安恭后  晋末期の妃

安帝あんていの母、陳歸女ちんきじょ松滋しょうじ潯陽じんよう県の人だ。父は陳廣ちんこう。小姓から立身し、平昌へいしょう太守に至った。陳后は美しく、歌と琴とに長け、孝武帝に見初められ安帝、恭帝きょうていを産んだ。390 年に死亡、夫人号を追贈された。安帝が即位すると皇太后に追尊され、宣太后せんたいごう廟に祀られ、熙平きへい陵に葬られた。


安帝皇后、王神愛おうしんあい琅邪ろうや臨沂りんし県の人。父は王羲之おうぎしの末っ子、王獻之おうけんしである。母は簡文帝かんぶんていの娘、司馬道福しばどうふく。396 年に安帝に嫁ぎ、安帝が即位すると皇后となった。子がないまま 411 年に徽音殿きおんでんにて死亡。29 歳だった。休平陵きゅうへいりょうに葬られた。


恭帝皇后、褚靈媛ちょれいえん河南かなん陽翟ようてき県の人だ。父は褚爽之ちょそうし。司馬徳文が皇帝となると、皇后に立てられた。劉義符に嫁いだ海鹽公主と、富陽公主を産んだ。恭帝が禅譲をなすと零陵れいりょう王妃に降格された。437 年に死亡、53 歳であった。恭帝が葬られている沖平陵ちゅうへいりょうに合葬された。




安德陳太后諱歸女,松滋潯陽人也。父廣,以倡進,仕至平昌太守。后以美色能歌彈,入宮為淑媛,生安、恭二帝。太元十五年薨,贈夫人。追崇曰皇太后,神主祔于宣太后廟,陵曰熙平。

安僖王皇后諱神愛,琅邪臨沂人也。父獻之,見別傳;母新安愍公主。后以太元二十一年納為太子妃。及安帝即位,立為皇后。無子。義熙八年崩于徽音殿,時年二十九,葬休平陵。

恭思褚皇后諱靈媛,河南陽翟人,義興太守爽之女也。后初為琅邪王妃。元熙元年,立為皇后,生海鹽、富陽公主。及帝禪位于宋,降為零陵王妃。宋元嘉十三年崩,時年五十三,祔葬沖平陵。


(晋書32-4)



褚靈媛についてのもろもろを言明しないのは優しさかなんなのか……


ともあれ、東新末期の皇后たちはもう、なんだか読んでいて諸々きついですね。

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