道照 劉道規の師
幼い頃から書物や儒典、史書に通じた。
十八のときに出家。
そこで仏典にもまた通暁し、
得た知識を広めようと志した。
発声は明瞭。声だけで聴衆の心を洗い、
その指示は常に適切なものであり、
みだりなことは口端にも登らない。
抜きん出た存在として知られた。
かつて
斎戒の儀式を執り行ったとき、
その初夜に、道照が演説した。
「百年もの歳月は速やかに移りゆき、
人の子もあえなく死んでしまうもの。
人が味わう苦楽には
程度の差こそございますが、
そのいずれもが因果に基づきます。
陛下に置かれても、あまねく天下を
よく慰撫下さいますよう」
この演説に対し、劉裕様、大喝采。
斎戒の儀式が終わると、
道照に三萬銭をプレゼントした。
なお 412 年に亡くなった劉裕の弟、
そんな道照は 453 年に死んだ。66 歳。
釋道照,姓麴,西平人。少善尺牘,兼博經史,十八出家,止京師祇洹寺。披覽群典,以宣唱為業。音吐嘹亮,洗悟塵心,指事適時,言不孤發,獨步於宋代之初。宋武帝嘗於內殿齋,照初夜略敘百年迅速,遷滅俄頃。苦樂參差,必由因果。如來慈應六道,陛下撫矜一切,帝言善久之。齋竟,別嚫三萬。臨川王道規從受五戒,奉為門師。宋元嘉三十卒,年六十六。
釋道照、姓は麴、西平の人。少きに尺牘に善く、兼ねて經史に博く、十八にして出家し、京師の祇洹寺に止む。群典を披覽し、宣唱を以て業と為す。音の吐せるは嘹亮にして、塵心を洗悟し、指事は時に適い、言に孤發せず、宋代の初の獨步たる。宋武帝の嘗て內殿にて齋せるに、照は初夜に略ぼ敘すらく「百年の迅速、俄かの頃にて滅にぞ遷り、苦樂が參差、必ずや因果に由る。如來は六道を慈應し、陛下は一切を撫矜なれんことを」と。帝は「善し」と言うこと之れ久し。齋の竟うるに、三萬を別嚫す。臨川王の道規は受五戒に從い、奉じ門師為る。宋の元嘉三十に卒す、年六十六。
(高僧伝13-4_寵礼)
393 年生まれということは、413 年の劉道規死亡のときにギリギリ二十歳、劉裕の斎戒のときには 29 歳ですよ……どういうことこれ……?
劉道規死亡近くの頃に看病担当の一人だった、みたいな感じなのかもしれませんね。建康入りした時期が、劉道規が病を得て江陵から建康に戻ってきた辺りと被るんですよね。あるいは看取った、とかなのかなあ。もしくはタイムライン的に見ても、「
ともあれ、
それが終わってから、
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