第5話 軍医のローガンが海賊船に拾われた話

★創世歴20,200年★

★聖紀1,860年★

そして

★復活歴2,130年★


 ゴールデン・ビクセンの艦内にある病院に出勤して。

 今日の診察予定をチェックしようと、デスクに置かれたモニターを開くと。

 「新任の航海長として、ミスター・ノアが着任しました」という艦内ニュースのトピックが、顔写真付きで表示されていた。

 新任というからには、航海長としての前任者がいたのだろうが。

 そいつがどんな顔だったのか、何という名前だったのか思い出せない。

 かなりの期間、仲良くやっていたという記憶だけは残っているけれど。

 そして。

 その前任の航海長が。

 どういう事情で、このガレオン船ゴールデン・ビクセンから去ったのかも忘れてしまった。

 うむ。

 まだ、ボケる歳ではない筈だけれど。

 余りにも暇すぎて、ローガンのアタマも焼きが回ったか?

 軍医自身が己のアタマの具合を心配するなど、乗組員が聞いたら一大事ではある。

 俺は大酒飲みではないし、正体不明のクスリもやらない。

 そうは言っても。

 軍艦同士の戦闘でもなければ、軍艦の軍医ドックあるいは船医ドクターなどという仕事は多忙ではない。


 俺が軍医として勤務している、此の、古風なガレオン船の形をしたゴールデン・ビクセンは。

 どこかの国家がはしらせている正規海軍の軍艦ではなく、拿捕免許状を持つ私掠船かいぞくせんだ。

 おまけに、誰が言っていたのかも忘れたが。

 その拿捕免許状は、パールサという国の国王が発行したモノだとも聞いたけれど、此の世にパールサなんて王国があったっけ?

 それでも。

 艦長室に陣取る美少女艦長が「本艦はパールサ海軍の軍艦私掠船なのじゃ」と言い張るからには、軍艦私掠船なのだろう。

 彼女艦長には、いろいろとおかしなところがあるのだが。

 いや。

 彼女だけでなく、ゴールデン・ビクセンそのものにもおかしなところは山盛りだ。

 外見は時代遅れのガレオン船だけれど、中身は俺が知っている最新型のイージス巡洋艦以上という、時代錯誤が積み重なっている艦なのだ。


 おかしい事の、筆頭は。

 外見では、木造帆船として、三百トンか四百トンくらいの艦体であるはずなのに。

 艦内スペースは小さな町の一つくらいは余裕で入ってしまいそうなほど、広い。

 加えて。

 艦長室と士官室は別にして、ガレオン船は砲列甲板ガンデッキ下甲板ロワーデッキに倉庫スペースという三層構造のはずなのに。

 艦内を歩き回っていると五階建てのショッピングセンターくらいのスペースがあって病院や食堂街などの公共施設のほか、乗組員には全員に小さいながらも個室が与えられている。

 その個室というのが独立したバスルームとトイレ付で、エアコン完備ときたもんだから驚いた。

 俺が乗っていた空母だってエアコン完備で士官は個室がもらえたけれど、シャワーユニットはあってもバスルームまでは付いていなかった。

 そう、シャワールームでは無くてバスタブが組み込まれたバスルームなんてのは真水が貴重な軍艦においては贅沢の極みと言えるだろう。

 それは、俺が前に乗っていた艦が原子力空母で、海水から真水を作る蒸留器が桁違いに優秀であったとしても、士官全員が個室でバスタブに浸かれるなどという贅沢は考えられたことも無かったのだから。

 当然ながら先任兵曹長クラスは別にしても、水兵たちはバスルーム付きの個室などと言う贅沢な設備なんか想像すらしたことが無かったに違いない。

 おまけに、空母ほどの巨艦であろうと、海に浮かべれば木端も同然とあればバスタブに張られた湯のほうは右へ左へと揺れ動く。

 実際には空母そのものが揺れていて、湯のほうは水平状態なのだが人間の感覚は湯が揺れていると認識をする。

 ところが、ゴールデン・ビクセンのバスタブでは、湯は揺れない!

 強力なスタビライザーが動いているのか、魔法で水平を保っているのかは神のみぞ知る。

 それも大したものではあるが。

 ゴールデン・ビクセンは自称であろうとも軍艦だから。

 当然のこととして、艦内の病院も食堂も無料で利用することができる。

 俺の職場である病院のほうはともかくとして、食堂の方は原則として食べ放題と来たもんだ!

 何処の海軍であろうと、陸軍や空軍も同じだろうが食事は無料とはいうものの一日に三食と決められている。

 その朝昼晩の三食だって、予算が限られている国の軍隊では、規定通りの分量で二人分は食えないことになっている。

 まぁ、司厨員と昵懇であるとか、見込み以上の量を作り過ぎて勝手に食えとか言われることがあれば、二人分を喰えることもあるけれど例外事項だ。

 多くの国の軍隊でも夜勤とか戦闘とかがあれば補給食は出るかもしれないが、勤務時間外なら好きなだけ食堂を利用することが出来るのは本艦くらいのものだろう。


 こうした良好な住環境に加えて十分な食事を支給されているためか、それとも乗組員が頑丈に出来ているのか。

 艦内にある、この病院に入院患者はいない。

 身体を使う肉体労働者?である海兵隊員や水兵たちは、戦闘ではなくて訓練においてもそれなりの怪我を負うこともあるが。

 捻挫や外傷に骨折程度の軽症者!は本艦の看護師でもある魔技師たちが治してしまうので、軍医の仕事はモニター相手に電子カルテを更新することくらいのものだ。

 骨折でも、立派な?外科手術の範疇には違いないので。

 「俺に手術をさせてくれないか?」

 と、女性の先任看護師(美人でアタマに耳が立ってるが)であるパリーサに頼んでみたのだが。

 「こんなのは、ドック先生の仕事じゃありませんよぉ~~❤」

 という、とぼけた返事をされただけ。

 目の前で、パリーサが怪我人の患部に手をかざして呪文を唱えれば。

 あ~~ら!なんということでしょう!

 骨折した足はピカっと輝いて、元通り。

 その場から、患者であるアタマに耳が立っている海兵隊員は自分の脚、いや自分の足で歩いて行った。

 「そんな方法があるなんて。大学の指導教授も、海軍の教官も教えてくれなかったよなぁ」

 独り言を呟く俺に。

 「はい。此処艦内は異次元ですからねぇ~~❤❤」

 またも、パリーサがとぼけた返事を笑顔でのたまう。

 異次元と言われれば、納得できないこともないけど。

 船体のサイズに見合わない内部容量から想像するに、本艦には千人以上の乗組員が乗っている。

 らしい。

 正確な数はモニターを開いて、艦のコンピュータを自称するナニモノかに聞かなければ判らないのだが。

 総員名簿は、アクセス権が無いと言われて見ることができない。

 ローガンに見ることを許されている情報は、医療機器と患者のカルテだけなのだ。

 あ、インターネットも閲覧自由だけどな。

 大学では、古典から世界各地の方言までを医師の心得として教わったのだが。

 というのは、外国からの旅行者などが飛び込んできた時に症状を確かめることが出来ないと、生命に係わることもあるからだけど。

 たまに。

 何処の世界の言語か判らない文字のサイトもあったりして、絵(写真)だけ見ていても楽しくは無いのでシカトする。

 そうそう。

 その絵(写真)というのが、とてものことにに存在するとは思えない風景であったり生き物であったりするのだが。

 そんな世界との繋がりがあるとしたら、俺の将来にどのような関りが出て来るのだろう。

 偶然に見たサイトでは、タコみたいな生物が城塞を築いたりしていたが、そのうち蛸の患者も診ることになるのだろうか?

 俺は獣医師のほうの免許は持っていないし、相手が魚介類となれば、食う方が専門だ。

 食うならば、俺の好みとしてはタコよりはロブスターのほうがいい。

 まぁ、城塞を築くほどのタコならば知的生物ということだから食ってはいけないのだろうが・・・?

 考えてみても答えは出ないから、やっぱりシカトしておくことにする。

 そんな訳で。

 復活歴二千百二十五年にノブス・エボラクムの医大を卒業して医師免許を取得した俺にとって、ゴールデン・ビクセンの艦内病院での勤務は些か退屈な仕事ではある。


 いまさらだけど。

 当然のことながら、俺が生まれた世界には拿捕免許状持ちのガレオン船なんてシロモノが七つの海を泳ぎ回っているなんてことは無かったし。

 ついでに言えば。

 その泳ぎ回っている海が、何処の星だか次元だか時空だかに存在するのかすら心配する必要も無かった。

 無かったと言えば。

 俺の生まれた世界には、アタマの上に2つの耳が立っている女性看護師?もいなかったような気がする。

 どうやら、立耳族ようせいという部族名らしいのだが。

 このゴールデン・ビクセンには看護師だけでなく、海兵隊員や他の職種にも多くの立耳族たちが従事している。

 乗組員には。

 立耳族だけでなくて、俺と同じ様な外見をした人間(本艦では小耳族ヒトというらしい)もいる。

 そして。

 俺と同類の小耳族たちが重傷を負うとか重病に罹るとかした場合には、立耳族の美人看護師たちが使う回復魔法?は効果が小さいらしく、こちらは俺の守備範囲とされているのだ。

 そこで、人間の医師である俺が必要とされているということで、乗艦を撃沈された戦場からゴールデン・ビクセンに救助拉致されたらしい。

 あ?

 看護師に、小耳族はいないんだよなぁ。

 俺は人種差別主義者ではないので、耳がアタマの何処に付いていようが気にはしないけれど。

 小耳族の看護師がいない理由を知っているのは、ゴールデン・ビクセンだけらしいが。

 でも、俺には教えてくれないらしい。


 立耳族の美人看護師たちは小耳族ヒトへの処置もアシストしてくれるので、俺とは住んでいた世界や時代が異なるらしい何処かの居場所から徴募拉致されてきたという小耳族のマニア乗組員たちには大人気。

 海兵隊の立耳族たちは狼族とか狐族とか犬族とかイヌ系統が多いのだが、看護師にはイヌ系統以外にも兎族とか猫族とかが多数いる。

 「ケモ耳フェチ」とか「もふもふフェチ」とか言うらしいのだが。

 立耳族の看護師たちの存在自体に癒されると言うメンタリティ持ちの、小耳族たちが多いのには閉口している。

 病気でも無いのに看護師たちに目通りを願う自称急病人が頻発していて、俺と看護師たちの持ち時間が削られているのだ。

 病院の受付をしている立耳族の女性たちは、自称患者からの申告は撥ねつけないで診察室へ送り込んで来る。

 いざ問診をしてみれば、ただの「フェチ中毒」であることが判明して、パリーサたち看護師から大目玉を食らっている。

 違反者は禁酒にするぞという、艦長からの脅し文句も効果は無い。

 本艦で言う酒とは、海軍の夕食時に一定量を支給される配給酒だけでは無い。

 勤務時間外になれば艦内食堂街のレストランや飯屋で食事と酒を頼めるから、艦長が禁酒だと言っても乗組員にとっては好きなだけ飲めるという訳だ。

 そして、そのレストランや飯屋は艦長の指揮下には無くて、独立採算で一国一城の主とも言える契約店主たちが経営しているから、笊もいいところだ。

 それでも命令を無視して、艦内病院で油なんか売っていられては、艦長にとっては面子に関わるということなのだろう。

 モニターに出される警告文も乱発されている状態で、その警告内容は脅迫レベルにまで進化を遂げている有様だ。

 小耳族を多数派とする「フェチ中毒」に罹患した乗組員たちの行動には、相応の原因があるというのを、艦長は知らないらしいのだが。


 なんでも。

 秘密もぐりのファンクラブというのがあるそうで。

「先生、『ビバ・ナースの会』ってのがあるんですけど」

 そう言ってきた、海賊服の患者がいたな。

 本艦には戦闘職を専門とする立耳族の海兵隊が乗艦しているが、敵艦や商船獲物への斬り込みの半分は小耳族を中心とした水兵の海賊隊が担当している。

 水兵には海軍の制服を着た職種と海賊服を着た職種があって、獲物によって対応を使い分けているらしい。

 俺の患者には。

 カットラスでの斬り合い訓練とか、格闘技で受け損なって脱臼や打ち身で負傷した海賊隊の隊員が多い。

 中には女性の美人海賊というのも乗ってはいるが少数派で、海賊隊の多くは、むさ苦しい男たちが占めている。

 そういう男たちが。

 美人揃いの立耳看護師さんたちからいただける「眼福」への感謝をするという、いかにもフェチというファンクラブらしい。

 艦内で不埒な行為に及ぶ阿呆ばかはいないと思うが、そういう阿呆から看護師さんたちを守るというのも会員としての義務に入るらしい。

 俺を名誉会長に据えて、美少女艦長に公認を申請しようという反乱寸前の危険極まる陰謀計画すらあるそうだ。

 「ビリーよ。お前たち、うちの看護師たちが高位の魔法使いだということを忘れてるんじゃないだろな?」

 その気になれば、ヒトの一匹くらいは簡単にネズミか何かに変えられるんだぞ。

 目の前の椅子に掛けている、戦斧を振り回すのが大好きという金髪マッチョ男に野暮は承知で注意をするが。

 俺の呟きは聞かないことにしたらしく。

 「先生、考えといてくださいよ」

 にっこりと笑って見せて、診察室から出て行った。

 横でアシストをしてくれながら話を聞いていた先任看護師のパリーサが溜息交じりで、ネズミではなくてゴキブリにして踏んづけてやるとか何とか呟いているのは聞かないことにしておこう。

 軍艦ではネズミやゴキブリは駆除対象なので、パリーサの手を煩わせなくても艦内の環境保持班がなんとかしてくれるしな。

 まぁ、本艦では政治活動と宗教活動以外なら同好会の結成も福利厚生の内と黙認されているから当面の問題では無いのだろうけれどな。

 その埒をはみ出したヤツ馬鹿は反乱罪に問われるのだろうが、結果についてどうなったのか俺は知らない。


 噂の範疇ではあるけれど、木造帆船の時代における反乱罪に対する刑罰には数種類あるらしい。

 曰く、艦底潜り五十周回。

 ・・・これは、手足をロープで括られて本艦の甲板から海中へと艦底を潜って甲板 に戻るというコースを五十回。

 曰く、鞭打ち刑百回。

 ・・・これは、キャット猫鞭と呼ばれる先端が八本に分けて編まれた革製の鞭で背中を叩くというヤツを百回。

 曰く、妖狐による食刑。

 ・・・これは、生きたままで女性の妖狐族に喰われるという、マニアにとって一度は体験したいとも言われる垂涎の極刑。

 まぁ、あくまでも俺を担ごうと言う水兵たちオリジナルの与太話だろうと信じてはいるが。

 「本当ですよ、ドック」

 おい、パリーサ。

 そんな処で、胸を張って断言なんかするんじゃない!

 医師と言えども人間だ。

 知らないほうが心身ともに平穏であることは、社会生活の基本ラインなのだと本艦に乗ったお陰で会得した。

 そういう日常が過ぎてゆく。

 俺は、酒は好きだしSFも異世界ラノベも愛読書の内だが。

 いまだに、どうして此処で立耳族ようせいや正体不明の同類ヒトを相手にゴールデン・ビクセンガレオン船の軍医をやっているのか理解できていないのだ。

 いや、此処に至るまでの経緯は覚えているから、耄碌して来た訳では無いぜ?


          *


 俺は、ノブス・アングル新アングルで復活歴二千百年に、医師の家庭に三男として生まれた。

 一族の年寄りから聞いた話では。

 復活歴千四百九十二年にノブス・アングルが発見される以前には、俺の先祖たちはベトゥス・アングル旧アングルから海峡を東へ渡った先の大陸にある北の地域にいたらしい。

 まぁ、「ベトゥス」と呼ぶのは俺たちだけで。

 アングルや旧大陸の住民たちにとっては当然ながら「アングル」は「アングル」だとされている。

 お定まりの物語かもしれないが。

 食い詰めたのか、それとも村の娘に振られでもしたのか知らないけれど。

 先祖のひとりが生まれ故郷を離れて、あちらこちらと彷徨った末に新天地へと旅をしたらしい。

 その先祖は苦労したのだろうけど成り上がり、お陰様で俺たち子孫が新天地で多少の成功を手にしているという次第なのだ。

 新天地への旅の動機が本当のところは何であったのか?は、俺たち子孫へと語り継がれてないので判らない。


 新天地と聞けば、夢と成功が満ち溢れている天国並みの世界を連想するかもしれないが。

 現実は厳しく、万人が不安の無い生活を手に出来るわけではない。

 例えばの話。

 医師という職業柄から言うならば。

 ノブス・アングルでは、国民皆保険などという親切な制度は無い。

 本艦にある無料で面倒を見てくれる艦内病院などというモノは、俺だって海軍に入るまでは見た事が無かったし。

 つまりは。

 個人個人が医療保険の専門企業と契約し、少額とは言えない保険料を支払ってゆく必要がある。

 そして。

 医療と保険が互いの利益の一致するところに従って。

 医療費はというのは、具体的には俺たち医師の診察代や治療費とか薬代だけれど、庶民にとって少額とは言い難いものとなっているのだ。

 だから、クリニックでも病院でも診察を受けに行くことが出来る人達は相応の収入がある社会階層に限られる。

 鎮痛剤とか消毒薬などの家庭用医薬品は、街角のドラッグストアで手軽に買える値段だが。

 医師の処方箋が必要な「ほんとのおくすり」は、そこそこの値段となるので貧富の差が寿命の差に直結している。


          ***


 ノブス・アングルに渡って来て医師としての人生を始めた数代前の先祖には、先見の明があったと言うべきだろう。

 兄たちは当然のこととして医大に進み、俺もドンジリではあるが最新鋭の医療機器を揃えたノブス・エボクラムにある有名医大を卒業して医師免許を取得した。

 学費のほうは裕福な医師である親が出してくれたため、バイトをすることもなく学業に邁進することができたので。

 海が好きだった俺は、在学中に海軍予備役の訓練も受けていた。

 大学病院での実習期間が始まろうかという頃に。

 テラこの星の向こう側でたまたま勃発した地域紛争を鎮圧支援するために海軍の艦隊編成が拡大されて、軍港に繋がれたままだった艦船も出動することとなったのだ。

 当然ながら乗組員の数が足りなくて、除隊した兵曹や水兵だけでなく予備役の軍医などの専門職にもお座敷が掛かった次第が事の発端となる。

 俺についても。

 一件書類が海軍人事局のサーチにヒットしたらしく、リクルーターから期間限定で大学病院へ、入隊のオファーメールが送られてきた。


 医師免許を持つ身となれば。

 駆け出しの新米であろうとも海軍大尉軍医として空母での乗艦訓練に参加することが出来るし、開業医となるのに必要な実習修了証も貰えるという。

 現役の海軍大尉としての給料も貰えるし、軍医としての特技手当や医療保険や軍人年金保険も勤務期間限定だが付いている。

 兵役終了後も予備役登録を継続して自腹で軍への年金保険料を払えれば、老後は安泰ということらしい。

 文字通り、渡りに船のチャンス到来。

 大学病院のほうも、大金を稼げるベテラン医師を招集されるよりは、新米どころかお尻に殻の付いたヒヨコを差し出すほうが割当達成上も無問題。

 という訳で。

 袖に金筋二本を巻いた軍服一式に身の回り品を揃えた俺は、ホイホイと海軍に出頭したのだった。

 配属先は大型空母のひとつで、軍医大尉は数人いるという贅沢な陣容だ。

 艦内病院の医局長はベテランの現役の中佐であるが、軍医は兵隊?ではないので、身だしなみさえ整えておけば、うるさい事は言われない。

 第一軍装のピカピカの制服は、乗艦してからはロッカーにぶら下がったままで、忘れられている。

 そんな時に。

 既に戦闘中の艦隊の補給と休養のためのルーティンで、出撃命令が配属先の空母を含めた戦闘群に下された。

 結果。

 相手との火力の差は歴然たるもので、味方の戦果は連戦連勝。

 こちらの負傷者はラッタルを踏み外して骨折した新米水兵とか、運動不足で内臓疾患を生じさせた古参兵曹などの少数者。

 それなりの実習にはなったが、戦時とはいえ平穏な航海の日々が続いていた。 


          * 

 

 だが。

 造船所の職人たちと軍事マニアたちを除けば、一般市民は知らないことがある。

 現代、というのは復活歴二千百年代のことだが。

 現代の軍艦は分厚い鉄板で覆われているわけではない。

 舷と舷を接して丸い鉄の弾をぶつけ合っていた、木造帆船の時代はともかく。

 長距離から徹甲弾や焼夷弾を撃ち合った、分厚い鎧を着た鉄の船の時代も遠い昔の物語となって。

 現代の軍艦は。

 簡単に言えばアルミニウムの箱に高性能ジェットエンジンを付けて、自律型のミサイルが収まったコンテナを運ぶ海上トラックみたいなものに変化している。

 空母だって、艦載機を運んでいる、カタパルト付きの運動場みたいなものだ。

 ミサイルの性能が、破壊力も命中率も高度化したために鉄の箱でもアルミの箱でも結果は同じ。

 ならば操縦性もメンテナンスも容易なアルミの箱に切り替えて。

 迎撃ミサイルに運命を託しての、ロッタリーたからくじ勝負にしたほうが費用対効果が良いだろうと。

 陸上勤務を保証されている、どこかの馬鹿が考えたらしい。

 イージス艦や防空駆逐艦ならVLSを乱発すれば自己防衛は可能だが、空母となるとそうはいかない。

 随伴している防空駆逐艦や対潜フリゲート艦が護衛をしてくれると言うものの。

 空母自身は護身用のCIWS対空機関砲SAM対空ミサイルが数基付いているだけで、敵艦相手にドンパチやるミサイルは持たない。

 ましてや、豆鉄砲クラスであろうと大砲なんか積んでない。

 そして。

 もしも、相手がミサイルではなく「鉄の弾」で勝負に出てきた時は。

 空母に限らず、イージス艦だろうが駆逐艦だろうが迎撃ミサイルは役に立たないのは常識だ。

 ただし。

 現在はレーダーという高性能の監視役が、軍艦だけでなく小さな漁船にも乗っている時代だ。

 人間のほうが怠けていても、コンピュータ連動のレーダーはキッチリと警報を発してくれる。

 徹甲弾だろうと焼夷弾だろうと、それを撃つ大砲を積んだ敵艦が接近するのを見逃すはずは無い。

 だから、戦闘群に護衛された空母が敵艦から直接に攻撃されることは無い。


 そう思っていたのは俺だけではなくて、艦長も群司令も司令長官も海軍省も思っていたらしい。

 だけど。

 敵艦隊は蹴散らして、海岸線にある砲台も空爆や艦砲射撃で潰しておいたにもかかわらず。

 どうやったのかは知らないが。

 いや。

 噂では。

 リニアモーター方式と似たような電磁誘導システムで加速した高速弾を、内陸にある掩体壕あなに潜って砲身だけ出した大砲から撃ち出す革新的な方法があるらしいのだが。

 敵が撃ち込んできたのは、その長距離砲から撃ち出す「鉄の弾」だった。

 しかも。

 成層圏界面辺りの高空へと撃ち上げて、自由落下による加速度を加えるというウルトラCを編み出したのだ。

 正確なところは知らないが、劣化ウラン弾とかのアタマに耐熱材を貼って大気摩擦をスルーしているのだという。

 理論上は、防空ミサイルで撃ち落とせることになってはいたが。

 相手の弾数が、こちら護衛艦のミサイルの数を上回ったら。

 小学生でも、引き算くらいはできるだろう。

 そいつら鉄の弾が、ミサイルが品切れとなった艦隊の頭上から雨霰あめあられと降り注ぐ。

 対空機関銃なんか気休めにもならない、物量にモノを言わせる弾雨なんか、どうやったって凌げない。

 俺が乗っていた空母も飛行甲板をズタボロにされて、高空からの大気摩擦で灼熱したいくつかの弾が弾薬庫へと飛び込んだらしい。

 らしいと言うのは。

 モニターに映し出される実況中継を見ているうちにも艦内で爆発が相次ぎ、艦体の奥深くの医務室にいた俺は、艦内放送のアラートを聞いた記憶まではある。

 ライフジャケットを引っ掴むことはできたが、艦外へ脱出する間も無く。

 意識を失っていた。


          ***


 ゆらゆらと。

 身体が波に運ばれていく。

 ライフジャケットを着けているおかげで、仰向けの姿勢で海面に浮いている。

 泳ぐんじゃないぞ!とは。

 予備役の教習を受けた士官学校で、緊急対応係教官のベテラン兵曹長が怒鳴り続けた定型句。

 乗艦が沈む時は艦体から離れなければ沈没に引き込まれるし、救命ボートが目の前に来ている時は泳がなければならないが。

 周囲に助けてくれる艦やボートがいなければ。

 ビーコン遭難信号発信機がオンになっていることを確認したら、余計な体力は使わないで浮いてろと言われた。

 一日、二日くらいなら。

 そして温帯の海であるなら。

 ライフジャケットに装備してある浄水器で海水から真水を補給し、非常食を食べていれば救助の飛行機が飛んでくる。

 そう。

 制空権や制海権を、こちらが確保出来ていればの話だけどねとは、兵曹長は口にしなかった。

 敵地に近い海域で空母戦闘群が沈められる事態となれば味方は全滅で、運が良くても捕虜の身だ。

 もしかすると味方の戦闘機くらいは飛んでくるかもしれないが、戦闘機は海面に降りられない。

 海面に降りられる救難飛行艇などという脚の遅いのが飛んでれば、敵戦闘機にカモにされるだけというのは戦闘のトーシロである俺にも分かる。

 助けが来るとは期待は出来ず。

 ゆらゆらと波に運ばれる俺の未来は判らないのだと、思うでもなく青空を見上げて浮いていた。

 当然ながら、ハイスクールでステディになったジェニーとの将来も、どうなることやらとアタマを過ぎる。

 ブロンドの髪にブルーの瞳で、スタイルはボンキュッボンのジェニーとは、ベッドの上でじゃれ合った仲だ。

 結婚を約束し合った訳では無いので、俺が海軍へ出頭するという事になっても、涙の別れと言う事にはならなかった。

 国を挙げて戦争をしているという事態では、お互いに明日の事は判らないと、暗黙の了解のようなものだったろうか。

 俺は戦時志願の軍医だから、戦争が終わればお役御免となり、勤務していた大学病院へ戻るか自前で開業するかという選択肢は与えられている。

 その時までジェニーが独身でいれば、そこからの選択と言う未来はあるかもしれない。

 

          ***


 そして。

 どうなるか判らない未来は。

 思わぬ形で、やって来たのだ。

 ゆらゆらと。

 身体と同様に揺れていた俺の意識は、溶け崩れたかと思われた。

 何故ならば。

 期待半分の救助の手は。

 時代錯誤の木造帆船と言う姿で、差し伸べられたのだ。

 これが、多少は旧式でも沿岸警備に回されたコルベット艦だとか、赤錆だらけの外洋型漁船だったら。

 俺も自分のアタマを疑うことは無かっただろう。

 だが。

 どこからともなく現れたのは、海戦史の挿絵に載ってた木造帆船の同類だった。

 全てのマストに帆を張って、メントップには何処かの旗がヒラヒラしている。

 俺の記憶が間違ってなければ、ガレオン船と言う名の種類で、船首には黄金の動物の像が付いている。

 見た目は犬か狐か狼かというあたりだが、複数の尻尾を開いているように見えるのは錯覚だろうか。 

 そんな生き物を俺は知らない。

 遠い異国の神像なのかも知れないが、俺たちの文化には含まれていない筈だ。


 うん。

 やっぱり、俺のアタマは波に揺られて溶けたらしい。

 溶けたついでに、幻聴までも聞こえる始末だ。

 「おい、そこの」

 聞こえたほうに目を動かすが、そこにいるのは帆を張って波に揺れてるガレオン船だけ。

 いや。

 船の船首や甲板に人の姿は見当たらないから、スピーカーで放送してるのかと思ったけれど。

 「しゃべってるのは、あたいだよ」

 お~。

 最近は船が言葉をしゃべるのか。

 「しゃべっちゃ、悪いか?」

 声に出した訳でもないのに、船は俺の思考を読んでいる。

 「その軍服は、軍医かい?」

 問われた俺の軍服の襟には。

 大尉を表す階級章と、軍医を表す「蛇が絡み合ったバッジ」が付いている。

 「俺は確かに軍医だけど」

 それくらいの意識は、まだ健在らしい。

 「軍医だったら、助けてやろうか?」

 敵地に近い海域で。

 乗艦を沈められた新米軍医予備役の大尉ごときに対して、これ以上は無い程の慈悲深く有難いお言葉が降り注ぐ。

 待てよ?

 軍医じゃなかったら、助けては貰えないということか?

 自分の正気を疑うけれど。

 アタマが溶けているのなら、波に揺られているよりは、時代遅れのシロモノだろうと船に乗せてもらえるほうが良い。

 何処の船かは知らないし。

 誰が、あるいは何が乗っているのかも知らないが。

 温かな海で鮫の餌になるよりは、生き残って妖怪でも悪魔でも相手にしてたほうが良いだろうという計算は出来る。

 わざわざ声を掛けて来るからには。

 たとえ相手が人間じゃなくても、医師の需要はあるのだろう。

 いや、無いか?


 「医師なら、仕事はあるから歓迎してやるよ」

 嬉しさを隠しきれないという感じの声が降って来る。

 でもなぁ。

 ガレオン船あたりの軍医と言えば。

 鋸を手にして、砲弾で飛ばされて泣き喚く水兵の手足の先を切り落とすというシーンがアタマに浮かぶ。

 麻酔薬など無い時代には。

 患者の苦痛は激しいし、出血多量とか、感染症でも併発すれば生存率だって半分以下だったと歴史の本に書いてあったような気がする。

 それとも、どこかの映画館で見た映像だったのかもしれないけれども。

 そんな荒事は、俺に務まるとは思えない。

 助けてもらえるなら助けて欲しいと言いたいところだし。

 折角の助けを断って、鮫の餌になるというのも気が進まない。

 でもなぁ~~、と繰り返す。

 鋸、かよ?

 俺がアレコレ、迷っているのを見抜いたか。

 「うちには、あんたが勤務してた病院と同じくらい最新式の医療機器を完備した艦内病院があるんだけどね」

 船が。

 悪魔の囁きを、ここぞとばかりに押し込んでくる。

 「病院の院長として優遇するし。美人看護師も揃っているよ」

 いや。

 美人看護師云々は、ノブス・アングルではセクハラ案件でご法度なのだが。

 俺も健康で若い男だから、本音では。

 ブクブクブク。

 ・・・。

 そろそろ。

 浄水器もフィルターが詰まってきてるし。

 非常食も在庫切れ目前の状態だ。

 海水浴にも、飽きたことだし。

 日光浴は十分すぎるほど堪能させていただいたと思う。

 ここは、助けてもらうほうがいいか?

 美人看護師という台詞に魅かれた訳では無いからな。

 そう思った、俺の身体は。

 ガレオン船の船内に吸い込まれていた。


          *


 その後は。

 ケモ耳をアタマに載せた立耳海兵の先任軍曹に出迎えをされて。

 艦長室ではスレスレの制服を着た、美少女艦長に挨拶し。

 約束通りに?俺の時代よりも先を行っている医療機器が揃った病院を宛がわれるという驚きにも耐えて。

 こうして、ゴールデン・ビクセンと言う名の私掠船海賊船で軍医をやっているという身の上なのだ。

 海上で呼び掛けてくれた声の主には会ってないけどな。

 ・・・。

 時間潰しの回想にも飽きた頃。

 晩飯の配膳を告げる艦内放送を耳にすることになった。

 「達する。総員。ディナー!」

 白衣を脱いで、軍服のほうの制服に着替え。

 アタマに帽子を被って。

 「後は頼むよ、リラー」

 交代勤務の当直看護師に声を掛けて、俺はハッチのノブに手を伸ばす。


 海軍で叩き込まれた通りにハッチの閉鎖を確かめて、通路の向こうに目をやると。

 見覚えの無い制服を着た男性が歩いて来た。

 海軍史の本で見た、昔の海尉か准海尉あたりの制服に見える。

 うん。

 その制服の襟には航海士を現すと思われるバッジが光っている。

 これが、新任の航海長らしい。

 「やぁ、航海長マスター

 俺が、敬礼ではない片手を上げた挨拶をすると相手も片手を上げてきた。

 「はじめまして」

 うん、人付き合いは良いらしい。

 それに続いて。

 俺が着ているノブス・アングル海軍の制服を見ながら。

 「あ~?」

 という声が聞こえたので。

 「軍医のローガンだ」

 俺は制服の襟に付いた、軍医を表すバッジを指さす。

 国によって。

 軍隊の階級章や兵科章などはデザインが異なるので、初対面の相手に説明するのは珍しいことではない。

 「航海長のノアだ、よろしく」

 差し出された右手を握り。

 「俺はディナーを食いに行くんだけど?」

 一緒にどうかと訊いてみる。

 食堂の位置が、良く分からないと続けるノアと連れ立って行くことになった。

 軍艦の内部なんて、似たようなハッチがあちこちにあって階段ラダーを降りて右や左に曲がっていると。

 此処は何処?あたしはだぁれ??という羽目になる。

 初めての艦で、迷子にならずに済むのは余程の才能の持ち主だろう。

 軍医には要求されないようだけど、空母で乗り合わせた水兵たちは艦内配置は当然のこと隔壁に貼り付けられている配管別・配線別の機能や修理方法まで覚えなくてはいけないと聞いたことがある。

 医学の勉強も凄まじいモノではあるけれど、水兵と言う仕事も別の意味で大変なシロモノだ。


          *


 そんな世間話をしながら、俺たちは。

 このゴールデン・ビクセンの、食堂街へと降りてきた。

 そう。

 軍隊式の、大広間にテーブルが並んだセルフサービス形式のメスホールなんかではなくて。

 正真正銘の、食堂街。

 砲列甲板ガンデッキ下層甲板居住区画の下へと階段ラダーを降りて、さらに下。

 どうなっているのかは、知らないけれど。

 普通の?ガレオン船なら船倉があるはずの甲板に、商店が並ぶ幾本もの通路が交差している。

 その一本が、食堂街だ。

 ベトゥス・アングル《旧アングル》とノブス・アングル《新アングル》の料理は勿論のこと。

 旧大陸各地やパールサなどという、俺がお目にかかったことの無い土地の料理も食べられる。

 パールサというのは、立耳看護師や立耳海兵たちの故郷のことらしい。

 たまにだが、立耳族の美女たちに交じって談笑している美少女艦長の姿もパールサ料理の店で見掛ける。

 どの店も、食事代は艦からの支給食と言うことでロハただ

 客は乗組員に決まっているので、店のほうも身分証を出せとは言わないし。

 食べられるのだったら、二食でも三食でも食べさせてくれるけど。

 戦闘時以外の軍艦というのは、エネルギーを消費する作業は少ない。

 ほどほどにしておかないと、支給された制服から身体がはみ出すことになる。

 現在の俺の仕事は、そうした乗組員への健康指導が大半だ。


 さて。

 今日から仲間となる、ノアという名の航海長は。

 アングル海軍の制服だというヤツを着ている。

 そんなデザインの制服は海軍史の本で見ただけで、実物を見るのは初めてだ。

 いろいろと訊いてみると、どうやら別世界にあるベトゥス・アングル《旧アングル》に相当する国の育ちなのだと言うことで俺たちの見解は一致した。

 だから。

 「アングルの料理で、いいか?」

 と聞いてみる。

 ベトゥス・アングル《旧アングル》の料理は、美味いとは言えないことで定評があるのだが。

 ノブス・アングル《新アングル》の料理だって、あれが料理か?と他国からは馬鹿にされるレベルだ。

 食の良し悪しは個人の好みだからな。

 食べ慣れた郷土料理なら、間違いはあるまい。

 フィッシュ&チップスだって、これしか食うものが無いとなれば食って食えないことはないと納得をしたい。

 ノアが頷いたのを確かめて、「ドゥムノニア」という看板の店に入ると。

 裾長ワンピースにフリフリエプロンを着たテーブル係の女性が注文を聞きにやってくる。

 彼女のアタマの上に耳は立っていないので、たぶん同類の小耳族ヒトだろう。

 「いらっしゃい。ご注文は?」

 注文管理の端末を手に彼女が言う。

 ノアがメニューを見てから俺の顔を見て、どうぞと目線で言ってくる。

 「ローストビーフとヨークシャー・プディングで」

 俺が言う。

 お?という目つきをノアがする。

 テーブル係が注文を打ち込む手元が止まったのを見て。

 「それじゃぁ、俺はミートパイにするか」

 ノアが言う。

 どちらも。

 アングル海軍の軍艦では滅多に出ない料理なのだと、注文しながらノアが言う。

 そのアングル海軍というのはベトゥス・アングル《旧アングル》でもないし、当然ながら俺が生まれたノブス・アングル《新アングル》の海軍でもないのは確かだ。

 いったい何処にある国なんだ?と思うけれど、答えて貰っても理解は出来ないだろうと諦めておく。

 飲み物は小ジョッキのエールということにした。

 

 自己紹介を兼ねて始めたのは、お互いの海軍生活についてのアレコレで他愛のない与太話だ。

 俺がいた復活歴二千百二十年のノブス・アングル新アングル海軍では。

 フリゲート艦よりも大きな船なら食堂で、三食ともにコック特技兵たちの手による暖かく調理された支給食が出る。

 哨戒艇クラスでも、昔の機内食のような携行食を積んでいて。

 食事時間に基地へ戻れない任務でも、立ち食いながら温めたものが食えるのだ。

 ノアがいたという、聖紀千八百六十年のアングル海軍では艦のコックはコックとは名前ばかりの釜茹で係火の番なのだと言う。

 大樽に詰められた塩漬けの牛肉や乾燥豆などを沸騰させた熱湯で塩抜きするだけで、燃料管理のほうが重要なのだと断言された。

 長期の航海ともなれば、飲料水と同様に薪炭の在庫は生き死にに直結する大問題だから、艦全体の生命を握っていると言えるかもしれない。

 だから、コックは燃料消費を睨みながら湯を沸かすことだけに専念している。

 肉でも豆でも穀物でも、茹で上げた材料をどうやって食べるかは水兵たち自身の腕次第。

 艦長や海尉には、身の回りの面倒を見る当番兵が食事の世話もしていたが。

 水兵のほうは。

 砲員ならば大砲一門ごとに編成されている艦内班で、持ち回りの当番の才覚の有無が食事の内容を決めていたという。

 「そいつは、凄い話だな」

 俺の感想に、ノアも首を縦に振ってみせる。

 「嵐に出くわした時なんか、火を落とすので暖かいティーすら飲めないからな」

 航海長か艦長に、観天望気の才能があれば事前に肉や豆を茹でて置けるが。

 「予測が出来ないと、パンとエールだけで凌ぐことだって珍しくはないな」

 ノアによれば。

 その「パン」なるシロモノだって、俺たちが言うところの「乾パン」だという。

 「その乾パンで、釘を打てると船匠だいくが言ってたぜ」

 片手を振りながら、目を見張る俺の顔を見て。

 「冗談じゃなくて、古い在庫になるとレンガ並みの硬さがあるからな」

 にこりともせずに、真顔でノアは保証した。

 一緒に出されるスープだって、具材の味を楽しむとか温まるとかの目的もあるが。

 「レンガみたいな乾パンをふやかして食うために不可欠なんだ」

 ノアがダメ押しをしてくる。

 本当に、俺を担いでるんじゃないよな?

 エールのほうも、ホップなど入れてない大麦の醗酵酒。

 酔えるほどのアルコール分は微量で、栄養はあるが甘い水のようなものらしい。

 「こんな酔えるほど上等なエールなんか、水兵には御伽噺の飲み物さ」

 目の前のジョッキを掴みながら、ノアはちょっと笑って見せる。

 そんな与太話で、楽しいディナータイムは過ぎていったのだ。


          *


 食後に、船室へ戻るために食堂街を歩きながら。

 ノアは何かを考えている。

 「飯に問題でもあったのか?」

 俺の問い掛けに首を振り。

 「いや。食堂街も飯も良かったよ」

 軍医の個人用船室キャビンも、航海長と同じ甲板デッキにあるので。

 じゃぁなと言って自分の船室の扉を開けた。

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