沮渠蒙遜1 「大」且渠  

のちに涼州戦線を制覇する北涼ほくりょうの王。

だい」位につく男、沮渠蒙遜そきょもうそん

張掖ちょうえき臨松りんしょう県の盧水ろすい周辺に住む胡人だ。


匈奴きょうどに左且渠、右且渠という官位があり、

沮渠蒙遜の先祖はこの地位にあった。

先祖はこの官職を姓とし、

また羌族きょうぞくでは酋長を「大」とするため、

この二つを組み合わせ、

大の且渠、と名乗ったのだ。


代々盧水周辺を根拠地とし、

一帯の民を統率してきた。


高祖父は沮渠暉仲歸そきょきちゅうき

曾祖父は沮渠遮そきょしゃ

どちらも武勇を鳴らしていた。


祖父の沮渠祁復延そきょきふくえんは狄地王に封爵された。

父の沮渠法弘そきょほうこうが爵位を継承した時、

前秦ぜんしんは沮渠法弘を中田護軍とした。


沮渠蒙遜は父に代り部曲を統率。

勇猛果敢、智謀溢れるその存在感により、

周辺胡族より推戴、敬服されるに至った。




大且渠蒙遜,張掖臨松盧水胡人也。匈奴有左且渠、右且渠之官,蒙遜之先為此職,羌之酋豪曰大,故且渠以位為氏,而以大冠之。世居盧水為酋豪。蒙遜高祖暉仲歸,曾祖遮,皆雄健有勇名。祖祁復延,封狄地王。父法弘襲爵,苻氏以為中田護軍。蒙遜代父領部曲,有勇略,多計數,為諸胡所推服。


大の且渠蒙遜、張掖の臨松の盧水の胡人なり。匈奴に左且渠、右且渠の官有り、蒙遜の先は此の職為りて、羌の酋豪を大と曰い、故に且渠を以て位を氏と為し、而して大を以て之に冠ず。世よ盧水に居し酋豪為る。蒙遜が高祖は暉仲歸、曾祖は遮、皆な雄健にして勇名有り。祖の祁復延は狄地王に封ぜらる。父の法弘の爵を襲うに、苻氏は以て中田護軍と為す。蒙遜は父に代りて部曲を領し、勇略有し、計數多かれば、諸胡に推服さる所と為る。


(宋書98-4_為人)




「父に代り」。いいですねぇこのぼかし方……頭曼とうまん冒頓ぼくとつの関係かな?


ちなみに晋書には「博涉群史,頗曉天文,雄傑有英略,滑稽善權變,梁熙、呂光皆奇而憚之,故常遊飲自晦。」という記述もあります。バリバリの文武両道だったけど、前秦の地方将であった梁熙りょうき呂光りょこうの目をごまかすために遊び歩くことで韜晦していた、とのこと。


かれは後々五胡十六国の中でも最もカオスな涼州りょうしゅう地方のポスト淝水ひすい戦線を制覇することになるのですが、その辺はまるまるカットします。詳しく知りたい方はヒストリストさんのブログをどうぞ!


https://histomiyain.com/category/%e6%ad%b4%e5%8f%b2/%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%8f%b2/%e4%ba%94%e8%83%a1%e5%8d%81%e5%85%ad%e5%9b%bd%e6%99%82%e4%bb%a3/%e5%8c%97%e6%b6%bc%e3%83%bb%e6%b2%ae%e6%b8%a0%e8%92%99%e9%81%9c/


うちでやるのは、あくまで劉宋りゅうそうとの関係だけ。だってそうしないとクッソなgンッガックック


北涼ってのは基本的に東晋とうしん~劉宋から遠く離れた地ではあるんですが、ただ一方で南朝にとって最悪の敵である北魏ほくぎの西の端を抑えてくれている国でもある。つまり北魏の南下の障りとなってくれる。劉裕にとってはとっても都合がいい存在なんですね。ちょっと前まで「なんで宋書に北涼やねん」って疑問に思ってたんですが、考えてみれば当たり前でしたわ。劉裕、本当は柔然とも結びたかったろうけど、さすがにそこまで足を運ぶのは難しそうですしね。あるいは史書に載ってないだけなのかしらね。


というわけで、宋書列伝、ラストの人物のお話なのです。

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