本編

「嗚呼、神父様。どうか私の話を……私の罪をお聞きください」

 部屋へ入るなり甲高い声で興奮気味に喋りだした罪人の正体は女だった。しかも年頃の、うら若き乙女の様だ。

 神父とは言え私も独りの男。年頃の娘に色情を抱く事もな無い訳では無いが、今回に限ってはそんな気分に成れそうも無い。

「私は或る人を好きに成りました」

 先程とはうって変わって、躊躇いながら発した言葉は私の想像通り、イヤな予感は的中した。

 女性。

 特に年頃の女の悩みは大抵が色恋沙汰と相場が決まっている。罪と呼ぶなら大方不倫とかの類いであろう。大いに下らない悩みだ。(年中発情しているサルの話なぞ誰が好き好んで聞くものか!!)

 私は鼻くそをほじくりながら適当に聞き流す。

 私の不遜な態度に気付いていないであろう娘は話を続ける。

「その人はとても素敵な人なんです」

 辟易していた私に更なる追い討ちをかける様な娘の言葉。

(まさかとは思うが、のろけ話からするつもりか?そして一体これは何時まで続くのだ?)

 なるべく早く終わる事を神に祈りつつ私は聞く事にした。神に祈る事を脆弱と罵っていた私が何とも情けない話である。

「その人はとても素敵な人なんです。二重瞼の奥に光る蒼い瞳。光にかざすと透き通る様に輝く銀の髪。それとは対照的で健康的な小麦色の肌がまた男らしくって……

 そうそう、男らしいと言えば眉もですわ。キリリっと引き締まって強い意思と信念の持ち主である事を物語っていますわ。それから……」

 娘の話は続く……

「それから、 バスケット選手の様に背が高くてスラっとした佇まい。それがまた素敵なんです。それに足も長いんですよ。ちょうど私が座っている頭の高さぐらいまで腰があるんです。そうです、この高さです。

 フフッ……目のやり場に困りますね。あの人…………下品な話ですけど布越しからでも分かるぐらい立派なモノをお持ちなん……

 ……デュフュュュッ」

 本当に下品な女である。

 私はあまりの下品さに呆れて言葉が出なかったが、そんな事はお構い無しに娘の話は止まらない。

「あっ……神父様は私の事をアイドルやらビジュアルバンドやらの追っかけをしている頭の弛い女と同じだと思いましたか?」

(……実際そうだろ?)

「失礼ですね。イイエ、私にでは無く、彼に対してですよ。

 彼の名誉の為に言っておきますが、彼は決して容姿だけの男ではありません。」

「彼はスポーツも得意です。

 私は彼がバスケット選手の様と例えましたが、彼がしているのはバスケットではありません、サッカーです。

 私はスポーツの事は余り詳しくありませんが、そんな私でも彼の凄さは分かります。彼はまるでダンスを踊る様に軽快に、ヒラリヒラリと敵をかわしシュートを決めます。とても素敵なんです。」

 私はなぁなぁで聞きながら時計を覗き見し、ショックを受ける。

 私は娘が話を始めてから、てっきり数時間は経っているだろうと思っていたが、何とまだ5分も経っていなかったのだ。どんな座学よりも退屈で不毛な時間はまだまだ続く……

「彼は聡明で博識でもあります。

 彼はよく日当たりの良いカフェで本を読んでいて、ある時読んでいたのは物理学の論文でした。また、別の日には経済学の学術書を読んでいました。そして、また別の日は世界史の資料集でした。

 勿論、文学も嗜んでらっしゃいます。宮沢賢治、太宰治、芥川龍之介に川端康成、三島由紀夫……いつも違う本を読んでいるので彼が一体どんな作品が好みなのか残念ながら分かりません。

 そして、その知性の高さを鼻にかけたりは絶対にしません。誰に対しても分け隔てなく接します。老いも若きも、男も女も、豊かな人も貧しい人も、彼は分け隔て無く親切です。

 この前は旅人に道を教える為わざわざ駅まで同行されました。駅からの帰りにはお年寄りと一緒に、その方の大きな荷物を抱えて家まで送りました。

 捨てられた犬猫の里親探しなどもされています」

 私は教会の評判に関わる為、度々人に親切にする事を強いられる。もし、彼女の言う通りその男が自ら率先して人に親切にする聖人ならば是非とも紹介して欲しいものだ。ちょうど今、教会前に捨てられていた猫の貰い手に苦心している所で、その彼とやらに頼みたい。

 だが、そんな善人なぞ、聖書の中以外で聞いた事が無い。

(いい加減、下らない妄想話に付き合うのはウンザリだ!!)

 私は話を終わらせる為、娘に語りかける。締めの言葉、『祈りなさい、さすれば主も許す事でしょう』を胸の内に留めながら。

「成る程、それがあなたの罪。彼を好きに成った理由ですね」

 それまで捲し立てる様に喋り続けていた娘が途端に静かになる。

 反応が無い事に不安を覚えた私はこの時初めて格子付きの小窓から娘の様子を伺うと、そこには修道服に身を包み、腰まで伸びた長い黒髪の少女がキョトンとした表情で座っていた。

(あの修道服、私が勤めている学校の制服に違い無い。しかし、この少女が一体何組の生徒なのか私には解らない……)

 私は今、教会の仕事の傍らにカトリック系の神学校で講師を勤めている。

 この年頃の娘は少々五月蝿く私は苦手で、成るべく講義以外の時間では避けて来た。それ故、クラス以外の生徒で顔を覚えていない生徒が居てもおかしく無いのだが、これだけ特徴的な長い黒髪なら一見で記憶に残ると思う。しかし、私の記憶の糸を辿ってみても思い当たるフシは無かった。

「何をおっしゃっているのですか?神父様。あの人を好きに成った事が罪?

 フフッ……面白い冗談ですね。

 もし、あの人を好きに成った事を罪だと言うなら、生きとし生ける者全てが咎人と言えましょう。

 あの人に好意を寄せない者など、世界中探しても居る筈はありませんから……」

 彼女が言う男が一体どんな大人物なのかなど私には最早どうでも良かった。

 それより何より今までのやり取り、(とは言っても殆どが彼女の独り語りなのだが……)それが全て無意味なモノだと知らされた私は頭の血管がぶち切れそうな程怒りの感情が沸いていた。

 個室の壁をぶち破り少女に掴み掛かりたい衝動に駆られた私は再び少女の顔を覗く。すると、年端もいかない少女だと思っていた女は薄ら笑いを浮かべており、それはまるで何百年も生き続けて来た老獪な魔女の様であった。それまで怒りで我を失っていた私はその不気味な笑顔を見た瞬間、血の気が引き正気を取り戻す……

 辛うじて冷静さを取り戻した私は改めて考えを巡らせる。

(もう一度整理しよう。そうだ、コイツは罪を告白しに来たのだ。

 ……コイツはある男を好きに成ったと言ったが、それ自体が罪では無いと言っている。そうだ、やはり私の当初の予想通り不倫か何か下らない理由なのだろう。落ち着け私。適当に返せばじきに終わる……)

「これは失礼。

 では、貴女の犯した罪とは何なのでしょうか?

(さあ言え!!どうせ妻帯者でしたってオチなんだろう?禁断の恋とやらに酔いしれている間抜けヅラをさっさと晒せ!!)」

 娘は不敵な笑みを湛えたまま返答する。

「犯した罪?

 イイエ、神父様。私はまだ何一つ罪を犯していません」

「!?」

「これからです。これから罪を犯すのです。

 それ故にこちらの教会に伺った次第であります」

 私は娘の言っている言葉の意味が直ぐには解らなかった。

(どう言う事だ?

 ……そうか!?つまり、これからその男と不貞を働くつもりだな!!本当に下らない思わせ振りな態度だ!!良いからさっさと吐き出しちまえ!!)

「あの人はとても素敵な人なんです」

(だからその件は聞き飽きたんだよ!!良いからさっさと喋れ!!)

「先程も言った様にあの人は皆から愛される人なんです。

 そして、皆に愛を与える人でもあります。

 その愛は皆に等しく注がれます。

 それ故にあの人は生涯を共にする伴侶はおろか、恋人すら居りません」

「!?」

 神経を逆なでるかの様に私の予想は外れる。

「私はあの人が他の人……特に女の人に優しく接しているのを見ると嫉妬で狂いそうに成ります。

 あの人が泣いている少女を優しくなだめ母親探しを手伝っている姿。お婆さんの手を繋ぎ一緒に階段を登っている姿。

 私はそんな姿を見る度に微笑ましく思う反面、グツグツと煮えたぎる様な嫉妬心に支配されていきます」

 「嗚呼……

 出来うる事なら、その女をケツの穴から切り裂いて子宮を引き摺り出し、汚い息を吐く口にぶち込んでやりたい……」

 恍惚の表情を浮かべ語る少女を目の当たりにした私は、関わってはいけない人間……否、少女の形をした化け物に関わってしまった事を深く後悔する。

 成るべく事を荒立てずやり過ごす事に全神経を集中する……

「私は決めました。

 イイエ。きっと、ずっと前から。おそらく生まれるよりずっと以前から決まっていた事なんです。

 これを運命と言わずして、何と言いましょう?」

 相も変わらず勿体ぶった娘の口振りに私は苛立ちを感じたが、グッと堪えて聞き手に徹する。

「私はあの人を手に入れます。

 あの人の沢山の人に向けられるべき愛を私だけの物にします」

(恋する乙女の何とも意地らしい告白じゃないか……)

 普通ならそう思える。普通なら……

 しかし、それまでの言動と崩れない不気味な笑みがソレを全力で否定する。

「ですが神父様。

 私はあの人の素敵な所を沢山挙げてきましたが、あの人にも欠点は有るんですよ。

 少し厄介な欠点が……」

「厄介な?」

「ええ、少し。

 ……イイエ、私にとってはとても厄介な欠点です」

「とても?」

「ええ、とても厄介な欠点です。

 それが彼の魅力の1つでもあるんですけど……」

 煮え切らない言葉を繰り返す少女に再び苛立ちが募る。

「実は私……

 告白しました。

 彼に『好きです』と伝えました。

 今日と同じ2月14日のバレンタインの日に……」

 娘の瞳が憂いに満ちているのが壁を隔てて相対する私にも伝わる。

「彼の返事は『NO』ではありませんでした」

 私は首を傾げる……

 沈んだ声とは裏腹の返事、それより何より、こんな頭のオカシイ娘の告白に応じる奴が居るとは思えなかったからだ。

「ですが、『YES』でもありませんでした」

「……」

 重い空気が流れる。

「彼は只一言、『ありがとう』と言ったっきり、それ以上の返事はありませんでした。

 ……彼は私の一世一代の告白を、いとも容易く、アッサリと受け流したのです」

 娘は徐々に声を荒げる。

「彼は私の勇気を出した告白を、好物を聞かれたらハンバーグと答える様な、好きな野球チームを聞かれたらジャイアンツと答える様な、その程度の『好き』と捉えた様です」

 彼の唯一とも言える欠点。それは、途轍も無く鈍感だと言う事です」

 私はこの時初めて、彼女に対して同情を抱く事になる。

 彼女を歪ませたのはこの男の不甲斐ない態度のせいだろうか?

「酷い男だね」

 同情の言葉をそのまま素直に返すと、それまで薄幸の乙女だった娘が再び恐ろしい魔女に変貌し、神父に言い返す。

「神父様。

 先程も言いましたが例え神父様と言えど、悪口は許しませんよ。

 3度目は有りませんからね」

「す、すまない……」

 共感のつもりが反感を買い、戸惑いながらも私は謝った。

 神父を諌めた後、再び娘は話を戻す。

「私は彼を自分だけのモノにします。

 ですが、先程言った様にそれは一筋縄ではいきません」

「私はこんな事もしました」

 そう言って娘は大の字に束ねられた藁と長さ15cm程もある大きな釘を取り出した。

「神父様はご存知ですか?

 この様に人の形を模した藁に意中の人の毛を編み込み、そしてこの釘を打ち込めばその人をモノに出来ると言うまじないを……」

 勿論知っている。知っているが、娘の説明と私の知っているソレとは大きな食い違いが有る。そもそもソレはまじないと言う生優しいモノでは無い、ソレは言わば呪いである。

「でも、所詮はまじない。

 何度やっても何の効果もありませんでした」

 ザクザクと藁を刺しながら無邪気に嗤う娘。その不気味な光景から私は最悪の結論に至る。

(殺す気か……)

「私はこの様に何度も何度も試してみましたが、あの人は何事も無かった様にピンピンとしていました」

 娘の言葉、『モノにする』の意味は意中の相手に振り向いて欲しいと言った意地らしい乙女心の類では無い、娘は男を殺す積もりの様だ。

 前言撤回。

 事情を聞いた当初、娘が狂ったのは男のせいだと思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。娘は元々歪んだ性格の持ち主だった様だ。

 計画を知ってしまった以上、娘の凶行を止めるべきだろうが、もしそんな事をしたらどんなとばっちりが来るか解らない。男には気の毒だが、この件に私は一切関わらないでおこう。

「フフッ……

 長々と退屈な話にお付き合いさせて申し訳有りません。ですが、もう少しだけ私の話にお付き合い下さい。

 ……そうですね。これ以上神父様を退屈させるのも忍びないので、クイズでもしましょうか?」

「クイズ?」

「ええ、クイズです。

 実はこれまで話して来たお相手と言うのは神父様もご存知の方なのですよ」

(!?)

 私のこれ以上関わらないと言う決意を嘲笑うかの様な娘の言葉。

 言葉が出ない私を余所に話を勝手に進めていく娘。

「それでは問題です。

 私の恋い焦がれるお相手と言うのは一体誰でしょう?」

 突然の問いかけに今も尚思考が纏まらない私は、娘を怒らせまいと必死で考えているフリをする。

「フフフッ

 神父様もよくご存知の方ですよ」

 漸く思考が纏まり始めた私は考える。

(娘の標的がもし本当に私の知り合いなら、助けない訳にもいくまい。

 このまま娘の遊びに付き合って相手の正体を知り、その男に娘が凶行に走るより先に伝えねば……)

「フフッ

 今までお話していた中にもヒントは有りましたよ。沢山ね。」

 私は娘の言葉に従ってもう一度話を整理する。

(娘の意中の男。

 先ずは私の知った人間である事。

 そして、身体的特徴は碧眼銀髪で身長は高い。恐らく私と同じ人種と思うが、健康に気を使っているのか肌の色はやや黒い。確か、サッカーが得意と言っていたな……それに加えて、読書家でボランティアもしている……)

 余りにも盛り過ぎた設定。

 聞くに耐えられない妄想話の人物像に心当たりなんて有る筈も無く、探すのが馬鹿らしくなる。

 容姿に関して言えば故郷に居る友人が数名当てはまりそうだが、友人達は一度も日本に来た事が無いし、娘も観光地でも無い我が故郷に一度も足を踏み入れた事は無いだろう、接点が見当たらない。第一、特技や趣味まで該当する者は誰一人居ない。只独りを除いては……)

「フフフッ

 苦戦している様ですね。では、もう1つヒントを差し上げましょう。

 彼は一見隙が無い様に見えますが、案外無防備な所も有るんですよ。

 先程も誰も見ていないと思って鼻クソをほじっていたのですが、それがまた何とも可愛いらしかったですね」

 背筋が凍る。

 まるで水嵩が増す部屋に閉じ込められ、徐々に溺れていく感じ。

 私は息苦しさの余り、失言をしてしまう。

「ハハハッ

 こんな素敵なお嬢さんの好意に気付かないなんて一体どんな間抜けだろうな」

 それまでネズミを弄ぶネコの様に無邪気に笑っていた娘の表情が変わる。

「三度目ですね。忠告した筈ですよ。

 いくら神父様自身と言えど、許さないと……」

 慌てて口をつぐんだが、もはや手遅れである。

 私は娘が答えを言った事にも気付かずに恐怖で身体が固まる。

「フフッ

 初めてですね。貴方がそんなに恐怖で震える姿を見せるのは。

 その姿を見れただけでも充分です。特別に罰を与えるのは止めましょう」

 私は娘の言葉に一瞬安堵するが、何か大切な事を、何かとても忘れてはいけない事を忘れている気がした。

「フフッ

 もはや罰なんてどうでも良かったんです。

 フフフッ

 だってそうでしょう?

 今から貴方は私のモノになるんだから

 フフッフフフッ……」

 私はこの時に成ってやっと気付く、彼女の標的が私である事に……

 私は頬を力一杯叩き恐怖で固まる身体を無理やり奮わせ逃亡を計る。しかし、もう既に手遅れで出口の前には娘が立って居た。

 私の全てを知り尽くしたかの様に先手を取る娘。

「もう逃がしませんよ……」

 その言葉を聞いたのが最後、私は深い眠りについた……




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