自販機の恋人

水野 正勝

第1話 自販機の恋人(1話完結)

 小学生の頃のこと。


 放課後の私は、部活にも入らず、友達と自販機めぐりをしていた。


 チャイムがまだ鳴り止まないうちに、ランドセルを引きずりつつ走って家に戻り、それぞれの自転車に乗って、すぐに学校の近くの「三角公園」に集合する。そうして集まった3、4人の仲間達と町の中に点在する自動販売機をいくつもいくつも回りながら、大人たちが残したり落としたりしていく硬貨たちを拾い集めた。時には、隣町、そのまた隣町までも足を伸ばした。


 自販機の下の小銭たち。それは大抵、10円玉か5円玉、1円玉のことが多いけれど、あるいはもっともっと運が良ければ100円玉を発見することもある。滅多にあることではないが、500円硬貨が見つかった時には、翌日まで幸福な気持ちでいられたものだ。


 私たちが訪れる前に、その自販機で買い物をした人が、おつりの出口に900円弱の大金を残してくれていることもある。そうして拾った「落とし物」を、私と数人の友達はコンビニや駄菓子屋へ持って行き、様々な景品と交換するのだ。コロッケ、サイダー、アイスクリーム、カードゲーム。


 この場合、景品はあくまで付随品で、正直なところどうでも良いのだ。私たちにとって重要なのは、自販機をめぐって拾える宝物である。つまり、自販機の下の暗がりの中で小石や雑草、プルトップに紛れ、光沢を放つ硬貨たち。それだけ。紙幣など拾っても、あまり面白くない。ただの紙切れじゃないか。


 人々は、私のこの奇天烈な趣味を、「貧しい遊びだ」と笑う。しかし、私にとって、自販機は夢の場所だ。お金と換えられる技術や才能を持っていなくても、自転車を漕ぐことのできる足と、最低限の視力さえ持つ者なら誰でも、15〜20台の自販機を回る間には少なくとも100円を超えるお金を手にすることができる。現代の小学生が元手0から始められるスモールビジネスとも言えるだろう。もちろん、私は「ビジネス」としてやっているわけではなかったのだが。


 大きくなるにつれ、「自販機めぐり」に付き合ってくれる仲間たちは減っていった。性に目覚め、離れていく人がいた。バンド活動や部活動に没頭するようになって離れていく人もいた。私はというと、そんな諸々には目もくれず、高校を卒業して東京の大学へ行ってからも毎日のように自販機めぐりをしていたので、友達も恋人も、目をかけてくれる人生の師もいなかった。さして興味もなかった。代わりに、私のポケットにはいつも、顔も名も知らない誰かからのプレゼントが入っていた。溢れんばかりにひしめき合って、歩くたびに涼しい音が鳴る。


 小学校1年生から大学の卒業式まで、1日も休むことなく数千をゆうに超える自販機を探検し尽くした私は、すでに硬貨の拾える可能性が高い自販機を一目で見抜く感覚を身につけていた。


 今では1日に拾う硬貨の額は、平均500〜1000円ほど。私はそれらを、1人ぼっちになった中学生時代から使うことなく、自販機めぐりの最中に海岸で拾った瓶や、ゴミ捨て場に放置されていたチョコレート菓子の缶の中に貯め続けていたのだ。生活費は親からの仕送りに頼った。大学4年間住み続けた狭い木造アパートの一室は、たちまち私の宝箱で床が抜けそうになるほどに埋め尽くされていた。


 私は何よりあの金属製の直方体の簡潔な形を愛している。単純明瞭な青色の下地に、白のフォントでカッチリと刻まれた「BOSS」も、自分が世界の中心だと信じて疑わないコカコーラの赤色も、安っぽいパステルカラーで3枚目を演じつづける無名メーカーの激安自販機も、曖昧さの微塵もない無骨な直方体だからこそ映えるのだ。


 同時に、長い年月を経て洗練されてきた自販機の個々の部位の機能美も忘れてはいけない。例えば、電照板の中の小さな広告、郊外の暗闇の中で甲虫や羽虫を誘惑しつづける無機質な白色灯、海風になびく販促ポップ。そして、不透明なガラス蓋がむしろ小銭拾い達の心を踊らせるコイン返却口。


 大学を卒業した後、私はついに自動販売機の補充員になった。とある大手飲料メーカーの子会社へ、私と自販機との長い結婚生活の詳細を、A4用紙1枚にしたためて送ってみたら、翌日に電話がかかってきて、そのまま採用になった。今では、朝早くから夜遅くまでお金を貰いながら自販機を回り続ける夢のような生活を送っている。


 私の会社は、休みも給料も決して多くはないが(収入の方は小銭拾いで随分まかなっている)、そのうちまとまった休暇をとってみようと思う。日本各地には「ご当地自販機」なるものが点在しているらしいから、それらをいくつか、できれば全て見て回り、私の自販機型の人生の締めくくりとしたい。

 

 この上、他に求めるものなど。

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自販機の恋人 水野 正勝 @aquak10800870

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