第24話
地下聖堂を出て、最寄りの転移陣から理国へ向かう。
理国は三国の中で最も北に位置する万年雪が降っている国、というゲームにありがちな設定ということは忘れていなかったけれども。
「さっっっっっぶ」
転移した瞬間から、吐いた息もたちまち凍る寒さに見舞われる。峻国でこれでもかと買い込んできた毛皮の分厚い外套と帽子、手袋とブーツで完全防寒したはずなのに、冷気は容赦なく突き抜けてくる。
理国は黒を主体とした、シックで落ち着いた雰囲気の街並みだった。黒く艶のある石が階段や手摺にふんだんに使われていて、壁面も黒っぽい家が多い。
「や、理国へようこそ」
転送門の側に佇む人影が軽い調子で言いつつ片手を上げた。鴉の濡羽色が顎先のあたりで揺れている。防寒着を身につけていても分かる、すらりと伸びた手足。
「王城に行けば勇者としてもてなしも受けられるんだけれどね。面倒なことは抜きで、さくっと行こうじゃないか」
肘まで覆う長手袋に隠された手をどこか演技めいた様子でひらめかせて、先に立って歩き出す。半身で振り返って赤い唇をついと上げてみせるのにつれて、口元の泣きぼくろも動いた。
「新人クンには初めまして。名はベート。観測都市では〈魔術士〉の星を預かっている。ここでは宝器の聖杖担当だってね」
ゲームでも年齢性別不詳のミステリアスキャラが売りだったが、こうして生身の人間として対面してみてもなんだか生活感がなさそうというか、人間味が薄く感じられる。性別も年齢も、間近で見ていても尚印象が定まらない。
「よろしく、異邦で生まれ育ったかそけき星」
黒い革手袋の右手を差し出されたので、握手と思ったら持ち上げられて額を押し当てられた。さらりと流れた切り揃えられた前髪と、顕わになった白い額に心臓がばぐんと跳ねる。舞台役者じみた立居振る舞いも相まって、男装の麗人っぽいというか、まるで母が観ていた舞台の王子様のようだ。
「へ、わ、」
「まったく、シンとアインのおいたのせいで、随分と数奇に生まれついたものだ」
おお可哀想に、とわざとらしくつかれたため息に、藍川が舌打ちする。それに我に返って、掴まれたままでいた右手をようやく取り返せた。
「お前は面白がって見物に来ただけだろ」
「否定はしないよ。シンとアインがやらかしたってだけでも面白そうなのに、ラメドまでわざわざ尻拭いを手伝うって言うじゃないか。千年にいっぺんあるかないかの演し物を見逃す手はないからね」
「峻厳の塔の星径としての対処ですよ。貴方も〈理解〉の星冠、ビナーに言われて来たのでしょう」
「まぁね」
(えーっと、峻厳の塔は、ホドと、ラメドのとこで、……)
名前や用語がなかなか覚えられない
『峻厳の塔は、〈栄光〉のホド、〈峻厳〉のゲブラー、〈理解〉のビナーの三つの星冠で構成されます。シンと私とアラタはホドに。ラメドはゲブラーに。ベートはビナーにそれぞれ属する者です』
(創世世界の今回の三国、光国と峻国と理国に重なってる、と)
「そうそう、だから事は〈栄光〉だけに止まらないってわけ。ヘットとテットは〈峻厳〉で、ザインはうちの子ね。本来、星径ともなれば連星がひとつ消えたって小揺るぎもしないものだが、繰り返し消されてるなんてのはさすがに困る」
「あ、ハイ、そうですよね……」
鼻の頭を突かれて、とりあえず頷く。メムだけにこっそり確認したつもりだったが、メムの言葉は観測者に筒抜けなことを忘れていた。
(……確かに、状況は悪化してる。ゲームでは死なないはずの三人が死んだ。もし観測者シンの能力でこの世界の時間がまた巻き戻されたら、その三人は以降も殺されてしまう可能性がある……)
元凶のシンとアイン、新以外の星径の星も輝度が勝手に下がっていってしまうかもしれないということだ。
「……それで、周辺状況は」
脱線させかけてしまったのをラメドが咳払いで正してくれる。
「よろしくないね。そこの裏山で早速大魔の目撃情報だ。封印されていたものが、起き出してきたらしい。遠くないうちに街にも被害が及ぶだろう」
雪原の風属性の大魔、
「さ、戦闘の連携確認ついでに、一狩り行こうじゃないか。なあに、星径がこれだけ雁首揃えているのだから、恐れることなど何もないとも」
ベートはオニキスのような底知れない黒さの瞳を揺らめかせ、にっこりと笑った。
雪山に入る心構えもろくにないまま、どんどん先導していくベートの後を追って雪山の奥深くへと進む。
峻国の地下聖堂再訪時のように、チート級の観測者の面々についていくだけで新は出番なし……かと思いきや、治癒術をフル活用して筐体の凍傷を防ぐ役目が回ってきた。
「……こ、これ、だいっぶ疲れる……!」
吹雪に紛れて襲いくる敵は、新が接敵を認識するより早く屠られる。なので戦闘には不参加のままなのだが、パーティ全員に微弱な治癒術をかけ続けている。流す魔力が多すぎるとベートからデコピンが飛んでくるし、少なすぎると術が解けてしまってもう一度発動し直すはめになって、非常にめんどくさい。
「はは、おかげで行軍が捗っているよ。現地世界の理、筐体の生物としての性能限界は星径の星だろうがどうにもできないからね。天候、気温、湿度その他の外的要因にはどうしたって左右される。筐体を使いこなすことは観測の初歩中の初歩だ。ひよっこ観測者にはちょうどいい修行だろう。星辰の修養にもなる」
そう言うベートは〈魔術士〉の力を使ってか雪の上でも沈まずに滑るように歩いていて、漆黒の髪にも肩にも雪片のひとつも乗っていない。たぶん絶対、パーティ全体に保温や雪除けの効果をもたらす術をかけることも可能なはずなのに、わざわざ新にやらせている。
『そうですね。星径の力を自身の意思で使いこなせるようになることは、これからのアラタに必要ですから』
そう話すメムの魔力制御補助もあってなんとか続けられているが、ただ治癒士のシンとして治癒術を使っているだけだ。星辰の、星径の力とやらの感覚はいまいちまだ掴みきれていない。
「これから、とか言われても……俺のその力って、シンが戻ってきたらシンに返したりするんじゃ……」
「しない。言ったろ、完全に分かれてもう元には戻らないって」
防御力の高さでプレイヤー泣かせだったゴーレムを一撃で薙ぎ倒して、藍川が首を振る。
「だが事が終わったらお前は地球に“
「う、」
「新人クンの今後の輝度は自分が面倒見るからって? キミ、案外尽くす方だったんだねえ」
ベートが混ぜっ返しつつ、雪に紛れて忍び寄ってきていた白い兎型の魔物を炎で焼き払う。
「俺の“輝度”……」
それが下がると星は存在できなくなる、というのはなんとなく理解している。
『シンの暴走を止められても。アラタ、あなたの星が生まれたばかりということには変わりありません。他の観測世界で連星を観測し、輝度を高めなければ、あなたの星辰はそう遠くないうちにいずれ消失します』
「我々も多少は協力できますが、やはりアラタ自身が自分の連星に接続していく方が確実でしょう」
ベートの取りこぼしを射抜きながらラメドも会話に加わってくる。
「全部片付いてからの話だ」
「先のことを考える時間というものも必要だよ。この子がこれまで“人間”として生きてきたのなら、尚更ね」
藍川は話を終わらせようとしたが、ベートがこちらに向かって片目を瞑ってみせた。
(……そっか。魔王を倒してエンディング、じゃないんだよな。俺は観測者、だったんだ)
自分が知らなかっただけで生まれた瞬間から観測者で。魔王であり観測者であるシンのことが解決したって、新が観測者であるという事実はもう変わらない。──知ってしまったからには、観測者として生きていくことを考えるべきだろう。
「……うん、今聞いといてよかった。俺、自分に関わることなら、ちゃんと自分で知りたい。自分で知って、考えたい」
「貴方なら、そう言うと思いましたよ」
ラメドがほんのりと笑ったので、新も水馬の時のやり取りを思い出して少しおかしくなった。
「年ばっかり食ってたって、言葉は使わなくっちゃあ上手くならないし伝わらない。アインもシンも、ホドだって言葉が足りていないんだよ」
笑み混じりの、けれど静かな声音からベートの思慮深さが窺えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます