坂の途中

尾木洛

坂の途中

 山の頂上を目指して、坂道を上る。

 山の頂上がゴールだと信じ、ひたすら上る。


 僕もずっと歩んできた。

 歯を食いしばりながら、ただ、あがき続けながら。


 そして、今も、登り続けている。


 辺りは霧に包まれていて、少し先は何も見えない。

 山の稜線がうっすら分かるだけで、頂上がどこにあるのかもはっきりしない。


 これまでも、頂にたどり着けたと感じたときは何度もあった。

 受験、就職、結婚、…………。

 けれど、その度に、新たな頂がれ、新たな坂道が僕の目の前に現れた。


 霧に包まれている坂道に陽の光がさすことはめったにない。

 それに、大抵強い向かい風が吹いていて、僕を辟易させる。


 それでも、道端に咲く、小さな花に心癒されることがある。

 時折出会う小川の水にのどを潤し、活力を取り戻すこともある。

 現れた大きな石に腰を下ろして、疲れをいやすこともある。


 そうして、僕は坂を上り続ける。



 でも、僕は、どうして、こうまでして坂を上り続けるのだろう。

 こんなにつらい思いをして、山の頂上を目指し続けるのだろう。


 そこに頂上があるのかどうかも分からないのに。

 その頂上がゴールかどうかも分からないのに。

 なにより、そこにたどり着けるかどうかも分からないのに。



 背負った荷物の重さが肩に食い込む。

 油断するとバランスを崩して倒れてしまいそうだ。

 厄介なことにこの荷物は、年を経ることに重くなる。

 責任、しがらみ、才能、宿命、…………。

 背負う自分の体力も年々衰えてきてしまう。


 全て投げ出してしまおうか、そう考えるときもある。


 だけど、背負った荷物は、僕の窮地を救ってくれることがある。

 坂道のふさぐように現れた障害物を取り除いてくれたり、襲ってきた獣たちを追い払ってくれたりする。

 それに、この荷物を手放してしまうと、坂を上っているのか、坂を下っているのか分からなくなってしまうような気がする。


 だから、僕は、もう少しの間、頑張ってこの荷物を背負い続けようと思いをただす。



 正直、進んでいる方向が正しいのかどうかの自信もない。

 GPSはおろか、コンパスのようなものも手元にはない。


 だから、自分で考え、自分で決めた方向に、自分を信じて進み続ける。

 長い坂道を上り続ける。


 自分で小さなゴールを決めることもある。

 あの曲がり角までとか、あの大きな木の下までとか。

 そして、その小さなゴールにたどり着けたというちっぽけな達成感を上り続ける糧にする。



 坂の周りには、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ。

 視界は悪く、霧の隙間に青空が見えることはめったにない。


 だから、僕はいつも足元に視線を落とす。

 自らの歩みを一歩一歩確かめるように視線を落として、坂を上り続ける。



 きっと誰もが、坂を上っているのだと思う。


 けれど、坂で人と出会ったことはない。

 あたりに人の気配もない。


 みんなは違う山の頂上を目指して坂を上っているのだろうか。

 同じ山の頂上を目指しているみんなは、違う道を進んでいるのだろうか。


 不安になり自分の歩んできた道を振り返る。

 自分の後ろは遠くの方まで見渡せる。


 僕の歩んできた細く長い道を歩む人の姿は見えない。

 この道を歩む人は、僕一人だけなのだろうか。

 歩む人もなく、やがて草が生え、木が茂り、野に帰って行くだけが運命の意味ない道なのだろうか。


 そもそも、僕の歩みに意味はあるのか?

 そう考えたら、強烈な虚無感に襲われた。


 背中の荷物も耐えられないほどに重い。

 いま腰を下ろしたら、もう二度と立ち上がることはできないような気がする。


 もう、いい。

 もう、いいんじゃないか。


 僕は、これまで頑張ってきた。

 僕は、ここまで上ってきたんだ。


 頂上にたどり着けてはいないけれど、それも、もうどうでもいい。


 僕は、踵を返し、ゆっくりと坂を下り始める。

 背中の荷物が、より一層重く感じて、気を抜くと一気に転げ落ちていきそうだ。

 もう、いっそのこと転げ落ちてしまった方が楽になれるのかなと思う。


 一歩一歩、坂を下りるにしたがって、坂の上の霧が晴れてくる。

 山の輪郭が浮かび上がり、頂もはっきり見えてくる。


 僕は、気になって、振り返り、山の頂を見上げる。


 誰もいないと思っていた坂道の上、頂上から、みんなが手を振っているのが見えた。

 こっち、こっちと呼び掛けてきてくれている気がする。


 僕は、ふーっと大きくため息をつく。

 そして、再び長い坂道を上り始めた。


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坂の途中 尾木洛 @omokuraku

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