わたしわたし

僕が若い頃通っていたバーで知り合った女の子の話だ。


ある日カウンターでアードベッグのフロートを飲んでいると隣に座る女の子が不意に話しかけて来た。


内容は良く覚えていないが何を飲んでいるんですか、とか良く来るんですか?みたいな何の変哲も無い会話だったように思う。

僕はそちらの方に視線を向け、一目で恋に落ちた。


儚げな幸薄はっこうの美人、憂いを秘めた瞳。まるで絵画から抜け出て来たような人だった。


すぐに意気投合し明け方まで話し続けそのまま彼女の家に泊まり、体を重ねた。

その後何度かデートをして僕達は付き合う事になった。


ただこれは恋愛の話では無い。


彼女は一人で抱えきれない程の大きな闇を抱えていた。


僕は昔からメンタルを病んでいたり、悲しい過去を持っている女の子が何故か寄ってくる性質を持っている。


安定剤が手放せなかったり、自傷癖があったり、その子も例に漏れずトラウマを持っていて∮§⁂△から暴行を受けてPTSDを患ってしまっていたのだ。


付き合いたての頃、僕の家に来た彼女の前でそれを知らずに僕は右手で頭を掻いた、ただ掻いた。

その動きを見ただけでガタガタと彼女は震え出しパニックになった。

理由が分からなかった僕はとりあえず彼女を抱きしめ頭を撫でながら大きく息をする様に優しく言い続けやっとの事で落ち着かせた。


その後話を聞くとずっと日常的に殴られたり蹴られたりの暴力を受けていたらしい。

僕に殴られると思った彼女は過去がフラッシュバックして怖くなってしまったと言う。

今まで感じた事がない程の怒りとやり切れない気持ちを覚えた。


丁寧にコーヒーを煎れ彼女の前に置く。

ポツリポツリと彼女は話し始めた。


逃げるように地元を出た事、頼れる人がいない土地で今まで一人孤独に生きて来た事、そしてバーで僕に会った事。


僕を見た時この人なら私を助けてくれるかもしれないと何か感じる物があったらしい。


僕は約束をした。

∮§⁂△がもし現れたら生まれて来た事を後悔させてやる、と。



***



彼女には恐れていることがもう一つあった。


「私は私が怖いの。」


「取り乱して自分が自分でなくなってしまう事が怖いって事?」


彼女は首を横に振る。


「私、私を見た事があるのそれも二度。」


マグカップを両手で持ち、コーヒーを啜りながら彼女は話し始めた。


「まだ実家に住んでいた時真夜中に目が覚めてさ、トイレに行きたくて。

両親を起こさないように出来るだけ電気を付けずに階段を降りて行ったの、そしてトイレに辿り着くと中に人の気配がした。

電気が付いていて親が入っているのかと思って待っていたけれどいつまで経っても出て来ないから声をかけようとした途端、ドアが開いて中を見ると私が立っていたの。」


「無表情のもう一人の私は目が合うとスーッと音も立てずに近づいて来てそのまま私を擦り抜けた、恐怖で私は気を失ったわ。」


「…ドッペルゲンガーだ」


「そうだと思う、その後何日かして私は入院した、意識不明になってね。

脳に腫瘍が出来ていたみたいで半年くらい生死の境を彷徨ったの。」


「それが一度目、二度目は高校生の時だった。学校が終わり家に帰ると親が不思議そうに貴方また制服に着替えたの?と聞くの、私は今帰って来たのに。」


ゆっくりとその日を思い出すように彼女は言う。


「嫌な予感がして階段を上がり二階の自分の部屋のドアを開けるとまた私が自分の机に座ってこちらを見ていた。

その時は目があった途端、煙の様に消えてしまったわ。そして二日後に今度は交通事故に遭ってまた集中治療室に入った。」


自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬ、そういう話は聞いた事があるけれど二度見るなんて話はそうそう無いだろう。


「三度目は見たくないな。」


そう言うと彼女は力無く笑った。





その後 一年半程付き合って別れてしまったがあの子は元気でいるだろうか?


元気でいるといいなと思う。


三度目の「私」を見ていない様にと願いを込めてここに記す。

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