僧洪 銅禁の法
若い頃から身を清潔に整えており、
縁ある人らと共に一丈六寸の仏像を制作。
鋳造までは済んだもの、
鋳型から取り出すにまでは至らなかった。
416 年に銅製器物の製作が禁じられ、
禁令を犯したものを処刑する、
とまで言われていたのだ。
鋳造したのは、銅像。
禁令ドンピシャリである。
僧洪は捕まり
相国、すなわち
とは言えこのとき劉裕は
北伐に出ており、
つまり、責任者不在の府であった。
責任者不在であっても、法は法。
粛粛と処刑の準備が進められる。
執行を待つ間、獄につながれた僧洪は
『
かの仏像のために祈りを捧げていた。
すると、夜。
夢の中に例の仏像が現れ、
僧洪の頭をなでる。
「恐ろしいかね?」
「死は逃れ得ぬと思っております」
「憂うことはない」
見ればその銅像は、胸の辺り
三センチ四方が黒くくすんでいた。
一方、相国府。
処刑の管理にあたっていた幹部が
見回りをしていたところ、牛が暴走。
処刑に用いる車が壊れてしまい
期日の変更を余儀なくされてしまう。
そこに、一通の指令書が舞い込んできた。
彭城にいる劉裕からである。
「もし僧洪の処刑が済んでおらねば、
その罪を不問とせよ」
こうして僧洪は処刑を免れた。
瓦官寺に戻った僧洪、
放置されていた鋳型を開けてみる。
すると現れた仏像の胸元には、
果たせるかな、胸に三センチ四方の
黒ずみがあった。
その後僧洪は厳しい苦行を自らに課し、
それが元で、死亡した。
釋僧洪,豫州人,止于京師瓦官寺。少而修身整潔。後率化有緣,造丈六金像,鎔鑄始畢,未及開模。時晉末銅禁甚嚴,犯者必死。宋武于時為相國,洪坐罪繫于相府,唯誦『觀世音經』,一心歸命佛像。夜夢所鑄像來,手摩洪頭,問:「怖不?」洪言自念必死。像曰:「無憂。」見像胸方尺許,銅色燋沸。會當行刑,府參軍監殺,而牛奔車壤,因更尅日。續有令從彭城來云:「未殺,僧洪者可原。」遂獲免。還開模,見像胸前果有燋沸。洪後以苦行卒。
釋僧洪、豫州の人。京師の瓦官寺に止む。少きに身を修め潔きを整う。後に率化し緣有りて丈六なる金像を造るも、鎔鑄の始めて畢らんとせるに、未だ開模に及ばず。時に晉末、銅の禁の甚だ嚴しく、犯せる者は必ずや死す。宋武の時に相國為れば、洪は罪に坐して相府に繫がれ、唯だ『觀世音經』を誦え、一心に佛像に歸命せるのみ。夜の夢に鑄したる所の像が來たり、手にて洪が頭を摩し、問うらく:「怖るるや不や?」と。洪は自ら必死なるを念うと言う。像は曰く:「憂い無し」と。像の胸を見るに尺許りの方にて、銅色が燋沸す。當に刑の行われんとせるに會し、府の參軍の殺を監ぜんとせば、而して牛が奔じ車は壤じ、因りて日は更尅さる。續きて令の從彭城より來たる有りて云えらく:「未だ殺されざらば、僧洪は原ずべし」と。遂に免がるを獲る。還じ模を開かば、像が胸前に果して燋沸有るを見る。洪は後に苦行を以て卒す。
(高僧伝13-2_術解)
銅
宋書60巻
時言事者多以錢貨減少,國用不足,欲悉市民銅,更造五銖錢。泰又諫曰:「流聞將禁私銅,以充官銅,民雖失器,終於獲直,國用不足,其利實多。」(范泰伝)
この話が永初二年だから、銅の鋳造禁止令は思いっきりこの流れの中にあるヤツのようです。要は国の経済政策の首根っこを揺さぶってくるからやめろ、と言う方向ですね。
けど、劉裕様は仏教徒なの。
というわけで「仏像を鋳造!? なら仕方ねえと言えば仕方ねえ、殺されちまってたらどうしようもねえけど、まだ死んでねえなら助けてやらにゃならん」ってなったようです。えっ……政策よりも信仰のほうが優先されるって、ちょっと帰依度半端なくないですかね……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます