第3話 ノアは海賊船に誘拐された

★創世歴20,200年★

★聖紀1,860年★


 ガレオン船ゴールデン・ビクセンは、バシャバシャと温かな海水を掻き分けながら。

 西へ向かって、北赤道海流に流されていた。

 艦尾方向の、遥か東には。

 フーリカ西岸の高い峰に溶け残った雪らしき白い色が、かろうじて視認できる。

 アングル海軍の軍艦乗りとしての、ノアの経験から言えば。

 まぁ、現在は正体不明のガレオン船に乗る航海長としての立場だけれど。

 西に広がる大海の向こうにある、最近になって先住民を押し退けながら開拓が進んだ巨大大陸のノヴァ・モナルキの鉱山で採掘した金銀のインゴットを積んで、本国たる旧大陸の半島へと帰航するモナルキ海軍の宝船えものを狙う冒険の第一歩として胸躍る瞬間であるはず。

 なのだが。


 これって。

 このふねは、航海してるんじゃなくて。

 「・・・溺れかかって犬掻きしてるんじゃね?」

 操舵甲板に立って。

 太陽の位置。

 風向き。

 空模様。

 張られた帆の数。

 羅針盤の度数。

 などなどへ。

 船乗りとしての習慣から無意識に目をやりながら。

 思わず口にした俺であったが。

 「わらわは、泳ぎが得意ではないと申したであろう!!」

 隣に立って望遠鏡を小脇に挟んで、スカートの裾を風になぶられている美少女艦長姿の女狐メギツネさんが吠えたてる。

 どういう仕組みか知らないが。

 このガレオン船は、オートパイロットだって装備しているくせに。

 あたかも鎧を着た人物の才能次第で、鎧の性能が適合あるいは限定されているような状態に似て?

 操艦指揮を執る人物の、その航海術の腕次第で運航状態が左右されている。

 ・・・らしいのだ。

 いちいち、操舵手や甲板員たちへ号令など掛ける必要は無くて。

 アタマの中で、操艦手順を考えれば。

 ゴールデン・ビクセンが思考を読んで操艦動作をしてくれるのだというし、あるいはまた、乗組員たちに指示をして昔ながらの手動操艦も出来るらしい。

 だから。

 「俺が本艦の操艦に慣れるまで、艦長のお手本を見せていただけませんか?」

 と、丁重にお願いした結果がコレだ。

 女狐艦長さんの言うことには。

 キツネは川を渡るときに、仕方なく泳ぐ程度であって。

 海を泳いで渡るなんていう芸当しごとは。

 狐の本分では無い。

 ・・・らしい。

 らしい、と言うのは。

 ノアは今世では物心ついた時から、軍艦ふねの上で生活してきて。

 おかでの生活なんか。

 幼少期に育てられた、孤児院という限られた環境での日々と。

 成人後は、たまの休暇上陸であちらこちらの港街をぶらついたくらいしか経験が無いからだ。


 その休暇上陸だって、行ける場所は乗り組んでいる軍艦乗艦の停泊地から目視の範囲という不文律がある。

 海軍の法規で明記されている訳ではないのだけれど、それには相応の理由があるのだと軍艦乗りには納得されている。

 非常呼集がかかって、乗艦が出撃する時に戻ってこない水兵は脱走兵トンズラ扱いが海軍の掟だから、停泊地から遠くへ行くのは身の破滅の元となる。

 水兵だけじゃなくて海尉や准海尉だって同様だけど。

 まぁ、そんなところで平等に扱ってもらっても、トラブった当人にとっては慰めになんかならないだろう。


 もしも。

 その停泊地が、遠い外国の港であったりすれば。

 運が良くても。

 ポケットマネー程度の持ち合わせしかない状況で。

 というのは。

 水兵でも海尉でも、大半の財産は乗艦の居住区に置いてある衣嚢いのうや個人用シーチェストに入れてあるのが一般的で、全財産を持ち歩くなんてことはしないからだが。

 たとえ運が良くたって、どっかの港に置き去りにされたからには。

 手持ちの現金が少なくなれば、生活のために現地で職を探さなくてはならないし。

 運が悪けりゃ、アングル王国の領事館など無い、土地の官憲に捕まっての牢屋ブタ箱暮らしとなる。

 別の軍艦(自国のだが)か商船に便乗出来て、仮に本国へ戻れても。

 軍法会議で言い訳が立たなければ、営倉ムショ送り。

 その不在期間中に、乗艦が敵艦に遭遇したりして戦闘にでもなっていたりすれば、戦闘時の敵前逃亡と言う重罪死刑がのしかかる。


 だから。

 俺は、狐にご挨拶できるほど陸の奥へは行ったことがないので。

 狐の生活実態なんて見たことは無いし、知ろうとも思わなかった。

 それはそれとして。

 俺が知ってる範囲では。

 狐が海で、少なくとも海辺ではなくて大海の真ん中で暮らしているとは聞いた記憶は無い。

 そんなこんなで。

 自艦の名前を「ゴールデン・ビクセンおうごんのメギツネ」と自称して、フィギュアヘッドとして無駄に突き出した乳房と七本の尻尾を持つピカピカの女狐像を飾っている私掠船(自称で軍艦・実態は海賊船)の美少女艦長の言うことが。

 正しいのかもしれない、と。

 一瞬ではあるが、思った俺ではあるのだが。

 ブルブルブルと、頭を振って心の迷いを打ち消すことにする。

 いや。

 コイツの言うことは。

 例え黒白二つの太陽が東から昇るのが、此の世界のの日常であろうとも。

 コイツが。

 太陽は東から昇ると断言する時は。

 己の目で見ない限り、間違っても信じてはいけないのだ。


          *****

 

 一週間ほど、前のこと。

 軍艦乗り仲間せんゆうのジェームズと別れた俺は、鎮守府があるポトチェスタへと向かうことにして、街道を西へと歩いていたんだが。

 その途中に、おかを歩いていた旅路の半ばで空飛ぶガレオン船ゴールデン・ビクセンに拉致されるという稀有な経験をしたのだった。

 ゴールデン・ビクセンの艦内に引き込まれた時に通ってきた舷門を背にして。

 何とはなしに、軍艦乗りとしての違和感を覚えながら。

 舷門当直の海尉と水兵は、どこにいるのかと目の前の通路を見回していた。

 たかが航海長程度の准海尉に対して、お出迎えがあるとは期待してないが。

 誰かが乗艦してくるとなれば、確認くらいはするのが軍艦の常。

 海軍よりも規律が緩い商船だって、誰かが勝手に乗船してくるなんてことは、許さないだろう。

 停泊中ではなくて飛行中!の艦で舷門は閉じているから、舷門当直を置いていないってのは。

 屋敷の門に鍵を掛けてあるから、番犬は要らないと言うようなもの?か。

 わからないけど。

 それとも、言葉を喋れるガレオン船そのものが自我を持っているとなれば。

 自分の体内?に入ってきたものは認識出来るということ?か。

 それでも、万が一ということはある。

 航海中の艦にだって、あるいは飛行中の艦にだって。

 その気になれば斬り込みをやってやろうと、企むばかのひとりやふたりは。

 「ま、いそうにはないか」

 とつぶやいた時。

 「ようこそ、ゴールデン・ビクセンへ。航海長」

 と声が聞こえた。


 一呼吸する前までは誰もいなかった艦の通路には。

 アングルの海兵隊と同じデザインの制服を着た立耳族ようせいの少年兵が、着剣したライフル銃を立てて敬礼している。

 年齢は、俺とタメくらいにも見えるので。

 少年ではなくて青年なのかもしれないが。

 軍艦乗りの兵士にしては、純真そうな雰囲気があって若く見える。

 それでも。

 制服の袖にオリーブの葉で囲まれた狐の顔をデザインした階級章を縫い付けてあるから、アングル海軍と同じ制度だと考えるなら、この立耳海兵は中隊先任軍曹の階級を持つベテラン准士官ということになる。

 航海長が准海尉と呼ばれる、海尉の下のクラスであるならば。

 海兵隊の先任軍曹は、少佐や少尉といった士官クラスの下の准士官で、航海長とは同等のクラスだ。

 大雑把ざっぱに言えば、乗艦勤務中の航海長として比べるなら、海兵隊の先任軍曹や連隊曹長あたりまでが俺にとってのタメになる。

 もっとも、まともな軍艦乗りならば。

 艦の運営については艦長と同等の共同責任を海軍省から任されている航海長に対して、言い方を変えれば、操艦上の間違いを犯したら艦長と同程度の処罰を受ける航海長に対しては。

 航海長よりも階級では上席の海尉であろうとも、多少の遠慮をしなければならないくらいは、常識以前のこととして知っている。

 そして、艦の指揮についての権限を持たない海兵隊は。

 たとえ軍艦に分遣された部隊の指揮官が少佐か大尉という中堅クラスの士官であろうとも、航海長に対する命令権は無い。

 それは、このガレオン船が軍隊形式で運営されているなら同様であるはずだ。

 だから。

 立耳海兵の先任軍曹が俺に対して丁寧な態度を取るのは不思議ではないし、その先任軍曹の態度を見るに。

 たとえ、砲列を突き付けられおどされさらわれた可哀そうな身の上であるとしても。

 俺は航海長と呼んでもらえるらしい。

 このガレオン船は正体不明の怪しいふねで、正規海軍の軍艦ではないかもしれないが、それなりの秩序は保たれているということか。

 秩序が保たれているのはいいけれど。

 この艦は、帆装の軍艦につきものの騒音が一切しない。

 だけでなく。

 ガレオン船程度の軍艦の舷門は、ガンデッキにあるのが通例で。

 通路はともかく、両舷には大砲が並んでいなければならないのだが。

 大砲どころか砲員たちも見当たらない。

 いや、そもそもが。

 俺の目には通路しか見えないのだ。

 デ~~ンと伸びている通路の左右には。

 つまり、両舷側にはということだが。

 時代物の艦には相応しくない金属素材らしい隔壁かべが張られて、一定の間隔で金属素材で出来ているらしいハッチが並んでいるだけだ。

 俺を脅かした片舷六門、両舷で十二門の大砲は・・・どこにある?

 アタマの隅どころか半分くらいを使って考えるけれど、それは一瞬のこと。

 軍艦乗りをしてきて身に付いた習性で先任軍曹の敬礼に対して自動的に答礼しながら、先任軍曹は俺と同クラスの軍艦乗りだから、今後の付き合いを考えて失礼にならないように表情を消して相手を見つめる。

 俺は動物の種類について詳しくは無いので、想像だけど。

 先が尖った耳の形からすると、この立耳海兵は犬か狐か狼あたりだろうな。

 俺たちが住むアングルを含めて。

 この世界に立耳族ようせいがいるというのは、御伽噺でしか聞いたことはないけれど。


 いやいや。

 空飛ぶガレオン船というのが存在することを認める以上は、乗員がナニモノであっても驚きはしないが。

 俺が相手を見つめた理由は別にある。

 アングルの海兵隊と同じ赤上衣の制服を着た獣耳海兵が持っているライフル銃は、にはあり得ない武器。

 なんで。

 この時代遅れポンコツの艦にL85えるはちごなんて聖紀二千年代の連合王国海兵隊御用達!の最新式ライフル銃があるんだよ?

 このライフル銃には特徴があって、銃身というか銃本体が短い、サブマシンガンと見紛うようなサイズなのだ。

 だから、艦上や艦内で振り回す用途には使い勝手はいいだろう。

 5・56ミリの軽量弾ながらフル装填で30発を連射できるので、斬り込みなどにおいての戦闘力は抜群。

 軽量弾なので敵兵以外のどっかに当たっても、敵艦を拿捕したはいいが航海に必要な機器が銃弾でズタボロになってるなんてことも少ないだろう。

 何故かと言えば。

 拿捕したけれど回航できませんでしたと言うのは海軍省から艦長への評価を下げるし、上は艦長から下は少年水兵に至るまでプライズマネー拿捕賞金だって手に入らないことになるからだ。

 もしも。

 斬り込みの戦闘で戦死者でも出れば、こちらの丸損と言える計算となる。

 ただ、L85えるはちごの問題は銃の長さが約50センチと短いので専用の銃剣を着剣しても相手が長剣やサーベルだと分が悪い。

 その銃剣たるや、陸軍のコンバットナイフ程度の長さしかないのだからなぁ。

 軍艦では白兵戦となるのが大半の斬り込み戦闘で、弾が切れたときに役に立つのかと疑問は湧くが。

 この時代のアングル海軍や海賊船の標準的な武器である、単発の丸弾を発射するフリントロック式ピストルやカトラス相手なら初動の制圧力は十分過ぎるだろう。

 この時代の軍艦ではマスケット銃が主要装備なので、狙撃時の有効射程は50メートルがせいぜいだ。

 L85なら百メートルくらいは狙って撃てるから、斬り込み前の制圧射撃に使う飛び道具としても上等な部類だ。

 軍艦の航海長は斬り込み攻撃には加わらないけれど、俺が斬り込み隊の指揮を執るなら予備弾倉は3本くらいは持たせることになる。

 兵站線が延びて四苦八苦する陸軍の歩兵ではないから、予備弾倉は艦の武器庫に積んであるはずで補給の心配は無い。

 フルオート射撃禁止で3点バーストならば、簡単には弾切れなんかしないだろう。

 本音としては、2点バーストで仕留めてもらいところだが。

 軽量弾の欠点は、白兵戦で突っ込んでくる敵兵の運動エネルギーを一発で停止に出来ないことだ。

 斬り込みの初戦で敵兵の心臓を狙い撃ちするとか、頭蓋骨を吹き飛ばすなんてことは簡単ではない。

 最後はどちらの体力と格闘技が上回るのか?という太古からの問題になる。


 って。

 そんなことを、どうしてノアが知ってるんだと思うけど。

 このガレオン船に乗ってから、な前世の記憶が鮮明に蘇ってきているんだよなぁ。

 いろいろな前世と言うことは、俺は何回か死んで生まれ変わっているということなのか?

 疑問はいっぱいあるけれど。

 今は、目の前の問題を解決しなければならないだろう。

 我に返って、立耳海兵の先任軍曹に告げる。

 「当直海尉に、着任の申告をお願いしたい」

 と言う俺に対して、彼は丁重な態度で首を横に振る。

 「当直海尉は、おりません。航海長」

 と言われて、俺は唸り声を出す。

 犬とも狐とも狼とも判別が出来無い相手の耳に俺の唸り声が聞こえたらしく、立耳海兵の先任軍曹は伸ばしていた背筋をさらに伸ばすが。

 初対面の相手を前にして表情を変えないのは、大したものだ。

 「それなら、副長にお願いしたい」

 重ねた俺の要求に。

 「副長もおりません、航海長」

 重ねて返事が返ってきたよ!

 おいおい、この艦は大丈夫なんだろうなと。

 声には出さずに考える。

 美少女艦長は、いるらしいけど。

 副長がいない軍艦なんて。

 いや、それが私掠船だろうが海賊船だろうが。

 艦の運用を実質的に仕切る役目の、ナンバー・ツーがいないなんてことがあるのだろうか?

 何かの事情で副長のポストが空席だとすれば、次席の先任海尉が出てくるのが軍艦の常。

 航海長がドロンしただけでなく、すべての海尉が欠員なのか?

 いきなり大砲を突き付けて、俺を強制徴募しようとした無茶苦茶なガレオン船ふねのやることだ。

 足りないのは、航海長だけじゃないのかもしれない。

 いろんな隠し事をしやがってとは思うが。

 それは艦の指揮系統の問題であって、艦内の警備と対外戦闘が任務とされる海兵隊の先任軍曹に言うことではない。

 「それなら、艦長にお願いしたい」

 と重ねて言うと。

 「アイ・アイ、航海長。艦長から、そのように申し付かっております」

 立耳海兵の先任軍曹は、ほっとしたらしい声を出す。

 それならそうと、最初に言ってくれと思うけど。

 ガレオン船に乗務している海兵隊は、普通は小隊規模あたり。

 中隊先任軍曹が乗艦しているならば、中隊規模の海兵隊がいることになるのだが。

 せいぜいが三百トンから四百トンしかない外見のガレオン船に水兵ではない海兵隊の兵士を百人中隊規模も乗せているとは、二等水兵扱いの少年水兵からスタートして、軍艦乗りで飯を食ってきた俺としては想像できない。

 あるいは。

 この先任軍曹が中尉か少尉あたりの代わりに、三十人程度の海兵小隊の小隊長でもやってるのだろうか。

 副長以下の海尉が乗艦しておらず、海兵隊のほうも士官がいないとなれば。

 隊長格の先任軍曹が出迎えてくれて案内役までやってくれるのは、厚遇の部類だと言えるだろう。

 アレコレと考えている俺に、立耳海兵の先任軍曹が丁寧に手を伸ばして方向を示してくれる。

 「こちらへどうぞ、航海長」

 先導してくれる立耳海兵の先任軍曹について行きながら。

 目の前で揺れている尻尾を見て、またもやコイツは犬か狐か狼かと考えながら、二つ上のデッキにある艦長室の前までやってきた。

 艦長室の扉の前には。

 先任軍曹とは違った雰囲気を持った海兵隊の立耳二等兵が警衛に立っていて、俺たちを見て気を付けをする。

 「異常ありません。先任軍曹!」

 「ご苦労、バフラム二等兵。艦長命令で、航海長をご案内してきた」

 型通りのやり取りを聞きながら、俺の疑問が増えてゆく。

 う~~ん。

 先任軍曹が犬か狐か狼なのか、俺には判別できないのと同じで。

 この立耳二等兵の耳も、なんの種族か判らない。

 いまのところ、それは重要問題では無いのでスルーしておくとして。

 艦長室の扉のほうへと注意を向けることにする。

 さすがは年代物の軍艦らしく。

 艦長室の扉は。

 下のデッキの通路に並ぶハッチとは異なり、重厚な感じのマホガニー材らしい本体に金張りの縁飾りが付いている。

 金メッキの金具じゃなくて、金ムクの薄板を切り抜いたと思われる輝きがある飾りという豪華さだ。

 斬り込み隊の水兵が見たら、最優先で引っ剥がすに違いない。

 そんな不埒なことを顔に出している俺のことはスルーすると決めたとみえて。

 「航海長マスターです、艦長サー!」

 扉をノックしながら立耳二等兵が大声を上げる。

 先任軍曹は、どうぞと手を伸ばすだけで艦長室へ入るつもりはないらしい。

 それが軍艦での決まり事なので、軍帽を脱いで脇に挟む。

 軍艦乗りの自動反射で、深くは考えずに扉を開けて艦長室へと踏み込んで。


 敬礼をしようとして折りかけた腰を。

 いや。

 初見の艦長に敬意を表して、腰は45度ほど曲げたけど。

 続いて出るはずの着任申告を忘れて、目の前の相手を見つめる。

 間違いなく。

 艦長室に美少女らしきものは、いた。

 いたのだが。

 俺も、休暇上陸中に世界のあちこちで美少女たちは見てきたし。

 チャンスがあれば一緒に風呂に入ったりもしたので、普通の美少女に尻尾が生えてないことくらいは知っている。

 いや、普通じゃない美少女ってのには会ったことはないけどね。

 その経験からして。

 目の前の、艦長服を着て美少女らしき姿をしたナニモノかも決して見栄えは悪くないけれど。

 どうして。

 見た目は小耳族ヒトなのに、狐の尻尾と思われるモノが七本も生えてなくちゃいけないのか。

 相手が艦長であろうとも、じっくり教えてもらいたいところだ。

 大耳族エルフのように頭の両脇に耳が突き出していることもないし。

 立耳族ようせいのように頭の上に耳が突き出していることもない。

 顔は小耳族のまんまなので、違和感は無いと言えば無いけれど。

 それでも、尻尾が生えている小耳族ヒトという生き物がいるとは俺の記憶には無い。

 いやいや。

 そんな記憶が何処から湧いてきたのか、此処で自分自身に問い掛けるのは脇へと置いとこう。

 俺は。

 人種差別主義者ではないし。

 アングル海軍では出会ったことも無いけれど、艦長が女性であっても仕事とあれば命令には従う。

 そもそもが。

 海には素人の美少女艦長の下で航海長を勤めるってのが、ゴールデン・ビクセン誘拐犯との承諾事項だしな。


 けれど、それはそれ。

 いくら、ここのところ、俺のアタマが計算違いの連続技を繰り出しているという自覚があろうと。

 どこか別の世界の、アニメとやらで見た記憶にありそうな。

 胸元が大きく開いた肩章付きの上衣に、下はスレスレのスカートという。

 いや、何がスレスレかは口にできないが。

 本国アングルでは見たことが無い、コスプレ美少女艦長が。

 七本の尻尾を揺らして。

 「ウエルカム・アボード本艦へようこそ!。航海長マスター

と微笑みながら手を差し出してきた。

 うん。

 これは、やり方を間違えるとマスターご主人様の地位は取り損なってマスター航海長として勤務することになりそうだけど。

 そんなことはおくびにも出さず。

 「ノアと申します、艦長」

 宜しくお引き回しのほどをと続けて申告する俺に向かって。

 「うん。わらわが艦長じゃ」

 可愛い声と、砕けてはいるが時代がかった口調で言いながら。

 コイツはなんの種族だろう?という俺の疑問を読み取ったらしく。

 「お主は。どうして妾のような美少女が艦長として、この艦に乗っているのかと思っているようじゃの?」

 美少女艦長が宣った。

 たしかに。

 自分で言うだけあって、美少女だけど。

 そういうのを、自分で言うか?

 いや、それよりも。

 尻尾が生えてるぜとは、口には出さない。

 よもや、俺に尻尾を見られているとは気付かずに。

 尻尾は消してあると思っているのか?

 コイツ美少女艦長此処艦長室にいるのは不思議だけれど。

 それは艦とコイツの問題であって、雇われ航海長の俺にとっては当面の問題では無いだろう。

 だが。

 コイツにとっては、問題であったらしく。

 そう言いながら、突き出た胸を自分の指でツンツンして見せる。

 俺がやったらセクハラだろうけど。

 コイツが自分でやってるのを見てる分には、俺にクレームは回って来ないよな?

 「此処ゴールデン・ビクセンは、妾の一族にとっての家なのじゃ」

 お前に理解できるかと、コスプレ美少女の目が問いかけてくる。

 海の仕事とは結び付かないような話を目の前に置かれた俺は。

 一族ってのは何の事だと考える。

 前後の事情を説明してくれないと、俺に状況は飲み込めないが。

 艦長本人が言うのなら、一応は飲み込んでおくのが軍艦乗りの習性だ。

 「イエス、サー」

 とだけ返事をしておけば、あとは相手が勝手に納得してくれるのが海軍流。

 相手の言い分を聞いていますよという程度のもので、俺が納得しているとか理解しているとかは関係無い。

 艦の運用に関わる命令ではないので、受領確認の「アイ・アイ、サー」と言う必要が無いのが気楽なところだ。

 宮廷辺りでどうなのかは知らないが。

 軍艦では、上官が女性であろうと「イエス、マム」とは言わないのが習慣。

 いちいち使い分けてなんかいたら、戦闘中には混乱の原因となる。


 ともかく。

 目の前の美少女が、尻尾は付いてるにしても生身の生き物だと言うことは。

 ゴールデン・ビクセン艦の本体とは別人格であるらしい。

 俺を誘拐したヤツとは、言葉遣いも違うしな。

 そうであれば。

 艦のどこかに、ゴールデン・ビクセンの人格?を形成しているメインのバイオコンピュータがあるのか。

 でなければ、他のナニモノかの本体が鎮座していることになるのだろう。

 そんな想像は与太話に等しいのだが、否定する情報は持ち合わせていない。

 さっきは、このゴールデン・ビクセンを名乗る艦が口を利いて俺と交渉し。

 あげくに大砲を突き付けた上に、誘拐までしてきたのだ。

 けれど、相手の言い分をまっすぐに信じていいかは別問題。

 あるいは、コイツの自白!は釣り餌で。

 ゴールデン・ビクセンという人格?と役割分担をしているということだって考えられる。

 迂闊な返事は命取り。

 ましてや。

 どうして、現在の俺が。

 時代のレベルを超えたテクノロジーのアレコレについて、疑問を持たずに吞み込めるのかも。

 さっぱり理解が出来ていないのだが。

 正体不明のコイツ美少女艦長に、俺が説明してやる義理は無い。

 コイツの七本の尻尾は見たけれど、俺の尻尾正体なんか見せてやるもんか。


 それはそれとして。

 人間の意識なんてシロモノは。

 シナプスとニューロンがデタラメに流している電気信号から派生した幻影に過ぎないという説もある。

 掴みどころの無い「タマシイ」などという概念よりも、ただの電気信号なのだと仮定するならば。

 電気あるいは電子という微小物体を内部で暴走させている脳というイカレポンチのバイオコンピュータに対して、外部の誰かがハッキング魔法をかけて幻影を見せることだって出来るという理屈だ。

 色即是空・空即是色、然らば「空」にはなにが潜むか?

 そんなアブナイ質問を、ここで問おうとは思わない。

 「なんなりと、ご命令を。艦長サー

 この艦の実態を把握できるまでは、そういう態度でいることにするか。

 そこまで考えて。

 

 おい。

 もしかしてだけど。

 言葉の曖昧さを利用して一杯食わせたつもりの、ベテラン軍艦乗りとして海千山千の俺様ノアが。

 目の前の。

 正体不明の美少女モドキに、あるいは常識外れのガレオン船そのものに一杯食わされたって図式は無いよな?

 俺は海千かもしれないが、記憶している限りでは山の方は経験が無いからな。

 そんな思いが俺のアタマを過ぎったのを読み取ったらしく。

 「ふん。わらわを出し抜こうなんて千年早いのじゃ!」

 見せ掛けの年齢の割には、無駄に膨らませた胸を張って。

 コイツ美少女艦長は俺に、どこかで聞いた記憶がある台詞セリフを言い放つ。

 うっわ、ムカつくと思ったが。

 コイツがゴールデン・ビクセンと一体のナニモノかであるのなら。

 俺の心を読めるんだったと、ここは表情を引き締めておく。

 神話。

 御伽噺。

 怪談。

 なんでも、いいけど。

 いや、良くはないかもしれないのだが。

 俺だって、現在の姿はともかくも。

 蘇りつつある記憶によれば。

 幾度も転生を繰り返して、2万年以上は生きてきた大耳族エルフの一員だ。

 転生に至る死亡原因?の発端がなんだったのか、まだ思い出せないし。

 幾度かの転生の時に何かがあったらしく記憶が飛んでいるので、正確なところは曖昧なままなのだけど。

 現在の姿は耳が丸くて小耳族ヒトにしか見えないために、小耳族が優勢の世界で普通に生きて来られたらしい。

 それはそれとして。

 創世の神々の直系の子孫である大耳族エルフよりも長命な種族がいるとは思えない。

 こっちは、此の世界と一緒に生まれた大先輩ベテランなのだ。

 大耳族は、不意打ちとか事故とかの不慮の事態でなければ死なないし。

 死亡時に死ぬことを意識していれば、蘇生あるいは転生ができる。

 たいていは、前世の記憶や能力を保ったままでいられるし。

 意識していれば身体もそのままということも不可能ではない。

 が。

 俺のように何かの事情が絡んでいると、そこらあたりが霞んでしまうこともあるということか。

 どっちにしても。

 コイツには立耳が無いから正確には判断できないが。

 七本の尻尾を持っていて千年以上も長命な種族なんて、数えるほどしか俺は知らない。

 たぶん、パールサあたりの妖狐族あやかしの上位クラスに相当する何かだろうと当たりをつける。

 あいつらが住んでいた地域の古代魔法で使われる呪文は、俺が知っているブハーラタの古語と似ていると聞いたことがあるので通じないことは無いだろう。

 そこで、物は試しと口にする。

 「ナマク・サルヴァ・タタガターナーム・ナマク・アーリャーヴァロキテシュヴァラーヤ・ボディサットヴァーヤ・マハーサットヴァーヤ・マハーカールニカーヤ・オム・アモグハ・マハープラジュニャーヴァブハーサ・サマンタ・スプハラナ・ブッドヒャ・プラサラ・プラサラ・サマンタ・ブッドヒャ・アヴァロキャ・ブハガヴァム・プラジュニャーヴァロキタ・チャスサ・マハープラジュニャー・ヴァラダパ二・マハープラジュニャー・パドマドハーラニブフジェ・プハト・スヴァーハー」

 まぁ、これから仲良くしていただく相手なので戦闘的な呪文マントラではない程度のヤツで。

 俺はお前の正体を知っているんだと思ってもらえれば十分だ。

 物事はたと思った通りじゃないから、本質を知る智慧を持たせてくださいという祈りと咒の中間あたり。

 相手を使役する呪文ではないから、自分自身を鼓舞する祈りというのが妥当なところだろう。

 俺たち大耳族の祖先たる創世の神々とは異なるが。

 この世界・・・・の、あちこちの古代部族が信仰する大いなる者たちへの祈りの言葉だ。

 転じて、俺はお前の本質を見ることができるんだぞと。

 そんなつもりで、気軽にやってみたのだが。


 「お、お前みたいな駆け出しの人間わかぞうが!」

 美少女艦長は、俺を指さして身体を震わせ始めた。

 「な、なんでそんな呪文マントラを知っておるのじゃ?」

 顔を真っ青にして、広げていた七本の尻尾は垂れ下がり。

 小刻みに震える太腿に液体が流れ落ちて、甲板に染みが広がっている。

 海千山千の妖狐族にしちゃぁ、随分と正直な身体を持ってるな?

 芝居で怯えて見せているだけかもしれないが、思わぬ事態に直面して本音を出したのかどうかは判らない。

 まぁ、チビルという姿を初対面の相手に曝すからには本音なのかもしれないな。

 ならば。

 ゴールデン・ビクセンというガレオン船が本体なのか、それともコイツが本体なのか。

 ほかにも何かが隠れているのかどうか。

 契約した航海長としての仕事以外に、思考の暇潰しが出来るというものだ。

 それに、俺を人間と呼んだってことは。

 小耳族の美少女(尻尾付き)に化けているコイツは、自分が小耳族でも大耳族でも立耳族でもないと自白したようなもんだが?

 動転のあまりに、気が付いていないらしい。

 そうだとすれば。

 正体は、俺が推測した通りに上位の妖狐族あやかしで当たりだろう。

 ならばと。

 この艦に乗ってから、いろいろと蘇ってきた能力を使って。

 俺は今世における仮の姿の丸くて小さい耳から、一万年前の記憶にある、本来の長くて大きい耳へと変身をして見せる。

 「あ、もしかして。チビられましたか、サプタななちゃん。それとも、ハフトななちゃんかな?。うん、ナナオちゃんと呼ばせてもらいますね。いえ、とんだ失礼を申し上げました。艦長サー?」

 扉の向こうで立哨している獣耳海兵には聞こえない程度の声で、表情を変えずに美少女艦長に言ってやる。

 艦長相手に言う言葉ではないことは承知しているし。

 場合によっては鞭打ち刑をくらうかもしれないが、ここはマウントを取るために咒を掛けておこう。

 これで。

 コイツは自分の名前が「ナナオ」だと、深いレベルまで自己認識に上書きされたことに気が付かないままで、今後を生きていくことだろう。

 ま、航海長に鞭打ちをくらわせる艦長など考えられないし。

 航海長無しでやっていける軍艦など聞いたことは無いから、ここだけの話にしておけば良いだろう。

 このガレオン船に乗り組んでいるクルーが、美少女艦長について見掛け以外の正体を承知しているかどうかは知らないが。

 俺としては他人の秘密を広めて回る気は無い。

 俺の腹積もりは。

 徐々に戻りつつある、いくつかの前世の記憶を確かめるため。

 このガレオン船を仕切って、やりたいことがあるだけのことだ。

 俺はエクソシストではないし、陰陽師でもなけりゃ道士でもない。

 ゴールデン・ビクセンというガレオン船と自称・美少女艦長の、どちらが本体かは知らないが。

 あるいは。

 何かの理由があって幻術を操っている妖狐族であろうとも、相手と死闘を演じる気なんかサラサラ無い。

 テイムまでは出来なくたって、タメで十分。

 その結果として、お互いの利益になればオーケーだ。

 そんな思惑を、意識の外側に出してやる。

 それくらいは、読めるだろう。

 コイツも、騒ぎにはしたくなかったらしく。

 いや、それ以上にビビったことを隠しもせずに。

 「きょ、今日は疲れたろうから自分の船室キャビンに下がっていいぞえ!仕事の話は、明日にしようぞ」

 そう、口早に言うと隣にある艦長専用の私室キャビンへと駈け込んで行った。

 きっと。

 風呂に入って、後は飲んだくれるに違いない。

 この程度の艦に風呂が付いていればだが。

 俺が見当を付けた通りの「七尾の妖狐ナナオ」だったら、風呂場くらいは空間魔法で付け足すだろうしな。

 あいつらが風呂好きだったら良いのだが。

 さもないと、艦長室の匂い消しが大変だ。

 デッキに流れた染みの始末は。

 うん、航海長の職分ではない知ったこっちゃない

 今日は、こんなところだろうと思ったので相手の背中へ返事をしておく。

 航海長が艦長へ応える敬意を込めて。

 「アイ・アイ、サー!」

 と言ってから、通路への扉に手を伸ばす。

 ついでに、アタマの大耳は引っ込めて小耳のほうに戻しておこう。


 扉の外には、俺を案内してくれた立耳海兵の中隊先任軍曹と二等兵のふたりが真面目な顔で立っている。

 彼らは立耳族だから。

 たとえ美少女艦長が艦長室に防音魔法を施していても、この距離ならば聞こえていても不思議ではない。

 あるいは。

 七尾の妖狐が艦長として指揮を執るガレオン船の乗組員たちならば。

 この立耳海兵たちは彼女の眷属の妖狐族あやかしか、さもなければ配下の使い魔である狐の立耳族ということか。

 無言で見つめる俺の視線にもたじろがず。

 ふたり揃って、自分は何も聞いてませんよという表情が。

 全部、聞いたと無言で語る。

 うん。

 お互いにだが、争いを起こす気が無ければ万々歳だ。

 美少女艦長からの、航海長を始末しろという命令も出てこないしな。

 そこは、軍艦乗り同士の習慣と暗黙の了解で。

 「手数をかけてすまないが、俺の船室キャビンを教えてくれないか?」

 俺は真面目な顔で、先任軍曹に頼んだ。

 「俺が航海長を案内するから、お前は立哨を続けるように。バフラム二等兵」

 先任軍曹が二等兵に指示をしている声を聞きながら。

 俺は今後の行動について考える。

 航海中にドロンしたとかいう前任の航海長のことは、明日にでも美少女艦長に聞けばいいだろうし。

 副長も海尉もいないとなれば。美少女艦長からのお達しが出る前に、ガン・ルーム士官次室のメンバーたる専門職の准海尉たちに挨拶をして情報収集しておいたほうがいいだろう。

 あ?

 本艦の航路について聞いてなかったけど、それも明日にしておくか。

 魔法なんか無い、俺にとって「現在」時間の、此の世界。

 飛龍ドラゴンがいない空を飛んでるのは鳥かUFOくらいだろうし、あっちが避けてくれるほうに賭けてもいい。

 俺の考えが間違ってなければ。

 本艦にはゴールデン・ビクセンを名乗る艦自身の頭脳があるか、自律型のオートパイロットが装備されているはずだ。

 本当に美少女艦長が操船や航海術の素人であっても、問題は無いだろう。

 そんなことを考えつつ、先任軍曹について行きながら。

 俺は、パタパタという足音を聞いて振り返る。

 目に映ったのは、立耳を生やしたパールサ風の女官服が艦長室へ飛び込む後ろ姿と振り切れそうに揺れる尻尾の残像だった。

 ガレオン船の、どん詰まりの船尾にある艦長室から出てきた俺の背後の。

 数歩しか歩いていない通路のどこからアレ女官が湧いて出たのだろうか?

 警衛のバフラム二等兵は、何も見なかったという顔で立っている。

 ちょっと興味はあるけれど。

 つつくと面倒事が増えるから。見なかったことにしておこう。


          *


 「こちらが、航海長の船室です」

 艦長室から、デッキひとつ階段ラダーを降りてすぐ横の。

 通路に並ぶハッチのひとつを、先任軍曹に示されて。

 うん。

 副長と航海長の船室が艦長室の近くに置いてあるのは。

 敵艦と遭遇するなどの緊急事態において、すぐに艦長を補佐する必要があるから当然の事で。

 そのあたりは、本国アルビオの正規海軍と同じだなと納得する。

 まぁ、俺がすぐ下の船室にいるとなれば。

 尻尾を持った美少女艦長様が、安眠できるかどうかは。

 俺が心配してやることではないと、しておくか。

 俺が頼んで乗せてもらったんじゃなくて、無理やり引っ張り込んだのは艦長を自称するアイツでなければ本体のゴールデン・ビクセンだしな。

 俺は案内してくれた先任軍曹に礼を言いながら、名前を聞いた。

 「アニク、で。航海長」

 「それなら、俺のことはノアと呼んでくれよ。先任軍曹」

 と、お互いに勤務時間外の呼び名を交換しておく。

 艦上生活で。

 当直時間ワッチが一緒でなければ、航海長と海兵隊の先任軍曹が顔を合わせる機会は少ないが。

 そして戦闘配置以外は、お互いの職分では当直免除の立場だけれど。

 敵艦と接舷しての乱戦にでもなれば、名前を知っているのとそうでないのとではコミュニケーションの濃度が違ってくる。

 船体の長さが50メートルあるかないかの狭い艦内のことだから、いずれは乗組員すべての顔と名前を覚えることになるけれど。

 と。

 アングル海軍の常識が抜けていなかった俺は、浅はかでございました。


          *


 自分に割り当てられた船室のハッチを開けて。

 ノアは。

 扉のある隔壁側の幅3メートル、扉から舷窓まで奥行4メートルしかない室内の点検を始めた。

 隔壁の片側に作り付けの箪笥とか、ベッドと下のチェストスペースがあるのは見慣れた光景だ。

 アルビオ海軍の軍艦においては。

 砲員を兼ねる水兵や班長クラスの下級兵曹はガンデッキや大部屋にハンモックを吊って寝るけれど、ある程度の大きさの艦ならば、艦長、副長、海尉、航海長、主計長、船医などはベッドコットの付いた個室をもらえる。

 二十四時間、揺れっぱなしの艦内でベッドとハンモックのどちらが安眠できるかは好みの問題だと言っておこう。

 大海の真ん中で嵐に出くわしローリングやピッチングが激しいときは、ベッドから放り投げられることだってあるからだ。

 航海長心得にしてもらうまで上級水兵だった俺の手荷物は、衣嚢ダンネージがひとつしかない。

 准海尉や海尉のようなシー・チェストを持っていないから、私物は必要最小限な物しか持っていない。

 そんな身には、この船室は十分すぎるほどの立派なものだ。

 取り敢えず、替えの軍服や下着などを仕舞っておくかと密閉式の箪笥を開くと。

 そこには航海長の身分を表すアストロラーベをデザイン化した金バッヂを左襟に付けた、新品と見える准海尉の制服が吊り下げられている。

 しかも。

 ご丁寧なことに、冬服と夏服が二着づつ。

 ほかにも、いくつかの引き出しには軍帽に靴から下着まで一式が揃えられていた。

 う~~ん。

 これほど気遣いしてくれたのに、脅かしたのは悪かったかなと思うけど。

 こんな程度で感激していては、正体不明の。

 いや、正体の見当は付いたけど。

 甘い顔をしているとアイツ妖狐の手の上、でなければ尻尾の先で踊らされることは必定だ。

 そこまで考えるのは、読み過ぎではない証拠には。

 この船室には。

 銃はもちろん、長剣の一振りさえも置かれていない。

 海兵隊にL85なんて新型銃を持たせておきながら。

 航海長には護身用の拳銃も持たせないってのは、どういうことだ?

 それとも、准海尉クラス以上では長剣やピストルなどの武器は自前だというアングル海軍流か?

 まぁ、外部から拉致したばかりのヤツに新型銃なんか持たせるような、自虐趣味紛いのアブナイことは。

 俺が艦長でも、しないわなと納得しておく。

 それなら。

 個人用に一丁、用意するかと考える。

 斬り込み隊の先頭に立って、敵艦に突撃なんて物騒なことをしなくても良ければ、L85よりはVZ85のほうが使い勝手がいい。

 同系であるVZ61の7・65ミリ弾よりは9ミリパラベラム弾のほうが、装弾数は減るけど威力があるからストッパーとしての護身用にはお勧めだ。

 ライフル銃などを相手に野外や海上でで撃ち合いになれば弱点はあるが、艦内で敵を迎え撃つには十分だろう。

 片手を上げて、銃よ出ろ!と言ってみる。

 一瞬で、手には重量感が伝わって機械油の匂いが船室に漂う。

 俺の手には、大型拳銃より一回り大きいくらいのマシンピストルが握られていた。

 脇の小さなボタンを押して、弾倉を引き抜くと真鍮の輝きが目に入る。

 銃弾が入っていることを確かめてから弾倉を叩き込み、銃よ消えろ!と言って収納する。

 どこへ?。

 いや、今のところは俺も知らないけどね。

 

 一息入れて。

 鎧蓋が付いた丸い舷窓の下に据え付けられた事務机の上に置かれている、アレコレを確かめてみる。

 クロノメーターに六分儀は、据え付けてあるマホガニーの箱に入れてある。

 経度計算にはコンピュータがあると楽なんだけどな。

 暗い画面を見せている大型モニターは、艦のバイオコンピュータと直結した多機能型か。

 手を伸ばして、開けと言えば画面が明るくなって美少女艦長が胸を突き出して可憐な微笑みを見せている。

 あ?

 カメラ付きの対面型かよ?と、あせるけど。

 どうやら、待ち受け画面の壁紙らしい。

 う~~む。

 この艦ではデータを探す度に、コイツのご尊顔を拝し奉らなけりゃぁいけないのだろうか。

 それとも。

 実は。

 壁紙に見せて。

 コイツか、艦のバイオコンピュータが乗組員を監視してるんじゃあるまいな?

 そう思ったところで、モニターの美少女艦長がほざいてくれた。

 「ふん。妾は、そんなことはしないぞえ」

 って、してるじゃないか。

 いや、その前に。

 俺の心を勝手に読むなと言っただろうに。

 さっきの話だけじゃ、俺の力を読み取れなかったか?

 ちょっと威圧しただけで、しっかりとチビッたくせに。

 ふざけたことしてると、OS丸ごとコンピュータプログラムを書き換えちゃうぞ。

 手間が掛かるけど、一日もあれば十分だろう。

 思った途端に、画面は変わって。

 立耳を生やしてパールサ風の女官服を着た美少女が、脱ぎましょうか?と。

 無理が見え見えの笑い顔を引きらせて、襟元に手をやっていた。

 この女官服のほうは、さっき艦長室へ駈け込んで行ったヤツらしい。

 見た目は立耳族の美少女だけど、本当のところは判らない。

 判らないけど、俺は種族で区別はしない。

 だから、美少女のストリップショーは面白そうだけど。

 ストリップを見せる相手がナニモノかが判らずに怯えている部下に、身代わりの人身御供を命じるなんて上司艦長がいるか?

 「おい、艦長室のデッキは綺麗に掃除できたか?」

 腹立ち紛れに女官服に聞くと。

 モニターは暗転して沈黙を決め込んだ。

 

          *


 それから後は、船室に備えられた機材の用途確認や操作確認エトセトラ。

 船室の箪笥やベッドとは反対側の、ということは船尾側の隔壁に取り付けられた三つの扉の向こう側を探索してみる。

 一つ目はトイレ。

 ちゃんとした水洗式だ。

 二つ目は風呂。

 こちらは、温度調節式のシャワー付きで長い湯舟を組み込んである。

 三つめは。

 遠い未来の軍艦のCICに見えるけど・・・うん、後で詳しく確認しよう。

 そうこうしているうちに時間は過ぎて、晩飯の配膳を告げる艦内放送を耳にすることになった。

 「達する。総員。ディナー!」

 俺が勤務していたアルビオ海軍では「ディナー」についての解釈が、海尉用と水兵用の2つあるという冗談がある。

 ディナーは艦長や海尉用の夕食。

 水兵用の夕食は「ティー」と呼ばれる。

 当然ながら、食事のメニューが異なるからだが。

 水兵には一年中、乾パンと干し肉か塩蔵肉を茹でたものにエールかラムの水割りと言うワンパターン。

 本国の海域を離れた遠征では出張った先の地元産ワインということもあるが、定番ではない。

 母港くにから出撃したばかりなら、勤務班で共同購入した新鮮な果物があったりするのが一般的な食事だが。

 長期間、無寄港で外洋航海をする独航艦などでは補充は出来ない。

 艦隊とか戦隊に所属している艦ならば。

 司令官や司令が部下思いな人物であれば、補給艦が随伴して近隣の港で買い込んだ新鮮な食品を配分してくれることもあるけれど。

 そんな贅沢?は、外洋を航く独航艦の場合は夢のまた夢。

 敵国の商船を拿捕して補給船に使えないこともないけれど、大海原の真ん中でピンポイントの会合ができるかは大いに怪しい。

 なにしろ。

 拿捕船の指揮官に任命されるのは下っ端の、ということは新任の海尉か先任候補生あたりが相場だ。

 六分儀を正確に扱えれば上等で、船位計算の数式なんか艦内規則集の内容よりも覚えていないに違いない。

 もっとも、独航艦が敵国の商船を拿捕できるチャンスなんて滅多に無いので、心配する必要も無かったりするのだが。


 とにもかくにも。

 海軍では日々の食事は重大問題。

 金持ちの艦長や海尉ならば贅沢品を積み込んで、陸の生活と同等ではないにしても自分たちの食事に変化を付けることができる。

 そこまで記憶をまさぐって。

 アングル海軍から、ガレオン船へと意識を戻す。

 「ん?。ディナー?」

 時鐘を聞いた記憶は無いし。

 今日の昼飯は食ったっけ?とは思ったが。

 アレコレと悩まないのが、軍艦乗りの長生きの秘訣。

 このガレオン船では、どんなディナーが出るのかと興味の対象を切り替える。

 俺は贅沢品なんか買う暇もなく、誘拐モドキで乗艦させられたけど。

 まさか、航海長に乾パンと干し肉だけの夕食なんか出さないだろう。

 曲者のモニター画面に艦内施設の配置図を出させて、食堂の位置を確認し。

 軍帽をアタマに乗せてから、ハッチを開けて通路へ踏み出した。 

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