礼志17 陳淑媛葬礼

390 年、安帝あんていを生んだ陳帰女ちんきじょが死亡。有司では皇太子を産んだ母親であるからその地位は引き上げられるべきであるとし、その妃としての位を夫人とし、家令に葬礼についての差配をさせた。


一方、葬礼について、徐邈じょぼうが提唱する。


「喪服について典籍を引けば、家尊への葬礼をなすに当たり、あくまで家門の正夫人を祀るべきであり、側妾であれば敢えて重く祀るべきではない、とされております。また君子の父が重く葬礼をなさないのであれば、その子もまた重く祀るべきでない、とも。


故に王公の妾より生まれた子は、生母を葬るに当たり、練冠麻衣にして弔い、葬儀が済めば服喪は解除されるべきなのであります。今回のケースも五服の常に当てはまらないものでございますので、司馬徳宗しばとくそう様が長らくの服喪につかれる必要はございますまい」


この提言が採用された。




晉孝武太元十五年,淑媛陳氏卒,皇太子所生也。有司參詳母以子貴,贈淑媛為夫人,置家令典喪事。太子前衞率徐邈議:「喪服傳稱,與尊者為體,則不服其私親。又君父所不服,子亦不敢服。故王公妾子服其所生母,練冠麻衣,既葬而除。非五服之常,則謂之無服。」從之。


晉の孝武の太元十五年、淑媛の陳氏が卒す、皇太子を生みたる所なり。有司は母の子の貴なるを以てるを參詳し、淑媛に贈じ夫人と為し、家令を置きて喪事を典ぜしむ。太子の前衞率の徐邈は議すらく:「喪服の傳にて稱うるに、尊者の體為るを與うに、則ち其の私親に服さずと。又た君が父の服さざる所、子も亦た敢えて服さず。故に王公の妾子は其の生まる所の母に服すに、練冠麻衣にして、既に葬ざば除す。五服の常に非ざれば、則ち之を服す無しと謂ゆ」と。之に從う。


(宋書15-3)




あ、これは前話に比べると「これまでの流れ」に沿ってて理解しやすい。けどさぁ、いや、「生母への悲しみ」はちゃんと期間持ってやれよってゆうね……まぁそれは公的にやらず私的にやれってことなんでしょうけど、さすがにそれはそれで鬼じゃないですかねえ……?

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