第8話 スピアーズ中将は怒りに燃えた

★創世歴20,200年★

★聖紀1,860年★


 「じゃぁ、何かね。ミスター・パーシバル」

 多島海海域のアングル海軍を束ねる提督のスピアーズ中将が、パーシバルが提出した報告書を手の中で握り潰しながらテーブルの向こうで立ち上がる。

 此処は提督が旗艦にしている七十四門艦スノードンの提督公室で、艦尾窓からは出来の悪い窓ガラスを通してフアナ島の揺れているような海岸と町が見えている。

 「モナルキの黄金船団は見つけられなかったが、代わりにパールサの襤褸船ガレオン船に挨拶されたと。君は、そう言うんだね」

 イエス・サーとは口にしない。

 俺は命令の通りに、モナルキ海軍の黄金艦隊への索敵に送り出されたアングル海軍のカッター艦スネフェルを指揮してはしらせてはいたけれど。

 黄金艦隊が沈められる前に見つけることが出来なかったからと言って、提督に叱責される理由は無い筈だ。

 パールサのガレオン船に出くわしたのだって、相手が其処にいただけで、俺に責任があるという理屈は無いだろう。

 けれども。

 しがないカッター艦の指揮官に過ぎない海尉の身で、怒れる提督に何かを言える筈が無いのも事実ではある。


          *


 本国から遠く離れた海外の鎮守府において、派遣艦隊を指揮する提督の裁量権は絶大なものがある。

 例えば。

 指揮下にある、どれかの艦の艦長が病気や死亡で欠けた時。

 提督は指揮下の海尉の誰かを抜擢し正規艦長に昇進をさせ、艦長職に任命できる。

 アングル本国の海軍省に断りを入れる必要は無いし、報告を受けた海軍省はその任命を追認するだけだ。

 さらに言えば、艦長はともかく海尉の首を切るのは裁量権の内にも入らない。

 正規艦長を解任するには正式な軍法会議を開いて多数決による裁決を経なければならないし、その席には本国の海軍省から派遣される監督官を座らせなければならないのだけれど。

 それに比べて、海尉のほうは提督の一存で解任できる。

 正確には現在の職を解いて本国送還ということになるので海尉の身分は奪われないが、解任された海尉が本国で海軍省から新しい仕事を貰えるかどうかは、運任せというよりは相当に厳しい。


          *


 今も。

 チンケな海尉の首が飛ぶのは時間の問題だろうという雰囲気なのだが、提督が何に怒っているのか?俺ことパーシバルには皆目見当がつかないのだ。

 「時代遅れのガレオン船はいたが、モナルキの百門艦はいなかったと?」

 「イエス・サー」

 ここは返事をしておかないと、反抗的だと言われかねない。

 「当然、君はモナルキの艦隊が通らなかったかどうかをガレオン船に訊いてみたのだろうね?」

 横から、旗艦艦長のハリソン男爵が口を挟んでくれる。

 貴族同士の連帯感と言うのは、政治問題などで敵対しているのでなければ、実に心強いものがある。

 スピアーズ中将は苦い顔をして見せるけど、貴族であるハリソン艦長は意に介した風は無い。

 と言うのは、スピアーズ中将は爵位を持たない平民の出だからだ。

 普通の家庭に生まれた平民の子が海軍兵学校を出て、あるいは幸運なコネを掴んで見習い扱いの候補生の位を貰って海軍中将まで昇進するまでには、才能と努力と幸運の三者に恵まれたに違いない。

 鎮守府を任される海軍中将ともなれば、一般社会では立派な人物として尊敬されることに間違いは無い。

 それでも海軍内ではともかく、貴族の社会では単なる平民でしかない。

 ただ、海外の鎮守府で勤め上げた提督には、退役後に騎士クラスの爵位が与えられる慣習がある。

 さらに。

 モナルキの黄金艦隊を拿捕するなどの、勲功抜群という成果を挙げれば、男爵の爵位を貰える可能性は大きい。

 「イエス・サー。声が届く位置まで行って、訊いてみました」

 此処は、きちんと言っておかないと後々の面倒が待っているだろう。

 俺にも、事情が呑み込めてきた。

 提督が爵位を貰うために、俺たち下っ端が走り回されているということか。

 国家の一大事ならともかくも。

 何の恩義も無い提督の為に、俺と部下たちの生命を差し出す事など考えられないのだが、この提督には分からないらしい。

 此処は知らん顔で押し通そうと思ったが。

 「乗り込んで、臨検はしなかったのか。ミスター・パーシバル?」

 提督が、とんでもない事を言い出した。

 コイツは馬鹿か?という感情は面に出さないようにする。

 たとえ相手が時代遅れのポンコツ艦だろうと、友好国あるいは中立国の軍艦に臨検なんかすれば、外交問題となることは見え見えだ。

 本国の海軍省に聞こえたら、俺はおかに上げられて懲戒免職だ。

 それ以前に、四ポンド砲なんて豆鉄砲しか載せてないカッター艦で、十二門の大型砲を持つガレオン船を停船させるなんて芸当は出来ない。

 せめて、視界内に提督が率いる艦隊かフリゲート艦の一隻でもいれば、体当たりしてでも停めて見せるくらいの覚悟はあるが。

 目撃者無しの状況では、撃沈されるだけの無駄死にだ。

 「乗艦はさせてもらえませんでした、提督」

 話す事なんか無いの一言で、水平線の彼方へ消えて行きましたとは、口に出さないことにする。

 提督の意向は知らないが、俺は提督と喧嘩なんかする心算は無い。

 「君の報告書には、その海域で船の部材と思しい多数の破片が浮いていたと書いてあるが?」

 話の向きを変えてくれるつもりか、ハリソン艦長が質問を挟む。

 こりゃぁ、いつかハリソンが貴族院の議会で活躍する日が来たら一票くらいは入れなければならないなと、目で挨拶をして口には出さずに呟いておく。

 「イエス、サー艦長。大きさからは大型艦の部材と思われます。旗と書類も数枚ありました」

 俺はテーブルの上に置かれたカンバス包みを、手で示す。

 まさか敵兵の死体は持ち帰れなかったので、海尉や水兵の制服だけは頂戴して来て提出してあるが口には出さない。

 「モナルキ海軍の提督旗と海図ですな。切れ端ですが?」

 包みを開いて、ハリソン艦長がスピアーズ提督に説明している。

 「モナルキ海軍の大型艦が沈んだと?」

 「黄金船団であれば、五十門艦か百門艦かと」

 上官同士の会話に、俺が入り込む余地は無い。

 「そんな事を、時代遅れのガレオン船が一隻だけでやってのけたって?」

 スピアーズ提督の言葉に、ハリソン艦長が首を横に振る。

 「魔法使いか悪魔でもなければ、そんな事は不可能ですよ」

 なにしろ、黄金船団には百門艦と五十門艦に加えて砲二十門搭載のフリゲート艦やブリッグ艦などの小型艦も数隻加わっていたのだ。

 どんな大砲を積んでいるかは知らないが、十二門しかないガレオン船に出来る仕事とは思えない。

 「いずれにしてもだ。われわれアングル海軍をコケにしたヤツがいる事だけは確かだろう」

 スピアーズ提督はそう言って、捜索を続けるようハリソン艦長に指令を出した。

 そして。

 スピアーズ提督は、ご尊顔を俺のほうへと向けて来た。

 「本国宛の至急報を書くからな、ミスター・パーシバル」

 スピアーズ提督の言葉から、俺は厄介事の匂いを感じ取る。

 「君は補給を満載にして、不眠不休で本国まではしれるように準備をしてくれたまえ。ハリソン艦長が艦隊随伴の輸送艦に手配してくれる」

 スピアーズ提督は涼しい顔をしているが、ハリソン艦長は提督に見られないように注意しながらも苦虫を嚙み潰したという顔つきだ。

 戦時において。

 独行艦、それもカッター艦の如き大型ボートに毛が生えたようなヤツが、無事に本国を見ることが出来るかどうか?

 途中でモナルキかガリアの哨戒フリゲート艦にでも出くわしたら、戦争が終わるまで敵地で牢屋のネズミと友情を結ばなければなるまい。

 運良く捕虜宣誓で開放されても、俺の領地伯爵領から生活費が届かなければ厳しい生活が待っているだろう。

 解放された捕虜は、宿代も飯代も自己負担というのが暗黙の了解事項なのだ。

 海尉の給料は本国から送ってもらえるが、モナルキの宿屋がボッタくるのは聞くまでも無いことだ。

 俺自身にも、予測はできない命令だったが、海軍軍人として口に出せる言葉はひとつだけ。

 「アイ・アイ、サー」

 敬礼だけはキッチリとして、教科書通りの回れ右をする。

 俺はカッター艦スネフェルへ戻って副長に事情を説明するために、急ぎ足で提督の船室キャビンを出て自艦のボートを捜しに行った。


          *


 「ちょっと厳しかったのではないですか、提督?」

 旗艦艦長としての地位に許されるギリギリのところで、ハリソン艦長はスピアーズ提督に持ち掛けてみる。

 「ふん。あの若さで伯爵領を相続しているヒヨッコに、軍務の何たるかを分からせてやるのも先輩の仕事だわ」

 ミスター・パーシバルはスピアーズ中将の子飼いでは無くて、海軍省本省の辞令を懐にして補給船で赴任して来た外様の海尉だ。

 海軍では本省の意向次第で任務を与えられるのだから、それ自体は何か問題があるとは言えない。

 問題は。

 スピアーズ中将がシンパで身の回りを固めたがることと、爵位を持つ下級の海尉たちに敵愾心を燃やしていることだ。

 モリソン艦長自身について言えば、先祖代々の領地を持つ子爵で、海軍長官や海軍委員たちとは昵懇の繋がりを持っている。

 爵位は子爵と低いけれど、王家の一族にさえ縁戚関係のある家なので、海軍中将が相手でも臆することは無い。

 若いとはいえ。パーシバル海尉は王家や公爵家とも数代に亘る婚姻関係を持つ伯爵家の当主である。

 腹いせで当たるのはマズイと遠回しに言っては見たけれど、聞き入れる耳は持ち合わせていないという顔つきだ。

 自分に火の粉が飛んで来ないのであれば知ったことかと頭を下げて、ハリソン艦長は提督公室から退去した。


          *


 カッター艦スネフェルは、艦隊の戦列艦やフリゲート艦たちとは違ってアングル本国で建造された艦ではない。

 多島海を管轄する総督府と鎮守府の支配下にある島々を結ぶ連絡網を維持するために、シボネイ島の海軍工廠で建造された「土地っ子」の一隻だ。

 新大陸と多島海の島々に囲まれた内海のような穏やかな海を航るのが目的で、外洋の荒波を突っ切って長丁場の航海をするようには造られていない。

 理屈の上では、水と食料弾薬を満載すれば、アングル本国の港の何処か!には到達できることになっているけれど。

 「そりゃ~ぁ、郵便屋だって本国との往復をやってますけどねぇ」

 アングル本国から公用・私用を問わずで送られてくる郵便物や小包は、此のスネフェルと大差無い大きさの郵便専用カッター艦が運んでくるのだ。

 そう言いながら、スネフェルの次席指揮官副長であるミスター・ジェイデンが天を仰いで二つの太陽の位置を見ている。

 ミスター・ジェイデンは俺に従いてアングル島から赴任して来た、いわば腹心の部下のひとりだ。

 正式な場所では階級の上下を弁えて話をするけれど、こういう場合はアケスケの意見を述べる。

 「コイツスネフェルは外洋を航るようには出来てませんぜ、ミスター・パーシバル?」

 季節の嵐こそ来るけれど、晴れてさえいれば多島海は波穏やかな海域だ。

 土地の船は軍艦だろうが商船だろうが、外洋の荒波を突っ切って航海するようには造られていない。

 それに、乗組員である水兵たちの大半はシボネイ島を始めとする多島海地域生まれの土地っ子で、アングル本国なんか見たことも無いときたもんだ。

 スネフェルは名目上も実質上も、多島海海域を基地とする艦隊の一員ではある。

 今回の航海は、スピアーズ提督からの緊急文書をアングル本国の海軍省へと届ける任務であって、任務達成後はシボネイ島へ帰って来ると考えるのが常識なのだが。

 現在は戦時となれば、知られている世界の隅々まで伸ばしたアングル海軍の手駒は足りないどころか、商船までも召し上げ兼ねない状態だ。

 軍艦不足に四苦八苦している海軍省の気分次第では、本国海域とか他の海域へ配置換えとなる可能性もゼロではない。

 海尉である俺パーシバルと航海士の資格を持つジェイデンは、アングル島の生まれだし、本職の海軍軍人として勤務しているから良いのだが。

 もしも、生まれ故郷の島々へ帰れるチャンスが無くなったと乗組員たちが知った時に何が起こるかは予測不能だ。

 「提督の副官から至急報の包みが届きました、艦長サー

 操舵長のフィデルがカンバスの包みと受取書を差し出してきたので、受取書にサインをして返す。

 スネフェルは旗艦の舷側間近にヒーブ・ツーしていて、旗艦の下層砲列で一つだけ砲門の蓋を開いた場所から提督の副官であるライリー海尉が顔を出している。

 そのライリー海尉が、大声で命令を伝えて来る。

 「補給を終え次第に、本国へ向けて発進してもらいたいとのことだ。ミスター・パーシバル」

 「アイ・アイ、ミスター・ライリー。また、会おう」

 ミスター・ライリーとは親友とは言い難いものの、おかで時間があれば酒の一杯くらいは付き合う仲だ。

 配属次第で何処の海へ派遣されるか神のみぞ知るアングル海軍で、別々の艦に乗る知り合い同士が再会できる可能性は、ゼロに近いのが実情ではあるけれどな。

 帽子の縁に手を当てる敬礼を交わして、俺はスネフェルを艦隊随伴の輸送艦マージーへと持って行った。

 輸送艦の指揮官であるディラン海尉と補給量についてひと悶着があったけど。

 「オーケー、ミスター・ディラン。提督の命令書やモリソン艦長の指示よりも君の判断のほうが正しいのだと提督に申し上げるが、それでいいんだな?」

 同僚を脅すのは本意では無いが、必要な補給品を積み込まなければスネフェルのほうが危機に陥る。

 「勝手にしやがれ!好きなだけ持って行くがいい!」

 ミスター・ディランの捨て台詞は聞き流して、俺は欲しい物資や食料のリストを突き付けてやったのだった。


          *


 アングル島の近くまで艦を運んでくれる北向きの赤道海流に乗って、カッター艦スネフェルは順調に海面を滑っている。

 何事も無ければ、北緯48度辺りで東へ真っ直ぐに向かえばモナルキの海岸へとぶち当たる。

 その寸前で北へ上ればアングル島の何処かに行き着くという寸法だ。

 間違えると、アングル島と大陸のガリアの間の海峡に入り込むことになるが、陸地が見えれば行き先の見当は付く。

 そこまで行けばアングル海軍のパトロール艦だけではなくモナルキやガリアの沿岸哨戒艦もウロウロしているので、俺も乗組員たちも昼夜通しの戦闘態勢ということになるだろう。

 今のところは外洋の真っただ中をはしっているので問題は無いが、本艦は小なりと言えど軍艦の端くれ。

 漁船と大差ない小型艦のマストの高さなどはたかが知れているけれど、見張りを欠かす事は無い。

 「お~~い、デッキ!帆が見えまぁ~す!!」

 すぐ頭上の見張りから、大声の知らせが降って来る。

 何もいないはずの海域で戦時に、独行船か独行艦に出くわすと言うのは気持ちの良いものではない。

 本艦以外にアングル海軍の艦がうろついているとは聞かされていないし、黄金船団が壊滅しているならばモナルキ海軍の艦でもないと思われる。

 正体が何かは知らないが百門艦を撃沈したヤツがいるなら、たとえ一隻でもモナルキ海軍の艦を見逃したりはしないだろうし。

 けれど。

 「お~~い、デッキ!モナルキのフリゲート艦が二隻でぇ~~す!!」

 「ヤード、回せ!ジブ解放!上手舵!」

 トップの声を聞いた途端に、パーシバルはトンズラを決め込むことにした。

 本艦のマストよりも遥かに高みにあるフリゲート艦のトップからは、こちらの動きが丸見えなのは承知だけれど捕まってやるわけにはいかない。

 風下から、それも強力な海流に逆らって追跡するだけの忍耐力をモナルキのヤツらが持っているかは賭けてみる価値があるだろう。


 それから二時間ほど、追いかけっこをした末に。

 甲板にいる俺の目にも、モナルキのフリゲート艦が大きく見えてきた。

 ズドン!という砲声に振り返ると、艦首のバウチェイサーを発砲したらしく、砲煙が流れ去って行くところだった。

 本艦は艦尾に砲を積んでいないし、積んでたところで4ポンドの豆鉄砲では大型砲を搭載しているフリゲート艦を相手の立ち回りは出来ない。

 まぁ、出来ない相談をなんとかすると期待されているのがアングル海軍の伝統だ。

 吟遊詩人に歌われるほどの、フリゲート艦で戦列艦を拿捕した艦長たちがいるのも事実ではある。

 チンケなカッター艦がフリゲート艦を撃沈したくらいでは、アングル本国の海軍省は驚いてもくれないだろう。

 「取り敢えず、一発撃ってみてくれ。ミスター・ジェイデン」

 下手舵で艦体を少しだけ回して、敵艦を撃てるように舷側を向ける。

 「アイ・アイ、サー。おい、先頭艦の帆を狙って一発だ」

 ミスター・ジェイデンの声に続いて、本艦の豆鉄砲がバン!と叫んだ。

 「先頭艦の帆に当たりました!艦長!」

 トップの見張りが叫んでいるが、当たったところで気休めにしかならない。

 「舵、戻せ!」

 これからどうしてくれようか?と思案する俺の耳と身体に。

 ズシンという音が聞こえて、海中を奔る振動が伝わる。

 振り返ると。

 フリゲート艦の舷側に高く盛り上がる水柱が、目に入って来た。

 「お~~い、デッキ!敵の先頭艦が沈みまぁ~~す!」

 トップの見張りは任務で叫んでいるが、カッター艦のマストなど大した高さは無いので俺の目にも敵艦の艦底が見えている。

 え?

 まさか、本艦の豆鉄砲で沈めたなどとは思えない。

 「お~~い、トップ!周囲に味方の艦は見えるか~!!」

 「お~~い、デッキ!水平線にマストのトップが見えますが識別出来ませ~~ん!」

 本当かよ?

 五海里以上の遠方から目標に届いた上に、一発でフリゲート艦を撃沈できる砲があるとは聞いたことが無い。

 艦載砲の大きなヤツなら長距離を飛ばすことくらいは出来るかも知れないが、波に揺られる艦上から発射して命中させるとなると百ヤードがせいぜいだ。

 本艦の乗組員全員が驚いているけれど、残った敵艦のほうがもっと驚いたと見えてヤードを回して海域からの逃げ支度を始めた。

 誰が助けてくれたのかは知らないが。

 少なくとも、アングル島を見る事だけは出来そうだ。

 俺は窮地から脱出できたことで一息ついたのだが、ジェイデンには別の感想があるらしく、意見具申をしてきたのだ。

 「あのフリゲート艦をガメることできませんかねぇ、艦長?」

 おいおい。

 確かに、ビビっている敵艦を脅して拿捕するだけなら出来ない話ではないかもしれないけれどな。

 俺も一瞬ながらアブナイ考えに乗り掛けるが、現実は厳しいと思い直す。

 「拿捕したって、管理できないだろう。ミスター・ジェイデン?」

 百人以上は乗っている艦を、本艦の十人程度で押さえておくなんてのは無理を通り越した相談だ。

 捕まえて本国に持ち帰れれば。

 俺は正規艦長にしてもらえるだろうし、ミスター・ジェイデンは海尉か正規の航海長へ昇進できるだろうが。

 そんなことは、無事に生きて帰れればの話だ。

 「命あっての物種さ、ミスター・ジェイデン」

 相手の肩を叩いて、首を振る。

 「本省へ報告する時の証拠品として、沈んだフリゲート艦のガラクタでも拾っていくか?」

 いくらなんでも、本艦が撃沈しましたとは言えないけれど、法螺だと思われるのも業腹だからな。

 「アイ・アイ、サー。お前たち、持ち帰れるモノを見逃さないようにな」

 帆を回して敵艦が沈没した辺りへ行くと、敵艦の乗組員たちの死体やガラクタが波に揺れている。

 死体は持ち帰れないから、軍艦旗とか艦長らしい制服や書類を掻き集めて艦底に押し込むことにした。

 「針路、北東。ミスター・ジェイデン」

 「針路、北東。アイ・アイ、サー」

 カッター艦スネフェルは、原針路へと舳先を回してアングル島を目指して航り続ける。


          *****


 「お~~い、デッキ!帆が見えまぁ~~すセイル・ホー!正艦首!」

 アングル本国を防衛するためにアングル島の南方海域を哨戒しているスループ艦クイリンのトップから、船影発見の声が降って来た。

 「お~~い、トップ!何者か判るかぁ~~?」

 トップの見張りに確認をする副長の声が艦長室まで聞こえている。

 クイリンの艦長であるグレッグは朝食のトーストを引っ掴んだままで甲板へと駆け上がる。

 「トップの見張りが正艦首に帆が見えると言っております、艦長」

 副長のテーラー海尉が形式の通りに敬礼をしながら、見張りが見つけた帆について報告をする。

 「ご苦労、副長」

 グレッグは手にしたトーストの残りを口に押し込みながら、副長と並んでマストのトップを見上げながら思案する。

 此の辺りの海域は、南西へ向かえばモナルキが支配する新大陸とアングルが支配する多島海諸島へ行き着くが。

 海流の関係で、此処へは多島海諸島からアングル島へ戻って来る艦船の一方通行となっているからだ。

 ポトチェスタの鎮守府から聞いている限りでは、郵便船が往復している情報は無いし貿易船が単独で帰港するという情報も無い。

 「お~~い、デッキ!アングル海軍仕様のカッター艦でぇ~~す!」

 「わかったぁ~~!」

 副長の怒鳴り声を聞きながら、グレッグは当直の航海士に命令をする。

 「誰何信号旗、揚げろ!」

 「本艦の番号旗を揚げろ!」

 水兵たちが頑張って、本艦の信号索に数枚の信号旗がはためく。

 「お~~い、デッキ!スネフェルだと言っておりまぁ~~す!」

 「トップ~~!おかしな所は見えないかぁ~~?」

 「艦長?」

 グレッグがトップに声を張ったのを聞いて、テーラーが怪訝そうに顔を向けて来るが気にしない。

 「多島海諸島から海軍のうちのカッター艦が単独で帰港するなんて、聞いたことがあるか?ミスター・テーラー?」

 グレッグの疑問に答えるように、トップの見張りが大声を上げる。

 「お~~い、デッキ!スネフェルから、急送文書在りでぇ~~す!」

 「お~~い、トップ!わかったぁ~~!」

 テーラーが見張りに叫び返してから、グレッグに向き直って口を開く。

 「トップからの報告で、スネフェルが急送文書を持っていると言っております、艦長」

 「ご苦労、ミスター・テーラー」

 たとえ、全ての声が聞こえていようとも、正式な手順を踏んでおかないと面倒な事になるのが海軍の仕組みだ。

 「ミスター・テーラー。ご苦労だが、スネフェルに本艦に続けと信号してくれたまえ」

 パトロール海域を空けることになるのだが、急送文書を無事に届けさせるのも優先事項だろう。

 「アイ・アイ、サー。スネフェルに信号します」

 再び、信号索に色とりどりの旗が揚げられていく。


          ***


 「アングル海軍のスループ艦でクイリンだと言っております。グレッグ艦長です」

 見張りの報告と信号簿を突き合わせながら、ジェイデンがパーシバルに報告をしている。

 モナルキのフリゲート艦二隻に出くわしたこと以外は何事も無く、スネフェルはアングル島に近い本国海域へと辿り着くことが出来たようだ。

 ジェイデンが本艦の航海長として航海術の確かさを自慢したいと顔に出ているが、差し当たっては正規艦長であるクイリンの艦長に睨まれないように操艦に注意を払わなければならない。

 海域をパトロールしているアングル海軍のスループ艦に出会えて、乗組員たちは安堵の表情を浮かべている。

 まぁ、少なくともモナルキやガリアの牢獄でネズミたちに挨拶をする可能性は無くなった。

 「クイリンが付いて来るように信号しております、艦長」

 「了解、ミスター・ジェイデン。操舵手、クイリンに続け」

 スループ艦の艦長は下級艦長で俺と大きな差は無いが、それでも正規の艦長には違いないのでヘマをしたら何を言われるか分かったものではない。

 「錨を下ろすまでは、気を抜かないように頼むぞ!」

 誰にともなく、声に出しておこう。

 「アイ・アイ、サー!」

 代表してミスター・ジェイデンが返事をしたようだ。

 うむ。

 アングル海軍では、それしか返事のしようは無いよな。

 「ミスター・ジェイデン。全員が交代で制服を着替えておいたほうがいいな」

 入港すれば、鎮守府の長官か港湾司令官が呼び出しを掛けて来ることだろう。

 お偉いさんの御前に出るのに、塩を吹いたヨレヨレの制服で行ったりしたら褒めて貰える事は期待出来まい。

 「アイ・アイ、サー。髭も剃っておきますか」

 疑問符抜きの独り言みたいな調子で、ジェイデンがサジェスチョンを出してきた。

 「よろしく頼むぞ、ミスター・ジェイデン」

 俺は着替えの為に、狭苦しい船室へと降りて行ったのだった。


          ***


 「ご案内、ありがとうございました!グレッグ艦長!」

 パーシバルは、ポトチェスタの軍港が見える所まで引率してくれたスループ艦クイリンに向かって大声を張り上げた。

 クイリンは軍港の信号所から指示があったらしく、ヤードを回してパトロール海域へと戻って行きながらスネフェルとすれ違っているところだ。

 本艦には甲板長と呼べる階級の乗組員はいないのでパイプは吹けないから、乗組員を整列させて、非礼は承知で怒鳴るしかない。

 クイリンの後甲板で艦長の制服を着た人物が、手を振って応えてくれたのは上等な部類だろう。

 お互いの信号索には、武運を祈ると言う意味の信号旗を揚げてある。

 「鎮守府長官あての信号旗だ、ミスター・ジェイデン。急送文書在り」

 「アイ・アイ、サー、信号旗を揚げます。艦長」

 すぐに、軍港の入り口にある信号所に信号旗が揚がる。

 「小型艦用の桟橋を指定しています、艦長。続いて、艦長は鎮守府へ」

 カッター艦の如き小型艦に接岸をさせてくれるとは親切な事だ。

 軍港の真ん中に小型艦が投錨したら、ボートを漕いで上陸するまでに時間が掛かる事を考慮してくれたのだろうが大丈夫だろうな?

 スピアーズ提督が、急送文書に何と書いたのかは神のみぞ知る。

 まさかカッター艦一隻に責任を押し付けたりはしないだろうが、将官クラスの権謀術策は、領地を相続したばかりの新米の伯爵で下っ端の海尉如きには測り知る事など不可能だ。

 「帆を下ろせ!ヒービングライン、用意!」

 「ホーサー引き出せぇ~!」

 指定された桟橋に待ち受けている水兵たちに合図をして、本艦の水兵がロープの先に重りが付いたラインを投げる。

 相手がラインを捕まえて桟橋に埋め込まれているビットに向かって引いて行くと、本艦から太いロープが引き出されてビットに巻き付ける作業が始まった。

 「スネフェルの指揮官は、どこだ?」

 桟橋で海尉の制服を着た美男子が訊いているので、俺は急送文書が制服の懐に入っているのを確かめて桟橋へと飛び降りた。

 「スネフェルの指揮官、パーシバル海尉だ。ご苦労さん」

 「鎮守府のカイ海尉だ。長官の所へご案内する」

 まったく、鎮守府勤務の海尉どもときたら美男子の上に上等な仕立ての制服をお召しになっているときた。

 俺の制服なんぞは、一張羅でもチェストの底で皺だらけの有様で、カイ海尉は長官の御前に出しても大丈夫なのか?と疑っているような眼つきだ。

 ま、いいさ。

 制服の仕立て具合で戦争の勝敗が決まる訳でも無いからなと、貧乏海尉の決め台詞を胸の中だけで吐いておく。

 「ミスター・ジェイデン。清水や生鮮食料品を買い込んでくれないか?用が済んだら楽にしていていいぞ」

 カッター艦のような小型艦に主計長は乗っていないから、俺とジェイデンが帳簿をダブルチェックしながら買い物などの金銭管理をやっている。

 「夜は乗組員たちに酒も出していいけど、艦の手入れが終わってからだ」

 そう言って、俺は乗艦を後にした。


          *

 

 「長官、スネフェルの指揮官パーシバル海尉です」

 「ご苦労、カイ海尉。パーシバル伯爵は、こちらへ」

 長官室へ着くと、海軍中将の制服を着た中年男性が俺にソファーを勧めてくれて向かい側のソファーに腰を下ろした。

 「伯爵?」

 カイ海尉が驚いたような声を出して俺を見ているが、俺は国王陛下から認証された先祖代々の伯爵だ。

 「ハーヴェイ伯爵、いや提督。お久しぶりです」

 「元気そうで何よりだ、パーシバル。うん?カイ海尉はどうかしたのか?」

 俺の挨拶への返事に加えて、ハーヴェイ提督は面白そうな顔でカイ海尉に声を掛けている。

 まさか、ヨレヨレの制服を着たカッター艦乗りの、若い海尉が伯爵という高い爵位を持っているとは想像していなかったのだろう。

 「あ、いえ。すぐに飲み物を用意させます」

 いかにもという感じで、カイ海尉は長官室から飛び出して行った。

 「まぁ、戦時とあってな。まともなヤツはふねに乗ってるし、あんなのしか事務官には残っていないのだ」

 「はぁ」

 としか俺には言えない。

 カイ海尉が只のアホとは思えないし、只のアホでは鎮守府長官の身の回りで仕事なんか出来ないだろう。

 爵位持ちとも思えないけれど、政府高官にコネを持つどこかの金持ち貴族か豪商の息子辺りということだってあるからな。

 「それで?」

 「はい。文書はこちらに」

 俺は懐からスピアーズ提督が書いた急送文書を引っ張り出して、ハーヴェイ提督に手渡した。

 「何が書いてあるのか、知っているのか?」

 ハーヴェイ提督が、俺の顔を確かめるようにして覗き込む。

 「いえ、さっぱり」

 俺には、それしか言いようが無いのだ。

 「ちょっと、あちらの事情を説明してもらおうか?」

 カイ海尉が、若い女性事務官たちに茶器と茶請けを持たせて戻って来たので、用意が出来るまで女性事務官たちを眺めて楽しむ。

 軍艦に女性は乗せないから、目の前でいろいろと揺れているのは海上では想像も出来ない風景だ。

 噂では愛人を自分の指揮艦に乗せている艦隊司令官や戦隊司令もゼロでは無いというけれど、ドンパチが始まったらどうするつもりだ?というのが俺たち下っ端の見解だ。

 カッター艦のような小船では、女性どころか食料や酒の置き場にも困る有様だから余計な心配事ではある。

 「実は、複雑と言うよりも怪奇な話がありまして」

 俺は多島海諸島での体験談をハーヴェイ提督に向かって話し始めた。


 「ふ~~ん。スピアーズのほうは俺が何とかしてやるから心配するな」

 ハーヴェイ提督にとっては、スピアーズ提督は問題にすらならないらしいので俺も忘れておくことにする。

 「それで、モナルキのフリゲート艦が沈んだ証拠品は持ち帰っているのだな?」

 「はい、提督」

 ここからは正式な軍務の話になると読んで、規則通りに応答をする。

 「カイ海尉を使いに出すから、証拠品を渡すように一筆書いてくれ」

 え?と思うが、俺が港と往復していると詳しい話が途切れるということか。

 「アイ・アイ、サー」

 メモを書いて提督に手渡す。

 「おい、カイ海尉。これをスネフェルのジェイデンという航海士に見せて、荷物を運んで来るように言ってくれ」

 へ?という顔をするけれど、カイ海尉が口に出せる返事は一つだ。

 「アイ・アイ、サー」

 カイ海尉は、長官室から飛び出して行った。

 「だけど、時代遅れのガレオン船が一隻で黄金船団をかっぱらったとは思えないのですが」

 「それだけどな。最近、アングル島の周辺で巫山戯たふざけた噂が飛び交っていてな」

 提督のいわく。

 海峡の向こう側に在るガリアの何処かの農園にガレオン船が降り立って、コロールとかいう品種のジャガイモをかっぱらって行ったのだと言う。

 「はい?陸上にガレオン船が降りて来たのですか?」

 俺も相当に間抜けな顔をしたのだろう。

 提督が苦笑いをしながら続きを聞かせてくれたのだけれど。

 「ガリアの重騎兵を撃破した?のですか?」

 「うん」

 「なんでまた、ジャガイモなんか?」

 「そんな事、俺が知るかよ!」

 話の行方が見えなくなった頃に。

 「長官。ジェイデン航海士を連れてきました」

 カイ海尉が荷物を小脇に抱えたジェイデンを長官室に連れて来た。

 可哀そうに、ジェイデンは提督などという雲上人の御前に引っ張り出されてコチコチになっている。

 「おう。それが証拠物件か?」

 「イエス・サー。アイ・アイ、サー!」

 ジェイデンが差し出したカンバスの包みをカイ海尉が受け取って、ソファーとセットのテーブルの前で開いて見せる。

 「ふむ。間違い無くモナルキの艦長服だな」

 手には取らないで、ハーヴェイ提督は立派な事務机に戻ると便箋を出して何事かを書き出した。

 「長い航海で疲れているとは、承知だけどな」

 書いていた便箋を封筒に入れて紋章入りの封緘を貼り付けると戻って来て、それを俺に手渡して来る。

 「これと証拠品を持って、海軍省の大臣に一件を説明してもらえるか?先触れは出しておくからな」

 机の引き出しから重そうな小袋を出して、ソファーの前のテーブルに置いた。

 音からして、金貨の包みだろうと見当がつく。

 「ふねに乗っていたんじゃ、持ち合わせは少ないんだろう?これは公費から出す旅費だから心配しなくていいぞ」

 「アイ・アイ、サー。ありがとうございます、提督」

 俺は立ち上がって、ハーヴェイ提督と握手を交わした。

 「幸運をな、パーシバル」

 「あなたにも、ハーヴェイ」

 貴族同士の挨拶なので、階級などは抜きの別れだ。

 これ以上に何があっても驚いてなんかやるものか!という表情のカイ海尉に連れられて、俺は海軍専用の連絡馬車乗り場へと行くことになった。

 「世話になったな、カイ海尉」

 「いや、伯爵が戻られるまで艦の事はご心配無く」

 「そういう事で、ジェイデン。何かあったらカイ海尉にお願いしてくれ。足りない金は俺のチェストから出していいからな」

 「アイ・アイ、サー。ありがとうございます。お気をつけて」

 そんなこんなで、俺はアングル王侯の首都であるロンデニウムへ向かう連絡馬車の客となったのだった。


          ***


 馬車に揺られて丸二日間。

 そんなに急ぐのかよ?と思うほどに、御者の海兵隊員二人が交代で馬車を走らせた。

 途中の町で馬を替えながらの急送便は、ロンデニウムの海軍省へと滑り込む。

 ハーヴェイ提督が言った通りに先触れが到着していたらしく、俺はすぐに海軍大臣の御前へと引き出される羽目になった。

 「ご苦労だった、パーシバル伯爵。この文書などを読ませてもらってる間に風呂と食事をいかがかな?」

 「ありがとうございます、大臣。いえ、セオ侯爵」

 あっという間に海軍省の事務官に引っ張られて海軍省の宿舎へと連行された俺は、ピチピチで美人揃いのメイドさんたちに飯だ風呂だと世話を焼かれることになったのだった。

 一休みする間に新しい海尉の制服も一式揃えてもらった俺は、再び大臣室へと戻された。

 大臣室には大臣の他にも海軍委員と思しい提督たちや艦長たちが集まっていて、何やら相談をしているようだった。

 「おう、戻って来たようだな」

 大臣が手招きをして、俺を大臣自身の横に立たせる。

 「ご存じの方もおいでだろうが、海尉として勤務しているパーシバル伯爵だ」

 「久しぶり」

 「はじめまして」

 その場にいる高位の上官たちから挨拶を受けながら、何が始まったのか?と俺は大臣の顔を見た。

 海軍大臣ことセオ侯爵は、俺の伯爵家とは飛び飛びではあるが先祖の代からの縁続きの親戚だ。

 どちらかの娘が嫁に行ったり、嫁入りして来たりを繰り返してきているのは此処にいるメンバーの半分くらいの家系でも同様だ。

 年頃の娘を持っているだろう爵位持ちの提督たちは、俺の品定めを始めているようで落ち着かない気分にさせられる。

 「それでだな、パーシバル」

 大臣が身内としての呼びかけで俺に話を始めた。

 何と、俺にポトチェスタで待機中のフリゲート艦スカフェルパイクを呉れるのだという。

 「フリゲート艦ですか?大臣?」

 話について行けなくて、上官への問い掛けに使う言葉で尋ねてしまうが。

 「うむ。新造艦は遣れないが、艦齢3年の新品同様だぞ?」

 制服の袖口に大将の金筋を巻いたレジー伯爵が指を三本立てて見せる。

 「ちょうどと言うか、体調不良で軍務に耐えられないという艦長が退役を申し出ていてな」

 裏の事情は訊かないほうがいいだろう。

 「二十四ポンド砲が四十門だ!」

 名前を知らない艦長服が、どうだ?という顔をして見せるけど。

 「モナルキのフリゲート艦二隻と交戦して、一隻を沈めたとあれば昇進には十分な功績だろう?」

 大臣がとんでもない事を宣った。

 「いえ、カッター艦でフリゲート艦は沈められませんよ?」

 俺が抗議をするけれど。

 「間違いなく敵艦に命中弾を当てているから、交戦した事には違いあるまい?」

 「乗組員たちからの証言でも、交戦した後で敵艦が沈んだのは間違いないということだしな?」

 なんだか、拡大解釈の見本例みたいなことになってるんだが?

 「そういう事で、伯爵を上級艦長に昇進させてフリゲート艦を預けることに意見が一致した」

 あ~~あ、大臣が宣言しちゃったよ。

 「アイ・アイ、サー。ありがとうございます」

 俺のような下っ端が、他に言える事なんか無いじゃんか。

 「辞令とかの書類仕事があるから、三日したら此処へ来てくれ」

 それまでに上級艦長の制服とか道具類を揃えておけということだろう。

 俺の家は伯爵だから、此処ロンデニウムには小さいながら別邸があるので多少の金は置いてある。

 別邸を管理する執事のベンは大忙しになることだろうが、普段はメイドたちを指揮しているだけだから、仕事らしい仕事をさせてやれるというものだ。

 「副長か航海長の当てはあるのか?」

 「はい。航海士のジェイデンを航海長に昇進させてやりたいのですが?」

 俺の返事に大臣や海軍委員たちは嬉しそうな顔をする。

 俺の手駒が航海長ひとりということは、他のポストはがら空きだからだ。

 身内の誰かか、知り合いから頼まれている誰かを海尉や主計長辺りに押し込もうという計算が始まっているのだろう。

 海軍大臣としても、兵学校を出て配属先を見つけられない、貴族の次男や三男の候補生たちを救済してやれば感謝されることになる。

 「ではな。期待をしているからな」

 「はい。ありがとうございました」

 ジェイデンが聞いたら喜ぶだろうと、俺はポトチェスタへの郵便を出すことにしたのだった。

 

          *****


 多島海諸島の鎮守府に、アングル本国から郵便船が命令書を始めとする本国からの便りを運んで来た。

 その中には海軍内部だけで読まれている、海軍広報という官報と新聞をミックスしたような広報紙も含まれている。

 「おい、なんだ!これは!」

 その広報紙を手にして提督公室で怒鳴り声を上げているのは、鎮守府の提督であるスピアーズ中将だ。

 旗艦艦長のハリソン男爵が、どうかしたのか?という顔をして見せる。

 「あのパーシバルの野郎が、上級艦長に昇進して四十門フリゲート艦を手に入れたんだとよ!」

 そりゃぁ大盤振る舞いだなぁと思いはするが、なにしろパーシバルは侯爵家と密接な縁戚関係を持つ古い家系の伯爵だ。

 おまけに。

 現在の海軍大臣は縁続きで、海軍委員たちの半分くらいとも縁戚だとなれば理由さえデッチ上げることが出来れば昇進なんか簡単だろう。

 「ところで、海軍本部から提督宛てに親展の命令書が来てましたけど?」

 ハリソン艦長の手から命令書を引っ手繰って、開封したスピアーズ中将の顔色が蒼褪めてゆく。

 「どうかしましたか、提督?」

 「俺は解任されて本国送還の上で退役だとよ」

 海軍大臣を怒らせたとなれば、騎士爵だって貰えるかどうかは怪しいところだ。

 勢いを失ったスピアーズ中将の声が提督公室の床に沈んで行った。

 どういう理由でか知らないが、男爵であるハリソン艦長には艦長から代将への昇進と戦隊司令就任の辞令が来ている。

 新しい艦隊司令官に誰が派遣されてくるのかは聞いていないが、スピアーズ中将の贔屓で引き立てられた艦長や海尉たちには首切りの嵐が吹き荒れるだろう。

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