第25話

 雪山の山頂付近の大雪原で待っていたのは、氷の風を操る風鷹だ。建築物などの比較対象がないので分かりにくいが、両翼を広げれば十数メートルはあろうかという巨鳥である。

「大きいねえ。焼き鳥にでもできればいい肴になったんだろうけど」

「創世世界の魔物は煤になりますからね。始末も楽ですが」

「いーからさっさと落とせ」

 ベートがのほほんと言うのにラメドが返して、珍しく藍川がツッコミ役になっている。

 四体いた大魔、その最後との戦闘だというのに一番緊張感がない。

(思えば一番最初の炎狼がいっちばん大変だったな……)

 ゲームでも、クライマックスの戦闘なのにパーティのレベルを上げすぎていたためにあっさり終わってしまって呆気なかったという話はプレイヤーあるあるだ。

 最後尾の新は盾の術で自分と荷物を守りつつ、一応攻撃の補助術を三人へ投げる。ベートに散々治癒術を使わされたからか、盾を張ったままでも他の術を使えるようになったというささやかな進歩があった。

(けど、たぶん必要ないんだよな〜……)

 風鷹が氷の嘴を大きく開ける。氷の羽を降らす広範囲攻撃の予備動作なのだが、雄叫びを上げるはずだったその嘴はラメドの放った矢によって縫い止められた。次いで炎が巨大な槍の形を取って翼の付け根を貫く。

 声もなく大きく高度を下げた風鷹の胸部へ、悪魔の羽で飛翔した藍川が容赦なく斬りつけて落とした。

「今のは首を落とすところだろう?」

「誰かさんに見せ場を残してやったんだよ」

「おや、それはどうも」

 ……などという前線の気の抜けたやり取りもメム経由で聴こえてくる。

 地に堕ちた風鷹は小山ほどにも大きかった。

「それじゃ、ひとつ派手なのをお見せしようか」

 黒雲が空に渦を巻き始めて、唯一露出している顔の皮膚がピリピリと痺れる感覚。

「盾の準備!!」

「えっ?」

 一足飛びに新のところまで後退してきた藍川に、肩の上に担ぎ上げられたのだと遅れて気づく。

『発動準備開始!』

 メムの声とともにからだが動いて魔力を練り上げていく。ものすごい速さで遠ざかっていく大雪原の中央部で、息もできないような濃度の魔力が集まっている。

「目ェ閉じて口は開けとけ!」

「は、え、」

 何をどうすればいいのかよく分からないうちに、何かで頭部全体を覆われて視界が塞がれた。両耳のあたりも押さえつけられている。体中からごっそり魔力が持っていかれて盾の術が発動したことだけを理解する。

 おそらく外套だろう布と、閉じているはずの瞼をも透かして、閃光が見えた気がした。

 ゴ、だかドン、だかの轟音を、耳ではなく内蔵の震えで感じとった。遅れて酷い耳鳴りがする。

 雪の上にうずくまっていたからだの上から重しが退いて、軋む背中を動かして起き上がる。青白い光が点滅する視界の向こうで、ベートと藍川が言い合っている。近くに来ていたらしいラメドが貸してくれた手に捕まって立ち上がった。全身がびりびり痺れているようで、力が入りにくい。口を動かして何か言っているようだが、音としてはうまく聞こえない。手に握らされた魔力回復の水薬をとりあえず飲み干す。

『治癒術を発動します』

 メムの声は正しく聞き取れたことに安堵しているうちに、回復したばかりの魔力をまた根こそぎ持っていかれる全体回復の術が発動した。

「な、何が……」

 ようやくはっきりしてきた意識と視界で辺りを見回せば、雪山の大雪原だったはずの景色が一変していた。新とラメドが立っている十数メートル四方を残して、黒い岩肌が剥き出しになっている。曇り空が晴れて青空がよく見える──雪原の奥に見えていた山頂の峰が消失して、大変見晴らしが良くなっていた。

「ごめんよ、少しやりすぎてしまった」

「は、はあ……」

 ベートに謝られたが、何と返せばいいか分からずに曖昧に頷く。

「少しどころじゃねーだろバカ、地形変わっちまったじゃねーか」

「キミがけしかけたんだろう?」

『大魔、風鷹の完全消失を確認。付近の魔物も一掃されたようです』

 言い合うベートと藍川は無視してメムが報告してくれたが、一目瞭然の事実でもあった。

「そうだなー、何もないもんなー……」

 何はともあれ、これでこの大陸の四体の大魔はすべて討伐できたことになる。風鷹は呆気ないほど簡単に倒せてしまったが、規格外のチーターふたりに更にもうひとり規格外のチーターを足したのだから、当然の結果と言えるだろう。もしかしたら、巻き込み事故で死人が出ていたかもしれなかったようだが。

「まあまあ、新人クンも転移陣も無事だったのだから問題はないだろう?」

「オレの機転だっつーの」

「ええ、……良い判断でした」

「珍しく、って態度が隠しきれてねーんだよ」

 ラメドの言う通り、藍川が新を退避させつつ盾の術も(メムに)指示してくれたおかげで辛うじて助かった。振り返った背後、無事な地面の上には転移陣がある。

 風鷹がいる間は作動できなかった転移陣が動き始め、複雑な紋様が光の線を描く。

「……これでついに魔王城に行けるんだな」

 感慨深くそう言った新へ、

「いやいや、何を言っているんだい。大切なことがまだ残っているだろう? ホラ、こんなところに長居は無用だ。乗ったのった」

「え、え、え?」

 あっさり笑い飛ばしたベートがぐいぐいと背中を押して転移陣に入らせる。そうして移動した先は理国の街中だった。

「まずは祝杯を上げようじゃないか」

「いや、そりゃ食事は大事だろうけど……」

 そんなんでいいのかと真面目代表ラメドを伺えば、「理国は蒸留酒と煮込み料理が評判ですが、未成年には飲酒は勧められませんね」などと困ったように言う。

「観測最大の楽しみは食にあると言っても過言じゃあない! 食事は欠かせない娯楽さ。食べることを楽しみ、楽しむために仕事をする。そして仕事を終えたら美味しいものを食べる。──そうやって、観測者は連星の筐体と共に生きている感覚ごと味わう。とても大切なことだよ」

 出会ってから今まででいちばん表情が生き生きしているベートが歌うように告げて、颯爽と大衆食堂らしき建物に入っていく。

 

「さあ、たんと食べて大きくおなり」

 黒く艶のある木のテーブルの上に、所狭しと食事が運ばれてくる。煮込み料理や炒め物など、どれにもごろごろと塊の肉が入っていてとても美味しそうだ。どれから食べるか迷っていると、ラメドがいくつか取り分けてくれた。

「この肉は理国の雪山にのみ生息している猪のものだそうですよ。臭みも香草で上手く消されています」

「へえ、ありがとう」

「食文化の情報収集は特に大事だぞー。観測都市の食堂にもちゃんとフィードバックされるから、やった分だけ美味いメシが食える」

 黒っぽい色のスープを飲みながら藍川が言って、「ビーフシチューみたいな味付け。普通にウマい」と解説してくれたので新もおっかなびっくり一口啜ってみる。

「ほんとだ、美味しい。……肉も見た目より柔らかくて食べやすい」

 ベートもラメドも、ついでに藍川も、がっついているようには見えない所作なのだが、見る間に空の皿が増えて結構なスピードで食べている。

「ホラホラ、遠慮せずにお食べ」

 ベートは新にもと食べ物をぐいぐい勧めてくる。近寄り難いミステリアスキャラだと思っていたのだが、何というか、親戚のお姉さんといった感じが近いかもしれない。

「食いたい分だけ食やいい。ベートは食うのも飲むのも底無しだから付き合わんでいい。ついでにこいつの上司、星冠のビナーからして田舎のばあちゃんみたいなところあるから気をつけろ」

 持て余しそうだった骨つき肉を藍川が半分持っていきつつそう言った。

「おやまあ、あのアインがすっかり世話焼き兄貴になって。メムもラメドも保護者のようだし」

 小さなグラスに注がれた金色の酒を飲み干して、ベートは薄い唇を舌先で舐めてにやりと笑う。

「貴方も張り切って大稲妻を落としたでしょう」

 ラメドも黒いビールっぽい見た目の酒を手に微笑んでいる。新は酒を飲むことにはまだ興味がないが、彼らが酒の席でリラックスした様子なのは何だかいいなと思う。

「はは、悪かったって。──生まれた経緯はどうあれ、新しい星というのは可愛いものだろう?」

 出会った時から余裕ある微笑みばかりを浮かべていたベートが、どこか照れくさそうに苦笑いをしたのが印象的だった。

『私もまだまだ未熟な星ですので、先達の星には色々とよくしてもらっています。それをアラタに返せればという思いはありますね』

 メムの声も明るくやわらかい。

 観測都市のことも観測者のことも、新自身のことも、どう考えればいいのか先送りしたままだが、新が思う以上に受け入れられているようなムードが観測都市側にあるのは救われる。

「……まさかこんな形で、二十二から星径が増えるなんてねえ。いや、星径の数自体は結局変わらないのかな? まあ、そんなのはどっちでもいいんだ。アインは昔から色々あれこれ大小やらかしてきたけれども、シンが乗っかるのは意外だったな」

(メムも藍川も、ラメドも皆同じようなことを言うんだなあ)

 シンとは一度“魔王”として会ったことしかないが、気持ちが分かるような気がするのはやはり同じ星核を、星辰を持っているからなのだろうか。

「その、ベートもラメドも、星径が勝手に増えて困るー、とかそういうのはないんだ?」

「そんなことがあり得るとは、という驚きはありますが、忌避感の類はありませんよ」

「そうそう。これもまた星の定め、ってね。……何が起こっても起こらなくとも、それで片付いてしまうんだよねえ」

「星の、定め……」

「……だからね。定めに抗おうとしたシンのことを、憐れにも、羨ましくも思うよ。……永く存在しているほどに、受け入れ諦め方ばかりが上手になっていくものだから」

 唇を少しだけ笑みの形にして、ベートはテーブルの上のランプを細い指先でつつく。あたたかな橙の炎がゆらゆらと揺れた。

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