第20話 シャーンは船長に昇進をした

★創世歴20,201年★


 俺は「こっち」から「あっち」へと旅人たちを渡してやっている川船の、船頭を生業にしている、シャーンという名のケチな野郎だ。

 世間では神格の一柱に数えてくれているという噂も、聞くけれど。

 神殿を建てて祀ってくれた部族はいないし、お供物もお賽銭も懐には入って来ないという貧乏神だ。

 いや。

 誰かに取り憑いて金運を奪ってしまうとか、国家を傾けてしまうとかの貧乏神ではなくて、俺自身が神様にしては貧乏生活をしてるという意味なんだけどな。

 何も好き好んで、自己卑下を言ってる訳じゃないんだぜ。

 だけど、なぁ。

 旅人たち=乗客たちから渡し賃を取っておきながら、川船のオールを乗客である旅人たちに漕がせるという実態が、現実世界にまで聞こえたと見えて、俺の評判は堕ちる一方な今日この頃だ。


 それについては、俺のほうにも言い分はあってな。

 だいたいが、マルッカ銀貨一枚で「こっち」から「あっち」へと渡してやれという掟書きを出した、どこぞの女神様がイカレテるんだ。

 イカレテるのは、何処の女神様かって?

 うちの女神様に、決まってんだろうがよ!

 おい、タレコミなんかするんじゃないぜ?

 さもないと、あんたが此処へ来た時に、川ん中へ叩き込んでやるかんな!

 それくらいだったら、俺の自由裁量で出来るんだ。

 というか、それくらいしか出来ないと言うべきか?

 俺などは、名前だけの神様という下級神で、上級神の女神様から命令されればパシリだろうが何だろうがしなくてはならない身の上なんだ。

 ふん?

 あんたは、同情してくれるってのか?

 同情するなら、賽銭カネを呉れ!

 やだよ、だと?

 ま、それが普通の反応だよな。

 だから。

 俺は、乗客へとコンバートした旅人たちから小銭であろうと巻き上げて、噂に聞いたデンエンチョウフに造船所を建ててやろうと、汗水垂らして二十四時間三百六十五日に閏日まで足して、船を漕がせているという有様だ。

 あ?

 自分じゃぁオールなんか漕いでないくせに、ってか?

 俺も、整調オールを漕いでいるんだよ!

 そうなると、コックス無しで川を横切ることになるけど、此の川には俺の川船以外には船なんかいないから、衝突事故なんかは起こり得ない。

 「こっち」から「あっち」へ漕いでって、ドシン!という音がしたら、到着したと思えばいいんだ。

 ふん。

 仮に事故が起きて船が転覆したところで引き上げればいいし、旅人たち=乗客たちは船に乗る前に死んでて、二度は死なないから無問題だしな。


 なにしろ。

 俺が渡し守をしている川は、ちょっとやそっとの川じゃぁないんだ。

 その名を、シュティクスと言ってな。

 川そのものが女神様シュティクスの仮のお姿を具現化しているという、途轍もない場所で俺は渡し守をやっている。

 いや。

 能動的にやっていると言う表現は間違いで、受動的にやらされていると言うほうが真実には近いのかもしれない。

 渡し守の俺が、自分でもオールを漕いで乗客にも漕がしている川船は、俺の持ち船じゃなくて女神様シュティクスの所有物なんだよ。

 だから。

 乗客たちから巻き上げる、いや頂戴している船賃だって俺の懐に入るのは、売り上げの一割程度とメダカの涙だ。

 うん。

 此処の川には、メダカの他にも蟹とか魔物とかはいっぱい棲んでるぜ。

 中でもメダカは最小の部類の魚で、大きさときたら一丈ほどしかないときた。

 そのメダカを泣かせて得られる涙の量なんてなぁ、高が知れてるのは世界の常識以前の問題だ。

 あ?

 賃上げ交渉は、しないのかだって?

 そりゃぁ、俺だって女神様にお伺いくらいは立てて見たけどな。

 女神様の宣わく。

 渡し守のというのは、俺が使う待機所を川の両岸に建ててあるし、永い年月の間には維持費も掛かる。

 渡し場の料金所と、桟橋や渡し場までの道路整備に先行投資してあるし、料金所には窓口係とは別に、手荷物の検査係も必要だから人件費に維持費も掛かる。

 実際には従業員なんか雇ってなくて、俺が全部の仕事をやらされてるんだけどさ。

 そんな事はスルーして、女神様はいろんな都合を並べてるんだ。

 曰く。

 川船の建造費は前払いしてあって資金繰りは厳しいし、修繕費だって馬鹿にはならない。

 川の浚渫を定期的に頼まないと川底が浅くなって船を通せなくなる。

 「こっち」と「あっち」の神様たちに袖の下を出して、渡し場の権利を買ってあるから回収するまでは赤字経営だ。

 随分と長い期間、コレをやってるから元は取れただろうと思うのは俺だけか?

 ・・・。

 そんな取引を誰としているのか知らないが、理屈を聞けば尤もらしい内容なので反論できない。

 んにゃ。

 俺如きは、反論なんか許されるような身分でも無いから、黙って聞いているしかないんだけどな。

 女神様の仰せの通りでごぜぇます!としか言えない俺の身にもなってくれ。

 ったくなぁ。

 乗客から聞いた噺だから、真偽のほどは知らないが。

 何処かの世界じゃ、土地の住人たちから慕われてるだけじゃなくて、異国の人たちにも慕われてる川の女神様がいるんだそうだ。

 おまけに。

 滅法色気があって、次第によっちゃあ異国風のリュートを弾きながらスッポンポンも見せて下さる事があるそうだ。

 しかも、だぜ。

 その女神様は、住人たちから稼ぎを巻き上げるんじゃなくて、金儲けを手伝って下さるってんだから凄いよな。

 俺も、そっちの女神様の川でなら、渡し守をしてもいいとは思うんだけどさ。

 どういう仕組みか知らないが、俺は此処から逃げることが出来ないんだよ。

 重ねて言うが。

 同情するなら、賽銭カネを呉れ!


          *****


 「ほいよ!」

 ちゃりぃ~~ん!

 川面を見つめて嘆いていた俺の目の前に、掛け声と一緒にアテナ金貨が降って来たのには、ビックらいた。

 金貨が川に転げ落ちる前に、素早く手を伸ばして掴み取る。

 目線だけを横に流して確かめる俺の目に映っているのは、金髪碧眼でポンキュッポンの若い女だ。

 滅多に無いことだけど、このポンキュッポンは身体に影を持っている。

 「賽銭じゃないけど、あんたに遣るよ」

 ポンキュッポンが、宣った。

 俺は下級神だけど、神様に賽銭ではない金を出すってのは酔狂も極まる。

 願い事も無いのに、アテナ金貨か?

 俺の知る限り、あそこアテナイではアテナ銀貨しか発行してなかった筈だが金貨も出すようになったのか?

 「贋金じゃないぜ!純金百パーセントだ!」

 ポンキュッポンが、しっかりと目線を合わせて断言している。

 俺だって神様の端くれだから、鑑定眼で金貨の純度くらいは判別できるけどさ。

 なんで、俺に金貨なんか呉れるんだ?

 何か裏があるのか?とは思うけど、チンケな下級神なんか騙くらかしたところで、ポンキュッポンが利益を得られることなんか無いだろう。

 ま、呉れるってのに文句を言っちゃあ撥が当たるって、何処ぞの世界では言われてるらしいな。

 「まいどありぃ~!あっちまでで?」

 ちゃんと身体に影を持っているヤツでも、向こうへ行ってみたいと言うモノ好きが時々だけど、此処まで来ることがある。

 向こうへ行ったって、何か面白い事が待っているわけじゃぁないし。

 行くのは勝手だけれど、帰してもらえる保証なんか無いんだけどな。

 ま、俺は只のチンケな渡し守だ。

 金さえ払ってくれれば理由なんか訊かないし、客の選り好みなんかしないというのが俺の身上だ。

 俺は精一杯の笑顔を向けて、川の向こう岸に向けて手を伸ばして確かめたのだが。


 「いや、船は自前で持ってるからな」

 この女は、とんでもない事を言い放ったのだ。

 「お姉さん、此処が何処だか承知の上で言ってなさるか?」

 アテナ金貨を貰ったからには、貧乏な乗客共とは扱いを変えるけど。

 立場だけは吞み込んどいてもらわないと、俺の仕事に差し障りが出る。

 いまだかつて、大国の大王であろうと自前の船を持ち込んだ不届き者はいなかったという一事だけでも、此の川の特殊性が分かろうというものだ。

 いや。

 何時だか忘れたけれど、ファラオとか抜かす尊大なヤツが、大型の木造船を持ち込もうとしたことはあったっけ?

 当然ながら、うちの女神様がお許しにならなくて、木造船は何処かの地べたの下に埋める羽目になったらしいや。

 乗客は「こっち」から「あっち」への一方通行だから、自前の船で行ったり来たりさせることなんか有り得ない。

 世界の秩序に反するどころか、宇宙の理が崩れるというもんだ。

 此処は、特別な場所なんだからな。

 「何処だかくらいは知ってるさ。ぽっと出の女シュティクスが勝手に商売をしてる処で合ってるか?」

 「あわわわわ!」

 この女は、とんでもない事を重ねて言ったんだ。

 これまでも腕に覚えがあると言う乗客が、船賃なんか払えるもんかと、啖呵を切った事があったけどな。

 うちの女神様に川へ叩き込まれて、永遠に世界の果てを泳がされる羽目になったというのは俺の記憶に新しい。

 だけど、この女は腕っ節が強いようには見えないし。

 臍出し衣装の他には、何も身に着けてないという丸腰状態なのだ。

 いや、腰のベルトに着けた短剣とケースに小さな金属筒を突っ込んであるのが武器なのか?

 どっちにしても、戦闘力があるとは思えない。

 俺は慌てて川面を見渡して、うちの女神様が何処にいるかを確かめたのさ。

 「あたしの船を見せないと、信用して貰えないってか?」

 俺の態度を勘違いしたらしく、このポンキュッポンが片手を上げて手先をクイと曲げたと思って貰いたい。

 ジャッバーン!

 いや。

 ズッドォーン!

 好きなほうを選んで貰って構わないけど、大音響を立てながら船が空から川面へと降って来たんだ。

 俺が見た事も無い、三本マストに帆を張った大船だ。

 俺の川船なんぞ乗っけたところで、何処に乗せたんだ?と訊かれるくらい大きな船が川面に浮かんでる。

 「ほれ。嘘なんかついてないからな?」

 ポンキュッポンが降って来た船を指差しながら、俺の顔を正面から見ている。

 「うぅ~~。この川に自前の大船おおぶねなんか持ち込みやがって!どうなっても知らないぞ?」

 俺には、それくらいしか言えなかったんだが。

 それだけじゃぁ、終わらなかったんだ。

 

 「おい、シュティクス。あたしも暇じゃないんだから、とっととツラを出したらどうだ?」

 川面に向かって、ポンキュッポンがとんでもない事を言いだした。

 言うに事欠いて、うちの女神様を呼び捨てで指名なんかしてくれるんじゃないよ。

 この川には。

 古代鰐とか首長竜とか巨大烏賊とかが棲んでいて、うちの女神様に逆らうヤツは合図ひとつで獲って喰われちゃうんだからな。

 おまけに。

 うちの女神様がお怒りになると川は大荒れ、川船は運航停止というのが定番だ。

 そうなると、滞留する乗客をさばくために俺は不眠不休でオールを漕がねばならない羽目になる。

 「わぁ~~!頼むから、止めてくれぇ~!」

 俺は恥も外聞も無く、大声を上げてポンキュッポンに泣きついたんだ。

 いくらアテナ金貨を呉れたとはいっても、俺にだって立場というもんがある。

 『こちら』の料金所には乗客たちが片道切符を買うために集まって来ているし。

 乗客の一部は、俺の川船を見るなり肝を潰した様な顔付きをしている有様だ。

 いや。

 川船は、うちの女神様の持ち物で俺は渡し守という名の船頭をしているだけなんだけどな。

 まぁ、アレ川船を見たらビビるよなぁ。

 うちの女神様は、大枚を叩いて造らせた船だと言い張ってるが。

 最近の乗客たちの話を聞くと、明々白々な時代遅れのポンコツ仕様。

 オールで漕がせる船なんてのは、どっかの海軍が新兵訓練にやってるくらいのもんらしい。

 今では、化石燃料で動かすモーターボートなんてのはメカマニアのコレクション扱いで、大きな川では磁力線モーターでジェット水流を吐き出すガラス張りの水上バスなんてのがはしっているんだそうだ。

 遠くない未来には空飛ぶ船なんてのが実用化されるとも聞いたけど、それって船と呼んでもいいシロモノか?

 そんな関係のない事をアタマに浮かべて、この場を誤魔化そうとした俺だ。

 くわばらくわばら、つるかめつるかめ。

 

 「あ~~ら。あたしの縄張りで大口を叩いているのは、どなたかしらぁ~?」

 ほらぁ、出ちゃったじゃないかよぉ。

 うちの女神様を、怒らせちゃったみたいだぜ?

 後ろには、古代鰐や首長竜や巨大烏賊が並んじゃってるしよぉ。

 だけど。

 「ふん。大層な口を利くようになったじゃないかよ、シュティクス?」

 ポンキュッポンが、上から目線で言い放ったぞ。

 「げ?」

 あれ?

 うちの女神様の様子がおかしいぞ。

 ポンキュッポンの顔を見て、明らかにビビッてるけど?

 何だ?

 巨大烏賊のヤツが、コソコソと川の中に潜り込もうとしているし?

 お前、職場放棄なんかしていると後で女神様のお子様たちにカルパッチョにされて食われちゃうぞ?

 「げ、じゃねぇよ。此処で何やってんだ、お前たち?」

 巨大烏賊が逃げ出そうとしているのはシカトして、うちの女神様にポンキュッポンが威嚇しているよ。

 「い、いえ」

 「いえ、じゃねぇだろ?勝手にシノギメシのタネの絵なんか描きやがって」

 え?

 うちの女神様はモグリ無許可で渡し場を経営していたの?

 だけど、両岸の神様たちも承知の上での渡し場だよね?

 もしかすっと。

 両岸の神様たちも共犯グルなのかぁ?

 えぇ~~?

 俺って、もしかすっと無許可営業の片棒なんか担がされてたのかい?

 それよりも、うちの女神様をしばいているポンキュッポンてナニモノなのよ?

 「ビッキー様ぁ~、うちには養わなければならない子供たちがいるんですよぉ~」

 「ざけんなよ!そいつらは、みんな一丁前成人してるじゃねぇか!」

 「ご存じでしょうけどぉ。信者が減ってお賽銭が入らないんですよぉ~?」

 「だからって、生き物たち衆生を騙くらかして亜空間になんか取り込んでるんじゃないぞ!ボケェ!」

 あえ?

 此処は、ちゃんとした『裏』の世界じゃないの?

 俺って、無許可営業に加えて誘拐モドキの片棒も担がされていたの?

 だんだん状況が呑み込めてきた俺の目に映る景色が、アブナイ方向へ変化しているように思えて来たぜ。

 「ビッキー様ぁ~~~!あたしは商売の下請けをしてるだけで、悪いのはアイツ等なんですからぁ~~?」

 おいおい、って言ったら失礼になるかもしれないが。

 うちの女神様の仰ることが、ヤバイ結果に向かってないか?

 もう、ポンキュッポンは、俺の事なんかどうでもいいやという態度だし?

 「お前なぁ、自分の事は棚に上げてダチを売ろうって魂胆かぁ?」

 「いぃ~~えぇ、いい儲け口があるから一口乗らないか?って誘われただけなんですよぉ~~!」

 「その話が本当かどうか、訊いてやろうじゃねぇか?」

 うわぁ!

 もう、勘弁してくれ。

 このポンキュッポンは、外見とは裏腹のアブナイ女だったのかよ?

 「おう、ハーデスとタナトス!お前らも出て来い!」

 マジで、冥府の神様と死神様を一緒に呼び出してるよ?

 そんなヤバイ方々になんか、出来れば会いたくないんだけどなぁ、俺は。

 巨大烏賊のヤツみたいに、フケちゃダメなんか?

 「こら、シャーン。其処で待ってれば、いい仕事を回してやるぞ!」

 おぇ~~!

 ポンキュッポンに、俺の名前を憶えられてるよぉ?

 頼むからさぁ、上級神様たちのイザコザに巻き込まないでくれませんかねぇ?


          ***


 「これはこれは、ビッキー様。いいお天気でございますねぇ~」

 「今日もご機嫌が麗しいようで恐悦至極でございますよぉ~」

 もう嫌だ!

 本当にハーデス様とタナトス様が、両手をスリスリしながらお出ましになったじゃんかよ。

 ほらぁ、あっちのほうで船の順番を待ってる乗客たちなんか、消えて無くなりそうな魔力が渦巻いてるじゃないか?

 「お前たち、あたしが目を離した隙に死者たちを誑かしてるみたいだけどな」

 うぅ~~?

 ポンキュッポンの威圧が膨らんで姿が違うモノに見えて来たんだけど、俺の気の所為なんだろうかねぇ?

 「「「ではございますがぁ、コレをやってないとアタシ共の存在を保つことが出来ないんでございますよぉ~。」」」

 うぉ~~?

 うちの神様たちが、ポンキュッポンの前で即行土下座なんかしちゃってるじゃん!

 「だったら、あたしが働き口を世話してやるから店仕舞いしろよ?」

 疑問形で言ってるけれど、断ったりしたら後の祟りがおっかなそうな話だぞ。

 だからって、うちの神様たちがホイホイと言う事を聞くなんてことは無いよなぁ?

 「「「あざぁ~~す!よろっす!」」」

 う?

 たったの一言で、承知しちゃったよぉ?

 「おい、シャーン?お前もついて来るんだよな?」

 「あざぁ~~!」

 俺も、一言で承知しちゃったさ。

 うちの神様たちを、パシリ同然の扱いでドツき回せる相手に逆らえるなんて、モノホンのパシリとして生活している俺如きに出来る話じゃないからなぁ。

 「おい、亡者共!お前たちは別の処へ行ってくれ!」

 げぇ~~?

 あちらこちらの乗客たちから、責任を取れの賠償をしろの異世界転生させてくれのという騒ぎが持ち上がったんだが。

 ポンキュッポンが手を一振りするだけで亜空間の壁が裂けて、乗客たちは光の彼方へ消えて行っちゃったのだ。

 何処へ、だって?

 そんなことはポンキュッポンに訊いてくれ。

 あれ?

 ひとりだけポンキュッポンに捕まっているけど、アイツは誰なんだ?


          *****


 「ぽんぽこぺ~~ん!ぽんぽこぺ~~ん!」

 着信音が鳴って、情報玉を手にしたカワウソがニッコリと微笑んでモニター画面から半身を乗り出している。

 「情報玉を開きますか?」

 いつも通りのメッセージに、ローガンは開けゴマ!と言ってみる。

 いや。

 アングル島ではそういう慣用句を使わないけれど、どっかで聞いたような気がしたから言ってみたまでの事だ。


 フソウ支局発。

 本社外信部宛。

 本日、シュティクス川へ取材に行った通信員から緊急報告が入った。

 要旨。

 女神シュティクスが管理するシュティクス川を中心にして運営されていたハーデス神の冥府事務所とタナトス神の死神事務所が消滅した。

 同時にシュティクス川の渡し守をしていたシャーンも舟と共に消えたが、こちらは付け足しの話である。

 通信員が目にしたところでは部外者立入禁止のシュティクス川に時代遅れのガレオン船が降って来て、ビッキーと名乗るポンキュッポンの自称女神が彼らを纏めて拉致したとのことである。

 その結果として、あの世・・・がひとつ消滅した。

 拉致された先については通信員が取材を続けているので、続報が入り次第に追って報告する。


 添付ファイル:動画一本


 「ふん?」

 ローガンが開いて見た動画には、ゴールデン・ビクセンを背にして立つビッキーの雄姿が映し出されている。

 「おい、オーニャ。これをファイルに入れておいてくれないか?」

 「あらぁ~~!また、ビッキーちゃんがオイタ・・・なんかしてるのねぇ~~?」

 オーニャの呆れ声がドュブリス・ディウルナの事務所に響いた一日であった。


          *****


 「そういう訳でな。新しい演し物だしものとして『地獄巡り』を付け足すことにしたからな」

 ビッキーに集まれと言われて、海賊島にある政庁の会議室まで来て見れば。

 絵にも描けないであろう企画の仕様書を渡されて、レオは頭を抱え込む。

 「こいつらに怪しい商売なんかさせておけないので、無理筋だろうが押し込んどいてくれないか?」

 その、こいつらという面々がビッキーの後ろに並んで頭を下げている。

 冥府の支配者ハーデス。

 死神のタナトス。

 三途の川の化身である女神シュティクス。

 渡し守のシャーン。

 とっくの昔に伝説の彼方へ消えてしまった筈の神々だ。

 いや。

 元々、神と呼べるほどの魔力を持っていなかった彼らは、ランクで言えばレオよりも下だ。

 とは言うものの。

 彼らが纏う雰囲気は、並みの立耳族や小耳族ならチビる程度の迫力はある。

 だからこそ、現在に至るまで細々とであろうと死者たちを取り込むことが出来たのだろう。

 ソフィアが神々から託された此の世界は、女神の位を持つソフィアが自分を拝ませるということを奨励しなかったので、宗教とか信仰とか呼ばれる類のモノは無い。

 他の世界に於いては。

 創造神が自ら仕切っている世界。

 創造神は後ろに隠れて神官たちに仕切らせている世界。

 創造神は権利を手放して預言者たちに仕切らせている世界。

 創造神は存在すら教えずに住民たちの勝手に任せている世界。

 創造神の存在なんか否定して住民たちが好き勝手にしている世界。

 創造神から勝手にしろと放り出されて宇宙の理から外れてしまった世界。

 えとせとら。

 けせらせら。

 れっといっとびー。

 諸行無常諸法無我。

 シュティクス女神が、小遣い稼ぎと信者パワーの二兎を追いかけようとした亜空間がどれに入るのかは微妙なところだ。

 「アトラクションの入り口に使う為の間口だけ貰えれば、あたしが中身を貼り付けておくからさぁ?」

 ビッキーが、笑顔と共に無茶振りをする。

 「はい。なんとかさせていただきましょう」

 レオはレオなりに算盤を弾くことが出来たようで、マネージャーであるレオがオーケーならばソフィアにも異存は無いということになった。


          *****

 

 ある日の、海賊島の地下での出来事。


 『地獄巡り』という飾り文字の掲げられたゲートを潜ると、目の前には西方の国々にあるような尖塔の付いた城が建っている。

 この城は死神のタナトスの居城であると共に、内部は観光客に開放されてアトラクションの一部となっている。

 城下町というデザインで建てられた、土産物屋などの商店街の間には大通りが走っていて、突き当りには『クルージング船乗り場』という看板を掲げた小奇麗な城砦風の建物と川岸に設けられた岸壁に停泊している観光船が見えている。

 城砦風の建物は川岸に張り付くように建てられているが、こちらはシュティクスの居城であると共に、部下であるシャーンたちも居室(バス・トイレ付)を貰って住んでいる。

 

 「ほら、坊や。悪い事ばかりしてると、あの怖い死神さんに取り憑かれて三途の川をひとりで渡ることになるんだからね?」

 「うん。ボク、今日からいい子にするよ。お母さん」

 そんな話声が聞こえて来たので、俺は黙っていられずに思わず声を掛けたんだ。

 「もしもし。こんな可愛い坊ちゃんをひとりで川を渡らせるなんてことは、しませんぜ」

 俺こと、シャーンが間違いの無いように手を引いて船に乗せるし、オール漕ぎをさせるなんて酷い事なんかさせないし。

 「わぁ?あんた誰なのよ?」

 坊やのお母さんが、驚いているけど。

 「俺は三途の川の渡し守で、この船の船長をしているシャーンというケチな下級神でございますよ」

 「ねぇねぇ、お母さん?このオジサンが船に乗せてくれるらしいよ?」

 「はい。あの窓口で死神から乗船チケットを受け取っていただければ、次の出発は十五分後ですよ」

 俺が手で示す先の『クルージング船乗り場』と看板が掲げられているチケットカウンターでは黒服マントで大鎌を肩に凭れさせた死神のタナトスがチケットの束を手にして、おいでおいでをやっている。

 知ってる俺が見ても、死神でございますという雰囲気が満ち溢れているが。

 タナトスの隣には、海賊島の警備隊から派遣されて来たサキュバス風コスプレという大耳族のお姉さんが二人いて、笑顔を振りまきながらアシストしてくれている。

 タナトスが率いていた眷属であるモノホンのサキュバスのお姉さんたちは、接客その他についての教育を受ける為に、海賊島の研修所でシゴカれているらしい。

 あの大耳族二人はアシスタントと言うよりは俺たちの監視役かも知れないのだが、色気に気を取られている入場者の男たちが、連れの彼女や家族から冷たい視線を身体中にブスブスされているのは笑えるな。

 そこまでは、笑い話の範疇だが。

 坊ちゃんがコスプレサキュバスたちの大きな胸を見ているけど、あのお姉さんたちと仲良くするのは十年ほど早いんじゃぁござんせんかい?

 「ちょっと、死神さん。乗船チケットをちょうだいな」

 あの母親は死神装束もコスプレの演出と思っているらしく、ビビる様子は無い。

 コスプレサキュバスのほうへは、自分の可愛い息子にチョッカイを掛けたら喰ってやるという顔つきだ。

 「はい。大人一枚、子供一枚ですね?料金は海賊島の入場料に入ってますから、船賃は頂いてませんよ。それと、この缶バッジは地獄巡りの魔除けですから胸に付けておいてくださいね」

 そう。

 この海賊島でのアトラクションは、海賊島の入場料に含まれていて現金払いはしなくても済むのだ。

 乗船チケットを渡しているのは雰囲気作りと同時に、通しナンバーで乗船者数を把握することで、俺たちへの割増金を弾き出す為なのだとレオ様が仰っていたっけ。

 この海賊島を経営しているハルティア・グループからは、毎月の基本給に加えて乗船客の数に応じた割増金を直接に・・・支払ってもらっているし。

 住まいについても、川岸の待機所にゴロ寝してたのが、今はシュティクスの居城である城塞風の建物内にエアコン完備でバストイレ付きの個室を支給されている。

 しかも、毎月の給料とは別途で帽子から靴まで一式の制服支給に三度の食事付きというから、不満なんぞは探しても見当たらない。

 シュティクスのケチンボな手数料の支払いに比べれば、雲泥の差どころか天地の差を通り越えて外宇宙くらいまでの開きがあるぜ。

 「ちょっとぉ~。あたしだって払えるもんなら払ってやったわよぉ?」

 川船の舷門で臍出しのセーラー服を着たシュティクスが、冗談半分という顔つきで頬を膨らませて見せている。

 あれでも子持ちのオバサンだというんだから、女ってのは実に上手いこと化けるものだ。

 海賊島へ来てから挨拶をさせていただいたソフィア様という女神様だけでなく、要塞のカフェテラスで勤務している大耳族エルフのお姉さんたちも、実年齢は二万歳を超えるのだとか聞いたけど?

 俺を救い上げてくれた文字通りの女神様はビッキー様というお名前なのだが、もしかすっと二万歳よりも遥かに多い数字になるかもしれないらしいのに、ポンキュッポンを維持しておいでだ。

 俺なんか、長年に亘る貧乏な船頭暮らしのために老けていて、オジサンと呼んでもらえれば上等だもんな。

 「もう~~、悪かったって思ってるから勘弁してよね?」 

 シュティクスが乗船客達から乗船チケットを受け取ってリーダー読取機に通しながら、他人には聞こえないように呟いている。

 うん、今となっては気にしちゃいないさ。

 相も変わらず雇われの船頭という身分だけれど、乗る船は見た事も無いデザインの新品で、機関部には磁力線モーターとやらが付いている。

 俺自身も、袖には混ぜ物無しの金筋四本が光る新品の制服を貰えて、クルージング船の船長にしてもらっているからな。


 そろそろ出航時間になるので、俺は船のコックピット操縦室へとラダーを上がった。

 「出航待機だ、操縦士パイロット

 「出航待機、アイ・アイ、サー」

 「エンジンの作動確認だ、機関士」

 「作動を確認しました、船長サー

 この海賊島へ来てから動力船についての基礎講習を受けた過程で、外の世界・・・・ではパイロットとは水先案内人という専門職の呼び名だと教わった。

 俺たちが仕事をしている海賊島の地底世界では、船や飛行機などの操縦士をパイロットと呼ぶ事になっている。

 そう。

 俺は、もうオールを漕がなくてもいい身分になったのだなと実感をできるのが、操縦士へ出航命令を出す時なんだ。

 「乗客の皆様、本日は海賊島の地獄巡りクルージングをご利用いただきましてありがとうございます」

 いつものように、シュティクスのアナウンスが始まった。

 「本船の船長はシャーン、ガイドはシュティクスが務めさせていただきます。これからお時間を頂きまして、乗船時のご注意をご案内させていただきます」

 シュティクスの後ろには、同じようなデザインで色違いのセーラー服を着た立耳族の犬耳女性たちが、救命胴衣などを頭上に掲げて見せていることだろう。

 彼女たちも警備隊などから志願して転属して来たクルーで、平時には無料のドリンクサービスなどをしているけれど、非常時対応の船舶警察官を兼ねているという。

 此の海賊島は独立した自治組織として周辺の諸部族から認められているという話だし、彼女たちは船内における犯罪への逮捕権だけでなく防衛権殺しのライセンスも持っていると聞いた。

 とは言え、此の地獄巡りクルージングで回る川は海賊島の地下にあるという触れ込みだが、実際は閉鎖された亜空間を流れる川だ。

 もったいなくも、ビッキーという名のポンキュッポン女神様が御手ずから新規に亜空間を造られて、シュティクス川や彼岸に地獄を丸ごと移設されたのには大いに驚かされた。

 俺だって神を名乗るからには倉庫程度の亜空間は持ってるが、海賊島の面積よりも大きなモノを入れられるほどの亜空間は造れない。

 しかも、ビッキーの亜空間は、生きたマンマの人間達を出し入れ自由!ときたもんだ。

 出入りは自由と言ったって。

 仮にシージャックなんかする阿呆がいても、タナトスが座っている料金所を通らなければ、外の世界へは出口が無いので無駄な骨折りということになるけどな。

 どころか。

 威勢は衰えたと言えども、川を支配するシュティクスに死神のタナトスと冥府の支配者ハーデスが揃い踏みしている亜空間で、勝手な事が出来るとは思えない。

 それに、俺こと不肖シャーンも加われば・・・。

 ふむ、大した違いは無いか?

 「出航しましたら、クルーが無料サービスのソフトドリンクをお配りしますので、お席に着いてお待ちくださいませ」

 アタマの片隅でシュティクスのアナウンスを聞き流しながら、俺は目の前にあるモニターの内容を確認していくのがルーティンだ。

 「乗客の皆様、こちらは船長です。本船はこれより出航いたします」

 マイクに向かってアナウンスを入れて、操縦士の顔を見る。

 「出航だ、操縦士」

 「出航します。アイ・アイ、サー」

 うん。

 何回聞いてもアイアイサーというのは、聞き心地のよろしい響きだな。

 数えるのも面倒なので止めてしまった永の年月を、シュティクスにドツキ回されて無理難題に従ってきた俺にとっては、部下がいるというのは素晴らしいことなのだ。

 「コーヒーをどうぞぉ~~、シャーン船長?」

 うわ、驚かすんじゃないよ?

 いつの間にか、シュティクスが横に来ていてコーヒーカップを差し出している。

 「ちゃんと前を見てて下さいよ、船長さん、ねぇ?」

 意味のありそうな横目を俺へと流しながら、シュティクスは操縦士と機関士にもコーヒーカップを手渡している。

 「「ありがとう、シュティクスさん」」

 操縦士たちは俺たちの因縁話なんか聞かされていないので、素直な笑顔でお礼を言っている。

 ん?

 ちゃんと前を見てろと言ったよな?

 川面の要所要所には速度表示ブイとか転舵指示ブイとかが自動で浮遊しているから、船長の俺が細かな命令を出さなくても操縦士が目視して対応をしてくれている。

 もしも操縦士がヘマを踏んでも、ATMだかATCだかが強制補正を掛けるらしい。

 それでも。

 此の川も・・・・、シュティクスの化身の一部として古代鰐とか首長竜とかを泳がせているから油断がならない。

 船には防弾ガラスの透明ドームが屋根として据え付けられているから船客たちに危険は無いが、ヤツラが面白がって体当たりを嚙ませてくると操縦士の脈拍が上がるらしいんだよ。

 「船長~~。アイツ等、何とかならないんですかぁ~~?」

 そういう泣き言を、操縦士から言われたことは数え切れない。

 悪いな、操縦士。

 こういうのもアトラクションとやらの演出の一部だと言われているし、子供たちには大人気なんだ。

 俺よりもシュティクスのほうが格上なんで、不意打ちの仕込みについてはどうにもならないんだよなぁ。

 また、ビックリで何か出すんじゃないんだろうな?

 訊いてみようと振り返ったが、シュティクスが客室へのラダーを降りて行く後ろ姿が見えただけだった。


          *


 「お母さぁ~~ん!あそこにおっぱいを見せてるお姉さんたちがいるよぉ~~?」

 乗船前にサキュバスたちの大きな胸を見ていた坊ちゃんが、別口の胸を見つけたらしい。

 コックピットにまで、嬉しそうな声が聞こえてきているぞ?

 船長席から川の情景を見回すと、結構な絵面が目に飛び込んで来た。

 川の岸辺で岩に腰掛けて、スッポンポンの娘たちが髪を梳かしながら本船に向かって手を振っている。

 お?

 今日は詩なんか歌ってるのか?

 ・・・。

 ♪岸辺の岩に腰掛けて

  来ては去り航く船を見る

  あたしの髪が綺麗だと

  言ってたあんたはもういない

  川から海へと行ったきり

  風の噂も聞こえない

  それでもいつかは会えるかと

  あんたが呉れた黄金きんの櫛

  手にして今日も髪を梳く

 ♯お嫁にすると約束をした

  あたしのヨハンは何処行った? 

 ・・・。

 うん、アレはセイレーネスセイレーンたちだな。

 確かに胸は大きいが、下半身は魚の形で尾鰭はあるが足は無い。

 なんだか、今日の歌は物悲しいと言うよりは恨み節に感じる声だ。

 女と結婚の約束をしておきながらドロンするってぇのは、珍しくも無い定番ものの噺だけれどな。

 で、あんな美女を放り出したというヨハンってぇのは、何処のどいつだ?

 「まぁ!ボクちゃん、ああいうモノを見てはいけないわ!」

 死神相手でも物怖じしなかった母親が息子の顔を片手で覆い、残る片手でシュティクスを手招きしている。

 話に聞く美術館や博物館では、あの手の彫像は掃いて捨てるほど置いてあるというから、騒ぐ程のモノとも思えないのだが?

 「はい?お呼びでございますか?」

 「あ~~た?あんなモノを子供に見せるなんて、いけないでしょうに?」

 「ん?何かいけないモノがございましたかぁ?」

 やべ!

 シュティクスが営業スマイルから戦闘スマイルへと、モードチェンジをしている気配がビンビンと伝わって来るぞ。

 なんてったって。

 此の川そのものがシュティクスの化身あるいは分身であることは、海賊島へ引っ越しをさせられた現在でも変わらない。

 ビッキー様からも、アトラクションとして施設のデザイン変更や従業員たちの福利厚生面について改善は指示されたけど、此の亜空間の中でならば従来通りにやってよろしいとお言葉を頂戴しているのだ。

 であるならば。

 現在は冥界から地獄へと改名をしたハーデスの領分に至るまでの川岸や水中に配置されているモノたちは、全てシュティクスの化身の一部であるとも言えるだろう。

 シュティクスが自分自身で腕によりをかけて造り上げた演し物だから、アヤを付けられて大人しくしているとは思えないもんな。

 とは言え。

 此処・・で乗客のマダムを川に叩き込まれては、今後の営業に差し障る程度の話では済まないことになる。

 アトラクションの内容は好きにしてもいいよとビッキー様に言われたが、乗客を好きに料理してもいいとは言われていないからな。

 仕方がないけど、船長の権限でサクラ作戦を発動させよう。


 「おぉ~~!あのセイレーンちゃんたち、可愛いじゃんかぁ~~!」

 「うん!俺は右端の娘がいいなぁ~~!」

 クレーマー・マダムの後ろのほうで、若い男たちがセイレーネスたちを見て歓声を上げ始めた。

 「こういう楽しみがあるなら、地獄行きも悪かぁないかもなぁ~~?」

 「ほら、お前たち。あまり騒いで他のみなさんに迷惑を掛けると、シモザシ警察のお叱りがあると、入場門前のお触書高札に書いてあったろう?」

 最後の台詞を言った大耳族のゴリマッチョが、仲間たちに注意をする振りをしながら、クレーマー・マダムの顔をじっと見ている。

 るせぇから黙れ、と口に出さないのは若者たちにしては上出来だ。

 ま、見掛けは若者だけど大耳族の実年齢は判らないんで単なる感想だ。

 これこそが、万一に備えてビッキー様からソフィア様を経て、警備隊に依頼が回って派遣されてきている特殊部隊の面々だ。

 例えカジュアルな私服姿であろうとも、シモザシの戦士階級たちでさえ裸足で逃げ出すという大耳族が、注意事項を連れの仲間たち・・・・・・・にキッチリと再確認させている。

 およそシモザシの住民で、大耳族に喧嘩を売ろうと言う馬鹿はいない。

 そのシモザシの住民らしいクレーマー・マダムも、大耳族の忠告を聞いた以上は黙らざるを得なかったようだ。

 ついでのことに。

 シュティクスだって、大耳族の目の前で暴れ出す訳にはいかないだろう。

 「まぁ~~、お兄さんたちの審美眼は大したものでございますねぇ~~」

 大耳族の行動を仕込みだと知ってか知らずか、シュティクスの戦闘モードも引っ込んだらしい。

 空いた時間を盗んで、俺はシュティクスを呼んで訊いてみたんだ。

 「今日はセイレーンが一人、詩なんか歌ってたけど新顔でも入ったんですかい?」

 「そうなんだよね。エルマって名前ので、ビッキー様が何処かの河からスカウトしてきたらしいんだけどさぁ?あたしも詳しい事は聞いてないんだ」

 ふ~~ん?

 またまた、ビッキー様が何か考えつかれたという事なのか?

 見栄えもいいし、歌も上手だとなれば人気が出ることは確かだろうけどなぁ?


          *


 「お母さぁ~~ん!川の中に長頸竜首長竜が泳いでいるよぉ~~!」

 再び、坊ちゃんの声が上がった。

 チラリと見ると、大きな影が川底から浮上して来ているようだ。

 ザバリ!と船内にまで水音が聞こえてきそうな飛沫を上げて、長い首の先に小さな頭が付いた生き物が水面へと跳ね上がる。

 「お母さぁ~~ん!アレはエラスモサウルスだよぉ~~!」

 お?

 坊ちゃんは、博学でいらっしゃいますねぇ~~?

 シュティクスも感心したような顔付きで、坊ちゃんの顔に注目している。

 自分が仕込んだ魔物たちを正しく評価してくれる乗客は少ないと、常日頃から嘆いていたからな。

 母親のほうはクレーマー・マダムのアッパラパァだけど、息子のほうはかなり優秀な頭脳を持ち合わせているようで恐悦至極!

 此の川にはフタバスズキリュウという別の長頸竜も泳いでいる筈だけど、どっか別の場所にいるらしい。

 「お母さぁ~~ん!エラスモサウルスがアンモナイトを銜えているよぉ~~!」

 う~~む?

 坊ちゃんの博学は結構だけど、シュティクスが其処まで細かく仕込んでいたとは知らなかったぜ。

 あのアンモナイトは天然物のモノホンなのか創作物のダミーなのかは知らないが、十本ほどの触手をくねらせているあたりは芸が細かいなぁ。

 ところで。

 アンモナイトってのは、川に棲んでるモノだっけか?

 船長としての俺の仕事に支障がある訳じゃないし、乗客たちも納得しているようだからスルーしておこう。


          *


 「みなさま、本船は間も無く地獄の一丁目ターミナルへ到着いたします。地獄巡りツアーにご参加の方は、乗船時にお渡しした缶バッジを胸に付けてあることをご確認ください」

 客室のほうでは、マニュアルの通り、シュティクスが地獄に上陸してからの注意事項を読み上げている。

 「その缶バッジは、みなさまが生きている人間であることの証明となります」

 うん。

 いつもの通りに、地獄の鬼や魔物たちから身を護る方法を教えることから始めているな?

 シュティクスのアナウンスと同時に、セーラー服を着た立耳族の犬耳女性たちが自分の大きな胸元に付けてある缶バッジを指差しながら、客室の通路を歩いていることだろう。

 立耳族の犬耳女性たちにとっては、此処の地獄・・・・・の鬼や魔物程度は恐れるに足りないペットみたいなものだけど、普通の人間にとっては現実の脅威となるから、ルールを教えておかないと面倒な事に成り兼ねない。

 なにしろ。

 冥府の支配者が転じて地獄の支配者となったハーデスは、シュティクス以上に張り切って、モノホンの地獄も真っ青という世界を造り上げているからなぁ。

 これまでにも。

 アトラクションの舞台設定だろうと侮って、シュテイクスの注意を無視した自己中たちが鬼に捕まって拷問を受けるとか、魔物に捕まって喰われてしまったという事故が起きているからな。

 そう。

 事故だよ、事故!

 絶対に、仕込みとかヤラセとかじゃぁないぜ。

 まぁ、鬼に捕まったほうは銀貨一枚というリーズナブルな身代金を支払えば開放して貰えたんだけどな。

 あ?

 魔物に喰われたほうは、ハーデスでも元には戻せなかったよなぁ?

 え?

 立耳族のお姉さんたちは助けてくれないのか?ってか。

 彼女たちの仕事は船内における・・・・・・シュティクスのアシストと保安活動であって、地獄に渡った乗客の保護活動ってのは仕事に入っていないんだ。

 「そういうことでございますので、地獄への上陸後はみなさまの自己責任となります。行動には十分にご注意をいただきますよう、お願いを申し上げます」

 シュティクスのアナウンスが終了したのと同時に、本船は地獄の一丁目ターミナルの桟橋へと接岸をした。

 「接岸終了です、船長」

 「接岸了解、操縦士。機関停止、機関士」

 「機関停止します、アイ・アイ。サー」

 「繋留索を射出しろ」

 「繋留索を射出します、アイ・アイ、サー」

 桟橋では、揃いの作業服を着た鬼たちが、本船から撃ち出された繋留索をボラードに巻き付けている。

 「繋留索の固縛完了です、船長」

 コックピットのスピーカーから、声が聞こえる。

 桟橋を見ると、作業服の袖に金線を巻いた班長の鬼が右手を上げて挨拶している。

 うん。

 作業班とは別に、細身のシルエットも見えている。

 予定通りに、地獄のほうのガイドが出迎えに来てくれたようだけど。

 あののキワドイ衣装は、乗客の坊ちゃんの目の毒になりそうだよな?


          

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