第18話 軍医のローガンは先進医療で大王を救う

★創世歴20,201年★


 ある夜。


 ブーモー・ブーモー・ブーモーと、スピーカーから大声を出し。

 シモザシと海賊島の、静謐な空気を切り裂いて。

 さすがに城門のゲートまでは切り裂けなかったけれど、シモザシ側からシモザシ警察のパトカーに先導された救急車が、アキバ側にある城門前の広場に入場してきた。

 シモザシ消防隊が持っているボンネットバスの簡易な救急車ではなく、シモザシでハルティア・グループが運営している、ハルティア・サイラーラ病院が持つ大型バンタイプのドクターカーだ。

 事前に通知があったため、広場には海賊島警備隊の軽装甲機動車が二輌と十名ほどの武装隊員たちが待機している。

 軽装甲機動車の屋根には軽機関銃が取り付けられていて、ハッチから身を乗り出した隊員が周囲を警戒している。

 パトカーがブレーキ音を立てて軽装甲機動車の前に停止するのに続いて、その後ろに救急車も停止する。

 「シモザシ警察だ。ドクターカー一輌を引き継ぐ!」

 パトカーの後部ドアから降りた、大警部の階級章を付けたイチノシンが、少尉の階級章を付けた警備隊員のエスコに引継ぎの申し渡しを行う。

 「ご苦労様です!海賊島警備隊のエスコ少尉です。ドクターカー一輌を預かりました!」

 エスコ少尉がイチノシン大警部に敬礼をして、引き渡しの儀式を完了させる。

 その声を聞いて、城門勤務の警備隊員たちが素早くドクターカーに取り付いて、保安チェックを済ませてゆく。

 「車両登録確認!」

 「不審物確認終了!」

 「運転手二名の生体ID確認!」

 「添乗ドクターの生体ID確認!」

 「添乗看護師二名の生体ID確認!」

 「添乗警備隊員二名の生体ID確認!」

 このドクターカーに添乗している警備隊員たちは、ハルティア・サイラーラ病院警備員ガードマンではなく、海賊島の警備隊から秘密裏に派遣されている分遣隊の武装隊員たちだ。

 実際は顔見知りの仲間ではあるけれど、勤務記録を保存するためにも、手続きは規則に則って行わなければならない。

 海賊島のメインコンピュータに記録されているデータ生体IDとの照合には警備隊専用のハンディーリーダーが使われている。

 此の世界の住人たちには理解できないし、模倣も不可能な異世界の技術が使われているのだ。

 それというのも。

 シモザシ一帯では最先端の設備を誇るハルティア・サイラーラ病院は、身内であるハルティア・グループの従業員たちの他に、周辺地域を含む族長たちの一族や上級公務員たちの利用も多い。

 要人狙いで馬鹿なヤツが忍び込んだりした時は、警備隊が実戦訓練として相手をしているが、そのような事件が起きたとしても詳細どころか概略さえも外部に知られる事は無い。

 その認証システムは、ハルティア・グループ全体にも行き渡っている。

 「急送患者の生体ID確認!」

 「付添人の生体ID確認!」

 何処で誰が望遠聴音機などを使っているか判らないので、患者や付添人の名前を読み上げるようなことはしない。

 「ドクターカー!島内警備隊が先導する!」

 エスコ少尉がナビに乗り込んだ軽装甲機動車が走り出す後ろを、ドクターカーが追走する。

 海賊島の城門が口を開いて、軽装甲機動車とドクターカーを呑み込んだ。


 ドクターカーを先導して来たシモザシ警察のパトカーは、広場に残った警備隊員から、シモザシ側に整備された来場者用駐車場へと丁重に誘導される。

 残った軽装甲機動車とパトカーの他にも民間の乗用車が並んでいるのは、海賊島にあるホテルに宿泊している来場者たちの自家用車だろうか。

 目の前の城門には海賊島の警備隊が常駐して立哨と動哨をしているので、車上荒らしなどを企んだヌケサクどもはシモザシ湾の深海部に棲む深海鮫の餌にされるという噂が、ジモティたちには信じられている。

 嘘か真かは、海賊島の女神様ソフィアのみぞ知る。

 シモザシ当局にとっても、留置して無駄飯を食わせることから始まって裁判やら収監やら処刑やらの面倒を省いてもらえるので、文句は無いということらしい。

 「俺たちは、海賊島へ入れてもらえないんですかね?」

 ハンドルを握る運転手役のゴヘイ邏卒が、ナビに座るゲンスケ邏卒長に訊くでも無く話し掛ける。

 「まだ一度も中に入ったことがないんですよ、俺」

 ゴヘイが続けると。

 「ハルティア・グループとの協定があってな」

 後部座席に戻った大警部のイチノシンが、誰に言うでもなくという感じでポツリと口にする。

 「制服を脱いで、観光客としてなら入れるぞ」

 「ですよねぇ、大警部。でも、なかなか入場券を買えないんですよ」

 今度は、ゲンスケも話に乗って来る。

 目下、ボニン諸島との航路を往復する貨客船アケボノに対する海賊騒ぎの報道もあって、海賊島は人気沸騰中。

 この地域一帯での大きな娯楽と言えば、花見に花火に餅搗きくらいしかない。

 神も仏も無い世界に神社仏閣は存在しないし、当然ながら夏祭りも秋祭りも無い。

 いや。

 神は実在するけれど。

 ソフィアは自分自身を礼拝してくれとは言わないから神殿など建てさせないし、ビッキーやノアに至っては、此の世界で一万年前に神々をシカトした小耳族や立耳族の利益を図ってやる積りなど全く無いときている。

 そんな訳で。

 神の支配無き世界において。

 レジャーランドなる新奇な仕掛けは大受となり、海賊騒ぎは演し物だしものの一つとして、格好の話題となっている。

 海賊を殲滅したゴールデン・ビクセンという帆船を一目ひとめ見ようと、一帯に住む暇人たちが押し寄せているらしい。

 連日満員でチケットは発券を制限する騒ぎとなって、入場出来ない人も出る状況だということは、シモザシ一帯の全員が知るところなのだ。

 イチノシン大警部とゲンスケ邏卒長は、階級差から言えば砕けた調子の会話などNGなのだけれど、彼らは同じ部族の出身者同士。

 現在でも親戚関係にある場合もあるし、数代前なら同じ一家だったりもする。

 シモザシは、地域を支配する数人の族長たちが合議で統一体を運営している、部族連合が基礎となっている。

 海賊島の対面にあるアキバを含む一帯は「サクラダ」を氏族名とする族長の支配地域で、行政権も警察権もサクラダ一族の管理下にあるし地名もサクラダがアタマに付いている。

 なので。

 パトカーの車体にはシモザシ警察とプリントしてあるし、乗務している彼らはシモザシ警察を名乗ってはいるが、実態はサクラダ警察というのが正しい。

 住民たちもサクラダ地区で代々を生きて来たジモティが多数派だが、地域の発展に伴ってケヌやフサだけでなくフソウ各地から移住して来た人々も多い。

 ユシマやヒノトなど他のシモザシ地区も同様に外部からの移住者が多いために、日常では上下関係が緩い社会が出来上がっている。

 それでも族長クラスとなれば貴人の扱いをされるし、軍隊や警察では職務上の上下関係は当然ながら存在している。

 

 海賊島の城門を眺めながら、とりとめのない話をしているとパトカーの窓ガラスがコンコンと軽く叩かれる。

 「ご苦労様でぇ~~す!飲み物などいかがですかぁ~~?」

 ノンビリとした声がして、運転手役のゴヘイ邏卒が外を見ると、メイド服を着た大耳族エルフの女性たちが警備隊員たちと一緒にワゴンを押して来ていた。

 誰かが近づいて来る気配など無かっただけに、イチノシンもギョッとして座席横に置いてある短機関銃に手を伸ばす。

 けれど、シモザシで警察官を襲う馬鹿はいないことを思い出して態度を緩める。

 もしも。

 シモザシで警察官や軍人に危害を加えるようなことをすれば、犯人本人だけではなくて犯人の家族と両親にまで類が及んで処罰をされる。

 警察官や軍人を殺害したとなれば、その範囲の親族は犯人と並んで死刑は確実という重罪を承知で犯行に及ぶケースは滅多に無い。

 余談だが、シモザシはフソウの他地域とは異なり、徴兵制では無くて志願兵制でやっている。


 イチノシンの指示で窓ガラスを下ろしたゴヘイに、警備隊員がニコリとしながら説明を付け足す。

 「海賊島からの、差し入れです」

 挨拶して来る警備隊員の肩には、シモザシ警察なら大警部の階級に相当する少佐の階級章が光っている。

 「夜中なので、島内のカフェもレストランも閉まってましてねぇ。お茶菓子程度しか、差し上げられないんですが?」

 海賊島警備隊の少佐と言えば、当直司令という重責を担っていることくらいは、シモザシ地域のひとつであるサクラダの警察官なら全員が知っている。

 大警部と階級の差は小さいけれども、知る限りでは大耳族の警備隊はシモザシ全域にあるハルティア・グループの警備会社も支配下に置いている。

 当直司令の少佐が持っている権限は、大警部とは雲泥の差があるだろう。

 イチノシンが慌てて、車外に出て敬礼をする。

 「お気遣いをいただきまして、ありがとうございます!」


 海賊島の警備隊は全員が大耳族と立耳族で編成されていることは、シモザシの警察官だけでなく一般市民も知っていることだ。

 その大耳族と立耳族たちは、遠い昔に聖都という名前の土地から共に旅をして来た、創世の神々の娘であるソフィアという女神様の眷属と言われている。

 女神様だけでなく大耳族たちも魔法が使えるし、立耳族の戦闘能力は小耳族より頭抜けているという噂もあって、シモザシの住人達から恐れられてはいないが相応の敬意と畏れを払われる存在だ。

 最近では。

 ボニン諸島との定期船が重武装をした海賊船に襲われたところを、ソフィアの同族?の別の女神様がはしらせているゴールデン・ビクセンという名の帆船!が海賊を殲滅して救助したとかで、その戦闘力のほうもシモザシ当局やフサ当局などの関心事となっている。

 「どうぞぉ~~?」

 メイド服の大耳族エルフ女性が、お茶と菓子を載せたお盆を差し出す。

 「これは、どうも」

 アキバにメイドカフェなる店がいくつかあって、ハルティア・グループが経営する店では大耳族の女性たちが接客してくれるということを、イチノシンも仲間から聞いて知っている。

 驚くほどに高額ではないけれど、シモザシの一般的な勤め人から見ればそこそこのメンバー登録料が掛かるらしい。

 だけれど。

 イチノシンたちは警備担当部署であり、風紀関係の担当部署ではないので個別の店の中までは知らないし、メイドたちとも面識は無い。

 「おい、お前たちもご馳走になれ」

 降車しろとは言わないけれど、差し入れを受け取ることは黙認しておく。

 海賊島警備隊の武装隊員たちがいてくれるなら、此処はサクラダの警察署よりも安全と言える場所だ。

 いくら当直中の業務とは言っても、ハルティア・サイラーラ病院のドクターカーを先導して、真夜中に市街地を走る緊急走行は気疲れがする。

 交差点毎に警備する警察官たちが信号を青に切り替えて、パトカーに先導させるとなれば、患者は相当な身分の人物であると思って間違いは無いだろう。

 患者が誰かは聞かされていないけれど、ドクターカーに同乗していた付添人の顔には見覚えがある。

 どこかの族長クラスの補佐官だったような気がするけれど、聞かされてもいない情報を知ろうとするのは身の破滅に繋がり兼ねない。

 政治的な野心など持ち合わせていない大警部のイチノシンにとっては、サクラダの治安が保たれていれば不足は無いのだ。

 お茶を啜りながら、給仕してくれるメイドたちの美しさを楽しませてもらうことにしよう。

 有名なメイドたちからのサービスを無料で受けられるのは、ささやかながら役得と言っていいだろう。

 仕事とはいえ、夜の夜中にパトカーを走らせた見返りはあった?ということか。

 ところで。

 救急車は、島内にある病院に着いた頃だろうか。


          *****


 「非常呼集!ドクター・ローガンは制服着用で病院へ!」

 いつものように、のどが痛いの腰が痛いのどこかにぶつけたのという小耳族ヒトの患者たちの相手をした一日が終わって、寝床に入ったローガンの耳に緊急の呼び出しコールが飛び込んで来る。

 ゴールデン・ビクセンの艦内にあるローガンのキャビン居室は、航海長であるノアがあてがわれている簡素なキャビンに比べると広くて贅沢な内装がしつらえてある。

 ローガンが生まれたノブス・アルビオ新アルビオの開業医たちならば。

 いや、勤務医でも部局長クラスになれば手に入れられるレベルの生活をゴールデン・ビクセンは保証してくれている。

 研修医に比べれば段違いの待遇だし、海軍軍医の中尉では望むべくも無いほどの好待遇だ。

 いまではゴールデン・ビクセンのオーナー?であるビッキーとも顔見知りだから、ビッキーが支給してくれていると言うほうが正しいのかもしれない。

 今の呼び出しコールも、ビッキーの声だった。

 海軍で叩き込まれた通りに素早く軍医の制服を着て、キャビンの隔壁に並ぶハッチの三番目に突進する。

 通り抜けた向こうは、艦内病院の院長室だ。

 ローガン自身は空間魔法など使えはしないし、ゴールデン・ビクセンに乗るまでは聞いたことさえなかった現象なのだが。

 緊急時に艦内のラダー階段を上り下りしているのでは間に合わないし、軍医に怪我などされては危険極まりないと判断されたらしい。

 そういうことなのかどうかは、訊いて確かめた事など無いけれど。

 乗組員たちの前に姿を現すようになったビッキーが、空間魔法でチョイチョイと繋いでくれたのだ。

 いきなり別の場所へ転移できるという現象に、そろそろ慣れてはきたけれど。

 いまだに御伽話の中にいるような、あるいは魔法使いになったような気分が抜けないのは困ったものだ。

 「おう、ドクター。こんな時間に済まないな」

 院長室では、いつものように臍出しスタイルのビッキーが待ち受けていた。

 この女神様は美人でスタイルも抜群なのだが、こんな格好をしてても良いのだろうか?と毎度ながらの心配をしてしまう。

 「あたしの臍なんか見てなくていいから、ちょっと海賊島の病院まで付き合ってくれないか?」

 そう言いながら、院長室の隔壁に新しく付け足された!ハッチを開いて手招きをする。

 隔壁にかけてある白衣と聴診器を引っ掴んだローガンが、ビッキーに続いてハッチを潜った先は海賊島の病院内にある院長室だ。

 「ドクターを、海賊島に新設する病院の院長にするからな」

 以前、海賊島の建設が始まると同時にビッキーから言い渡された時は驚いた。

 「俺は、身体を一つしか持ってないんですけどね?」

 艦内病院はどうするんだというローガンの疑問に対して返って来たのが、二つの院長室を空間魔法で繋げてしまうというデタラメ極まる解決策だった。

 どういう仕掛けなのかは知らないけれど、双方の病院を結ぶ専用電話も繋いであるのだと知らされた。

 それと言うのも。

 海賊島に新設された病院は、ローガンの知識をベースにして設計から機材調達までが行われている。

 要求した通りに揃えてくれたのは嬉しい限りだけれど、どこから調達してきたのかという疑問は訊けないままになっている。

 製造するほうも使うほうも、高度な製造技術を必要とする医療機材のアレコレは、大型チェーン店であろうと家具屋や電気屋で買えるレベルのものではない。

 専門メーカーに注文するにしても、在庫が山積みになっているということは絶対に考えられない機械が大半なのだ。

 更に、驚くべきことには。

 機材のほうも入手困難なシロモノなのだけれど、ビッキーは操作や検査の技師たちまでも調達・・して来てくれた。

 どこから誘拐・・して来たのか?などとは、ビッキーにも本人たちにも訊けるものではない。

 シモザシのサクラダ地区にあるハルティア・サイラーラ病院から転職して来た、診療科別の専門医たちや看護師たちに技師たちや事務職たちもいるけれど、それは別の問題だ。

 現在・・におけるシモザシというかフソウというか、その医療レベルはローガンの知るものよりも遥かに昔・・・・のレベルでしかない。

 彼らに、ローガンの知る最新理論と技術を伝授するという講師役も、ビッキーからは押し付けられている。


 「院長、急患です」

 院長室には、タブレットを抱えた先任看護師のイレネが待ち構えていた。

 だけでなく。

 ソフィアにレオも応接用のソファーに座って、顔をローガンに向けている。

 「夜中に申し訳ありませんが、こちらの医師たちだけでは対処できませんので」

 ソフィアが立ち上がって、軽く腰を折って見せる。

 おいおい、女神様に頼みごとをされちゃったよと、思いはするけど口には出さずに礼を返してからイレネの顔を見る。

 「いま、各科のドクターたちが検査とデータ確認をしています」

 俺だけじゃなくて、この病院の医師たちや検査技師たちも、夜中に叩き起こされて自宅から駆けつけて来たらしい。

 海賊島の病院に勤務する医師以下の人員には、島内に住居が与えられている。

 戸建てかフラットかはいろいろだけど、それぞれの室内に空間魔法で造られた病院直通用のドアを取り付けてあるので、非常呼集が掛かった時にはという人権無視の好待遇が付いている。

 この病院にも入院施設はあるけれど、いまのところ入院患者はいなかった筈で、救急当直の医師と看護師たちが詰めていただけだろう。

 イレネだけではなく、数人の看護師たちや技師たちも叩き起こされたという事か。

 「ご苦労様。患者の基本情報を聞こうか?」

 「それについては、わたしのほうから少々」

 ローガンがイレネに言った言葉を、レオが引き取って話し始めた。

 ビッキーはソファーに座って、亜空間からコーヒーセットを引っ張り出している。

 まったく。

 ビッキーやノアだけでなくソフィアも含めた神々や大耳族エルフ個人個人?が使う空間魔法は、単に物品を収納する倉庫としてではなくて、亜空間内部に自分自身の居住世界さえも置くことができるらしいのだ。

 しかも。

 その居住世界には、専用の管理人であるオートマタ自律型人形という生命体を住まわせて、身の回りの世話をさせているのだという。

 どうやら。

 美少女艦長ナナオ以下の妖狐族も空間魔法を使えるらしいし、会ったことは無いが一万年前の大昔に!ノアやソフィアが指導して資格を与えた上級魔技師という魔法使いたちもレベルは違うが使うことが出来るという噂も聞いた。

 まったく。

 そんな便利な魔法があるのなら、俺にも教えてくれないものだろうか?と、ローガンはアタマの中でぼやくしかない。


 「はいよ、ドクター」

 ビッキーが、アツアツのコーヒーが入ったカップを手渡して寄こした。

 「患者はナラの大王なんですけどね」

 ローガンがコーヒーを飲み下したのを確かめてから、レオがとんでもない事を言い放つ。

 飲み終わった後では無くて口に含んでいたりしたら、沈着冷静なドクターが売りのローガンでさえコーヒーを霧吹きしたことだろう。

 「うちのシモザシに在るハルティア・サイラーラ病院に担ぎ込まれたんですが、症状もさることながら保安上の問題などいろいろとありまして」

 なるほど。

 ローガンもシモザシやフソウの政治情勢が、此の世界・・・・に住む大耳族の将来に関係していると言う事くらいは教えられている。

 この場にソフィアやレオがいるのは、そういう事か。

 

 「細かい事はファイルを見てもらうけど、症状だけは言っておこう」

 先任看護師のイレネからファイルを手渡されたローガンに、ビッキーが言う。

 紙のファイルだと?

 ゴールデン・ビクセンの艦内病院と同様に、海賊島の病院もメインコンピュータに繋いだ電子カルテで診療記録を保管している。

 どちらも内部だけで独立したシステムであるし、インターネットなど存在しない世界では抜き取りやハッキングを食らう可能性はゼロに近い。

 それでもなお。

 電子カルテでは無くて紙のデータということは、記録を残すとマズイという事情があるということか。

 紙のほうは用事が済み次第に院長であるローガンが、自分の手で院内で焼却してしまうか、ビクセンに持ち帰るかすれば読まれる事は絶対に無い。

 現在は。

 看護師でありながら、海賊島防衛隊と警備隊の双方で戦闘訓練を習得して大尉の階級を持つ大耳族のイレネがファイルを抱えているのなら、通院患者や来院者などフソウの住人にはファイルを奪えるほどの者は存在しないと思われる。

 それほどの秘密保持が必要なこととは、何だろう?

 「患者は、脳を海月クラゲに侵食されているらしいのさ」

 「はい?」

 ローガンが教わった医学では聞いたことが無い言葉がサラリと、ビッキーの口から出て来た。

 いや、医学どころか生物学のほうだって、ヒトの脳に海月が寄生あるいは侵入できるとは教わっていない。

 「と、こちらの世界の生物には違いがあってな」

 まぁ、には神様どころか大耳族に立耳族に妖狐族まで揃って歩き回っているとくれば、大いに違いはあるのかもしれない。

 ビッキーが、イレネなら知ってるよな?という顔をする。

 「海月を刺身で食べると、中るあたることがあるんですよ」

 「海月の刺身?」

 イレネの説明になっていない説明に、ローガンは首を傾げる。

 ローガンの生まれた世界でも、極東のほうでは魚類を生で食べるという文化があるから、刺身くらいは知っている。

 タコやイカの刺身もあって、イカとかサバの刺身ではアニサキスと言う寄生虫に中ると胃痛を引き起こすこともあると聞いた。

 治療法は簡単?で、内視鏡で摘み出すか、ステロイド剤投与で解決することが多いと聞いた。

 それでも、海月の刺身とは。

 どこかの国の料理には干した海月の細切りを水で戻してアレンジする調理法もあるとは聞いたが、海月を生で食べるという話は聞いた記憶が無い。

 「えぇ、普通の海月ならば刺身で食べても大丈夫なんですけどね」

 イレネの付け足しを聞いても、まだ判らない。

 この世界の住民たちは、海月の刺身を食べると言うのか?

 そんなシロモノが、美味いと言うのか?

 いやいや。

 その前に。

 海月に、普通のヤツと普通ではないヤツがいると言うのだろうか?

 「ひとつひとつの細胞レベルで、群体のような機能を持っている海月がいるんですよ」

 刺身でということは、生きたままの群体海月を食べると群体の大半は胃液で死ぬが、そいつらの一部が胃壁などをすり抜けて血流に乗り身体各所へと潜り込んで増殖することがあるという。

 「・・・うん」

 話が見えて来たような、見えないような曖昧なところだけれど。

 イレネの説明に疑問を持つよりは、現実に起こっている問題に対処することを期待されているのだと、考えを切り替える。

 「問題の海月は、王家専属の包丁人なら見分けがつく筈ですし、その前に食料の仕入れ係が確かめて購入することになっているんです」

 レオの口調が、事故か事件か疑うような感じに聞こえるのは気の所為か?

 そんな物騒な海月なら、地元の漁師だって魚市場だって見逃すなんてことは無いだろう?

 「そっちのほうは、シモザシの公安部と諜報部が調べているのですけどね」

 「ドクターにも、事情を知っておいてもらおうと思ってな」

 レオとビッキーが渋い表情で、情報を付け足してくれる。

 「それと。ラボのほうには、あたしから特効薬を手配してあるからな」

 イレネの後を追って院長室から出ようとするローガンの背中に、ビッキーの言葉が

追いかけて来た。

 

          *****


  あたしレーラとセルマはソフィア様から声を掛けられて、真夜中のお仕事を志願することになったのよ。

 深夜勤務の割増手当も出るし、振替休暇も付けていただけるというので海賊島へと来て見れば。

 絵にも描けない美しい海賊島の城門を目指して、シモザシのパトカーがブーモー・ブーモー・ブーモーとスピーカーから大声を出してる救急車を先導して、疾走して来たじゃないの。

 「ちょっと確認の手間があるから、ここで待っててもらえるかい?」

 ヘンリク少佐が城門の中にある休憩室のソファーに片手を振って、座るように促してくれるけれど。

 「あっちを見てても、いいですかぁ~?」

 あたしもセルマも何事が始まるのか?と興味津々で、駐車場側の窓を指差してヘンリク少佐に許可を求めたの。

 誰もいなければ勝手に覗いて見ちゃうけど、海賊島の当直司令がCICから地上へ出て来ているとあれば、何かの事情がある筈だもの。

 「見るだけ見たら、パトカーに乗ってる警察官たちにお茶を出してもらえるか?」

 「「はぁ~~い!」」

 二人で返事をしながら窓から覗くと、警備隊の隊員さんたちが救急車の周りや中に群がって、何かの点検をしているところだったのよ。

 あたしたちのお店メイドカフェ・ハルティアではお帰りご来店になられたご主人様お客様の保安点検をすることはないから、珍しい光景を見られたわねぇ。

 遠目で確かではないけれど、警備隊のエスコ少尉が軽装甲機動車に乗り込んで、救急車を先導して海賊島の中へ走って行ったみたい。

 駐車場には軽装甲機動車とパトカーが残っているけど、あそこで夜明かしをするのかしら?

 お店を出る時に、ソフィア様から指示されてコーヒーやお茶菓子と軽食を積んだワゴンを用意して来たのは、パトカーに乗っている警察官のみなさんへのサービスという事ね。

 ソフィア様には、何処まで見えているのか?不思議に思うことがあるのよ。

 警備隊の隊員ではなくて、メイドのほうを接待役に出すというのは何かの事情がありそうだけど、いつか事情を聞かせてもらえるのかは怪しいところね。

 「じゃぁ、お願いできるかな?」

 ヘンリク少佐に言われて、あたしたちはパトカーに向かってワゴンを押しながら歩き出したのよ。

 パトカーには運転席とナビに若い警察官が座っていて、後部座席には年上の警察官が座っていたの。

 パトカーの窓ガラスをコンコンと軽く叩いて。

 「ご苦労様でぇ~~す!飲み物などいかがですかぁ~~?」

 声を掛けると運転席の窓ガラスが下げられたわ。

 「海賊島からの、差し入れです」

 運転席に座る若い警察官に、ヘンリク少佐が挨拶をしたの。

 「夜中なので、島内のカフェもレストランも閉まってましてねぇ。お茶菓子程度しか差し上げられないんですが?」

 後部座席に座っていた警察官が湧てた様子でドアを開けて、車外に出て少佐に敬礼をしてきたわ。

 「お気遣いをいただきまして、ありがとうございます!」

 その警察官の肩には大警部の階級章が光っていたから、ヘンリク少佐と同格あたりということかしら。

 軍隊と警察の間には、同じ公務員同士というだけではない微妙な関係があると聞いたような気がするけれど。

 「どうぞぉ~~?」

 あたしはお茶と菓子を載せたお盆を差し出したの。

 「これは、どうも」

 大警部が、お礼を言いながら受け取ってくれたし。

 「おい、お前たちもご馳走になれ」

 前部座席に座っている若い警察官のみなさんにも、受け取るように言ってくださったのよ。


          *****


 先任看護師のイレネは軍医のローガンを先導するようにして、病院の奥深くにあるナノマシン医療センターに向かっている。

 ナノマシン医療とは。

 簡単に言えばナノサイズ十億分の一m単位の微細なロボットを体内に送り込んで、患部への治療や投薬を行う技術だ。

 海賊島の病院には装備されているが、にはCTやMRIでさえも未だ存在していない。

 いや。

 此の世界では、ハルティア・サイラーラ病院だけには装備してあるけれど、他の病院には無いし、一般住民の患者たちにとっては何をされたのかも理解できないとあれば存在していないと言い得るだろう。

 万万が一にも盗賊が押し入って持ち出したとしても、CTやMRIを使える医師も技術者もハルティア・サイラーラ病院以外にはいない。

 それでも、要人警護を兼ねて秘密保持と盗難防止の為に警備隊から隊員たちが分遣されるという対策だけは打ってある。

 更に。

 此の世界のにおいては理論構成さえ完成していない技術である、ナノマシン医療を行える技術は遥かに未来の先進医療技術だと言えるだろう。


 「院長、ご報告します」

 脳外科担当医師のヨシノスケが、フルカラー&3D・六十インチのモニターを指差しながらMRI画像の説明を始めた。

 「御覧の通り、大脳だけでなく小脳や脳幹にまで海月が増殖して脳細胞に融合しています」

 「患者本来のDNAは分析済みだね?」

 「はい。患者と海月のDNAは、識別できています」

 ヨシノスケがキーボードに指先を走らせると、モニターに映る3D映像が色分けされる。

 「ドクター・ヨシノスケの意見は?」

 「はい、院長」

 少しばかり逡巡しながら、ヨシノスケがローガンの顔を見る。

 「物理的な切り離しはナノマシンでも困難でしょうから、海月だけを殺す薬物を送り込む方をお勧めします」

 「院長、ラボから薬剤が出来ていると連絡がありました」

 イレネが別のモニターを見ながらローガンに報告をしてくる。

 「オーケー。薬師に来てもらってくれないか?」

 「はい。薬師を呼びます」

 イレネがモニターに指先を走らせてしばらくすると、上級魔技師の服を着た女性がケースに入れた薬剤をカートに載せてやって来る。

 「薬師のユーチェンです、院長」

 イレネが紹介と確認を兼ねて、小耳族の彼女をローガンに引き合わせてくれる。

 「この薬剤は」

 ケースに入れてあるマガジンを指差しながら、ユーチェンが説明を始める。

 「火星のタコが作り出した霊力玉から抽出した、群体海月の分離溶融剤で、女神様からいただいた霊力玉が素材です」

 どっちの女神様か?とは、ローガンは訊かない。

 ゴールデン・ビクセンで火星へ行って来たローガンには、経緯と言うか事情は分かるような気はする。

 霊力玉は不老長寿の薬剤を造る素になるとは聞いたけれど、こういう使い方もあるのか?と感心をするしかない。

 ローガンが知っている製薬法とは異なる技術が使われているのだろうが、神様や上級魔技師たちのやることは魔法か錬金術にしか見えないとあって理解の外だ。

 「ご苦労さん、ドクター・ユーチェン。ドクター・ヨシノスケと一緒にマガジンをナノマシンにセットしよう」

 聖都は、消えてしまったけれど。

 ソフィアやノア神様たちから直接に教育を受けた上級魔技師は、医師や学者に並んで、ドクターの敬称で呼ばれる資格がある。

 「「はい」」

 ユーチェンとヨシノスケが返事をして、装置のほうへと動き出す。

 「わたしは、患者を装置に入れる準備をしてきます」

 イレネが病室へと向かう後ろに、ドアの外に立っていた警備隊員たちのうち二名が付き従って行く。

 軍医としての経験はあるけれど、空母の中にある病院で海兵隊員が警備しているなどという情景は、見た事が無いローガンにとっては予想外の状況だ。

 

 「大王様にお仕えする内大臣クニカミです」

 患者である大王を乗せた自走ストレッチャーを操作するイレネに付き添ってナノマシン医療センターへやって来た大王の付添人は、ローガンに向かって自分から名乗りを上げた。

 クニカミは家名であって個人名ではないけれど、名目上の権威しかないとは言っても大王家の大臣が自ら名乗るのは余程の事だ。

 「事情が事情ですので、自分だけが大王様に付き添って来ました」

 ストレッチャーに乗せられた大王は麻酔が効いていてピクリとも動かないが、生体情報モニタには数字やグラフが表示されて現在の状況を教えてくれている。

 公には、大王様は食中りしょくあたりでハルティア・サイラーラ病院に入院中という事になっているという。

 そりゃぁ、大王様がシモザシ一般の常識では不治の病どころか瀕死の重症にあると知られれば、騒動のタネには事欠かないだろう。

 まさか、重臣や家臣たちが車列を連ねて海賊島へ繰り出す訳には行かないくらいは政治に疎いローガンにだって見当は付く。

 「院長のドクター・ローガンです。こちらはドクター・ヨシノスケとドクター・ユーチェンで一緒に治療に当たります」

 「よろしく、お願いします」

 ドクターと名の付く者たちが三名もいれば、クニカミも安心してくれるだろう。

 クニカミも病状は理解しているということで、治療の概略だけが説明されることになった。

 「大王様の脳細胞に融合してしまった群体海月を、薬剤で分離させて分解してしまうということですか?」

 「はい。ヒトの手では細胞単位での切り離し手術を行えませんので、薬剤を組み込んだ極小のカプセルを血液に乗せて脳の中に送り込むということです」

 クニカミの、問いと言うよりは確認に対して、ローガンが概要を説明しておく。

 「この医療機械には、大王様の脳細胞と群体海月の細胞を識別できる機能がありまして、群体海月の細胞にだけ薬剤が働くように極小カプセルを送り込めます」

 理論は判るけれど実際にナノマシンが細胞レベルで何をしているのかまではローガンも知らないことなので、ここは突っ込んでくれるなと目力で押し通すことにする。

 「では、治療に掛かりますので」

 ローガンの合図で、イレネが大王を乗せた自走ストレッチャーをナノマシン医療機に押し込む。

 マシンが動き出して、大王の頸部を囲むようにしてアタッチメントが吸い付くと治療開始のサインが医療器に表示される。

 同時に医師用のモニターには、大王の頸動脈から多数のナノマシンが送り込まれて行く様子が、フルカラー&3D画像で映し出されている。

 血流に乗ったナノマシンたちは脳血管へと入って、脳細胞へ取り付いて行く。

 「ナノマシンが脳細胞に到達しました」

 「脳細胞と群体海月細胞との識別をしています」

 「識別が完了しました」

 「群体海月細胞に対して薬剤を注入しています」

 「処置が完了しました」

 「ナノマシンを回収しています」

 モニターに映る画像には、大王の脳細胞だけが表示されていて、群体海月細胞の表示は見えなくなっていた。

 イレネがナノマシン治療器のパネルボタンを押していくと、大王を乗せたストレッチャーが外へと押し出されてくる。

 「大王様の脳波は正常に戻りましたし、身体のほうにも異常は有りません」

 ヨシノスケが、モニター画面に映る画像やデータを確認しながら、ローガンに報告をする。

 「麻酔薬の効き目が残っていますので、意識が戻るまでには時間が掛かりますが」

 薬師でもあり麻酔医でもあるユーチェンがクニカミに教えると、クニカミの表情が明るいものへと変化した。

 「後は、病室のほうでドクター・ヨシノスケとイレネ看護師たちが付き添います」

 「ありがとうございました!」

 クニカミは、頭蓋骨を外してメスで切り開く手術を想像していたらしい。

 信じられないような顔付きをしていたけれど、この海賊島の病院は神様たちの庇護下にあることを思い出したらしく、納得する様子が見て取れる。

 自走ストレッチャーがナノマシン医療センターから出て行くのを見送ったローガンは、ユーチェンと頭を下げる礼を交わして院長室へと戻って行く。


          *****


 夜明け間近の海賊島から。

 開いた城門を通過して、ハルティア・サイラーラ病院が持つ大型バンタイプのドクターカーが軽装甲機動車に先導されて外の広場へと姿を見せる。

 ドクターカーはサイレンは鳴らしておらず、赤色灯も回していない。

 駐車場に待機していたパトカーの前に停車した軽装甲機動車のナビから、エスコ少尉が飛び出して来る。

 ヘンリク少佐とイチノシン大警部の二人が待ち構える前に立って敬礼すると、ヘンリク少佐へ向かって報告をする。

 「治療が無事に終了しました!」

 「ご苦労、少尉」

 今度はヘンリク少佐がイチノシン大警部に向かって敬礼をする。

 「海賊島警備隊からサクラダ警察へ、ドクターカー一輌を引き渡します」

 「サクラダ警察が、ドクターカー一輌を受け取りました」

 イチノシンが敬礼を返すと、警備隊員たちと並んでいるメイドたちが手を振って挨拶してくれた。

 「「ご苦労様でした」」

 お互いに挨拶をして、パトカーとドクターカーは、シモザシのハルティア・サイラーラ病院へと走り去って行った。

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