第1話 ソフィアは聖都からフソウへ逃れる

★創世歴10,200年★


 ばたばた。

 ぎーぎー。

 ばしゃばしゃ。

 と。

 風を受ける、セイルの叫び声。

 風をちぎる、索具リギンの口笛。

 波を切り分ける、船体の唸り声。

 そうした、船内生活について回る騒音のあれこれが。

 寝惚けたアタマに入り込んでくる。

 船室のベッドに横たわり、目を閉じたまま。

 あたしソフィアは。

 燃える都を後にして、北の海へと小さな商船カラックで乗り出してからの日々を思い出す。


          *


 運命の悪戯によるものかは定かでないけれど。

 世界創世以来、一万と二百年。

 揺れることのない大地に根を生やしているかのような神殿で。

 創世の神々からの神託を、地上の世界に生きる者たちへ取り次ぐ生活をしていた巫女みこの身が。

 海の波に揺れるというよりは。

 波に振り回されているというほうが現実に合っている、小船カラックに乗って。

 見たこともない景色の海岸線を、延々と辿たどる日々の始まりだ。

 ・・・。

 「まさか、行き先さえも定かではない旅に出るなんてねぇ」

 巫女の身ではあるし神々の娘でもあるけれど、予言などという能力は授かってはいない。

聖都の 港から出帆した日の夜の会議であたしがポツリと言った言葉に、心配は要らないとエリアスから報告があった。

 「どうやら、中原帝国の兵士たちが追撃して来る様子は無いようですね」

 エリアスは、あたしたちが脱出のために乗った小さな商船カラックの船長である。

 港にあった船は大きいものも小さいものも全てが、あたしたち大耳族エルフの脱出に使われてしまい、港に残された船は手漕ぎボートクラスの漁船が数艘。

 中原帝国は。

 あたしたちが住処聖都を捨てて海へ脱出するとは思っていなかったらしく、自前で船の手配はしていなかったらしい。

 聖都に近い小規模の貴族領などから徴発しようとしても、彼らは沿岸輸送に使える程度の小船しか持ってない。

 それらを接収したところで乗れる兵士の数は知れてるし、外洋にまで追撃の手を伸ばすというのが無理難題なのは言うまでもない。

 「だから、見える範囲に船影はありませんよ」

 そう言う報告に続いて。

 主だった面々の顔を遠慮がちに見まわしながら、行き先の定かではない旅路だと口にしたあたしに対してエリアス船長は言う。

 「いえ、ソフィア様。行き先は、ありますよ」

 あたしの顔を見て、エリアスが続ける。

 「北方世界から見た、北の海は。冬には、すべてが凍り付いちゃって。船での旅など、できないんですがね」

 それは北方世界の常識だとは、その場の誰も突っ込むことはしなかった。

 「夏ならば。そして、ご承知の通り現在いまは夏なので。陸地おかに沿って小型の商船が通れるくらいの、海面が開けているんですわ」

 だけど、陸地の近くには暗礁もあるし浅瀬もあるよとはベテランの船乗りエリアスは口にしない。

 ましてや、僻地に蟠踞する山賊兼業の海賊も出るなどいう余計な情報を創世の神々の娘である巫女様ソフィアに教える必要などまったく無いと思っているようだ。

 そう言うエリアスに。

 あたしの護衛隊長として乗船している、魔法剣士のアレクシが手を挙げる。

 「で、その先には。船長?」

 「その海面を通って陸地伝いに東へ行けば、東方世界の向こう側に大きな海があるんですよ」

 聖都の神殿を侵略してきた東方世界の中原帝国は、基本的には陸軍重視の軍制であるため、軍艦あるいは軍船をまとまった戦力として運用できるような、海軍と呼べるほどの組織は持っていない。

 その所為もあってか、今回の侵攻でも大陸を回って軍艦を派遣してくることはしていない。

 そう言いながら、エリアスは続ける。

 「中原帝国は本国の海域においても、自国の東方や南方に広がる海については、海岸線から見える範囲の沿岸航路と海伝いに行ける近隣の小国たちを支配下に置いているだけなんです」

 その向こうの。

 東の大きな海に浮かぶ、大陸から離れたいくつかの島国までは中原帝国の支配が及んでいないのだと言う。

 「その島のひとつはフソウと呼ばれる巨大な島なんですけれど、東方世界の中原帝国とは似て非なる独自の文化を持ってましてね」

 小耳族ヒトが住民の多数派であるが、ほかに立耳族ようせいも住んでいるらしい。

 船乗りたちの風聞では妖怪族もののけも住んでいるとかいないとか。

 そうした島々に盤踞する、氏族を中核とした豪族たちが地域を支配する、疑似国家たちの連合体は。

 あたしたちが向かう北の海ではなく。

 中原帝国の支配圏を避けて、南の海を大きく迂回する方法ながら中原帝国の領土を通らずに、時々ではあるけれど西方世界にしへ交易船を往復させているという。

 西方世界のほうからも、いくつかの国々が同様の動きをしている。

 そういう島国でしか大量に採掘できない銀などの金属や、そこだけに生える薬草や木の実などを手に入れるために、重武装の交易船を派遣して莫大な利益を上げているということくらいは世事に疎いあたしでさえも知っている。

 その交易船が通る航路は西方世界と南方世界の間にある、大きな内海を横切った先の水路を抜けて、中央世界と東方世界の海岸線を辿る往復で一年はかかろうという長旅である。

 おまけに。

 その海域では。

 どこの国にも管理されない海賊船ごうとう跋扈みせびらきしていて、あたしたちが乗る小さな商船程度では略奪されるのが関の山。

 男は殺され、女は奴隷として売り飛ばされるそうだ。

 ただ、船に乗る女は少数派だから、噂の範囲は出ていないらしい。


 幸か不幸か。

 今回の旅で、あたしたちが乗る商船カラックは。

 小さな船とは言うものの。

 神殿の巫女ソフィアに神々から与えられた権能のひとつである空間魔法の応用で、臨時の船室や倉庫を亜空間に組み込んである。

 定数以上の船員を確保して操船の安全を図り、水や食料から生活資材までも十分に積んで、中隊規模の警備隊も乗せてはいるけど。

 根拠地である聖都や王都を捨てて大耳族を挙げての民族脱出の旅とあれば、男女の専門職や技術職など避難先で生活を再建するための人員を中心とした非戦闘員のほうが多い。

 加えて、聖都や王都で生活していた小耳族や立耳族たちも、希望者は脱出の旅に同行しているけれど。

 その大半は農民とか商人であったり職人であったりして、傭兵などの腕一本で食べていた戦士もいるけど少数派だし。

 うん。

 無駄な戦闘めんどうごとなど避けるが賢明りこうよね。

 ましてや、中原帝国という強大な敵に追われる逃避行の最中なんだもの。


 「その東の海にあるフソウという名の島国へ逃げ込もうというのが、この航海の目的なんですがね。北の海を回って行くほうが、生き残れる見込み《かくりつ》が高いと思うんですわ」

 エリアス船長の説明を聞いても、北方世界の外へ出たことのない面々には判断なんか出来ようはずもなく。

 「では、そういうことで」

 と、国王として最後まで防衛戦を指揮していたレオの曖昧な結論でお開きとなったのだった。

 レオは自ら剣を振るって中原帝国の突撃隊と渡り合った後に、戦死を装って部下たちとカラック船へと転移してきたのだ。

 この逃避行の主目的は。

 神々の神託おつげを受ける神殿の巫女ソフィア神器たぶれってぃを安全に匿える避難先の確保であって。

 王も船長も単なるマネージャーやドライバーでしかないことを、その場の全員が知っている。

 「巫女様には、お疲れでしょうから。メッキ専用キャビンでお休みを」

 世話係のメイドを手招きするレオや、ほかの面々に頭を下げて。

 あたしは会議の席を後にした。


          *


 ばたばた。

 ぎーぎー。

 ばしゃばしゃ。

 と。

 アタマの片隅で、船と海とが語り合う声を聞きながら。

 あたしソフィアは小さなため息をつく。

 さっきの会議の雰囲気は。

 あたしに気遣ってくれたことくらいは、分かる。

 元はと言えば。

 行き先の定かでない旅に出ることになった発端と言うのが、あたしのひとことにあるのだし。

 「「「「「お前ソフィアがそれを言うか?」」」」」

 という無言の抗議は、ひしひしと感じた。

 だけどさぁ。

 なにさまだか知らないけれど。

 見たことも無ければ聞いたことさえ無い世界の果てから。

 皇帝を自称する、おっさんの部下とやらがやって来て。

 偉そうな態度で。

 「我が皇帝陛下からのお達しである」

 なんて言い出されたら、あとの話なんか聞きたいと思わないじゃん。

 あたしだけじゃなくて。

 その場に立ち会った、上は神殿を仕切る神官長から下は記録係の書記官に至るまで全員が。

 「「「「「なんか、違くね??」」」」」

 という顔つきになって。コソコソ内緒話を始める始末。

 そりゃぁ、あたしだって常識礼儀というものは持ち歩いているから、最初は無表情で聞いていたわよ。

 相手は、一国の使節を名乗る外交団だし。

 うち神殿が世界の王位の認証を創世の神々親たちから取り次いでいるにしても、あたし個人が偉いわけじゃないことくらいは知っている。

 でもさ。

 「これからは世界の王位の認証は、我が皇帝陛下が取り仕切る」

 って。

 まぁ、言い方はもう少し丁寧なものだったような気はするけれど。

 要するに。

 神々の娘あたしと神々の直系の子孫たる大耳族エルフを、お払い箱にして。

 小耳族ヒトの一部族を束ねるだけの皇帝とやらが、神々の代理人を名乗ろうと言うんだもんね。

 単純に王様ではなくて皇帝陛下と名乗りたいという話だったら、お布施の積み方次第じゃ、あたしの胸三寸で認めちゃったって良かったけども。

 うち神殿の役目を簒奪するかっぱらうだけじゃなく。

 神々の娘である、あたしを側室に加えてやるなどと押しつけがましい口上を抜かすなんてさぁ。

 「おとついおいで、このアンポンタン!」

 ・・・。

 言っちゃったのよねぇ、勢いで。

 神官長は大慌ての様子で、アワアワしてたけど。

 大耳族の始祖である創世の神々の娘としては。

 家業を放棄するわけにはいかないのよ。

 だけどぉ。

 あたしだって、あたしの啖呵が発端で戦争が始まっちゃうなんて想像はできなかったわよ。

 え?

 神殿の巫女なら予知能力くらいは持ってるだろう??って、言われてもねぇ。

 前にも言ったように、あたしは予言者では無いからさぁ。

 正直なところ、あたしには神器たぶれってぃを操作するくらいしか特技は無い。

 もうひとつ、正直なところ。

 世に言う、神殿の巫女の強力なパワーによる魔法だって、神々が持っている能力としては常識の範囲内だし。

 この星を滅ぼすような魔法には、制限が掛けられてるしねぇ。

 詰まるところ。

 には天空から星を落とすとか、いかづちで敵の大軍を殲滅するとかの強力な戦闘力は無い。

 あ、海の水をかち割るなんていう手品も出来ないからね。

 あたしに出来ることは。

 この世界が燃え尽きるまで生き延びて、創世の神々の思いを世に伝えることくらいしかないんだもの。 


          *


 ばたばた。

 ぎーぎー。

 ばしゃばしゃ。

 と。

 今朝も、お定まりの音と揺れに起こされて。

 世話係の美少女に手伝ってもらいながら、巫女装束を身に着ける。

 「ありがとう、エミリア」

 と、お礼を言っておく。

 いくら空間魔法で船室に余裕があるとは言うものの。

 エミリアだって、ほかの女の子たちとの共同生活で身の回りを整えておくのには多くの苦労があるはずだ。

 本船の船室は、大部屋では無いのが救いだけれど、個人の船室はベッドを二つ並べるくらいの空間しかない。

 まぁ、ベッドは一台で寝台の上下が物入れになっているから生活の不自由は無いのだけれど。

 さすがに全ての個室にバスタブを付けられるほどの空間魔法は、あたしといえども使えないからね。

 それでも身綺麗にしているのは、凄い。

 あたしも私服普段着くらいは自分で着替えを出来るけど。

 巫女装束にはいろんな飾りが付いていて、ひとりじゃ背中まで手が回らない。

 それでも面倒な正装をしておくのは、この商船カラックがどこかの港に寄港した時に、処の官憲か支配者に好印象を与えるためだとか。

 おそらく。

 聖都陥落の情報は世界中を駆け巡っているだろうし。

 そうであれば。

 神々の巫女あたしが座乗しているとはいっても、小さな商船に敬意を払ってくれると期待してかかるなど危機意識が欠けているというもんだ。

 それくらいの分別は、あたしにだって持ち合わせがあるのよ。

 エリアス船長レオとも相談の上で、どこかへ寄港する時には正装の巫女衣装で身分を明かしておくことになった。

 神々の娘である神殿の巫女あたしを相手に強盗や誘拐を企てる小耳族や立耳族は中原帝国の皇帝を自称する阿呆が現れるまでは、いなかったしね。

 あたしたちの目的は、フソウとかいう東の島へ到着すること。

 途中にある、あちらこちらの都市や小国と戦争することじゃない。


 朝食の席で、エリアスが今日の予定を読み上げる。

 「イームという港町で、情報を集めてみようと考えております」

 本船の運用については、エリアスとレオに一任してある。

 「よろしくね」

 自分の専門外の事に口を挟んでも、碌な事にはならないだろうくらいのことは、世間知らずがドレスを着ていると言われるあたしでも、想像できる程度のアタマは持っている積りだからね。

 あたしは、にっこりするだけだ。

 朝食が済んで、それぞれの区画で日課が進み始めた頃に、本船は小さな港に滑り込んで行った。

 海から少しだけ川を遡上した、小さな町イームの小さな港にはあたしたちの船とどっこいの大きさの商船や沿岸用の漁船が波止場にもやわれている。

 もはや失われてしまった国の旗ではあるけれど、王国の旗と聖都の旗を見た土地の税関のボートが速度を上げて接近してくる。

 そのボートに向かって、普通の水夫の服を着た本船の衛兵のひとりが大声を張り上げた。

 「おーい、そこのボート!」

 各国共通の税関旗を見れば、相手の身分は判るけど。

 一応、船乗りの習慣として誰何と確認はしておかなければならないらしい。

 「イームの税関だ!」

 とボートの舳先に立つ、制服を着た小耳族らしい男から返事が返ってくる。

 小さな港では、検疫と税関の両方をまとめて行うこともある。

 「何処の船だぁ~?病人はいないか~?」

 旗を見れば船籍は判りそうなものだけど、これも習慣というか役目というか。

 お定まりの質問に、エリアスが答えている。

 「聖都の船だぁ~!病人はいない!」

 「分かった!乗船するぞ!」

 本船では。

 その声に応えて、帆を畳む役目の船員トップマンたちがマストに登っていく。

 一方では、縄梯子を舷側に垂らすため、数名の甲板員たちが作業にかかる。

 軍艦では、土地の士官クラスが乗艦してくる時には号笛サイドパイプを吹いて敬意を表すけれど、商船では船長が舷門へ迎えに出るだけで十分に敬意の表明になるらしい。

 「ようこそ、本船へ」

 「ようこそ、イームへ」

 エリアスの敬礼に帽子を脱いで応えるイームの役人も手慣れたものだ。

 続いて乗船してくる書記官らしい制服を着た若者が自分の後ろに立ったのを確かめてから口を開いた。

 「寄港の目的は?船長?」

 チラリとマストのトップに掲げられた聖都の旗を見て。

 次いで巫女装束を着たあたしソフィアのほうを見るけれど、表情に変化は見られない。

 巫女装束を知らないのか、情報が此処まで届いていないのかは判らない。

 役人の腹の内は読めないけれど、取り敢えずは仕事の話から始まるらしい。

 「その話は、船長室で」

 そう言いながら、エリアスは船尾へ役人たちを案内して行く。

 あたしとレオも続いて船長室へ入るが。

 港内で土地の役人を襲う馬鹿な船はいないという確信があるのか、役人たちのほうは驚いた風も無く勧められた椅子に腰を下ろした。

  

 船長室のテーブルには、大耳族エルフが秘伝とする、西方で造られた北方王国特産の蒸留酒のボトルとグラスが並べられていた。

 人数分の、摘みツマミというには多すぎるチーズやハムを載せた皿も置いてあるのは食料に困っていないというアピールでもある。

 「こんな北の海の小さな港に、聖都の船が来るのは久しぶりですなぁ」

 上司らしい役人は普通の世間話をするように、酒が注がれたグラスに目を向ける。

 「うちの港は国内の船が行ったり来たりするのに使うくらいで、外国船はたまにしか寄ってくれないんですわ」

 だから、聖都だか北方王国だかの珍しい酒を飲んでみたいと。

 彼の顔には書いてある。

 エリアスは、そんな気配は知らぬ素振りで。

 「貴国の国王陛下のご健康に、乾杯をさせていただいても?」

 そう言いながら、グラスを取るように役人たちへ身振りで示す。

 そう。

 このイームという町は、北の海に沿って延びる長大な領土の前線基地として開拓された、ボストーク王国のアンテナのひとつ。

 此処の国王も認証状を受け取るために聖都へ自ら足を運んで、神殿の巫女たるあたしと面談した王たちのひとりだ。

 辺境の港町の役人が、そこまで知っているかどうかは判らないけれど。

 「ボストーク王国国王陛下の治世が永からんことを!」

 そう言うエリアスの言葉に応えて。

 「聖都の巫女様のご健康に!」

 あたしの巫女服に敬意を表す仕草とともに、役人たちの声が船室にこだました。

 うん、巫女服が何であるかの知識くらいはあるらしい。

 乾杯された当人が目の前にいるのよねぇ、と思いはするけれど。

 あたしは笑顔を向けるだけで、余計な事は口にしない。

 この役人たちは、そこそこの地位にある女官としての巫女が旅の途上にあると思っているらしい。

 どうやら。

 聖都陥落の一報は、この港町までは届いていないのかもしれない。

 ボストーク王国は西方世界と中央世界の境目から少し北へ寄った地域を治めているが、中原帝国の皇帝が派遣した軍隊の進路からは外れていたと聞いた。

 皇帝の軍隊の斥候たちも、此処までは手を伸ばしていないのだろう。

 王国の首都からは、踏み分け道程度の街道しかない僻遠の地。

 その道も。

 人間が歩いて作ったというよりは、熊や狼たちの使用頻度のほうが遥かに高いという有様らしい。

 日暮れ前に乗り継ぎの宿場か駐屯地に辿り着く事が出来なければ、早馬を飛ばすのが命懸けとなるのは軍事に疎いあたしにも分かる。

 まだ、聖都陥落の詳報が届くまでには時間がかかるということかしら。

 ならば。

 「清水せいすいの補給を許可していただけると、ありがたいのですが?」

 エリアスも、普通の商船が普通に行う話で切り上げることにしたらしい。

 「大樽ひとつで、足りますかな?」

 酒と肴を堪能したらしい役人たちも、港では日常の商談に取り掛かってくる。

 外見上は二十~三十人くらいの乗員しかいないと思える小型船だから、港の役人にも常識的な積載量の見当はつく。

 そう、常識的な船ならね。

 「ええ、大樽ひとつで」

 「ならば、大樽ひとつで金貨1枚」

 それが相場なのかどうか、あたしは知らないけれど。

 金貨1枚のほかにも、酒瓶を数本入れた袋が手渡されたのを見た。

 「では、わたしはお見送りを」

 エリアスはあたしに座ったままでいるように手振りをして、役人たちと一緒に船長室から出て行った。

 食料も水も十分に積載してある本船にとって、清水の補給は必要無いけれど。

 小さな船が補給も無しで遠くへ向かうのか?と怪しまれてはいけないので、芝居は必要らしい。

 さらには。

 物資補給の作業員を出して、土地の人との雑談から情報を集めるのも芸の内。

 大樽ひとつが岸壁へと運ばれてきたのを受け取ると、船は錨を上げて、川を下って再び外洋を東へと舳先を向けた。

 航海とは別の事案もあって。

 大樽と行き違いに、枢密卿ノア様が上陸された。

 枢密卿様は、あたしの配下ではなくて、創世の神々のとして聖都に天下った付家老のような存在だ。

 神殿の巫女である、あたしに指図をすることはない代わりに、あたしからも束縛することはしていない。

 「ちょっと用事を済ませに行くから、船はこのまま出航してくれないか」

 疑問形では無くて命令に近いお言葉だったけれど。

 枢密卿ノア様の姿を見たのは一万年後に再会するまで、それが最後となった。


          ***** 


 「あれで、良かったんですかねぇ?」

 港が見える役所の窓から海へと出て行く小型商船カラックを目で追いながら、書記官風の男が上役である役人の背中に向かって言った。

 疑問形だが答えを求めるわけでなく、ましてや意見具申をするわけでもない。

 「神様神殿の巫女を相手に、チンケな港の役人風情に出来る事なんかあるのかよ?」

 答えになるかならないかの言葉を口にする上役の役人は。

 イームの港の港長・税関長であると同時に、町長であり警備隊の隊長も兼務する。

 警備隊とは呼ばれるものの、正規の兵士は数人程度。

 それに地元有志の予備役を加えても二十~三十人がせいぜいで、外国船を拿捕拘留できる戦力だとは冗談にも言えない。

 ましてや、堂々と聖都の旗を掲げて入港して来た船が相手だ。

 どう見ても高位の巫女装束を着た大耳族の女性を乗せた船に手を出す度胸は、自分には無い。

 よしんば、度胸があろうとも。

 外洋を航海する歴戦の船乗り相手の戦闘では良くて相打ち、拿捕拘留なんか夢物語でしかない。

 もしも負ければイームなんて田舎町は「何処に在ったんだ?」と、言ってくれる人がいれば上等だということになる。

 不敬を承知で言うならば、国王陛下に田舎町消滅の報告が届くかどうかも怪しいところだ。

 聖都陥落を知らせる早馬は、こんな僻地にも届いたけれど。

 脱出したとされる神殿の巫女以下、亡国の民を捕えろという指示は伝達文書に書かれていなかった。

 つまり、王国上層部の誰もが。

 こんな僻遠の地にいる小部隊に期待なんかしてないということで、宮廷貴族のアタマでも、それくらいの判断力は持っているということだろう。

 ならば、余計な事はしないのが賢明。

 言葉の通り、触らぬ神に祟りなし。

 貴族にも届かぬ下っ端と言えど、王国の役人という身分には良い待遇が付随する。

 官舎に住んで住居費と光熱費はゼロ。

 俸給に加えて兼務する仕事の役職手当や僻地手当までも、たっぷりと貰っている。

 生きていれば、任期明けには辺境勤務から解放されて故郷に農園のひとつも買えるだろう。

 そんな上役の考えを知ってか知らずか、書記官風の男は商船が消えていった外洋のほうに目を向けていた。


          ***** 


 ばたばた。

 ぎーぎー。

 ばしゃばしゃ。

 と。

 いつものように自分の船室で船が奏でる音楽を聴いていると、マストの見張りが上げた叫び声が紛れ込んで来た。

 「お~~い、デッキ!大陸の端に着きましたぁ~~!」

 「お~~い、マスト!岩礁や暗礁が見えないか気を付けろぉ~~!」

 「アイ・ア~~イ、船長~~!」 

 「おい、巫女様に大陸の端に着きましたと報告してこい!」

 船長のエリアスが船員の誰かに命令している。

 最後の声に続いて、船室の扉をコンコンと叩く音がする。

 「はい、お待たせしました」

 エミリアが扉を開けて、返事をしている。

 「巫女様に船長からです。大陸の端に着きました」

 顔を見ると、エリルという名前の若い船員らしい。

 「ありがとう。甲板に出ますと船長に報告しておいて」

 あたしが自分で返事をすると、エミリアとエリルが二人揃って驚いたような顔をして、あたしの顔を見た。

 創世の神々の娘である巫女様がヒラの船員と会話をするなど、聖都では考えられなかった一大事なのかもしれないけれど。

 これから先、どのような生活が待ち受けているのかを考えるならば巫女様という立場よりは、仲間ということを優先させなければならない。

 「アイアイ、巫女様!」

 少し高い音程で返事をすると、エリルの姿が扉の前から見えなくなった。

 「巫女様、あそこが大陸の東の端です」

 甲板に出るとエリアスが陸地おかのほうに手を振って教えてくれる。

 「もう少しくと、大陸を南へ回り込むことになります」

 「ご苦労様、船長。遥々と来たわねぇ」

 「はい。あとちょっとばかり、ご辛抱をいただくことになりますが」

 「どうやら、中原帝国の追撃も無かったようですし」

 隣にレオも来て、いくらか緩めた表情を見せている。

 此の辺りは狩猟民の村がいくつかある程度で、まとまった武力集団を作れるほどの領主階級はいないという。

 ましてや、小さいとはいえ、通航していく外洋船クラスの船を襲えるほどの水軍などは持ち合わせていないらしい。

 あたしたちを乗せたカラック船は大陸の端を回り込んで、一路南へと針路を変えたのだった。


         *****


 ある晴れた日に。

 フソウの島でも東の端にあるヒタカミの浜辺では、転日の祝い事が行われていた。

 此の日を境にして、日に日に縮んで来た日輪の輝きが拡大に転じることから転日と呼ばれて、仕事を休み英気を養うと族長たちが決めている。

 ただし季節風である西風は冷たく、時として雪が混じったり降ったりすることもあるので、祝い事の集まりが済むと家に帰って暖を取るのが真っ当なアタマの持ち主とされている。

 ヨノヘイも戸長として族長への挨拶を済ませた帰り道、浜辺に引き上げてある数隻の持ち船を確認するために、浜へと寄り道をしたのだった。

 この季節には海は大荒れで、漁船や荷船は浜に引き上げておくしかない。

 大波に攫われないよう、地面に埋め込んだ数本の石杭に巻き付けてある舫い綱を確かめて、波荒い海へと目をやれば。

 此の辺りでは見た事が無い帆船が、沖合を南下してくところであった。

 慌てて族長の家へと取って返したヨノヘイは、目にした船について報告をする。

 「この季節に北の海から来るなんてぇ」

 族長の家宰を務めるタケイチロウが驚きを口にする。

 まさか、ヨノヘイが祝い酒の飲み過ぎで幻を見たのだろうとは口にしない程度には戸長たちへの気配りは忘れていない。

 「まだ、見えるかもしれないんでぇ」

 「よし、行って見るかぁ」

 数人の男たちが浜へと急いでみれば、確かに大きくは無い異国風の帆船が沖合を南へと向かっている。

 西寄りの北風に背中を押されているとはいっても、この浜辺の沖合は南から北上する海流の力もあって船脚は遅い。

 それにしても。

 此の季節、土地の人間ならば沖合で船を航らせようなどと無茶な事は考えもしないだろう。

 「確かにぃ」

 「へえぇ」

 男たちや女たちの感嘆の声を後にして、帆船はヒタカミの南へと向かって消えて行ったのだった。


          *****


 ヨノヘイ達が見慣れぬ帆船の南下を見送ってから、数日後。

 ヒタカミから南に在る、フサの南端にあるノシマという岬に立つ小さな灯台を右にして、南北に大きく口を開いたシモザシ湾へと進入して航く帆船を灯台長のサゴロウが見つめていた。

 灯台と言っても、十メートルほどの石組みの上に鏡張りの小部屋を置いて、日没から日の出までランプを灯しておく程度のものではあるが。

 そして。

 灯台長以下の地方役人には本来、灯台の維持管理と守備程度の職務しか期待されていない。

 なにしろ、灯台長以下十人ほどの人員で二十四時間勤務という、ブラックそのまんまの状態なのだ。

 灯台の周囲に巡らされた柵の内側にある官舎には家族も住んでいるけれど、役人のアタマカズには入っていない。

 目の前を通航する船舶のひとつひとつに誰何する必要も無ければ、フサの族長の一人として一帯を治めるサブロベエ様に報告しろとも言われてはいない。

 それでも。

 フソウ各地からシモザシ湾へと入って来る船舶のどれとも似ていない異国風の帆船については、報告くらいはしておいたほうが良いかもしれない。

 「おい、シチタ。あそこに見える異国風の帆船が通航して行ったと族長のサブロベエ様に報告に行ってくれないか」

 「はい、灯台長。サブロベエ様に報告に行きます!」

 走り出すシチタの後ろ姿と、船尾だけが見える異国船の両方を見比べながら腕組みをするサゴロウであった。


          *****


 「ぽこぺ~~ん」

 電書兎の到着を告げる通知音が鳴って、外信部のデスクを勤めるローナンはラップトップの画面に向かって手を振った。画面が輝き、「情報玉を開きますか?」というメッセージが表示される。

 ・・・

 どういう仕組みかは知らないけれど。空間の何処だかに張り巡らされているというネットワークの中を、情報玉を抱えた兎や犬や猫たちが走り回っていて。

 あっちからこっちへと、その情報玉を届けて回っているらしい。(詩集3000宇宙のネットとウサギ より)

 ・・・

 「開く」

 ひとこと告げると、画面に文字列が浮かび上がる。

 「イーム発。本社外信部宛。本日、聖都と北方王国の旗を掲げた商船カラックが給水のためにイームの港に着岸した。船には高位と思われる巫女装束を着た女性が乗っていたが、身分は不明。船は給水終了後、すぐに離岸した。東へ向かったらしいが行き先は不明。なお、イームにて高位にあると思われる大耳族の男性が上陸して内陸に向かった模様。画像の添付ファイルあり」

 アドレスは示されているが、他に発信者を特定できる文言は無い。

 うちの新聞社ドュブリス・ディウルナ《どゅぶりす・しんぶん》では、世界各地に身分を偽装した記者や通信員を潜ませている。

 彼らは実際に何かの職業に就いていることが多いが、その場合は記者や通信員であることを明かさない。

 いや。

 土地の権力中枢に潜っている者が正体を明かせば生命に係わるとあれば、明かせないと言うほうが正確だろうか。

 どこか遠い国の言葉では「くさ」と言うらしいが、うちではアングル本国への帰還を果たすまでは「名無しのエージェント」だ。


 添付ファイルには。

 さして大きくは無い普通の商船が、鄙びた小さな港で接岸している情景写真と、甲板で撮られたと思われるスナップが数枚付いてきた。

 「お~~い、オーニャ!」

 デスクに呼ばれて、赤髪の若い女性がやってくる。

 「これ、チェックしてライブラリに入れといて」

 言われて、画面を覗き込むオーニャ。

 「何が来たのよ、ローナン。あら、神殿の巫女様じゃない?」

 スナップの一枚を指さして、オーニャが言う。

 「巫女様って、聖都の神殿の神様のことか?」

 それなら、聖都陥落後に行方不明になったとされる巫女様の所在が掴めたということだろうが。

 この情報はお蔵入りだなと、外信部デスクのローナンは口に出さずに決定を下す。

 新聞社の取材した情報には秘匿義務という縛りがあるので、社外に漏れることは無いけれど。

 取材の酒席などで、記者がうっかり王宮とか外務省とかに仄めかしたりすれば。

 そこらの出世狙いの阿呆な役人が、大物気取りで言い触らすに違いない。

 巫女様の身の安全も大切だけど。

 うち新聞社にとっては、そんな場所にまで「草」がいると暴露されるほうが大問題だ。

 小さな町で、当然ながら住人も少ない町ならば「草」が燃や暗殺されちゃう危険性は高い。

 「そうか。それなら俺のほうで処理しておくわ」

 オーニャに笑って見せて、ローナンは「削除」をクリックしたのだった。


          *****       


 寝惚けたアタマの片隅で。

 あたしソフィアは。がたがたぎしぎしという音を聞いていた。

 おまけに、ゆらゆらとベッドが揺れる。

 まだ、波と格闘する商船の揺れに体がついていってない。

 長い船旅の果てに、フソウへ着いたのは良かったけれど。

 シモザシと呼ばれる土地に、船繋り出来る場所を見つけるまでが一苦労だった。

 後に知った情報なのだけれど、シモザシ湾と呼ばれる大きな入り江に深い港は存在しない。

 海岸線の大半は遠浅の砂地で、カラック船と言えども船底を擦り兼ねない水深しかない。

 やっと、大きな川の河口を見つけて投錨し、土地の有力者である族長の一人に上陸許可と定住の交渉をすることが出来た。

 それからも。

 族長から紹介された、一帯の族長たちを束ねるという地元の王に、聖都陥落の次第を説明し。

 技術を持った難民たちの受け入れによる利益を説明することから始まって、新しい町の開拓許可とか法律や税制の確認から関係者への挨拶回り袖の下配りにエトセトラ。

 それでも、定住許可が出るまでには時間がかかるとレオとエリアスは顔をしかめる。

 あたしたちの商船が港に停泊することは認めてくれたけど、居住地が決まらなければ上陸は出来ない。

 あたしには、政治とか経済とかは判らないけれど。

 亡命国家代表としての実務は王であったレオが担当するとして、実質的な族長裏番長はあたしなのだと念押しされた。

 その番長が、いえ族長が何も知らないでは済まされませんと説得脅迫されて。

 昨晩ゆうべだって遅くまで会議の席で面倒な問題のアレコレを聞かされて、あたしのアタマは満員御礼パンク状態だもの。

 もうちょっと寝ていたいのよねと。二度寝を決め込むつもりだったけど。

 ・・・。


          *****


そして。 

★創世歴22,200年★


がたがたぎしぎしという音を、寝惚け半分で聞いていたあたしの耳に。

 「地震警報です!地震警報です!!」

 と、枕元の「たぶれってぃスマホ」が喚き始める声が響いた。

 「なによ?」

 思わず飛び起きて、ベッドで上半身を起こしたあたしが。

 窓から差し込む光で明るくなった室内を見回すと。

 一万年の時間は飛び去っていて。

 木造帆船の船室風景は、消え失せている。

 目に映るのは、石造りにも思える壁と半開きのカーテンの間に見える、透明度の高いガラスの嵌った大きな窓だ。

 窓の外には、馬の付いていない乗り物が大通りを行き交っている。

 いつもの癖で、時間を確かめようと視線を巡らせば。

 壁に架かった時計の針は。

 なんと、朝の10時に近づいている。

 「げぇ~~!」

 巫女みこにあらざる悲鳴を上げて。

 「わぁ~、ちこくだぁ~~!」

 とわめきながら、あたしは寝間着をかなぐり捨てながら新しい下着を身に着けてクローゼットのハンガーに掛けてあるメイド服を身に着ける。

 此処、フソウに定住することになってからは。

 世話係だったエミリアに頼ることなく、自分ひとりで身支度をするのにも慣れた。

 足元は。

 少しばかり。

 いや、かなり揺れているけど。

 このフソウという名の島国で、噴火かじ地震じしんは年中行事。

 たまにだけれど、ツナミという災厄もあって。

 ほぼ、どれかが順番に興行だしものをするのには慣れっこになってしまった。

 ちょっとした地震程度でいちいち、驚いてなどいられない。

 冷蔵庫から液体糧食レーションを取り出して。

 それをくわえたままで、部屋を飛び出しゼロヨンでダッシュする。

 部屋の鍵は、ドアが自動で閉めてくれるので心配はない。

 心配は。

 店の朝礼に間に合うか。

 幸いなことに。

 ここは店と同じビルにある背中合わせの、社員寮。

 「ちこくだぁ~~!」

 と、液体糧食のパックを口から離して二度目の喚き声を上げながら。

 いつもと周囲の景色が違うことなど無視スルーして廊下を走り抜け。

 目玉を見開いて、あんぐりと口を開けている。

 でも、登録されていない人物は締め出してくれる機能を持った店の裏口ドアゲート笑顔顔認証を見せて。

 「おはよう、ソフィア」と言うドアの声は手を振るだけで背中に回し。

 あたしは、店の中へと滑り込む。

 「うん、せーふ」

 朝礼を始めようとしていた店長に。

 にか!っと笑って。

 おまけに小首も傾けて見せて。

 誤魔化せたかな、と思うことにした。


          *


 「では。地震も大したことは無かったようですので。今日もよろしくお願いします」

 店長のエリアスは。

 時間スレスレで滑り込んできたソフィアを視界の端に捉えるが。

 お説教をして、ぶぅ垂れられるよりは機嫌良く接客おしごとをしてもらうほうが得策だろうと。

 いつものように。問題の先送りで逃げを打つことにした。

 なにしろ。

 メイドカフェという商売おしごとは。

 可愛い、あるいは美人の女性おんなのこを揃えただけでは成り立たない。

 ご来店の「ご主人様おきゃくさま」に。

 心のこもった笑顔で。

 心のこもった言葉で。

 心のこもった動作で。

 メイドとしてのご奉仕せっきゃくをしてもらいたい。

 それを。

 芝居ではなく、本気まじでやってもらえなければ。

 店には。

 いろいろな名前の鳥たちしらけどり・かんこどりが飛び回ることになる。

 そして。

 エリアスの空飛ぶモノたちに対する好みと言えば、大はドラゴンから小は毒虫に至るまで。

 ついでのことに、飛行機械も。

 お友達にしたいという願いを持ったことは無い。

 ほかにも。

 「ご主人様おきゃくさま」に提供する飲み物や食べ物の献立や。

 常連様を飽きさせない企画イベントも立てなければならないが。

 献立や企画の変更をメイドたちに飲み込んでおいてもらうのも、店長の仕事のひとつではある。

 そんなこんなで。

 仕上げに、メイド同士でお互いに服装点検を行って。

 いつもと同じパターンの朝礼の終わりを、エリアスが告げる。

 直後に。

 寝坊してメイクもしていない素顔すっぴんのままのソフィアが従業員用の化粧室へ駈け込んでいくのを、仲間のメイドたちの温いぬるい視線が追いかけていた。


         *


 同じ頃。


 ソフィアが飛び込んでいった、裏口ドアゲートは。

 短剣を腰に着けた、船乗り風の若者と。

 通せ、通せぬの押し問答を繰り広げていたのだが。

 「これは、カルディナーリ枢密卿様ではございませんか?」

 若者が魔力を見せた途端に、店長のわたくしエリアスが飛び出して行って、挨拶をした。

 

「それは、お騒がせをして申し訳ございませんでした」

 通された、店の内部の応接室で。

 店長として、丁寧に頭を下げる。

 ・・・。

 船乗り風の若者は一万年の昔に行方不明となった神の一柱ひとりと瓜二つ。

 魔力のパワーからも枢密卿の地位にあったノア様に違いないのだけれど、若者のほうは初めて会ったという顔をしている。

 その理由は不明だけれど一応、ノア様だとして対応することにする。

 揉め事の理由を聞けば、当店のドアたちが何かやらかしたことは確実らしい。

 「他人の縄張りと言うよりは本拠地軍艦の中に、勝手に通路を開いたりしたら」

 ノア様が話を始められた。

 「こちらが魔術師でなくて王侯貴族であっても、宣戦布告されたと受け取るだろうよ。気が短い人間だったら、部隊を呼んで突入していても不思議ではないぞ」

 ノア様の説明を聞いて、言い訳をさせていただく。

 「店に付いている『表のドア』と『裏のドア』が勝手に空間魔法の練習をしていておりまして。そこで何かの間違いが起きてそちらの艦ゴールデン・ビクセンに取り憑いてしまったと、『裏のドア』が申しておりまして」

 ふん。

 という顔で、ノア様はわたくしの話を聞いておられる。

 「『表のドア』と『裏のドア』は文字通り表裏一体で、どっちがどっちという区別をつけることはできませんので。どっちが間違いをやったのかは、判らないのでございますよ」

 と、わたくしは続けて。

 「間違いで起こした『事故』でございまして。過程を再現できないために、修理方法原状回復は見当たらないのでございます」

 とアタマを下げる。

 つまり。

 メイドカフェと軍艦であるゴールデン・ビクセンノア様たちの艦は、亜空間を中継ぎとして空間的には繋がれたままの状態になるという結論しかない。

 ノア様が空中に向かって、何か呟いておいでになるので。

 「!?」

 という顔をしたのが、どのように取られたのか。

 「まぁ、ドアの話は置いといて。事情があって、可愛い女性たちが接客してくれる真面目なテナントを探してるんだけどな」

 ノア様が不意に話題を転換すると、騒ぎにする代わりにビジネスの話を持ち出してこられる。

 どこでどう話が繋がるのかを判らせるということなのか、ノア様は店の裏口ドアからわたくしを店の外へと連れ出されて、ゴールデン・ビクセンという名の軍艦の艦内へと繋がる通路を示されるのだった。

 通路の向こうでは、威圧パワーを全開にした海賊風臍出し衣装の美女が仁王立ち。

 海賊美女の後ろでは。

 どこかの海軍の艦長服を着た妖狐族の美少女と異国風の宮廷衣装を着た妖狐族の美女までもが、シャムシール曲刀に魔力をまとわせてブラブラさせている。

 さらに後ろには、見たことの無い銃で武装した立耳族の海兵下士官が護衛に付いているというオマケ付きだ。

 まるで、戦闘態勢丸出しだろうと思ったけれども口には出さない。

 「取り敢えず、本艦の商店街を見てくれないか?」

 そう言いながらノア様は、海賊風美女とわたくしの間を仲介して下さり。

 艦長服を着た美少女と異国風の女官も紹介をされて、商店街を見せながらテナント出店のメリットについて説明をされたのだった。

 「たしかに、千人近くの新規顧客を見込めるならば店長としては乗らない手は考えられませんね」

 その後の協議で、ゴールデン・ビクセンのテナントとしてドアを繋げたままにするというビジネスが成立したのは良かったけれど。

 ノア様が行方不明になってから、この一万年ほどをどのように過ごしてこられたのかという疑問は残ったままとなったのだった。

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