第6話 ビッキー現る
★創世歴20,200年★
★聖紀1,860年★
今朝からは、アングル海軍の制服ではなくゴールデン・ビクセンで支給された制服を着ている。
目が覚めて着替えをするかと思った時に、机の上に新しいデザインの制服が現れたのだ。
「今日からは、それを着てくれ」
何処からともなく、聞き慣れて来たゴールデン・ビクセンの声がした。
「アイ・アイ、サー」
習慣から、そう口にして新しい制服を手に取る。
これまで着ていた准海尉用のデザインではなくて
長剣のほうは自前で揃えなければならないために、空間魔法で在庫品から引っ張り出した高級品だ。
本艦の目的地である海域には、アングル海軍やモナルキ海軍の軍艦が待ち受けている筈だ。
ほかにも有象無象の私掠船や商船たちもいることは間違い無い。
下級艦長の制服は。
なにしろ、この世の常識などとは無縁の美少女艦長などを人前に出す訳にはいかないことは、本艦における無言の共通認識となっている。
だからと言って、准士官である航海長如きが相手の艦長や司令官相手に対等の交渉を行うというのは常識的ではない。
役人や軍人は相手の肩書と階級章だけを見て物事の判断基準としている生き物たちだというのは、アングル海軍の飯を食ってきた俺にも理解の範囲内だ。
ついでにというか、それに貴族としての生まれが加わっていれば対応の丁寧さが上がるが、俺は貴族の慣習など知らない。
まぁ、下級艦長としてならば平民が出世したと言っても通るだろう。
俺の気配を感じた、操舵長と操舵手が帽子に片手を当てて挨拶してくれる。
だが、二人の目は羅針盤と舵輪の動きから離れない。
そのあたりの動作がキッチリしているのは良い兆候だ。
その後ろには、当直の航海士が立って甲板全体へと目配りしている。
「快晴で東の追い風、総帆、艦首真西です。視界内に船影はありません。航海長」
当直の航海士が帽子に手を当てて敬礼しながら、現状報告をしてくる。
ここ数日を掛けて。
同僚と言うか部下と言うか、
アングル海軍であれば。
操舵長や操舵手を勤めるのは、適性を認められた准海尉相当の兵曹と上級水兵や一等水兵たちだ。
彼等は当直海尉の監督下で、艦長の操舵&操艦指示を実行している。
だが、本艦の
おまけに、命令系統を補佐している筈の副長以下の海尉たちもいない。
そこで。
俺は、航海士たちに当直責任を持たせることにした。
甲板長や掌帆長など各部の責任者はそのままで、操艦についての指示は当直航海士が行う。
そういう仕組みを作り上げておいてから、
「航海のことは、
と、有難いお言葉が降ってきた。
前任の航海長がドロン!してから、本艦はゴールデン・ビクセンが自己判断で動かしてきたらしい。
よくも、それで用が足りるものだと感心するが。
それなら、俺が仕切っても問題は無いだろう。
そのために
船乗りの習性として。太陽の位置、風向きや空模様を特に意識することなくアタマに入れてゆく。
「おはようございます、
数分遅れて甲板へ出てきた
乗組員たちの前では、きちんと上下関係としての規律を見せておくほうが良い。
「おはよう、
相変わらずの美少女だけど、感情の読めない声で返事が聞こえる。
それは、お互いに生活の一部となりつつあるから感想は無い。
艦体の揺れ具合、帆や索具が風と奏でる音楽の調子もいつものとおり。
俺が本艦に
北赤道海流に乗って西へと
此の辺りに島は無いので、見えるとすれば何処かの国の旗を掲げた軍艦か商船くらいのものだろうが三百六十度の全周にわたって何も無い。
それでも、航海して来た日数からして目的地が近い事は確信が持てる。
そろそろ、何かが見えてきても良さそうだけどなと思っていると。
「お~~い、デッキ!」
アタマの上から、トップの見張りが叫ぶ声が降って来る。
「お~~い、トップ!」
艦尾甲板に並んで立っているナナオに代わって、
本艦には艦内通話装置というのが装備されているけれど。
万一の故障に対応できるように、平時には肉声でやり取りさせることにしてある。
「ランド・ホー!島が見えまぁ~~す!!正艦首!!」
うん。
見えるのは島の天辺か、島に当たる上昇気流が生み出した独特の形をした雲くらいのものだろうけど。
ベテランのトップマンなら、単なる雲と見間違えることはないだろう。
艦の奥底の何処やらに在るCICからも、レーダー手がエコー有りとの報告を上げて来る。
此の世界では測地用の人工衛星などという結構なモノは飛ばしていないので、GPSシステムも無いし、特に赤道が近い海域では海図なんて信じる方がどうかしている。
それと言うのも、海図が正しかったとしても熱帯地方の海では珊瑚の発育が早いので暗礁なんかは数年で深さも変わるし、思わぬ場所に生えて来るという泣いて喜びそうな発育具合であるからだ。
ソナーでビンビンやりながらの航海という手もあるけれど、日中はベテラントップマンの目のほうが信頼出来るというのが
すべては経験則と勘頼りということになるのが、此の世界の常識なのだけれど。
どうやら、無事に多島海に着いたらしい。
潮の流れを読み間違っていなければ、数時間のうちに甲板からでもシボネイ島が見えてくるはずだ。
シボネイ島は。
アングルと海洋覇権を競う、アングル島とは海峡を挟んで対岸の大陸にある半島国家モナルキのやつらが「発見者」なのだが。
其処には既に先住民たちが生活を営んでいたという事実は「発見者」によって無視をされている。
そのシボネイ島の価値と言えば。
数百年前に「発見」された海の向こうの大陸を指して名付けた
島々の間を抜ける海峡は多数あるけれど、百門搭載艦など大型の戦列艦が安心して通れるだけの水深を持つ海峡は数が少ない。
その後に起きた国家間のゴタゴタの末にアングル海軍が占拠して、多島海海域を管轄する総督府や鎮守府も置かれている。
空間魔法で大量の資材や食料を抱え込んでいるゴールデン・ビクセンには無用だけれども、多くの軍艦や商船が
他の役所と並んで、拿捕船裁定所も置かれていて。
海域で稼いだ獲物を本国まで持ち帰る手間暇を省くために、現地で売却する軍艦や私掠船に重宝されている。
ここで売却される拿捕船は。
拿捕船裁定所の査定金額次第だが、状態の良い軍艦ならば
再艤装してアングル海軍の一員とするのだが、私掠船が軍艦を拿捕できることは滅多に無い。
正規の海軍軍人から私設海軍とも揶揄される私掠船の
私掠船は費用の一切が船主持ちだから、自分よりも大きな相手に無謀な挑戦をして失敗するような危険は冒せないということだ。
それは船主自身が指揮を執っていようと、雇われ船長が指揮を執っていようと変わりは無い。
正規海軍の軍艦であれば。
艦体が破損しても修理費は海軍が面倒を見てくれる。
弾薬についても使い放題で、平均値を超えてドンパチやっても問い合わせか叱責が飛んでくる程度のもので経費はアングルという国家持ちだ。
私掠船のほうは、いわば自由業の独立商会。
拿捕船裁定所に税金分は取られるけれど、残りは自分の懐に入る。
代わりに。
派手な戦闘に巻き込まれれば、損傷した船体などの修理費や消耗品の費用が獲物の価値を上回るということだってある。
だから。
私掠船は「
味方と敵がドンパチやってる勝ち目の無い戦闘場面に出会っても、助っ人をするどころかトンズラを決め込むのが私掠船の生きる道。
規則の上では、自国の軍艦の協力要請には応じる義務があるのだが。
信号旗を読み取れませんでしたと言い張れば、鎮守府のほうでも有耶無耶にするしかない。
そういう点では、正規海軍の船乗りたちから白い眼を向けられることもある。
それでも、私掠船が軍艦あるいは重武装の商船を狙うこともゼロではない。
本艦のように明確な目的を持っているか、拿捕賞金で爵位を買うとか農場を買うとか考える船長だっているからな。
その獲物となる相手の筆頭が、黄金船団だ。
モナルキのやつらがノブス・モナルキにある植民地の鉱山で採れた金銀を本国へと運ぶ黄金船団を襲撃するために、この島から出撃する軍艦や私掠船や海賊船は数知れない。
いや、海賊船は非公認だけどね。
一攫千金は御伽噺の冒険譚ではなく、此処では目の前にある現実の話。
その夢を現実のものとするためには、相応の努力と実力が必要なのだが口にしないのが約束事だ。
もしも。
ナナオに操艦を任せていたら、ここには着いていなかっただろう。
舵を真っ直ぐ押さえておけば、北赤道海流が勝手に目的地付近まで運んでくれるというのに。
犬掻きならぬ狐搔きで、船足は伸びるどころか支離滅裂の沈没寸前。
間違って南へ流れる赤道支流に乗ってしまったら、此処は何処?あたしは誰?の新世界を発見することになる。
航海長である
何回目かの疑問ではあるけれど。
どういう訳か知らないが、本艦には艦長の意向を行動に移す実行・補佐役の副長が乗っていない。
もうひとつ。
各部署を統率する監督役の海尉たちも乗っていない。
それでも、航海に支障が出ないのには魔法か何かが働いているのではないかとの噂が絶えない。
このゴールデン・ビクセンでは。
艦長が軍艦の操艦全般について実務を仕切れる知識を持っていれば、艦が艦長の意向を読み取って自動的に操舵・操帆を調整して目的地へと導いてくれるということらしい。
海尉はいないが、各部署を担当する甲板長や掌砲長や掌帆長や工作長などの准海尉クラスは乗っている。
航海長である
そして、基本的な操艦そのものは艦自身が自動的に行っているのだとしても。
装備されている機器は、自動的な自己修復機能まで備えているのではないらしい。
例えば、甲板部について言えば。
甲板長以下の水兵たちは、戦闘時以外は大砲だけでなく機器や装備のメンテナンス作業に当たっている。
具体的には、索具や滑車の不具合だとか帆が擦り切れたとかの交換作業や修理には水兵たちの手が必要とされる。
機械類のほうは、艦内に専門の製造&修理工場があって技術者たちが働いているけどな。
ほかにも、航海中の用心として。
マストのトップに見張り役をしている
さっきの陸地発見を告げてきた見張り員も、そうした水兵服たちのひとりだ。
この艦は、この時代においてはオーバーテクノロジーであるレーダーやソナーまで持っているのだが。
それでも。
俺が思い出しつつある知識によれば。
高性能レーダーだって、相手が
波高の大きな天候ならば、小型船などは波の間に間に紛れることもあってエコーが出ない。
重力検知レーダーでも、小船程度のモノが海面に浮いていても大きなゴミとの区別はつかない。
だから。
木造帆船しか
そして。
本来は立耳族のほうが視力が上だが。
昼間は、誰かに見られた時の用心として甲板上に出ているのは水兵服を着ている小耳族だけという状況だ。
夜間は、視力も聴力も優秀な立耳族たちの海賊服組がマストに登る。
そう。
「人間」という種族以外に海賊船を運航させている生き物なんか、此の世界にはいないからな。
そこまで思い返していると。
「ふん、あたしは海賊船じゃなくて免許状持ちの
耳元に、ゴールデン・ビクセンの声が聞こえた。
乗艦して以来、今朝までは出てこなかったから。
艦あるいは船としてのゴールデン・ビクセンは認識していたが、個人?としてのコイツのことは意識の外に置いていた。
「アイ・アイ、サー!」
と元気な声で返事をしておく。
勤務中だし。
何と言っても、
俺の横に立つ
うん。
俺は
そのジト目が。
俺の顔を通り越し、何かに向かって徐々に見開かれてゆく。
なんだ?と思って、首を回すと。
いや、フクロウだかミミズクだかとは違うから180度は回らないけど。
そこには、これぞ海賊という格好をした金髪の美女が俺を見ていた。
ナナオよりもサイズの大きな胸の下で開襟シャツの裾を縛った臍出しルックに、下はホットパンツに長靴という装い。
腰に着けたベルトの右側には44口径マグナムと見える拳銃を入れたホルスター、左側には
顔もスタイルも整っているが、耳と尻尾は出てないな。
ん?
それは軍艦も商船も同様で、海賊船だって同じ規則があるはずだ。
「だから、あたしは海賊船じゃないって言ってるだろう?」
気配も感じさせることなく、突然目の前に現れた美人海賊が。
あたかもゴールデン・ビクセン自身であるような声と口調で、二度目の台詞を俺に言う。
くそ!
真昼間から、出やがって!!
こんな時間に出てくる以上は、妖怪でも幽霊でもないとなれば。
「そうだよ。あたしがビクセン本体のビッキーさ」
ビクセンとビクトリアを引っ掛けた名乗りを上げて。
美人海賊は順番に、俺とナナオの目を直視してくる。
俺が
咄嗟に、航海士以下の乗組員には防御魔法でガードを掛ける。
島が見える赤道近くの熱帯海域で、何かの拍子に舵取りを間違えたら岩礁か珊瑚礁に当たりかねない。
「あ、あ、あぁ~」
変な声がするので、ナナオのほうに目をやると。
ビッキーの顔を見つめたままで。
他人の目から隠していたはずの七本の尻尾を下げた姿で身体を震わせ、ミニスカ艦長服から伸びるナマ足を伝い落ちる液体が艦尾甲板に広がってゆく。
なんだよ?
ゴールデン・ビクセンの艦長をやっているくせに、艦のご本尊様に拝謁するのは初めてなのか?
ったく。
今の威圧で消し飛ばされてないのは褒めてやるけど、甲板掃除は誰がやるんだよ。
小耳族の水兵たちはクリーン魔法などという芸当なんか出来ないぞ。
ビッキーと名乗る美人海賊は後回し。
「おい、ジャミーレ」
マストのトップには聞かれないように、背中に向けて声掛けをする。
隠形の魔法で姿を消してはいても、気配を誤魔化すのには成功していない。
ナナオの行くところ、忠誠心が高いパールサ風の女官服を着た立耳美人が近くにいるのは知っているのだ。
俺が乗艦した最初の日に、ナナオを脅してチビらせたことを根に持っているのか。
隙あらば、俺の首を取ってやろうと背中を狙っていることも知ってるが。
「ちょっと、
俺の部下でない事は承知しているけれど、そんな斟酌をしている場合では無い。
ジャミーレ如きは。
たかが尻尾が一本の妖狐モドキで、俺が怖れるようなハイレベルの相手では無いので、礼儀に叶う丁寧語も使わない。
ナナオの守役が相応だしな。
あくまでも守役であって傅役 ではないよなぁ?と俺は思うが、実際のところナナオは本艦の妖狐族を束ねる補佐官としてのジャミーレを頼りにしているらしい。
「うぅ、
顔を俯かせ何やら深刻な呟きを漏らすナナオの身体を回れ右させて、ナナオ同様に身体を震わせて内股気味で立っているジャミーレの手に押し付けておく。
口には出さない程度の慈悲は掛けてやるけれど、ジャミーレの足元にも水溜りが広がっている。
まぁ、航海士たちとは違ってジャミーレまでガードしてやる義理は無いからな。
お前も風呂に入ってこいよ。
俺がジャミーレの状態に気付いているのと同様に、乗組員たちも気付いているのは気配で判る。
美少女艦長と、立耳族に見せ掛けている妖狐族の美女のダブルお漏らしなんて素晴らしい演し物は。
世界の果ての何処かにあるかもしれない、怪しい店の秘密の部屋で金貨を積んでも簡単に見られるものでは無いだろう。
無いだろうが。
見てしまったという喜びの気配を消しておかないと
ジャミーレに睨みつけられた操舵長と操舵手は、何も見ません聞いてませんという顔で艦首正面を向いている。
当直航海士は、真剣な顔で帆の膨らみ具合を目で追っている。
うん。
お前たちは長生きが出来そうだよと、口には出さずに頷いておく。
「あのさぁ」
肩を叩かれて、振り返ると
「あたしの威圧を受けて知らん顔してるなんて」
失礼じゃないのさ?と、ビッキーが言う。
だけどな。
幻影魔法に騙されるような俺ではないが。
目の前の
なにしろ、此処は相手の
たとえ潮風が吹き渡る甲板の上であろうと、ゴールデン・ビクセンそのものの魔法結界の中なのだから。
あれだけの威圧を見せてくるからには、本体だろうと思えるけどな。
「あのさぁ」
ビッキーが、同じセリフを重ねて微笑む。
「あんたとあたしは、マスター契約を交わした仲なんだから」
信用してくれてもいいじゃないか?と、右手を俺に差し出してくる。
ゴールデン・ビクセンに
そりゃそうか?と、ちょっと
「俺は、お前の
俺も右手を出して、笑って見せる。
「うん、あんたはあたしの
お互いに欺瞞の上書きをして、微笑み合う。
右手を握り返してくる力は、威圧と同様になかなかのパワーだ。
でもなぁ。
こいつには、いつかどっかで会ったような気がするんだけどな。
それも、此の世界ではない場所で対等に近い親密な関係を持っていたような記憶があるのだが。
まだ、その情報は思い出せない。
「お~~い、デッキ!」
ビッキーの出現に気を取られて、度忘れしていたトップの声に注意を戻す。
やれやれ。
俺は現役の軍艦乗りだったよな。
アングル海軍の軍艦と比べて、ゴールデン・ビクセンの艦内規律はユルユルなので戦時だという事を忘れそうになっているのはよろしくない。
「船が見えまぁ~~す、右舷二時!」
まぁ、ここらはアングル海軍の縄張りだから地元の哨戒艦か漁船あたりが仕事中なのだろう。
そう思いながら、水平線辺りを見ていると相手のマストの先がチラついている。
アングル海軍で鍛えた俺の視力でも、本艦の艦尾甲板からだと相手の旗までは見えない。
「どこの旗だぁ~~?」
トップに訊けば、とんでもない返事が降ってきた。
「モナルキ海軍でぇ~~す!ブリッグ艦でぇ~~す!」
その声をアタマの中で反芻し、俺はビッキーの顔を見た。
「あんたが指揮を執ってくれ、
お飾りの美少女艦長は艦長室で入浴中だろうしな。
ビッキーは、俺の手腕を確かめたいらしい。
「ミスター・ザール、戦闘旗掲揚。総員戦闘配置だ」
俺の指示を聞いたザールという名前の当直航海士が、後ろの隔壁に取り付けてある非常ブザーのスイッチを押し込みながら艦内放送のマイクに向かって命令の声を張り上げる。
「全艦に告げる。総員戦闘配置!!」
メインマストのトップを目指して戦闘旗を斜め掛けにした水兵が、ラットラインを登ってゆくとすぐに戦闘旗が風にはためく。
艦尾のポールには。
赤地をバックに、天空を支配するという翼ある神の像を金色にデザインしたパールサの国旗が翻る。
ただし、この国旗を掲げる国家が現在も此の世界に実在しているのかどうか?俺は知らない。
トップに広げられた戦闘旗は、赤地に七本の尾を広げたキツネの姿がデザインされている。
たかがブリッグ艦を相手に、総員戦闘配置でもあるまいが。
まぁ、一度くらいは訓練を兼ねてやらしてもらおう。
甲板には、開いたハッチから銃やカトラスなどを手にした
立耳海兵たちほど整然とした動きではないけれど、持ち場に分かれた小隊ごとに装備の確認が進められてゆく。
小隊長が指示をして、分隊長たちが乗組員たちが持つレミントンM24に弾込めをさせてゆく。
狙撃スコープ付きのボルトアクションライフル銃だが、敵艦が装備しているであろうフリントロック式ライフルのベイカー銃と比べれば別格の威力を持っているライフル銃だ。
揺れる艦上からのベイカー銃の有効射程は、射撃の名人級が撃ったって1ケーブルもあれば上等で一発命中なんてのはマグレでしかない。
こちらは、相手の射程外からバンバンやっていればいいから怪我人なんか出ないだろう。
斬り込みの白兵戦には長くて重いので不向きだが、艦上から長距離射撃で敵艦の後甲板にいる艦長や航海長を狙撃するには有効だ。
立場が逆なら冗談事ではないが、戦闘指揮に当たれる敵の始末は確実にしておくに越したことはない。
モナルキ海軍は、陸軍同様に貴族出身者だけが士官の地位に就いている。
どういう考えなのかは俺の知った事では無いけれど、軍艦なら艦長と海尉たちを始末してしまえば戦闘指揮を取れる人間はいないことになる。
「時間はあるから、確実にやれよ」
余計な事かもしれないが、声掛けしておいても無駄ではないだろう。
小隊長たちが、艦尾甲板に向かって了解の印に敬礼してくる。
何処で
水兵服を着た外見は伊達ではないと思わせるくらい、軍隊らしい雰囲気がある。
「ふふん」
ビッキーは、自慢顔をするだけで教えてくれる気は無いらしい。
まぁ、いいさ。
ちゃんと命令さえ聞いて実行してくれれば、当面の問題ではないからな。
「なぁ、下の大砲には何が詰まってるんだ?」
俺は、当面の問題を訊いておく。
「通常火薬で、高速徹甲弾。徹甲榴弾。榴散弾。焼夷弾」
ビッキーが、指折り数える。
うん、常識の範囲内だな。
木造帆船相手の砲戦なら十分以上な威力だ。
「換装して、小型トマホーク。対艦魚雷。対潜魚雷。対空魚雷」
おいおい。
「換装して、超電磁砲」
ダメ押し狙いの顔つきで、ニヤリとしながらビッキーが言う。
んなシロモノで、何を相手にしようってんだよ?
初対面で脅された時に、
「敵艦の艦体が見えます。砲十門のブリッグです、航海長」
航海士のザールが状況報告を入れてくる。
うん。
俺にも見えてるけどとは、口には出さない。
海軍では命令系統が決まっていて、下命とは逆のコースで報告が上げられることで勘違いや間違いを防いでいるからだ。
近くにあるモナルキ海軍の基地から出撃して来た略奪戦闘用のブリッグ艦なら、航海要員と戦闘員で百人くらいは乗っているはずだ。
こちらが商船ならば恐るべき相手と言えるが、軍艦としては補助艦レベルのシロモノでしかない。
そんなモナルキの軍艦が。
アングル海軍の根拠地の庭先をうろついているなど、さすがの俺も海軍生活で聞いたことは無い。
「ご苦労、ミスター・ザール」
航海士は准海尉相当の兵曹なので、呼び捨てにするのは海軍の慣習に反する。
「敵艦は砲十門のブリッグです、艦長」
俺も規則通りに美少女艦長に向かって報告をする。
素早くシャワーを浴びて、着替えを済ませてきたらしい。
「うむ、ご苦労なのじゃ」
何がご苦労なのかは知らないが、コイツの台詞は聞き流しても問題あるまい。
さて。
モナルキのブリッグ艦が何の用事で、アングル海軍の根拠地の庭先をうろついているのか?
考えてみたって、相手の腹の内はデータ無しで想像するしかない。
捕まえてみれば、判るだろう。
「水兵隊!狙撃用意!!」
敵艦と並航する位置へと艦を持って行く。
敵艦の甲板やマストのトップにも、銃を持った水兵の姿が見える。
船体の見掛けは同じ程度で、砲門の数もどっこいとあれば。
敵のほうでも、こっちをカモだと思っているようだ。
しかも、こっちの見た目は年代物のガレオン船だしな。
「水兵隊!狙撃開始!!各個射撃!!」
俺の声が終わらないうちに、狙撃銃の発射音が続いて聞こえる。
敵艦の甲板やトップでは、頽れる敵兵の姿が多く見られた。
「砲列甲板へ!砲門開け!」
ザールに言うと、砲列甲板の掌砲長へと命令が伝わったらしく砲門の蓋が開く音が聞こえる。
「砲、押し出せ!」
「砲、押し出しました!!」
命令に、復唱と復命が素早く返る。
ストップウォッチなんか見なくても、アングル海軍の軍艦と良い勝負だろう。
うん、優秀だ。
「敵の艦体に、徹甲榴弾一発。上甲板くらいで水線下は狙うなよ!」
できれば拿捕して、黄金船団の襲撃で囮に使いたい。
「艦体に向けて徹甲榴弾一発、アイ・アイ、サー!!」
ビッキーの顔を見て、捕獲でいいよな?と目だけで確かめる。
「撃て!」
俺の声が終わった途端に、ズドン!と重低音が腹に響いた。
ライフル銃の弾が届く距離での、大砲による水平射撃。
本艦の発砲音と同時に敵艦の舷側が、半分以上吹き飛んで中身が見えている。
あ~。
今の音だと、本艦が撃ち出したのは百ミリ砲か?
本艦の大砲の口径を聞いておくのを、忘れてた。
鉄の丸球ならともかくも。
ブリッグ程度の木造船相手に百ミリ砲の徹甲榴弾だと、効果絶大を通り越している気がするなぁ。
沈没しないのが不思議なくらいだ。
戦闘する気が失せたと見えて、甲板から人影が消えてるぞ?
艦尾の国旗は降りているし、檣頭の戦闘旗のほうは・・・いまの一発で吹き飛ばされてるな。
声が届くくらいの距離まで舷側を寄せて、敵艦に訊いてみる。
「お~~い、そこのブリッグ!降伏するかぁ~?」
こっちの声を聞きつけて、虐殺するつもりは無いと分かったようだ。
海尉みたいな制服を着たのが、白いハンカチを振っている。
本艦の水兵隊の狙撃を免れたヤツがいたらしい。
さっきの一発で相手の制服はボロボロになっちゃてるので、はっきりとは判らないけどな。
「よし。水兵隊は敵艦に乗り込んで曳航の手配だ。海兵隊は一班を移乗させて敵の乗組員たちを警戒してくれ」
*
シボネイ島の軍港であり貿易港でもあるポンテ・オピドムに、拿捕艦のブリッグを曳いて滑り込むゴールデン・ビクセン。
「お~~い、デッキ!大型の軍艦はいませぇ~~ん!」
トップから見張りの声が降って来るので、了解の印に手を上げておく。
この海域に配属されている艦隊は、出払っているようなので胸をなでおろす。
艦隊司令官など論外としても正規艦長とのお付き合いなんか、水兵で飯を食ってきた俺の柄ではない。
かと言って、
宮廷とかでの社交術のほうは上手なのかも知れないけれど、航海の話になれば七本の尻尾を出すのは請け合いだ。
だが、艦隊が居ないということは。
黄金船団の匂いを嗅ぎつけて出掛けたという可能性もあるので、情報収集をリストのトップに入れておく。
信号塔の指示に従って、
できるだけ、普通の軍艦に見えるように操艦することに注意する。
甲板の水兵たちも、いかにも操帆をしていますという態度で索具を動かす振りをしている。
「ミスター・ザール。ミスター・メイソンに伝達、総督に対して礼砲発射!」
掌砲長のメイソンに伝えるように航海士のザールに命令すると、用意していたと見えて5秒間隔で十七発の空砲が鳴り響く。
きっと。
砲列甲板ではメイソンが後ろ手で歩きながら。
「俺が掌砲長でなかったら、こんなところにはいなかったんべ。撃てぇ!」
と繰り返しながらやっていることだろう。
すぐに、アングル海軍の巡視艇が近づいてきて。
形式通りに一連の確認作業が始まった。
伝染病の患者はいないと保証してやると、アングル海軍の海尉と書記官らしいのが乗艦許可を求めている。
「芸術品みたいな
艦尾甲板で
まぁ、こんな時のために下級艦長みたいな制服を着ておいたのだ。
まさか、つい先日までアングル海軍で航海長の見習いをやっていた上級水兵とは思わないだろう。
パールサは勇猛果敢な陸軍国家として、遠くアングルにまで名前は轟いているけれども現存するかは神のみぞ知る。
パールサの本国どころか、その軍艦や軍人を目にした人間なんて此の辺りにはいないはずだ。
それはさておき。
外国人には気付かれていないと思っているのかもしれないが、俺は何と言っても同じ
海尉の顔色を読むのは水兵の特技。
だいたいのところは、想像がつく。
そんなことを考えたりしたら、後でオーナーのビッキーに何をされるか分かったものではないからな。
「まぁ、一撃でブリッグの半分くらいは吹き飛ばす力はあるからな」
余計な事を言うじゃないぞと、本艦の横に浮いている材木の山を睨んで見せる。
せっかくの獲物に沈没されては面倒なので、持ち込むまでに海上で甲板と舷側の外板だけは張り直しておいた。
ブリッグ艦に乗っていたモナルキ海軍の生き残りたち!は。
ズタボロだった海尉だけを
鎮守府だって、黄金船団の情報を得るために尋問くらいは行うだろうし。
捕虜のほうだって、本艦から凄まじい砲撃を喰らった話くらいはゲロするだろう。
結果として、すぐに本艦の戦闘力を島全体が知ることになるに違いない。
戦闘力の無い軍艦なんぞは敬意を払って貰えない業界にあっては、そういう噂は意外なピーアール効果を持っているものだ。
蛇足になるが。
此の時代。
捕虜になった軍人たちは、虐待を受けるということは無い。
艦長や海尉クラスは捕虜宣誓をして、敵対行為や脱走などをしないことを申し述べれば仮釈放で相応の生活が保証されている。
水兵のほうは牢屋暮らしが通例だけど、土間生活でも寝床と飯は与えられる。
下っ端の水兵たちは道路の補修作業くらいはさせられるけど、運動不足になるよりは良いだろう。
捕虜交換で故郷を見ることが出来る日が、来るのかどうかは運次第だが。
戦争が終わるまで抑留されても、生きていれば故郷を見ることができるだろう。
そうそう。
ズタボロ海尉は
その後は、ビッキーとナナオがお茶をしながら丁重に黄金船団についてのお話を聞いているらしい。
まぁ、外見だけは美女揃い。
実際の処、彼女たちの威圧に直面した海尉がどういう状態になっているのかについては・・・。
そっちは、
「ところで。あのブリッグを修理するために
パールサの旗を掲げたゴールデン・ビクセンの獲物なので、アングル海軍の取り分など無いけれど仕事くらいは回してやろう。
必要な資材で足りないモノは、本艦から供給してもいいと付け足してみる。
俺の言葉に。
儲け仕事が舞い込んで来たわいと、アングル海軍の中年海尉が飛びついてきた。
「アイ・アイ。期限はどれくらいをお望みですか?」
本国から離れた軍港では、新造艦の追加は滅多に無い。
敵艦を拿捕でも出来れば上等で、だいたいは手持ちの艦を修理しながら使い回すしかないのが慣例だ。
土地の商船たちも同様だけど、いずれも予算次第で修理は延び延び。
わけても海軍工廠の廠長は、次の補給が入るかどうか予測できない資材の出庫は理由を付けて出し渋る。
艦でも船でも、待機リストだけが増えてゆく。
鎮守府が管轄する工廠の技術者たちも、土地の職人たちも遊んでいるような日々の連続なのだ。
そこへ外から仕事が入る、つまり外から金貨がやってくるのは逃すべからざる好機となるのだ。
なにしろ。
アングル海軍の現役水兵と言える俺は、そうした裏の話を知っている。
ブリッグ艦の修理程度は、
まさか、総督府や鎮守府のある港で金貨を落としてやらないなんて真似はしてはいけない。
何かの時に、実際に島を仕切っている現場の人間達に手助けや裏技を提供してもらう可能性がある以上は鼻薬は必要だ。
多少の出費は、いずれ別の形で回収できる。
特に、今回は鎮守府が差配する海域の目の前でモナルキの黄金船団を
そのあたりは、ビッキーにもナナオにも含めておいた。
彼女たちも気合を入れて、捕虜にしたモナルキ海軍のズタボロ海尉へのおもてなしをしていたらしく。
「黄金船団は二週間後くらいに、ウルアから出発するってさ」
俺にだけ聞こえる声で、ビッキーから情報が入る。
「一週間で、いかがでしょう?」
海尉の手に、ソブリン金貨を一枚置いてやる。
「御覧の通り、戦闘後のゴタゴタでワインを出させていただくこともできませんし。ご当地にゆっくりと腰を据えているわけにも参りませんので。」
外国艦の艦長が、海尉相手に挨拶の酒代として金貨を一枚出す程度なら買収ではないし無礼と取られることも無い。
俺は
こういう海外の軍港で勤務する海尉には、二種類の人間がいる。
ひとつは。
長官や艦長たちの覚えが目出度い、貴族の息子たちや豪商あたりの息子たち。
彼らは士官候補生からスタートすると二~三年の勤務実績を経て海尉の辞令を貰って、小型艦の指揮官から艦長へと昇進してゆく。
ふたつは。
上層部とのコネを持たずに昇進の機会を貰えない庶民の出身者。
彼らは勤務地の実務を担っていて、現地の実力者である商人たちと結びついて鎮守府や工廠を切り盛りしている。
運が良ければ、そうした実力者の娘と結婚して島に居着くこともある。
「一週間で仕上げていただければ、見積書のとおりに支払いますよ」
中年海尉にも、知り合いの取次業者の誰かにも取り分はあるぞと仄めかす。
ついでに、本艦の乗員の上陸許可も出して貰えるように手数料を払っておく。
「アイ・アイ、すぐにやらせますとも」
海尉は上機嫌を隠そうともせずに、巡視艇へと飛び降りて行った。
たぶん、外国船の水兵たちが百人くらい。
上陸休暇で金を落としてくれると知り合いの商人たちへ触れ回ることだろう。
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