第27話
バルコニーから城内へは重々しい鋼の扉で隔てられている。堅く閉ざされた灰色は、何者の侵入も許さない頑ななこころのようだと思った。
「お待ちかねのご対面だ」
藍川が裂帛の気合いと共に聖剣で扉を破壊する。
ズシン、と割れた扉の向こうは、夜がわだかまっているようにべったりと暗い。
最奥の玉座に蒼白い顔の男──魔王シンが座っている。灰色の髪は古木の根のように玉座と痩身を覆い、濁った黄昏が見え隠れする。地下聖堂で見た時と同じ、否それ以上に疲れ果てて淀んだ目つきだった。自分に似た顔が荒んでいるのを見せられるのは、やはり気が滅入る。
「消えるべき星。何故消えていない」
骨に皮が張りついたような指が新を差す。藍川が前に出て、不穏な黄昏を遮った。
「随分待たせちまったな、シン。……今までで一番魔王って感じじゃねーか」
軽口を叩くが、油断なく聖剣を構えたままだ。
「──そうだ、待っていた。お前を待っていた。お前に殺されるのを。お前を殺すのを。待っていた」
「そうだ。お前を何回も殺したし、何回も殺された。それも今回で終わりだ」
「終わらない。終わらせない。……終わらないはずだった。終わらせない、はずだった」
「星だって、変わるし、終わっちゃうんだろう。──だからあんたは、俺をつくったんだろう。自分を終わらせるために。変わる、ために」
新の言葉はシンには届いていないようだった。
「星が、見えない。ただひとつの星。何を観ようとしていたのか。何が観たかったのか。もう分からない。何も、観たくない」
輝かしい星。それをただ観ていたかっただけなのだと、けれどどこにも見えないのだと、不安がるこどものような声で繰り返す。
大広間の静寂に彷徨うようか細い言葉に、枯れ果てて皹割れた声音に、胸が締めつけられる。
「星辰がこれほどまでに歪んでしまっていたとは……」
変わり果てた姿が痛ましいとラメドが呻く。
「ホドのために“シン”であることを捨てようとして、捨てきれなかったんだね。──ホドとの繋がりでもあるから」
ベートが遣る瀬無く首を振り、聖杖を構える。
「……終わると言うのならば。終わるべくは、
会話がループしたように、再び新へと重苦しい敵意が向けられた。何か来る、と分かっても体が竦んで咄嗟に動けない。
「終わらなくてはいけないのは、変わるのはキミだ、シン」
黒い雷が網の目のように広がって、新とベートの身を守っていた。
「一応聞くけど、メム。接続の強制解除は?」
『繰り返し試行しましたが、地下聖堂と同様に不可能です。これほどの距離と時間、対象に接触していてもできないということは、』
「もうずっと、連星の魔王の星辰と分離できないほど複雑に混ざっちまってる。ここにあるのはもうシンの星辰じゃない。変質した何かだ」
苦しげなメムの言葉に、藍川が容赦なく続ける。
「──私は悪魔の囁きを聞いた。我が身の裡の悪魔が、それに応えた」
座したままだった灰色の影がゆらりと立ち上がった。おこりのように震えた手足がぶくぶくと膨れ上がる。灰の獣毛に覆われた手から鋭い爪が伸びる。捻れた角が天を衝き、背には黒翼が生えた。澱んだ黄昏の目も、こめかみから生えた翼に覆い隠されていく。足は撓んで引き伸ばされ、蛇の尾になった。
蛇の悪魔だ、と新は思った。ゲームのグラフィックにもなかった、継ぎ接ぎで醜悪な姿への変貌だった。
「〈悪魔〉はオレの専売特許だっつーの……。お前を悪魔にしちまったのは、オレだ。お前の中に悪魔をつくったのも、オレだよ」
藍川は掠れ声で囁いて聖剣を構え直した。
「堕ちたる〈
『盾を!』
メムの指示で強張っていたからだがようやく動き始める。ベートの黒雷の障壁と藍川の剣閃、ラメドの一矢で威力を削がれて尚、雨のように降り注ぐ黄昏の光の柱は容易く盾を破壊した。
「うあ……ッ」
腕に、足に光の槍が突き刺さる。ラメドに抱えられて大広間入り口まで後退し、水薬を飲みながら治癒術を全員へ全開でかける。最前線の藍川とベートがシンの注意を引きつけているうちに、防御と攻撃の補助術を配って立て直しを図る。
『……〈審判〉の星が自らを否定するという〈審判〉をしました。あの者はもう観測者の、星径のシンではありません。──あの者の星辰を破壊してください』
「そんな、メム!」
冷たく硬い、感情のない声で『これは〈
「何ということを……」
ラメドが呻いてつがえた矢を僅かに下げた。
「……知ってたはず、だったんだがな」
蛇の尾の打ち払いに合わせて下がってきた藍川が、ひとつ咳き込んで血混じりの唾を吐く。
「いやってほど知ってた、アイツが頑固だってことは。誰かの──オレのせいにできないってのも、知ってたのにな」
治癒をかけた側から、食い破られた唇の端に血が滲む。
「……ッ、後悔はあと! とにかく止めて、──助ける方法、考えるぞ!」
曲がった背中を聖錫でどついて、治癒と素早さの補助をかけてやる。
「って……
痛くもないくせにわざとよろけてみせた藍川は、横顔で下手くそな笑顔をつくった。
「
さっさと行け、と攻撃と防御の補助も重ねがけすれば、「へいへい」と気の抜けた返事と共に聖剣を握り直して疾駆する。
迫り来る藍川へ衝撃波を撃とうとした魔王の口を、ラメドの矢が牽制する。振り上げられた鋭い爪にベートが魔術の氷をぶつけ、軌道を変える。空いた懐に藍川が飛び込んで、──息の合ったコンビネーションだったが、魔王は動きの先を知っているかのように躱してみせた。
(知ってるみたいに、じゃない。知ってるんだ)
観測者の藍川やラメド、ベートの戦い方を。
「やっぱり、手強いね……!」
魔力切れで一時後退してきたベートが、相殺で痺れたらしい手を振りながら苦笑いする。魔力回復の水薬を渡してやりつつ、治癒と補助をかけ直す。
「シンって、本当にクソ真面目……熱心に観測していたからね。物静かに見えて、戦闘能力も無駄に高いんだ」
唇をひと舐めして、長い詠唱に入った。
濃密な魔力がベートに集まっていく。それに気づいた魔王の攻撃が向けられそうになるのを、ラメドが連射で食い止める。
こちらの連携が乱れて攻撃の手が弱まった隙に、蛇の尾が藍川を壁へと叩きつけた。
「ぐぁ……っ」
「藍川!」
滑り込ませた盾を黄昏の槍が砕き、腕に足に、腹に光が突き立てられるのを見て、全力で治癒術を送る。藍川の体は一度大きく跳ねて血を吐いたが、咳き込みながらも立ち上がった。
「……戦闘では、オレが、いつも勝ってた、けど。……お前、ホントは、勝ってたんだろうな……」
ラメドの矢が幾本刺さろうが構わず、魔王の腕がろくに動けない藍川の首を捉えて吊り上げる。藍川はその腕を掴み、……何故かこちらを見てにやりと笑った。
『ベート、魔術を! ……アインの指示です!』
メムの声に遅れて意図を悟り、慌てて魔力を練り始める。──パーティ全員分の蘇生のために。
(あのバカ!)
「……悪いけど遠慮はしないよ……!」
ベートの最大威力の大黒雷が、誰も避けようもない距離で轟音と共に炸裂した。光と音と衝撃がすべてを飲み込んでいく。
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