礼志16 李太后服喪

400 年、孝武帝こうぶていの母、李陵容りりょうようが死亡した。

徐広じょこうが李陵容の葬儀について述べる。


「太皇太后陛下のお立場は皇帝にも近きもの。ならばその葬礼は最大の敬意を以てなされるものとされるべきです。母は子の尊さによってその葬礼が定められるもの、とも申します。夫人と号されてこそおりましたが、昔、春秋の文公も側妾でしかなかった母のために三年の喪に服しております。確かに子は父により生まれるもの、しかし尊重の義は重んじねばなりません。


祖母を祀るのが孫であることが不思議でならない、とお思いであろうとも、その祭礼を中断なさることがございませんよう。孫が祖母を慕うのは当然のこと、それを礼の文献に載らぬからと祭祀の実施を迷われるようであれば、敬慕の情と礼の文面、どちらを重んずるかで量ればよろしいでしょう。


このため、太皇太后様のため三年の服喪をなさるべきと存じます。とは言え、この葬礼に穆帝ぼくてい皇后は準じるべきでもございますまい。一舉のみでよろしいでしょう。また百官も同じようにすべきと存じます」


この建言が承認された。




晉安帝隆安四年,太皇太后李氏崩。尚書祠部郎徐廣議:「太皇太后名位允正,體同皇極,理制備盡,情禮彌申。陽秋之義,母以子貴。既稱夫人,禮服從正。故成風顯夫人之號,文公服三年之喪,子於父之所生,體尊義重。且禮祖不厭孫,宜遂服無屈。而緣情立制,若嫌明文不存,則疑斯從重。謂應同於為祖母後齊衰三年。永安皇后無服,但一舉哀。百官亦一朞。」詔可。


晉の安帝の隆安四年、太皇太后の李氏が崩ず。尚書祠部郎の徐廣は議すらく:「太皇太后の名位は允正にして、體は皇極に同じうす、理の制備せるを盡くとし、情禮は彌いよ申ぶ。陽秋の義、母は子を以て貴しとす。既に夫人と稱し、禮は正に服從す。故より風は成りて夫人の號は顯ぜられ、文公は三年の喪に服すも、子は父にて生まる所、尊の義の重きを體ず。且つ祖の禮せるは孫を厭まず、宜しく遂に服せるに屈せる無かるべし。而して緣情の制を立つるに、若し明文の存ぜざるを嫌ざば、則ち斯く重きに從えるを疑うべし。應に祖母の後齊衰朞を為すと同ずべく謂ゆ。永安皇后の服せる無かば、但だ一舉にて哀ずのみ。百官も亦た一に朞す」と。詔じて可とす。


(宋書15-2)




わはは、さっぱりわかりませんね! これはどうなんだろう、なんか以前のところで庶出の子が家門を継いだときに生母をそんなに重く扱うな、みたいな話を聞いた気がするんだけど、そことバッティングしているように見えるのよな。それとも祖母になると話が変わる?


あと国号が同じ「晋」だからって、春秋晋を「同じ国」扱いしているっぽいのを感じます。この辺って曹魏とか前秦辺りで、なんか似たケースを見出せるのかなあ。まぁ東晋になってことさらに正統性を謳いたいがために「うちは春秋晋を継ぐものだ!」って唐突に言い出したのかもしれませんが、よくわからんですね。


……と思ったら goshu 様よりここの文公が晋ではなく魯の文公であるとのご指摘を頂戴しました。ほんまや……(ほんまや)


もゥまヂ無理……左伝の Web 索引作ろ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る