殺したがり勇者と殺さずの姫

宮嶋ひな

正義執行


 悪は成敗されねばならぬ。


 強い使命感と正義を熱く燃やして、勇者オーリーンはこの場に立っていた。


 苦節五年、執念深く追い詰めた竜魔王との対決。


「ついに……俺たちは成し遂げたんだ!!」


 竜魔王の返り血で真っ青に染まった鎧も、誇らしくまぶしい。伝説の剣を天井に向けて掲げれば、祝福のようにいずこからか光が差し、堂々たる勇者の偉業をたたえていた。


 ――竜魔王を殺した。


 念願を成就したパーティーメンバーの顔も、疲労より感激が上回っているようだった。傷を負い、旅の道中仲間を失ったり、また新たな仲間が加わったりして、ここまで来るのに長い道のりだったことが、脳裏を駆け巡る。


「さあ、これで国王に報告できる。国を脅かす竜魔王は滅んだと」


 深い感慨を胸に、オーリーンは剣を鞘にしまった。仲間たちも安堵の表情で、傷の手当てや回復にいそしもうとすると――


「待ってください……! 玉座のうしろに、誰かいます!」


 回復役の踊り子のような衣装のフィッチが、突然声を上げてまっすぐに玉座を指さした。一瞬で、一同に緊張が走る。


(クソッ、ここのモンスターはすべて倒したと思ったのに!)


 疲労困憊で、剣を握る力は弱い。それでも、ドラゴンの一匹や二匹を切り倒す体力はまだ残っていた。


 それに、ここには頼れる仲間たちがいる。


 オーリーンは気力を振り絞り、玉座へと続く階段を一段ずつ上っていった。黄金と銀でできた豪奢な玉座の裏にそっと回り込むと。


 そこには、膝を抱えてじっとしている、五歳ほどの幼女がいた。


 真っ黒な髪は竜魔王そっくりで、頭にはねじれた深紅の角が二本生えている。たっぷりと涙にぬれた赤い瞳の瞳孔は細長く、蛇に似た瞳を持っていた。黒いワンピースからは、真っ白な手足がスラリと伸びている。


 オーリーンは、その子と目が合った瞬間――確信した。


(この子は、まさか……!)


「きみ、は……もしかして、竜魔王の娘……?」


 オーリーンの言葉に、後ろで武器を構えていた仲間たちに動揺が走る。


 幼女は、ぐいっと腕で乱暴に涙をぬぐうと、竜魔王すら斬り殺した剣に臆することなく立ち上がり、玉座のほうへスタスタと歩いて行った。


「……わたしは竜魔王メシェナギドが娘、アシェイダ」


 まるで次の竜魔王のように玉座に座ったアシェイダは、震える声でそう宣言した。


 竜魔王のホールは、しんと静まり返る。


 誰もが、どう動くべきか迷っていた。


「おとうさま……」


 階下に横たわる父の姿に、アシェイダはキュっと唇を噛みしめた。だが悲しみと怒り、憎しみに流されることなく、女王の威厳すらも醸し出しながら、アシェイダは勇者たちを見渡した。


「罪なき父を殺した、極悪非道の無知な人間どもよ。わたしは選ぶ、お前たちよりも賢く生きる道を」


 それは、竜魔王当主としての宣誓であった。


 しかし、彼女の宣誓に不服そうに「バカ言ってんじゃねえ」と異論を唱えたものがいる。戦士で盾持ちのゲルベルトだった。


「罪がないだと? ちまたではモンスターが溢れ、人々を襲っている。それのどこに罪がないんだ! 竜魔王が目覚めたせいだろう!」


「かわいそうなひと。真実を知らないものほど、よく吠える」


 アシェイダはしかし、ゲルベルトの言を一笑に付した。


「世界のモンスターが暴れるのはわたしたちのせいではない。あれは天災のようなもの。地球があなたたち人間を排除するために、獣を暴走させただけ。疫病や台風みたいなものだわ。生物であるモンスターを何百、何千と、一人でコントロールできるわけないでしょ」


 先ほどまでとは違い、幼女らしい口調で完全にゲルベルトの論を破る。


「かわいそうなモンスターたち。彼らだってただ生きているだけだった。あなたたち人間が彼らのすみかを奪い、無為に狩りとり、数を減少させた。生き残るために戦うのは、自然の摂理。戦いを始めるのは、いつだって人間よ」


 彼女の言葉は――まったくもって、正しかった。


 それを痛烈に感じていたのは、勇者オーリーンであった。彼がまだ小さかった頃には、無害なモンスターとよく一緒に遊んでいた。


 それが、いつからだろう。モンスターは悪だ、殺せ、となったのは。


「俺たちは……飢饉や、政治不正や、貴族の横領や、疫病、治安悪化なんかを……すべてモンスターのせいにして、それを殺すことで均衡を保っていたのか……?」


 何が悪いか分からないのは不安だから。


 だから――何かを、モンスターを悪者にした。


 そう思考が結論づくと、オーリーンは吐いた。天地がひっくり返り、視界がぐるぐる回り、脳内がスパークした。


「オーリーンさま!」


「オーリーン! しっかりして!」


「俺たちのやってきたことは……してきたことは……成してきたのは、ただの、モンスター殺し……?」


 がくりと床に膝を突いた拍子に、腰の剣がするりと鞘から抜け出した。何千とモンスターを殺してきた剣には、青い顔のオーリーンが映り込んでいた。


「あなたにとって、何が正義だったの?」


 静かな、頭上から降る、アシェイダの問い。


 正義を執行したからと言って、そこがゴールでは無い。


 勇者たち一行にとっては、ゴールこそ果てしないスタートであった。


 そもそも、ゴールというものが人生において明確にあるとするならば、それは死んだときだけだ。


「死ぬまで、あなたたちは走り続けるんでしょう。無関係なモンスターを殺し続けて。竜魔王の娘のわたしの首をはねた、その剣で」


 アシェイダは身じろぎもせず、静かにそう告げた。オーリーンは思わず床に転がったオリハルコンの刀身を見つめた。そこには、見えないモンスターのおびただしい血がこびりついているように見えた。


「――勇者オーリーン! 何を迷うことがあるのですか。相手は竜魔王の娘、いまここで罰せねば後に大いなる災いと成すでしょう!」


 賢者であるヘレンが叫んだ。彼女は神に仕える神使として、いつも正しく物事を振り分けていた。オーリーンを勇者の資質ありと見いだし、魔王討伐に誘ったのも、彼女であった。


「けど……」


 オーリーンは言いよどむ。ヘレンの額に不機嫌そうなしわが刻まれた。


 何事か口を開こうとしたヘレンに割って入ったのは、アシェイダの高笑いだった。玉座で膝を抱えたかっこうで、ホール全体に響き渡るような高らかな笑い声を上げる。


「罪。それはなに? 生きていることが罪なら、お前たち人間もさほど変わらない。自然を食い潰し、際限なく増え、自分よがりな正義を振りかざすその姿を見れば、ゾンビのほうがかわいいものだわ」


「黙りなさい、悪魔め! お前の口車には乗らないわ!」


「人間とは不思議なもの。同じ言語を扱っていても話が通じないひとがいるの。それもかなり多く。これでは戦争など永遠になくならないわね」


 皮肉めいて笑んだその顔は、侮辱と、ほんの少しの哀れみが見て取れた。


 頭のなかがまとまらず、激しく混乱し続けたまま、オーリーンは考えた。一生分考えたのではないかと思うくらい、頭を動かした。どうすべきか。自分が、どうしたいのかを。


「俺は……きみを、殺さない」


 オーリーンの言葉に、アシェイダは目を少し見開いた。仲間たちは大仰な悲鳴をあげる。


「オーリーン!? 何を言い出すのです、今が絶好の機会なのですよ!」


 ヘレンがオーリーンの肩を抱いて説得した。しかし、オーリーンの目には徐々に光が戻り、決意を固めた男の顔が形作られていた。


 オーリーンは立ち上がる。そして、玉座の前まで歩み進むと、そこに膝を突いて叩頭した。まるで、王族に頭を下げるときのように。


「俺がきみを守る。だからきみは、ひとを殺さないと約束してくれ。もしその約束が違えるならば、俺がきみを殺そう」


 仲間たちは非難の声をあげた。誰一人賛成するものはいない。


 アシェイダはオーリーンを見下ろして、冷たい瞳を返した。


「わたしは人間たちを殺さない。どんなに憎くても、同じ立場になんか降りてやるもんですか」


「それでいい。そして俺は、殺めたたくさんの命を償うために、旅に出るよ」


「ついてこいと言うの?」


「ああ。一緒に来て、人間をたくさん見てくれ。正義にはいろんな面がある。いろんな考えがあるんだ。きみの心を優しくする正義も、あるかもしれない」


「正義に希望なんかないよ」


「そうだね」


 わかりきったような、疲れたようなオーリーンが微笑む顔は、どこまでも寂しそうに見えた。


「ようやく終わったと思いましたのに……! オーリーンさま、思い直してくださいませ!」


 そう言いながらも、フィッチは杖を振りかざしていた。もはや説得不可能と感じたのか、ゲルベルト、ヘレンまでもが、苦痛の表情で武器を構えてこちらをにらんでいた。


「生きてる間に、ゴールは来ない。ゴールに見えるものは全部、通過点に過ぎないんだ。俺は俺の作り上げる人生のゴールを目指したい」


 かつての仲間たちに、剣を向けるオーリーン。


 そして――伝説は語る。


 勇者と竜魔王の娘が各地で起こす慈愛の歴史を。


 はるか遠くに見えるゴールに向かって――今日も彼らは、歩いて行く。 

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