法悦 王懿の作った仏像
彼の耳には、
通常よりも五十センチほど
大きな仏像があり、
これは宋初期の名将である
と言う情報が入っていた。
その輝きぶりは
最も優れている、とすら言われる
ものであったという。
彭城の辺りで災いがあったり、
僧や尼に事故があったりするときには
この仏像が汗を流したという。
汗の量は災いの規模に比例した、
とされる、霊験あらたかなものだ。
彭城は北魏の手に落ちていた。
一万人の工夫を派遣したが、
結局動かせなかったという。
釋法悅者,戒素沙門也。悅嘗聞彭城宋王寺有丈八金像,乃宋王車騎徐州刺史王仲德所造,光相之奇,江右稱最。州境或應有災崇,及僧尼橫延釁戾,像則流汗。汗之多少,則禍患之濃淡也。宋泰始初,彭城北屬,群虜共欲遷像。遂至萬夫,竟不能致。
釋法悅なる者、戒素なる沙門なり。悅は嘗て彭城の宋王寺に丈八なる金像有りて、乃ち宋の車騎徐州刺史たる王仲德の造る所にして、光相の奇なるは江右にて最も稱えらると聞く。州境の或いは應に災崇有らんとせば、僧尼の釁戾に橫延せるに及ばば、像は則ち汗を流す。汗の多少は、則ち禍患の濃淡なり。宋の泰始の初、彭城は北に屬し、群虜は共に像を遷さんと欲す。遂に萬夫至れど、竟には致す能わず。
(高僧伝13-3_術解)
王懿と仏教もまたなかなか侮れない繋がりなんですよねー。王懿伝にも晩年に寺を建てた、みたいな話は出ています。同じ寺だったんでしょうかね。
仲德三臨徐州,威德著於彭城,立佛寺作白狼、童子像於塔中,以河北所遇也。
車騎将軍は追贈なのかな。王懿伝はどうにも欠落が多すぎていて、読んでいて悲しいのです。明らかに劉裕軍閥の中でもトップクラスなのにねぇ……。
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