天文15 星変397年
宋書。
397 年 1 ,火星が
同月に
397 年 6 月、月が
6 月,郗恢が
魏書。
397 年 6 月、が太微垣端門の外にて金星を覆った。戰のきざしである。「南宮にまで兵乱がおよぶ、とされた。「朝庭に兵乱あり」。
この頃後燕の慕容宝が和龍にまで逃れており、9 月には慕容麟が三万の衆を糾合、新市を攻撃してきていた。拓跋珪が自ら迎撃、義臺にて大いに打ち破っている。こうして河北の地は平定された。しかし晋のエリアでは桓玄らが手を組んで皇室を侮っており、東晋朝廷は連日戒厳態勢を布かざるを得なかった。
なお 1 月には火星と哭星が並んでいる。「喪われ哭泣に値する事態が起こる」。8 月には火星が井宿、鉞宿を守った。「大臣が誅される」。
10 月に拓跋題が死に、398 年 1 月には右軍將軍の尹國が謀反を起こしたため、討伐された。
晉安帝隆安元年正月癸亥,熒惑犯哭星。占曰:「有哭泣事。」二月,歲星熒惑皆入羽林。占曰:「軍兵起。」四月丁丑,太白晝見,在東井。秦有兵喪。是月,王恭舉兵,內外戒嚴。尋殺王國寶等。六月,羌賊攻洛陽,郗恢遣兵救之。姚萇死,子略代立。什圭自號於中山。
隆安元年六月庚午,月奄太白,在太微端門外。占曰:「國受兵。」乙酉,月奄歲星,在東壁。占曰:「為飢。衞地有兵。」八月,熒惑守井鉞。占曰:「大臣有誅。」二年六月戊辰,攝提移度失常,歲星晝見在胃。胃,兗州分。是年六月,郗恢遣鄧啟方等以萬人殘虜於滑臺。滑臺,衞地也。啟方等敗而還。九月,王恭、庾楷、殷仲堪、桓玄等並舉兵表誅王愉、司馬尚之兄弟。於是內外戒嚴,大發民眾。仲堪軍至尋陽,禽江州刺史王愉,楷將段方攻尚之於楊湖,為所敗,方死。王恭司馬劉牢之反恭,恭敗。桓玄至白石,亦奔退。仲堪還江陵。三年冬,荊州刺史殷仲堪為桓玄所殺。
皇始二年六月庚戌,月奄金于端門之外。戰祥也,變及南宮,是謂朝庭有兵。時燕王慕容寶已走和龍,秋九月,其弟賀麟復糾合三萬眾,寇新市,上自擊之,大敗燕師于義臺,悉定河北。而晉桓玄等連衡內侮,其朝庭日夕戒嚴。〈是歲正月,火犯哭星。占有死喪哭泣事。秋八月,又守井、鉞。占曰「大臣誅」。十月,襄城王題薨。明年正月,右軍將軍尹國於冀州謀反,被誅。〉
(宋書25-6)
魏書記述のうち〈 〉で括られているぶんは注として付記されています。これ、見てみると宋書にあらわれている星変を北魏で比定してるっぽいですね。まぁ「当たってる占い」だし、多少はね? しかしこうしてきっちり星変を追うと、「うんうんそうだねー☆」と無の顔になれます。いや、マジで惑星なんて毎日どっかの星宿犯しとるやん……まぁある程度出てくる星宿は限られているのですけどね。
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