安恭后 晋末期の妃
安帝皇后、
恭帝皇后、
安德陳太后諱歸女,松滋潯陽人也。父廣,以倡進,仕至平昌太守。后以美色能歌彈,入宮為淑媛,生安、恭二帝。太元十五年薨,贈夫人。追崇曰皇太后,神主祔于宣太后廟,陵曰熙平。
安僖王皇后諱神愛,琅邪臨沂人也。父獻之,見別傳;母新安愍公主。后以太元二十一年納為太子妃。及安帝即位,立為皇后。無子。義熙八年崩于徽音殿,時年二十九,葬休平陵。
恭思褚皇后諱靈媛,河南陽翟人,義興太守爽之女也。后初為琅邪王妃。元熙元年,立為皇后,生海鹽、富陽公主。及帝禪位于宋,降為零陵王妃。宋元嘉十三年崩,時年五十三,祔葬沖平陵。
(晋書32-4)
褚靈媛についてのもろもろを言明しないのは優しさかなんなのか……
ともあれ、東新末期の皇后たちはもう、なんだか読んでいて諸々きついですね。
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