何皇后 何后慟哭
穆帝皇后、
403 年に
「天下はより徳望あるものによって統治されるが常なる理である! どこに何氏の小娘が評価を挟むいわれがある!」
そうして何氏を
「いま戦乱がしばしば起き、民は飢えに苦しんでいる。しかし陛下らの食事は多く、豪華。これでは民に倹約せよということにどれだけの説得力があろうか。その量を節制し、華美とならないようにせよ」
何氏は遠方より帰還したことを穆帝の陵墓にある廟に報告したいと申し出たのだが、有司は未だ戦乱が収まっていないことを理由に却下した。
404 年に死亡、66 歳、皇后皇太后の位にあったこと 48 年であった。
穆章何皇后諱法倪,廬江灊人也。父準。以名家膺選。桓玄篡位,移后入司徒府。路經太廟,后停輿慟哭,哀感路人。玄聞而怒曰:「天下禪代常理,何預何氏女子事耶!」乃降后為零陵縣君。與安帝俱西,至巴陵。及劉裕建義,殷仲文奉后還京都,下令曰:「戎車屢警,黎元阻饑。而膳御豐靡,豈與百姓同其儉約。減損供給,勿令游過。」后時以遠還,欲奉拜陵廟。有司以寇難未平,奏停。元興三年崩,年六十六,在位凡四十八年。
(晋書32-2)
天下禪代常理、と、あえて「皇帝に徳がある」ことは避けて叫ぶ桓玄さんと来たら。マジでこいつの行動徳ねえなあ。「何氏の小娘」とか言うんだったらそこは鷹揚に流すところでしょうに。ただまぁこのへんは普通にブック突っ込んできてもおかしくないエピソードなので、話半分に。
殷仲文のエピソードは、どう拾ったものか。そのまま読むと殷仲文が独断で言い出した(劉裕に尻尾ふるための点数稼ぎとして)ようにも見えるんですが、一方で
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