第28話
『……タ。アラタ!』
「……う、……」
全身が痺れていて、目も耳もうまく働かない。メムのサポートに任せる形で何とか発動した微弱な治癒術で、ようやく体が少しだけ動く。
(どう、なって……)
『生命反応を観測。アイン、ラメド、ベートの蘇生を確認。シ……敵性体の反応も依然あります!』
まだぼやけていてうまく判別できないが、眩しい光の中に、大きな影がある。
(魔王──……)
角が折れ、翼をなくし、腕も尾も半ばから断たれた魔王は、ただそこに静止していた。──崩れた外壁から一面に広がる黄昏の空を、焼け残ったひとつきりの目で、ひたすらに見ている。
「……ホ……ド…………」
どす黒い血の塊と共に、辿々しくふたつの音が零れる。たったそれだけの短い響きに、どうしようもないほどの哀惜と羨望が込められていた。戦う力も、戦意ももうないのだと分かった。
『〈復活〉はありません。……今のうちに、止めを。筐体と……星辰の、破壊を……』
メムが絞り出すように告げる。
「待って」
宝器を構えようとしたラメドとベートを止める。外壁に背を預けたままの藍川は動かない。
(シンは〈審判〉の星であることを否定した、ってメムは言ったけど。〈復活〉も〈位置の変更〉も、星径の力をシンは使わなかったけど。──俺は、使えた)
治癒士が死んだ場合、蘇生の術は発動しない。一度に複数の人間を蘇らせることもできない。それらを可能にしたのは、間違いなく星径の力だ。
(俺が〈審判〉の星であることまでは否定されたわけじゃない。……俺が本当に、シンの星を裁くために生まれたんだと、したら)
押しつけられた定めとやらがあるなら。使えるものは何だって使って、自分の望むように、変えていけばいい。
「死んで、星が消えて終わりなんて、間違ってる。だって、俺が困る。〈審判〉の星径をいきなり任されたって、困る。──だから。俺とシン、ふたりで〈審判〉をやればいい!」
言葉を重ねていくうち、ふつふつと湧き上がるものがあった。藍川にぶつけても足りなかった怒りと戸惑いと、新しい形の未来への展望と。
シンには新という星を生み出した責任があるのだ。それを果たさずに勝手に消えられては困る。
叫んだ瞬間に、胸の内側がかあっと熱くなるのを感じる。橙の光が、星が、からだの中で強く光って、目の前のシンと共鳴している。
「……〈正義〉の星径、ラメドもその審判の正当性を認めます。ここにいるアラタは、まだ生まれたばかりであっても、正しく〈審判〉の定めを担うに相応しい星です」
ラメドの声が背後から聞こえて、右肩に柔らかく触れられる。支えられていると、重みと温度からも伝わってくる。背中にはベートの手のひらがそっと添えられる感触があった。
「──ねえ、シン。星冠の継承は避けえぬ星の巡りだ。星もいつかは終わる。その時が来たなら、終わらせてあげるべきなんだ。……でもね。望みがあるのなら、変えたいものがあるのなら、言ってごらん。キミの足掻きで、こんなに眩しい新たな星が生まれてしまったんだ。定めとは、ただ諦めて受け入れるばかりのものでもないかもしれないと、思うんだよ」
「……ホドに、言おう。行かないでほしいんだって。まだ、一緒にいてほしいって。言ったって、願ったって、叶わないことなんかいっぱいあるけど。言わなきゃ、願わなきゃ、始まらないんだよ。俺と、メムも、言うから」
『シン。……帰ってきて、ください。私たちの──〈栄光〉の星の、元へ』
「──…………ゆる、されるなら。……許されず、とも。ただ、かの星と、あの光と、共に──」
焼けて縮こまった指が、見えぬ星に向かって伸ばされる側から煤となって風に散っていく。ひとつきりになった目から、血と、それを洗い流す透明な雫が溢れ出す。赤く昏く濁ってしまっていた黄昏が、空の色を映して、あたたかい色を取り戻していく。
「魔王の星辰から、シンの星辰を切り離す。……星辰も星核も、一度形を変えたものは元には戻らない。もう、元の〈
よろめきながら立ち上がった藍川は、ひどく不恰好に笑ってみせた。
「悪かった、シン」
黄金の光を纏った聖剣が魔王の心臓を深く貫く。ひどく静かな時間だった。魔物と同じものになってしまったシンの筐体が煤になって崩れ去る。最後に残った瞳、小さな黄昏色の星を、藍川の手がそっと受け止めた。
「……はは。オレの干渉で星辰を縛ってた〈悪魔〉の〈宿命〉の部分も捨てたら、こんだけになっちまったな……」
でも混ざりっ気なしの黄昏だ。囁いて、星核の欠片を空に透かす。力が抜けたのだろう、がらんと聖剣が床に落ちる。
『シンの星辰、確認できました。接続を解除します』
メムの声と共に、黄昏の星は空に溶けていく。星辰はようやく観測都市へ帰り、星核の欠片はいつか再びこの創世世界に降って、新たな連星に宿るのだろう。
「これで終わり……だよな」
いまいち実感が持てないまま藍川を振り返ったら、何故か気まずそうに顔を逸らされた。
「観測者としては、な。……悪ィけど、オレは一足先に帰るわ。星辰が限界で、接続を保てねえんだ。今解除しちまうとまずそうなんだが、筐体、頼、んだ」
「は……」
藍川のからだが大きく揺れて、後ろに傾く。壊れた外壁の向こうに広がる黄昏へ落ちていく。投げ出された腕を間一髪掴んだつもりが、振り払われた。口元に腹の立つ薄ら笑いはなく、金の瞳が、歪んで。
「終わった、んだろ」
(藍川……じゃ、ない)
「……アイン!!」
死ぬつもりなのか、と気づいた瞬間、かっと頭に血が上った。
瞬きの後には、黄昏の空と落ちてくるアインを“見上げて”いた。
(〈位置の変更〉、できた、けど……!)
風の音がうるさくて、胃がひっくり返りそうな落下感が気持ち悪い。どうにか伸ばした指先が何かに引っかかる。アインの手首に嵌められた錫の腕輪を、必死で手繰り寄せる。
「ッ死ぬな、……生きろよ、バカ!!」
もう一度、〈位置の変更〉を。まぐれではなく、偶然でもなく、自分の意志と力で。──足りない分は、助けを。
(メム、ホド、……シン! 力を……!)
辺りを包む橙の光に祈る。
ダァン!と背中を強く打ちつけた。
「……っだ!」
痛い。痛いが、──生きている。子どもの頃に、公園の遊具に足を引っ掛けてひっくり返った時の痛みを思い出した。
『〈位置の変更〉は発動しましたが、地表からやや離れていたようです……大丈夫ですか、アラタ』
心配げな声のメムが治癒術を発動させてくれたが、魔力もほぼすっからかんなので、気休め程度の効果にしかならなかった。
それでも動けるようにはなったので、上に乗っかったまま気を失っているアインの体を四苦八苦して退ける。
(俺が、こいつを助けて……“死ぬな”って言うなんて、なあ)
藍川に、何度も何度も助けられてきた。
アインにも、助けられて、願われてきた。燃え盛る村の中で、黄昏の城で、あたたかい森の中で、赤い地下聖堂で。二の腕に嵌めた金の腕輪をそっとなぞる。
(……死なせないようにするのって、すげー疲れる。心臓まだバクバクしてる)
はー、と吸った息を全部ゆっくり吐き切ってもまだ落ち着かない。
(死にたいって思ってる
それでも、アインに死んでほしくない。生きていてほしい。これまでは新にとって死を象徴するばかりだった黄昏の中で、今は生について思い悩んでいる。
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