第29話

「まったく、シンの連星の問題を解決できたと思ったらアインの連星もだったか。つくづく人騒がせな連中だ」

 城の上から降りてきたベートが聖杖の先でコンとアインの頭を叩く。一緒に旅をしていても、(大体いつもシンの方が気絶していたか爆睡していたので)眠っているアインの顔を見る機会はあまりなかった。子どものようなあどけなさがあって、今しがた自殺未遂を図ったようには見えない。

「地下聖堂でアラタ──少年シンを、自分のせいで死なせるところだったと深く悔いていました。……『死ぬなら自分の方なのに』とも。魔王を倒すという目的を果たせて、糸が切れてしまったのでしょうね」

 痛ましそうに言うラメドに、思い出したことがあった。

「ラメドが──接続してない時だけど。言ってたこと、思い出した。生きようとしないのは、生かしたいと思う者を苦しめるって。……自分がそっち側になって、すごく良く分かったよ」

「そんなこともありましたね」

 ラメドが静かに微笑んで、座り込んだままの新の目線に合わせて膝をつく。

「アラタ。貴方がこの先、どこでどのように生きていくとしても。生きる意志を、生を楽しむことを、忘れないでください。──誰かを生かしたいのなら、まずは貴方が生きなければ」

「うん……」

 ラメドの言葉を大事に飲み込む。

「そうそう。生きにくさを感じたなら、生きやすい場所を見つければいいのさ」

 ベートが歌うような調子で軽やかに言う。

「地球でも、観測都市でも。他のどこでも。キミが生きやすい場所は必ずある。生きていたいと思える場所が、理由が、キミを待っている。それをキミ自身で、いくつだって見つけていくんだよ」

「このアインにも、あるかな」

 新も含め、観測者たちの星辰はもうすぐこの創世世界を離れる。新はあくまで少年シンのからだを借りているだけで、アインの幼馴染ではない。けれどアインのことが気がかりだった。

「今はなくとも、これからいくらでもできるさ。それは連星自身が見つけるものだけれど──キミが命を救ったからね、そのための時間だってたっぷりできただろう?」

 それじゃ、観測都市に帰るよ。ベートが片目を閉じ、ラメドもそれに頷いた。筐体を理国に転送すると言って、今は更地になった森の転送門の方に向かっていく。二人の背が見えなくなるまで手を振った。観測者のラメドとベート、中身にはまた後で会えるかもしれないが、この世界の二人とは新はここでお別れだ。

『アラタ、あなたもそろそろ接続解除を……』

(その前に、アインと話がしたい)

 メムが告げてくるのへそう返せば、

『……観測都市に関する記録は、接続解除後には順次改竄と消去の処理が行われます。観測者としてのアラタの言葉が、彼の記憶に残るかは……』

 意味はないかもしれないと控えめに教えてくれる。

(うん。……悲しいのとか、苦しい気持ちに折り合いをつけて乗り越えていくのは、連星のアインとシンたち本人だってことは分かってるんだけど。単に俺が、俺のために言いたいことがあるだけ)

『分かりました』

 自己満足でしかないとしても。言わずに後悔するより、伝えたいことは言っておいた方がいい。

 

 アインの頭がふいと揺れて、目を瞬かせる。

 黄昏の中で、アインの金髪は眩しいほどに輝いている。惨劇も、旅立ちも、黄昏の中でこのアインと一緒に乗り越えてきた。

 黄昏を見ると死にたくなった新が、村が焼かれたあの日の黄昏の中、初めて死ねないと思った。

 アインを、仲間を死なせたくないと思った。

 同じ光に包まれていても、今は生きたいと思う。かえりたい、と思う。新と、このからだのシンと、観測者のシンの願いがぴたりと重なり合っている。

「……帰ろう、アイン。シンたちの村に」

 皮肉気な顔なんてほとんどしなかったはずの金色の瞳が、苦々しく細められる。

「帰る、って。村はもうない。親父もお袋もカインも。村の皆も。もう誰もいない」

「──だから、死んでもいいって?」

 アインが弾かれたように顔を上げる。胸倉を締め上げられて、息が詰まる。

「“お前”に、何が、分かる……。頭ん中掻き回されるみたいに、ぐちゃぐちゃだけど。“お前”は“シン”じゃないくせに!」

 すぐ近くでぎらぎらと揺れる黄金が、炎のように燃えている。

「……うん。でももうすぐ、ちゃんと元に戻る。ダアトの村のアインと、幼馴染のシンに」

 だから。

「抱えてるもの、今のうちに全部吐き出せばいい。俺はシンだけど、シンじゃないから」

 アインの腕から力が抜けて、ふらりと座り込んだ。

「全部……ぜんぶ、なくなったんだ」

「うん」

「オレを駆り立ててたのは。動かしてたのは、魔王を殺したいって、憎しみだけだった。それしか、やれることが思いつかなかった。“シン”まで巻き込んで。何度も、死なせかけて」

 頷く。

「そうまでしたのに。終わってみれば、何もなかった。何も。憎しみも、苦しみも、変わらない。喪っただけで、何も戻ってこない。……あの日みたいな夕日を見て。オレも、あの日にあのまま、一緒に死んでおけばよかったと、思った……」

 ただ、頷く。憎しみで埋めていた傷に、追いやっていた痛みに、向き合わなければならない時が来たのだろう。

 家族を亡くした悲しみを、幸いにも新はまだ知らないでいられている。

 けれどアインと同じくあの日に家族を奪われた、からだの裡のシンの声は、はっきりと聞こえる。

(──死なないでほしい。生きてて、ほしい)

「よく頑張ったよ、アインも……シンも」

 ただ“思う通り”に、アインの血と土埃に汚れた金髪を抱え込んだ。

「“なくしたものは戻らない。戻らないから、また、つくっていくんだ”」

 新にはまだ持ちえない言葉が、願いが、内側から溢れてくる。

「“帰ろう、アイン。帰って、また、俺たちの生きる場所を、新しくつくろう”……って、シンの気持ちだよ」

 俯いたままのアインの表情は分からない。ただ微かな震えを、胸にもたれかかる頭から感じる。

 死にたいと思う気持ちは、死の先に救いを見る気持ちは、新もよく知っている。

 それでも、死なせたくない、生きていてほしいと願う気持ちも、何度も何度も思い知らされたから。

 今のアインが黄昏を見て死にたくなるなら、見なければいい。ただ、死なせたくないと願う人間が“ふたり”ここにいることだけは、知ってほしい。

 アインの拳が力なくぶつけられる。痛みはなかった。繰り返すたび、カン、と音がする。アインの左手首に嵌められた腕輪が、新の右腕に嵌めた腕輪にぶつかった音だった。互いの無事を祈って、アインが選んでくれた。

「腕輪、ちゃんとご利益あったな。この腕輪があったから、アインの手を掴めた」

 無事に帰るという願いの込められた腕輪は、どちらもひしゃげて傷だらけになってしまったけれど、今もまだここにある。

「……お前は」

 アインがようやく口を開く。

「“シン”じゃないけど。お前も、一緒に戦ってくれたんだよな……」

「……こっちの都合みたいなもんだよ。魔王を止めるために、お前の復讐心を、利用したんだ」

「お前は、誰だ? 何なんだ?」

「新。真並、新。観測者、なんだってさ。……覚えなくていいよ」

 どうせすぐに記憶から消えてしまう。

「アラタ……」

 噛み締めるように呼ばれると面映い。日が沈みきって、ようやく抱え込んだままだったアインの頭を解放してやる。隣に寝転んで見上げれば、黄昏は終わり、広い空の端から夜が始まっている。

「俺、アインがいなかったら、頑張れなかった。俺が生きたいってちゃんと思えるようになったのは、アインがいて、この旅があったからだよ」

 腕輪を抜き取って空に掲げる。歪な輪の向こうに、輝き始めた星がある。

「この世界のアインが俺のことを忘れても。もう会えなくても。新しい居場所で、元気に生きててほしいって、ずっと願うよ……願っても、よければ」

 アインの腕輪が新の手の中の腕輪にカン、と軽やかにぶつけられる。身を起こすと、同じく起き上がったアインが手を差し出してくる。照れ混じりに握り返せば、少し痛いほどの力が込められた。

「……ありがとう。……とりあえず、村に帰って、……墓参り、して。それから……また、考えてみるよ」

「……そうだった。シンと、もっぺん美味いもの巡りしなよ。行ったことない場所にも、食べたことないものにも、これから──まだまだいっぱい出会えるんだからさ。死ぬかどうかは、それからゆっくり考えたらいいんじゃないかな」

「っはは。そうか……そう、かもな。……お前、呑気で図太いところは、やっぱり同じなんだな」

 アインの顔は、いつかのシンの記憶と同じに晴れやかに笑っていた。

「……そうだよ。俺、自分じゃあんま知らなかったけど、そうらしい。……じゃあ。いつか死ぬ日まで、お互い元気で」

「それ、いいな。……いつか死ぬ日まで、元気で」

(お待たせ、メム。──俺たちも、帰ろう)

 頭の中で、長らく待たせたメムに呼びかける。

『ええ、帰りましょう。──接続を解除します』

 繋がれたままだった手の感触が遠くなっていく。


 星鏡の間で目覚めて、星屑の繭から出ると、メムが心配そうに寄ってくる。

「気分や体調に問題はありませんか」

「うん……大丈夫」

 十歳くらいの体の小ささに戸惑いはあるが、気分はすっきりとしている。

 星鏡の間には他にダアトとホド、ラメドがいた。藍川とベートの姿を探すと、

「ベートは新しく現れた星鏡の観測に。アインは……都市内にはいるようですが……」

 ラメドがため息まじりに教えてくれる。

「新しい星鏡、ホドとシン、アラタの星も、光ってる」

 ダアトがくるりと指先を回して、並ぶ星鏡のひとつを示す。

「〈栄光〉の星々、変化の、兆し。存続か、消失か、分からないけれど。忙しく、なるよ」

 ラメドも、これから自分が接続できる観測世界の様子を見てくるのだと言って、星屑の繭に向かっていった。おそらく新が起きるのを待っていてくれたのだろう。

(しっかし、魔王と戦うって大仕事の後なのに、フットワーク軽すぎ……)

「観測者って、忙しいんだな……」

「アラタ、今回の観測は異例です。大改編とも重なりましたので……」

 思わずちょっと引いてしまった新へ、メムがフォローを入れてくる。

「大改編を終え、創世世界は今後安定に向かうでしょう。……不正観測の結果も含まれますが、創世世界でのホドの連星の輝度は高い。そして〈審判〉の星径が双星になったという変化も踏まえて、ひとまず〈栄光〉の星冠継承の話は先送りされることとなりました」

「! じゃあ……」

「……ですが、シンの星辰の輝度は、非常に低下しています。今後回復するかも不明な状態です……」

 メムは新を見て、それからホドの方を見る。ホドは胸の高さで広げた手の上に、小さな橙の光を持っていた。──シンの星辰だ、と分かる。観測世界には今シンが適合できる筐体がないために星辰のままなのだとメムが教えてくれる。

「輝度も、星辰の形も、随分と変わってしまいましたから……」

 不安定にちらちらと瞬く光はいつ消えてもおかしくない程にか細い。

「だから、ベートとラメド、シンと、それからアラタの星も、観に行った」

 シンとアラタの方が、ホドよりも消えそうだから。ダアトが耳打ちで教えてくれる。

『……私の星核も星辰も、アラタに譲渡を』

 頼りない光が、シンが囁く。声も話し方も、神経質そうな雰囲気も、ほとんど何もかもが違う新の兄弟星。

『アラタの輝度の足しにはなろう。……星径としての私は消えるべきだが、せめてアラタに償いを』

 そんなのは全然まったく償いでも何でもないと思ったが、一応観測都市の偉い人であるホドの方を見る。

「……アラタ。お前が選ぶといい」

 向けられた黄昏の瞳をようやく真正面から見返せる。ずっとシンのせいで、シンのこころと共に、この色を恐れ、疎み、絶望してきた。それでもシンが諦めきれなかった色。息を吸って吐く新を、皆が見ている。

「俺、ちゃんと言っただろ。俺ひとりに〈審判〉の星径なんて任されても困るから、シンもやれって。──俺は、シンから分けられたんだとしても。真並新として生まれて生きてきたつもりだし、これからも生きてくつもりなんだから、余分なものはいらないんだ。……逃げるな、シン」

 償いだというなら。罪を犯したのなら。

「俺たちふたりで、“死にたがり”をやめよう。お前はシンとして生きられるだけ生きて。それと、迷惑かけた人みんなに自分のからだで謝りに行け。それからえっと、一発くらい殴らせてもらって。……そんで、藍川を殴るのも、手伝ってくれ」

 からだがなかったら、殴りも殴られもできないだろう、と光を指差す。

「俺の輝度は、俺も頑張ってみるから。──観測者として、観測、してみる。だから責任持って手伝ってよ……えーと、兄貴?」

 メムの方を見れば、頷き返してくれる。

『……私は、……』

 まだ躊躇いと戸惑いの残る声に、ホドが静かに話しかける。

「永きを生きる星とて、いつかは必ず消ゆる。星冠も星径も、あまねく星は次代へと受け継がれる。継がれねばならぬ。……だが今はまだ、その時ではないようだ」

 お前も私も。囁いたホドの声に、初めて柔らかさが滲む。

「いずれ来たるその日まで、更なる観測と記録を。それが我ら観測者の定め」

 ホドの手の中の星がちかちかと瞬く。

「ホドの言う通り。きみの星、ホドの星、アラタの星。どれも、光ってる。だから、シンも、光ってていいんだよ」

 ダアトがくるくると指を動かすと、いくつかの星鏡がしゃらんと揺れた。きっとあれらの中に、シンやホドの、そして新の連星が光っているのだろう。

「シンには新しい筐体を手配します。おそらくアラタと同程度の精錬度になるでしょうが……。それとアラタには、観測の手引きと講義を。……一度に手のかかる弟が二人もできてしまうとは」

 額を抑えてみせるメムだが、口元がほんのり笑っている。

「はは。シンともどもよろしく、メム。……シン、外堀埋まったな」

『……罪が赦されずとも。ここに在ることが、許されるのであれば。──貴方の星辰の光の続くかぎり、使命を果たさんことを』

 ホドとダアトが目を見交わし、それぞれに頷く。

「誓いは、確かに。ぼくとホドが、証人。……双子星に、幸いあれ」

 幸いあれ、とホドとメムの言葉が重なる。

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