『死神』より

僕は時々思いつきで奇行に走る。


その時思いついたのは隣の県の適当な場所へ弟の車で送ってもらい降りた場所から出来るだけ交通機関を使わずに地元まで帰るというとんでもなく生産性の無い暇潰しだった。


出不精でインドア、オタク気質の僕が突然訳の分からない事を頼むので弟のじゅんは怪訝そうな顔をした。


「何?洋そんな年になって今から家出でもする気?」


笑いながら僕は答えた。

「いや、何となく今まで行った事ない場所から苦労して家に帰って来たらやっぱり家は落ち着くなって再確認するかもと思ってさ。

仕事先も潰れたしリフレッシュみたいなもんだよ。年は関係ないだろ、冒険は

男のロマンなんだよ。」


「やっぱり洋は変わってるな、そういう所嫌いじゃない。」


そういう風に僕と潤は隣県の山奥までドライブをする事になった。

天気は快晴、昼下がりの日曜日の事だ。

三つ下の潤の、地元の誰々とヤッただとかこういう可愛い女の子をナンパした、だとか陽キャの権化の様な話を聞きながら僕はある事を思い出していた。


二か月前に亡くなった同級生の事だ。

仲原とは高校の時の同級生でよく落語の話で盛り上がった仲だった。

あるきっかけから僕は落語に嵌りそれに詳しいクラスメイトの仲原と仲良くなった。


彼は六代目三遊亭圓生が好きで圓生師匠の『死神』が一番怖いと熱く語っていたのを思い出す。

僕もあの流れるような語り口で紡がれる怪談話や人情話が大好きになった。

師匠の話から僕はいつも死をイメージする。


それと対極にある三代目古今亭志ん朝が僕のお気に入りでそれを巡って喧嘩になった事もあるのだがそれはまた別の機会に話すよ。





仲原は自殺した。まだ二十半ばだった。



朝なかなか起きて来ないので母親が部屋のドアを開けると梁にロープを垂らし首を吊っていたらしい。


息子が首を括っている所を見た心境を想像し救い様の無い気持ちになる。


同い年で仲の良かった人間がもうこの世に存在しないという事実を僕にはまだ受け入れられないでいた。



***



「ここら辺なら帰ってくるのに苦労するんじゃない?まあ頑張ってよ、帰って来たら酒を飲もう。」


そう言って潤はデートの約束をしている女の子の元へと向かっていった。


深呼吸をして辺りを見回す、左右を山に囲まれた道路で歩道がズドンと真っ直ぐ続いている。

永遠に続いているような直線だった。


腕時計を見ると夕方の四時になろうとしていて山の影ですでに薄暗くなりかけている。

急いで帰らなければとスマートフォンを取り出して地図を開く、GPSはきちんと作動している様で近くの駅まで10kmと出ていた。

このまま行くと出来るだけ交通機関を使わずにというルールは守れそうにない。

リュックを担ぎ直して僕は歩き出した。


誰も歩いていない。

車は時々通るのだがひと気の無い逢魔ヶ刻、僕はとても心細くなったのでイヤホンを付けYouTubeで落語を聞く事にした。

古今亭志ん朝の『居残り佐平次』を流す。

男が遊郭で金もないのに豪遊し居残りをする噺だ。

この男の様に人生を強くしたたかに生きていけたら、とこの噺を聴く度に思う。

もしかしたら仲原も死を選ばなかったかもしれない。

成人してから何度か飲んだが死の匂いを感じる事は無かったのに、死んでしまったらもう好きな落語も聴けないじゃないか。


自分の蝋燭ろうそくを吹き消すなんて馬鹿だよ。

そう思い僕はさめざめと泣いた。


居残り佐平次が終わり申し合わせた様に三遊亭圓生の死神が流れ始める。


辺りは真っ暗になっていてまだ駅は遠い。

心臓の音が大きく鳴るのを感じた、タイミングが良すぎる。

でも、これはと僕は思った。

もしかして仲原からのリクエストなのかもしれない、彼の一番好きだった噺を聴く事で弔いにしようと僕は思った。


金が無く嫁から金を借りれるまで帰ってくるな、と家を追い出された男が自殺を決意した途端目の前に死神が現れる。


圓生のこの死神の演技がとんでもない、生きている体温を全く感じないのだ。何度聴いても恐ろしくなる。


死神が男に医者仕事の話を持ちかけた辺りでスマートフォンの上にポップアップが表示された。




仲原からメッセージが届いています。




背筋が凍った

彼はもうこの世には居ない。



周りは暗い山に囲まれていている。


死神を消して歩く速度を上げる。


パニックに陥りそうになりながら明るい場所を目指した。

息も絶え絶えにやっとの事で小さな駅に辿り着いた、まばらだが人もいる。

近くの自動販売機でお茶を買い一気に飲み干す。

ベンチで何度か大きく息を吸い込み落ち着いてから恐る恐る仲原からのメッセージを開く。



仲原の兄です。洋さん、お葬式に来ていただき弟も喜んでいたと思います。

この弟のSNSアカウントを閉鎖しようと考えておりまして連絡させていただきました。



あの世からのメッセージでは無いことに安堵しつつ僕はなんとも言えない気持ちになった。


仲原は二度も蝋燭を消してしまった。







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