のベルトに剣鉈を差した男たちに囲まれて、村の者以外は立ち入り禁止だと言われたそうです」

 男たちは、ファビアンが気付かなかった木陰から現れて丁寧に、秘密の仕組みがあるから製材所の中は見せられないと言ったという。

 「その場は、言われた通りに帰ったということなのですが」

 製材所の仕組みなんか知らないファビアンは、帰宅してからも気になって仕方がなかったらしい。

 さすがに、昨日の今日では覗きに行って見つかった時の言い訳が立たないということで。

 数日を置いて、夕暮れ近くに明かりも持たずに製材所へと行ってみた。


 製材所では夕方になると仕事を止めて、数人の番人たちだけを残して職人たちは村へと帰宅する。

 燃料となる木材が山積みとなっている製材所で、ランプを灯しての仕事などは危なくて出来ない。

 松明などは火の粉が飛ぶので、以ての外だ。

 番人たちも製材所の入口横にある宿直室で、小さなランプだけしかない薄暗い中での時間を過ごすとなれば、持ち込んだ弁当を食べながら無駄話をしているようだ。

 そんな薄暗い、しかし周囲の景色くらいは見えているという場所へファビアンは忍び寄って、窓から製材所の中を覗いた。

 真っ暗と言えるほどの内部は何があるのか見えないし、機械を見てもファビアンには何が何だか解りはしない。

 中に潜り込んでも仕方が無いし、捕まりでもしたら言い訳など聞いては貰えないだろう。

 製材所の建物の横手に回ると、リーン河の岸辺が見える場所に出る。

 そちらはリーン河から丸太を引き込むために石組みで、河に面した大きな斜面付きの入り江が造られている。

 そこには、水面に浮いている丸太の群れが見えるだけだと思ったが。

 入り江の向こう側に、洞窟が口を開けているのが目に入る。

 つまり。

 リーン河から真っ直ぐ見ても丸太が浮いた人造の入り江と製材所しか見えない鍵の手になっている位置の横手奥に、洞窟があるのだ。

 もう日が落ちて辺りの景色はボンヤリとしか見えないが、洞窟の奥には船を収めてあるようだ。

 それも小さなボートなどではなくて、そこそこの大きさのある船のように見える。

 もっと詳しく見ようと入り江の縁に乗り出したところで、番人たちが宿直室から出て来るドアの音がして、手提げランプの光が見えたので、ファビアンは林の中へと戻って屈みこむ。

 「うん。怪しいヤツは、いないようだな?」

 「貯木場に変なところはないよな?」

 番人たちの一人が、手提げランプを持った手を高く上げて、入り江の周囲を見回している。

 自分の顔の前に手提げランプなんか掲げたら、暗闇を見通すのには問題がありそうだとファビアンは思ったが、手提げランプを持っていない別の番人が周囲に対する見張り役をしているらしい。

 それよりも。

 手提げランプの微かな光に照らされた洞窟の奥には、漁船や荷船とは思えない形の

船が見えている。

 だけではなくて、暗闇に等しい場所で数人の人間たちが船に取り付いて何かの動きをしているようだ。

 番人たちが巡回しているのは承知と見えて、誰何すいかも無しで作業を続けている。

 「なんだ、あれ?」

 思わず身を乗り出したファビアンの片足が、小さな枯れ枝の上に乗っていた。

 パキン!と乾いた音が、暮れかかる林の中から入り江の向こうの岩山へと走り抜けて行く。

 「おい!」

 「誰かいるのか!」

 番人たちがファビアンが潜んでいる林のほうへと向き直り、足を速めて確かめに来る。

 「マズ!」

 口の中で呟くと同時に、ファビアンは身を翻して駆け出していた。


          *


 「ふむ?」

 ニールプフェーアト伯爵は、腕組みをして天井に目を向けている。

 その表情を見ながらシュタインは、厄介事の気配を感じていた。

 案に違わず。

 伯爵閣下の顔が、シュタインのほうへと巡らされる。

 「お前は、その辺の事情を知っているのか?」

 「はい、伯爵様。あそこの製材所は、リーン河の上流から流されて来る原木の丸太を回収するために、船を持っておりますが」

 リーン河を往復する船から徴税するための砦を預かる代官としては、他領あるいは他国の船に関心は持つけれど、地元の船には注意なんか払ったことは無いし管轄外でもある。

 警察隊長を務めるシュペアとて、事件事故でも起これば別だが、領内に点在している村々の住人たちの日常までは把握している筈も無い。

 そのレベルまで下がれば、それは村長たちの職務範囲となる。

 いずれにしても。

 製材所に番人がいるのは不思議では無いが、多数の人間が暗闇で作業をしているというのは、尋常であるとは言い難い。

 陽が落ちれば暗闇同然となる世界においては、とっとと家に帰って寝てしまうのが普通の生活だ。

 シュタインが預かっている砦だって、目視が出来る時間を過ぎれば徴税業務なんか出来ないから、店仕舞いをするのを伯爵だって知っている。

 世の中には度胸のある船乗りもいて、真っ暗な時間に河を下って通行税を逃れる事もあるけれど。

 そういう不届き者まで捕まえろとは、伯爵だって要求なんかしない。

 いずれにしても。

 「ご苦労だった、シュタイン。後は警察の仕事だ」

 そう言いながら、伯爵がシュタインへ金貨を二枚手渡してくれる。

 「一枚はファビアンとかいう若者に呉れてやれ。一枚はお前の嫁さんに何か買ってやれ」

 「ありがとうございます、伯爵様」

 砦の代官としての給料は、不満の無い金額を支給されているけれど。

 顔見知りの若者からの情報を上申して金貨を貰えるというのは、割の良い報酬と言えるだろう。

 こういうあたり、伯爵は吝嗇けちんぼという訳ではない。

 とは言え。

 河賊たちの排除は領地にとっての重大案件だが、シュタインのポストを上げてやるほどの手柄では無い。

 だが。

 職責外の事案に対する情報提供という成果に対してタダ働きをさせる事は、以後の忠誠心に響く可能性もあるから、一時金を出しておくのが妥当なラインだろう。

 「警察隊員の誰かを見張りに付けて、何かやってないか確認させろ」

 今度は、シュペアへ顔を向けて伯爵が指示を出す。

 「明らかに河賊をしていると確信を得られたら、儂に報告なんかしないで踏み込んでしょっ引いても構わないぞ」

 「はい。伯爵閣下」

 無実であれば、それで良し。

 苦情を言われたところで、家宅捜索程度は警察隊としての職務の範囲だ。

 

          *

 

 夜も明けきらぬリーン河の河面に手提げランプの灯りが揺らめいている。 

 「よっしゃ、船台のスライド完了だ」

 「引き出し滑車の取り付けを済ませたぞ」

 「巻き上げ機を作動させる」

 男たちの押さえられた声が順番に伝わって行き、製材所横の岩山に抉られた洞窟から船台に乗せられた二檣三角帆の戦闘艦が、入り江へ押し出されてリーン河の流れへと舳先を向けている。

 海軍の軍艦であれば、小型砲を積んだ十門艦と見えるくらいの大きさではあるが、大砲は積んでいない。

 製材所前の入り江には木材用の丸太が浮いているが、戦闘艦が出られるように滑車を通したロープで両岸へ引き寄せられて、水路が口を開けている。

 戦闘艦から伸びてセットされたロープが、製材所の水車が回転させている巻き上げ機に引かれて丸太を引き上げるのとは逆に、戦闘艦を押し出していく。

 「それじゃぁ、行って来る」

 「気を付けてね」

 ヨハンとエルマも、いつものように別れを告げている。

 「ロープを外せ」

 「ロープを外した」

 「押し出せ!」

 「おぉ~~!」

 背後の岩山から入り江に水流が迸り、戦闘艦はリーン河へと飛び出して行った。

 その様子を岸辺の芦原に潜んで見ていた伯爵領警察隊員のバルナバスは、静かに林の木立の中へと戻って行った。


          *


 ヨハンたちが乗る戦闘艦を送り出した製材所では、両岸へ引き寄せておいた入り江の丸太を元の位置へと戻して、日常の製材業務が始まっている。

 水車の回転軸から数段階の歯車を経て上下運動へと変換された大鋸が、唸りを上げて丸太を材木へと切り分けていく。

 切り分けられた材木は、滑車を通したロープに引かれて戦闘艦が隠されていた洞窟の一画へと運ばれて、乾燥の為に立て掛けられていく。

 製材する力仕事は男たちの役目だが、女たちにも仕事はあって、端材から食器やボウルなどの日用品を作る作業場がある。

 工作機械が止まる時間も時々あって、技術を持つ前の子供たちは木端や大鋸屑を片付けたりしている。

 領主の伯爵が過酷なのでも無いし、子供の親が無知な訳でも無い。

 このラインラント王家が支配する国家だけでなく、周辺国家も義務教育制度など考えもしなかった世界においては、小学校も中学校も存在しない。

 王都に大学はあるけれど、それは貴族階級か地主階級の子弟の内で向学心を持つ者が、領主あるいは官吏として必要な知識を身に着ける場所だ。

 職人の親方クラスとか商人の番頭や支店長クラスを目指す若者は、それぞれの仕事を通して、必要な読み書き算盤を習得する。

 だから、雇用主か親が教えてくれるレベルの読み書きが出来れば、学があると見做されるのが、一般庶民の常識だ。

 製材所では、標準化された木材を切り出すとか食器などのサイズを揃える為に、製図を読み書き出来る数学を含めた知識を、職人見習の子供たちに教えてくれる時間が組み込まれている。

 エルマ自身は職人では無いが、学習意欲があれば男女を問わずに教えて貰える知識を習得していて、見習い以前の子供たちに読み書きの基礎を教える仕事を受け持っているのだ。

 「みんな。今日は岩山の上から船を数えるわよ」

 「「「「「はぁ~~い、エルマねえちゃん」」」」」

 アメリア、コリンナ、レナーテたちが返事をしてエルマの後ろについてくる。

 戦闘艦を隠してあった洞窟の奥へ入って行くと、貯木場となっている入り江からは見えない位置に、岩山の中を削って造られた狭い階段が見えて来る。

 小さい女の子たちには息切れがする百メートルの高さまで階段を登れば、岩山の頂上にある小さなテラスへ出ることが出来た。

 目の下には、リーン河の流れが岩山を抱き込むようにして湾曲しているのが一望出来て、小型の商船たちが行き来している。

 河の流れは左から右へ海へと向かって、船たちを運ぶ。

 右手の彼方まで目を遣るが、ヨハンが乗る戦闘艦は遠くまで行ったらしく、三角帆は見えなかった。

 「はい。それじゃぁ、お船を数えてみましょうね」

 エルマが上流方向に手を上げて、子供たちに指示をする。

 「ひとぉ~つ、ふたぁ~つ」

 「こら、アメリア。お船の数え方はひとつふたつではなくて一艘いっそう二艘でしょ?」

 「はぁ~い。いっそう、にそう」

 「そうそう」

 のんびりと、時間は流れて行ったのだった。


          *


 「よぉし、打ち合わせの通りに静かに行くぞ」

 警察隊長として出動して来たシュペアが背後に続く警察隊員の面々を見渡してダメ押しをした。

 バルナバス隊員から不審な船が製材所の入り江を出航して行ったと報告を受けての緊急出動となった訳だが、伯爵領の騎士団は製材所のある村の外で待機している。

 それでも。

 軽装ながら革鎧を着て長剣と弓矢を持つ警察隊員たちは、非武装の住人たちから見れば立派な武装集団ということになるだろう。

 「肝心の戦闘艦や河賊たちがいないところへ踏み込んでも、証拠を押さえられないんじゃないですかい?」

 「いや。戦闘員がいないほうが、家宅捜索にはいいんだよ」

 後ろのほうで、そんな声が聞こえているのをシュペアは聞いて聞かない振りをしている。

 もしも出航して行った船が戦闘員たちを乗せた河賊たちの戦闘艦だとしても、製材所に残っている者たちが戦う能力を持っていないとは言い切れない。

 だが。

 相手の戦闘員は少ないほうがいいし、家宅捜索が空振りに終わった時の言い訳としては、軽武装で踏み込んだ方が引っ込みがつく。

 「バルナバス、ファビアンと先導しろ。二人とも剣は抜くんじゃないぞ」

 バルナバスのほうはプロだから矢鱈に抜くことはしないだろうが、ファビアンのほうはアマチュアだ。

 「「はい、隊長」」

 念押しをされた二人は、素直に返事をして前を向く。

 林の中に通された木材運搬用の馬車道ではなく、道が無い木立の間を縫って警察隊員の集団は製材所へと進んで行った。


 「こんにちは、シュペア様。」

 警察隊の先頭をファビアンとバルナバスに先導させて歩いていたシュペアに、木立の陰から現れた男が挨拶をしてきた。

 腰のベルトに剣を下げているが、抜いてはいないし手を遣る様子も無い。

 「製材所のコーエンです、シュペア様」

 バルナバスが、驚きを隠しながらも男の名前をシュペアに告げる。

 時々、伯爵の城へも何かの用事で来ている見知った顔だ。

 武装しているところを見ると、城へは納税の護衛として付いて来ていたのかもしれない。

 此の世界で、剣を腰に下げているくらいは警備係なら普通の事だから、咎めるつもりは無い。

 「コーエンと申します、シュペア様」

 名前を呼ばれた男が、胸に手を当てる敬礼をして見せる。

 伯爵から任命された騎士としてのシュペアに対する敬礼としては、可もなく不可も無いというレベルだ。

 問題は。

 「製材所というのは、常時で見張りを立てているものなのか?コーエン?」

 「はい。丸太を貯蔵している入り江に子供が落ちたら危険ですし、材木の山は火災に遭えば大損害ですし」

 シュペアの質問に、表情を変える事無く返事をしてくる。

 「ふうん?」

 それはそうかと納得はするが、成人して武装している男が見張りに立つ程の説得力があるか?と自問する。

 「さて、コーエン」

 時間を稼がれている気はするが、領内で真っ当に仕事をしている相手に対して相応の礼儀は必要だ。

 「領内の見回りで、今日は製材所の内部も改めさせてもらうから、経営者のハイマンに取次を頼みたい」

 「畏まりました、シュペア様」

 コーエンが手招きすると、死角になっていた木陰から腰に剣鉈を下げた若者が駆け足で寄って来る。

 シュペアは他人に知られないように、口の中で舌打ちをした。

 もしも、この若者が弓の上手であったならば、軽装の自分たちは良い的になったということだ。

 そんなことはバルナバスは勿論、背後に控える警察隊員たちも考えすらしていないことだろう。

 「ベンノ。警察隊長のシュペア様が立ち入り検査をされると、ハイマン所長に報告してこい」

 「はい。警察隊長のシュペア様が立ち入り検査をされると、ハイマン所長に報告します」

 そう言って、若者が製材所へ向かって駆けて行く。

 

 「警察隊のシュペア様が捜索隊を連れて来て、立入検査をすると言ってます、ハイマン所長!」

 ベンノという名前の若者が駈け込んで来て、製材所は緊張感に包まれた。

 警戒係の責任者であるコーエンが時間稼ぎをしてくれているのだろうが、河賊稼業の証拠品を残らず隠すほどの時間は無いようだ。

 「ベンノ、エルマに子供たちと岩山に隠れているように言ってくれないか?」

 「はい、ハイマン様!隠れているように言ってきます!」

 ハイマンの指示を聞いたベンノが急いで岩山へ登る隠し扉へと、裏口から走り去る。

 「みんな、武器を取って戦うぞ!逃げる先がある者は、逃げて生き残れ!」

 ベンノの背中を見送ったハイマンが、製材所の内外にいる一族に命令を出して剣を手に取る。

 「よぉ~し!全員、その場から動くなよ~!」

 ベンノが出て行ったのと僅差で、シュペアたち警備隊が製材所の建物へと雪崩れ込んで来た。


 「エルマぁ~、警察隊の手入れだ!ハイマン様が隠れているようにと仰ってるぞ」

 息を切らして岩山の階段を上って来たベンノが、エルマを見つけて手を振った。

 「わかったわ、ベンノ。みんな、大きな声を出さないようにしていてね」

 ベンノに返事をしたエルマが、預かっている子供たちに言う。

 「「「「「はぁ~~い!エルマねえちゃん!」」」」」

 子供たちの元気な返事が、岩山からリーン河の河面へと響き渡っていった。


 警察隊を案内して来たファビアンは、製材所の家宅捜索には加わらずに戦闘艦を見かけた洞窟へと向かっていた。

 ふと見ると、若い男が洞窟の奥にある木の扉を開けて向こう側へと入って行くではないか。

 「なんだ?」

 警察隊の誰かを呼んでいては逃げられるかもしれないと、男の後を追いかけることにした。

 何かあるのかと思って扉を開けると、岩山を削って造られたと思われる階段が上へと続いていて、さっきの男の者と思われる足音が響いている。

 気付かれないように、そぉ~~っと階段を上っていると子供たちの声が聞こえた。

 「「「「「はぁ~~い!エルマねえちゃん!」」」」」

 この場所でエルマという名前は、ファビアンが一方的ではあるにしても惚れている娘の名前に違いない。

 ファビアンが階段を抜けて岩山の上に出て見ると、エルマと子供たちがベンチの陰に座り込んでいる。

 「「「「「「あぁ~~!」」」」」

 見知らぬ男が現れて驚いたのか子供たちの叫び声が上がり、子供の一人がファビアンの横を擦り抜けて階段へと走り出したが、躓いて転んだ。

 「ヤン!危ない!」

 エルマが転んだ男の子へと駆け寄ろうとするところを、ファビアンがエルマの腕を掴んで捕まえた。

 「離してよ!」

 ファビアンの手を振り払おうとするエルマの頭から黄金の櫛が外れて岩山の表面で跳ねて飛んだ。

 以前に、ヨハンという名の若者がエルマにプレゼントしたと仲間から聞かされたことを思い出したファビアンは、エルマの腕を離して黄金の櫛へと手を伸ばす。

 拾おうとするエルマよりも早く拾い上げたファビアンから、黄金の櫛を取り返そうとして掴み掛るエルマを押し退けて、ファビアンは大きく腕を振って黄金の櫛をリーン河へと投げ込んだ。

 「だめぇ~~!」

 黄金の櫛を追い掛けて岩山の縁へと走り出したエルマの身体は、リーン河の水面へと落ちて行ったのだった。


          *****


 「それでな」

 ビッキーが、ナナオに向かって説明をする。

 「リーン河に棲まうオターカワウソたちが、エルマを見つけた時には息が無かったんだけどさ」

 幼い頃のヨハンやエルマたちと遊んだ古い友達であるオターたちは、エルマの死を悲しんで、リーン河の女神であるルーエンへと直訴に及んだ。

 ただ、河の女神には死者を生き返らせるだけの魔力は無い。

 せめては、いつか帰って来るであろう恋人ヨハンに会える時まで姿を保てるようにとセイレーン妖精の一員としての地位を与えることにした。

 以後、ビッキーがスカウトして来る此の時間まで、エルマはヨハンを待ち続けていたのだという。

 「だからな。ヨハンを転属させてエルマと同じ時間を生きられるようにしてやろうという訳さ」

 取り敢えず、エルマには地獄の川から海賊島の陸地にある川へと河岸を変えさせて、ヨハンには河川用の小型戦闘艦を与えて艦長にしてやるのだという。

 其の為には岩山風の小高い丘を川岸に造ってエルマとセイレーン仲間たちの舞台を設けてやらなければならないし、二人が住む戸建て住宅も支給することになる。

 エルマには自分の意志で短耳族ヒトとセイレーンとの、どちらの姿も取れるように、ビッキーが神権で変身能力を与えてやるのだそうだ。

 海賊島の演し物アトラクションがひとつ増えることになるが、それは結果であって目的では無いのだと、ビッキーはナナオの目を正面から見つめている。

 「ははぁぁ~~、結構なお話でぇ~~」

 ビッキーの下した結論に、一も二も無く飛びついて尻尾をパタパタさせるナナオであった。


 ビッキーとナナオが見ているモニターには、再会を果たした恋人たちが手を取り合って支給された家へと入って行く情景が映し出されていた。

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