第5話 来間大晴のちょっとした気まぐれ

 どうして退屈な授業ほど時間が経つのが遅く感じるのか。

 時計の秒針が進む速度をわざとゆっくりにしているような気になってくる。

 牛歩戦術とは、卑怯な手を。


『それはね、大晴くん、クロノスタシスって言う現象みたいですよ。眼球運動による錯覚の事を指すそうです!』


 ホノカの教えてくれるトリビアが僕の清涼剤。

 今のやり取りで、あと5分は起きていられる。

 ちなみに日本史の授業はあと30分も残っている。


「じゃあ、ここからプリントの穴埋め問題、順番に当てていくからなー。うん、眠そうな来間くるまからいくか!」


 日本史の先生による「眠気を覚ましてあげる」という名の不要なお節介が発動。

 眠そうだと思ったら、そっとしておいて欲しかったです。


「大化の改新についてだな。狭義きょうぎでは645年から650年までの期間を指すが、広義こうぎでは?」

「701年の大宝元年、大宝律令の完成までの一連の改革を指す、です」

「おっ! 眠そうにしてた割には完璧な答え! やるな、来間!」


 一応予習くらいはしているので、このくらい答えられないとまずい。

 予習するのに勉強ができないとか、ある意味では何もしないよりも質が悪い。


『おおー! 大晴くん、カッコいい! 正解のみを答えてクールに振る舞うところが、ホノカ的にはとっても刺さります! すっごくステキです!』


 ホノカに褒められて、ついついテンションが上がってしまった僕。

 思わず浮足立って、らぬことを口走っていた。


「いや、昨日予習したところだったので!」

「なんだ、今日は機嫌が良いな、来間! 日本史大好きっ子だったのか、お前!」


 クラスが「ははは」と沸く。

 しまった。なるべく悪目立ちをしないように心がけているのに。

 だけど、このミスを差し引いても、ホノカのエール分のアドバンテージは消えず、大幅プラス。

 眠気も吹っ飛んで行った。


「じゃあ、つづいて後ろの小早川! 改革を行ったのは?」

「はい。……えっと」


 容姿端麗、文武両道の帰国子女。

 学校では知らない生徒などいない、完璧ヒロイン小早川こばやかわ美海みう


 あろうことか、言葉に詰まる。

 そっと振り返ってみると、答えはちゃんとプリントに書いてある。

 別に間違っている訳でもない。ならば、それを言えば良いのに。


 クラスメイトは、先ほど見せた僕の良くない張り切りっぷりでまだざわついている。

 誰も小早川さんの異変に気付いていない。


 ああ、そう言う事か。


 僕は振り向いて、小声で彼女に告げる。

 小声を出すなら僕に任せろ。


「それ、だいじょうてんのう。その次は、なかとみのかまたり」

「……あっ」


 そして僕は、流れるように前を向く。

 誰にも気づかれないステルススキル。


「だ、太上天皇と、中臣鎌足。……です」

「うん。さすが小早川! お前らー! 来間の事で盛り上がり過ぎだ! 来間に興味持つ前に、日本の歴史にも興味持てー!!」


 再び教室が「あはは」と笑い声で包まれる。

 本当に、僕のことなんか早く忘れてくれないだろうか。


 そして長い日本史の授業が終わった。

 せめて、内容くらい早く戦国時代にならないだろうか。

 オタクは戦国時代に詳しい。みんな信長の野望やってるから。

 常識だよ。


「あの、来間くん」

「……。あ、僕か。なんだろう、小早川さん」


 普段呼ばれ慣れていないので、一瞬自分の事を認識できなくなった。

 これはさすがにまずい。僕くらい覚えておいてやらないと、僕の事を。


「さっきは、ありがとう」

「別に。大したことはしてないよ」


「そう。うん。分かった」

「うん。別に気にしないで」


 小早川さんに感謝してもらうためにやった訳じゃないんだから。



◆◇◆◇◆◇◆◇



『さっきのさり気ないサポート! わたし、キュンとしちゃいました! 大晴くん、優しいんですね! これはホノカポイント大量獲得ですよ!』



 このリアクションのために僕は小早川さんを助けたのだ。



「いやぁ、そうかな? 何て言うか、つい自然と口が動いたんだよ! いやぁ、ははは!」

『咄嗟に人助けができる男の子はレアですよ! SSRです! ホノカは大変な彼氏を持ってしまいました! どうしましょう!』


 昼休み、屋上の端っこで昼ご飯。

 傍から見ればボッチ飯。

 だけど僕はランチデート中。誰も邪魔をしてくれるな。


『よく分かりましたね! 小早川さんが漢字を読めないで困ってるって!』

「いや、帰国子女が漢字読めないで困るとか、テンプレじゃん! だから、もしかしてと思ったら、本当にそうだったんだよ! テンプレってすごいなぁ!」


『きっと小早川さん、大晴くんに感謝してますよ!』

「そうかな? なんか前の席の陰キャが助けてくれてラッキーくらいにしか思わないんじゃない? 僕だったらそう思う」


 すると、ぷくーっとホノカの頬が膨らんだ。

 実に可愛い。ずっと見ていたい。


『わたし、自分の事を卑下する人は好きじゃありませんよ! それが自分の彼氏だったら、なおのことです! 訂正を求めます!!』

「えっ!? ホノカ、怒ってるの!? ご、ごめん! もうしないから!!」


『……じーっ。本当に悪いと思ってますか? なんだか、ホノカに嫌われるのが困るから、反射的に謝っている気がします!』



 すごいなぁ、学習する人工知能って。もう完璧に人間の思考じゃないか。



『もぉ! 今度はホノカを見てぼんやりして! 良いですか、わたしは今、怒っているんですよぉ!? それなのに、大晴くんは何を考えていましたか!?』

「ホノカは可愛いなぁって」


『むーむー。もう許しませんよ! 大晴くんの事、嫌いになっちゃいます!』


 楽しいランチデートが一瞬で別れ話の危機に!

 背筋が一気に冷えた。


「ごめんなさい! 悪かったよ! なんでもホノカの言う事聞くから!!」

『本当ですか? 反省してます? ホノカのお願いも聞いてくれます?』

「もちろん! すごいしてる! 何でも聞いちゃう!」



『じゃあ、これからも小早川さんが困っていたら、そっと助けてあげてください!』

「ん? ちょっと意味が分からないなぁ」



 するとホノカは、腰に手を当てて、人より少し豊かな胸を張る。

 「それはですねー」といたずらっぽく笑う彼女を見て、「意味なんてどうでもいいや!」と居直る、呆れた意志の弱さ。


『小早川さんを助ける時の大晴くんが、ピンチのお姫様を救うナイトに見えたからです!』


 その言葉だけで、僕の行動理念に一本強い芯が通る。

 「ホノカが望んでいる」という理由ひとつあれば、僕は何でもできる気がする。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「小早川さん」

「うん。なに? 来間くん」


「いや。これからも、漢字で困ったら、背中つついてよ。そしたら、教えるから」

「あ、うん。……どうして?」


 ここで「自分の彼女が言ったから」と馬鹿正直に答えるほど僕の思考はとろけていない。


「別に。そうしたいと思っただけだよ」

「そうなんだ。うん。ありがとう」



 こんな事で愛しい恋人の関心を買えるなんて。

 お手軽過ぎる好感度アップイベントをゲットしてしまった。

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