第19話

 シンを追って、アインにとっては創世世界よりも余程馴染みのある地球世界の方に接続した。

 シンの星辰の反応を辿って合流した先は、アインの筐体の活動拠点とほど近い場所にある、病院だった。

 夕刻の屋上で初めて顔を合わせた相手の連星は、青白く痩せ細った幼い子供だった。シンはホドの連星がいない地球世界には興味を示さず、ほとんど接続していなかったため、アインは地球世界でのシンの筐体の現状を知らなかった。

 シンの連星の筐体が何らかの病に冒されているのは明白だった。年齢も幼なすぎた。アインが接続し始めてから、地球時間ではまだ十年も経っていなかった。──おそらくシンの連星は既に一度死に、生まれ変わったのだ。

 星径の連星でありながら死に瀕しているという脆弱さは、星の歪みの現れだと思われた。

「この筐体は、長くは保たない」

「……だろうな」

「だが、すぐにまたこの地に生まれるだろう。星径の星として望まれるままに。創世世界との縁も新たに持つかもしれぬ。……それでは意味がない。輝度が、下がらない」

「……」

 ゲームのキャラクターとして“愛された”ことによる輝度の上がり方はアインにとっても予想外だった。

 生真面目で、その真面目さゆえに最後まで苦悩する不遇な“シン”という人間性について、それが周囲にどのような感情を抱かせるか、アインも、シン自身も想像したことがなかった。

「私の星核を割れ、アイン」

「……は、」

 確かに、水を注ぐ器そのものを小さくしてしまえば、入りきらない水は溢れて失われる。けれど欠けた器は二度と元には戻せない。そして星核は、すべての連星と繋がっている。ひとつの形を変えれば、他のすべての星核も同様に欠ける。

「輝度を、下げねば。何としてでも。何に代えても。……あの光が、喪われてしまう前に」

 病院の屋上から見える見事な黄昏の橙を、狂信者のような眼差しで見つめながら呟いた。

 “自分”を何度も何度も殺させて殺しているうちに、シンの星辰もこれほどまでに歪んでいたのだとこの時になってようやく理解した。

「お前の〈黒魔術〉は、他者の星辰に干渉できるのだろう。ならば、星核にも触れられるはずだ。──違うか」

 星鏡の隠匿にも使った〈黒魔術〉の本質は、シンにも話したことはなかった。己にその力を与えた星冠と、〈悪魔〉を司る星径しか知りえない事実のはずだった。他の星径には、ものを見えづらくするだとか、体の動きを鈍くさせる程度の力だと思われている。

 〈黒魔術〉で星核そのものに触れることは、禁忌だった。固く禁じられた上、いくつもの条件が揃わなければなし得ない禁忌へ、今なら手が届くと、そうしてみたかったのだろうとシンが囁いた。

 否定はしなかった。それが可能であったし、やってみたいと思う気持ちもあった。

 悪魔に唆された者もまた、悪魔になりえるのだと知った。

 だからシンの骨張った細い指がフェンスにかかり、苦労して乗り越えていくのを、ただ見ていた。

「私の星核は、私の持つ〈復活〉の力の影響で、時を置かずに次の筐体に降る。──それは空には還らず、地に留まるということだ」

 星に手が届くのは、堕とせるのは、今この時だけなのだとシンは重ねて言って、橙の中へ落ちていった。

 あっさりと命を散らされた小さな筐体から捉えた、遠い彼方で瞬くばかりだった星は、手の中であまりに眩しく、燃えるような熱を持っていた。初めて触れた星核は、小鳥の心臓にも似ていた。

 星核を割る際に、かの星冠ホドから与えられた力の部分を特に選んで切り分けたのは思いつきだった。

 割った欠片は破壊しろと言われていたが、歪んだ橙の欠片は沈みゆく陽に透かせば複雑な色を見せた。金の混じったその色は、存外悪くないように思えた。


 観測都市に戻ると、星命の樹のシンの星が消えそうなことで騒ぎになっていた。しかもその本人の星辰も筐体も観測都市に見つからない、とくれば大問題である。

 ホドとメム、ダアトにもアインの関与が疑われていたが、呼び出しもすべて無視して創世世界へ接続した。シンの星辰が観測都市にいないならば、接続先はここだけだ。シンの連星がどうなったかも見たかった。

 アインが接続した時には、幼馴染のシンは既に“魔王シンによって”殺されていた。

 ──シンの筐体が、二つ同時に観測世界に存在している。観測都市の筐体を〈位置の変更〉で観測世界に持ち込んだらしいと思い至った。

 おそらく、地球世界に接続する前に仕込んでいったのだろう。星核を割れと持ちかけられたアインが応じることまで見越して。

 宝器に選ばれ、勇者であることを定められていたアインとして旅をして、苦労して対面を果たした魔王シンは、笑いながら自身の筐体ごとアインの筐体を破壊した。観測者として、星径として、己を厳しく律し観測世界を尊重し公正に観測することを自身に課していた者が、魔王の力と星径の力でもって観測世界を蹂躙し始めた。

 ──シンの星辰は魔王の星辰と混ざり合い、不可分に融合してしまった。星径としての力がそのまま魔王の力として観測世界の破壊に使われることを許していた。


 アインの筐体が死に、接続は解除された。

 

 観測都市に戻れば、アインの部屋に隠されたままの創世世界の星鏡には“変わらず”シンの星もアインの星も光っていた。

 再接続すれば、やはりまたしても時間が巻き戻され、村が襲われてシンが死んだところだった。ゲームシナリオの影響を残しつつも物語は歪み、少年のシンは仲間になることも、当然魔王になることもなく無為に死んだ。だが魔王は変わらず存在しており、故郷の村を滅した魔王を討つという連星の意志に従って、今回も勇者アインとして旅立つはめになった。

 魔王は今回も大魔を使って悪辣に世界を破壊し、創世世界中の人々の憎しみを向けられていた。再び対面できた魔王から観測者シンの星辰を回収しようにも、歪んで混ざり合った星辰のせいで観測者としての会話はろくに成立せず、また魔王を憎んで共に旅をしてきた仲間からはアインも魔王の仲間だと糾弾された。

 アインの連星は魔王シンと共に殺された。


 再び接続は解除された。


 再接続は何度でも可能だったが、幾度やり直しても幼馴染の少年シンの筐体は失われていた。ゲームの序盤では封印の眠りについていたはずの魔王は既に復活し、世界の破壊を始めていた。

 ──魔王となったシンが、自身の筐体を繰り返し破壊するために大改編を利用していた。

 シンは己の輝度を下げるだけでは飽きたらず、星径としての自身の星ごと、存在すべてを消そうとしていた。

 ホドが消える前に。

 やり直すたび、勇者の仲間は出会う前に殺されるようになり、アインは魔王の元に辿り着くことすらできなくなっていった。

 アインでは、おそらく他のどの星径でも、今の創世世界のシンは止められない。シンの星径の力の影響から逃れられない。

 いよいよ打つ手に詰まってきたところで、地球世界の星鏡を見た。薄れたままの灰の星の側に、ごく小さな星が光り始めている。不安定に揺れる橙のそれは、“あの欠片”の宿るべき連星だと直感した。

 星鏡に放り込んだシンの星核の欠片は、思った通りに筐体を得て、至極弱々しい新たな星となった。


 ◇


「……それが真並新お前ってわけ。前にシンから星辰を分けた、っつったけど、正しくは星核ごと割っちゃいました、ってな。たぶんホドはお前の星辰を見た時点で気づいてただろーな」

 何とも言いがたい顔で長い話を聞いていた新へ、ようやくここから登場するぞとにやりとすれば、難しい顔のまま首を捻った。

「諸悪の根源がお前っていうのと、シンの方もばっちり共犯だったっていうのはよく分かったし、突っ込むのもめんどいところは置いとくけど。俺が生まれる時、お前は大人のゲームクリエイターの筐体に入ってたんだろ? 同い年の藍川零お前は何なわけ?」

「ああ、そうそう。お前はさ、生まれる前、母親の腹ん中にいる時から死にそうでさあ」

「……そういえば、母さん、昔大きな交通事故に巻き込まれかけたって言ってた」

「おお」

「…………庇って助けてくれた人がいて。『その人は亡くなってしまったけど、ふたり分の命を助けてくださったのよ』って言って……て……」

「まあ、そういうこと」

「…………」

 またしても“何と言ったらいいのか分からない”と言いたげな顔で視線をうろうろさせる新の頭を軽く叩く。

「そんで、めでたく藍川零くんご誕生っつー流れ」

 新しく生まれたアインの連星が、新の幼馴染という近しい場所に配されたのは、創世世界やジェネシスのシナリオの影響かもしれないし、アインがシンの星核を弄ったせいかもしれない。

 新の星が、星核が消えれば、いよいよ〈審判〉の星は完全に消失するだろう。

 けれどもしかしたらこの弱々しい星が、創世世界で“物語が始まる前に殺され続けてきた少年シン”を救えたなら。停滞し続ける創世世界の流れを変える一石だとしたら。

「オレは幼馴染の藍川零として、真並新がうっかりおっ死んじまわないように横で見てることにしたわけだが。やったら消えたがる子になっちゃった新くんには、随分手を焼かされたよ。物心ついた頃から、黄昏時がほんとにダメでな。……アイツの、ホドの色がさ」

「黄昏が……あのひとの、色だから」

 そして今はもう新の星辰の色でもある。忌々しい黄昏の目玉を刳りぬいてやろうかと思ったこともあったが、その奥に混じった金を見れば衝動は治まった。

「お前はホドのこともシンのことも何にも知らないまっさらな星辰だったはずなのにな。星核に染みついちまってたんだなー……」

 はああ、とため息をついて新がしゃがみ込む。

「──ずっと、何で死にたいのかも分かんないのに、とにかく死ななきゃって思うのは、苦しかった。でも、シンの星から生まれたからかな。シンの気持ち、分かっちゃう気がするんだ。家族とか、……自分の知ってる近くにいる誰か、が死んじゃうとして。自分の命で助けられるなら、そうしちゃうかもって思う。──自分のこと、それ以上に大事だって思えないから」

 ぽつぽつと零された言葉は、シンを知る誰よりもシンの本質を捉えていた。途端に全てが馬鹿馬鹿しくなってくる。

「そーだなー……そうだろうなー……。アイツ、シンもさ、そうだったんだよな。ホドが大事で、自分自身がいらなくて」

「そこにつけこんで自分のやってみたいことやらせたんだろ、お前は」

 じっとりとした目で睨んでくる。突かれたところが痛かった。

「そーーーうなんだけどさーあーーー……そうじゃなかった、っつーか……」

「……お前はさ、遊び相手がいなくなっちゃうのもつまんなかったんだろ」

「……」

 見た目も星辰も、自分より遥かに若いはずの相手の言う言葉だったが、すんなりと入ってきた。突き詰めれば、多分そういうことだった。

「じゃあさ、俺がジェネシスのゲームを買ってもらったーって言った時、どんな気持ちだったわけ?」

「それまでゲームなんて興味ないって言ってたくせに、クリスマスプレゼントでハードごと買ってもらったってヤツなあ。……あん時ゃさすがに驚いたわ」

 座ったままの新の目線に合わせてアインも隣に腰を下ろす。してやったりと言いたげににんまり笑うのへ、肘で軽くついてやれば肩がぶつけ返される。

 

 地球世界で新が十歳になった頃、新しいハードに合わせてジェネシスのリメイク版が出た。最初の発売からそれなりの年数は経過していたが、アインが思う以上に、あの物語は人々に愛されていたらしい。

 ──このまま、この小さく歪な星が地球世界のただの真並新というひとりの人間として、観測者のことも観測都市のことも何も知らないままに生を終えるのを、待ってもいいかと思い始めていた頃のことだった。だが、星の定めというものはやはりこの子どもの星にも降りかかるのだと悟った。

「俺、ジェネシスを初めてプレイした時、すごい面白かったなあ。ゲームってすごいんだって、世界にこんなに面白いものがあるんだって、感動した。……でもこの頃から、夕焼け──黄昏の時間になると胸がざわざわするようになって」

 新が膝の間に小さな頭を沈み込ませて話すのを、ただ聞く。

「……俺の様子がおかしくなったのを、ゲームのせいで心が不安定になってるんじゃないかって父さんと母さんが話してるのを聞いて。ジェネシスを取り上げられるんじゃないかと思ったし、“普通じゃないことなんだ”、って思って……それで、誰にも言わないことにしたんだった」

「うちの母親とお前ん家の母親はさ、お前の友達付き合いも悪くなってたから、反抗期かって言ってたな。結局、オレとは遊んでたし、見守ろうって話に落ち着いたけど。……オレも、それまでの行動は基本的に筐体の意思に任せてたけど、この辺からそうも言ってられなくなったしな」

 新の“死にたがり”は年々悪化していった。新としての星辰が安定するより早く、歪みを増していくシンの星辰に引き摺られていることは明らかだった。

 そしてつい先日、十七の冬、ついに限界が来た。

「ジェネシスのスマホアプリ版配信が、最後の引き金を引いちまった。地球世界で多くの人間が、死にゆくシンの物語に触れ、あるいは思い出した」

「……俺も、あの瞬間にホドと黄昏がはっきり結びついた。その時はまだ、“この人のために死にたい”んだってまでは分からなかったけど」

「そんでお前が、トんじまった、と。オレは〈黒魔術〉を使って間一髪お前の筐体を助けたが、星辰の反応を捉えられた。観測都市で使ってた地球世界と創世世界の星鏡の隠匿も、剥がれちまった」

「……あの時、真並新が死んでも。俺の星辰は、接続解除して観測都市に行ったんじゃないの?」

 創世世界でもそうだったし、と胸元を押さえて新が俯く。

「あん時はまだ、自分が観測者だって理解してなかっただろ。“自分は死んだ”って“認識”しちまうだけでも、星辰が消滅しかねなかった。──ほとんど誰も知らない、自分自身すら知らない星なんて、ないのと同じだろ。現にお前は“シンの星辰と間違われて”観測世界に回収されたんだからな」

「そっか……」

 長いながい話に一区切りがついて、しばらく沈黙が降りる。

 話した自分でも、生まれる前にも生まれた経緯も今時点さえ他人の都合に振り回されているだなんて、すぐには感情の整理がつかないだろうと思う。だが新は特に悲壮さのかけらもない風に立ち上がって、尻を払った。

「俺さ、藍川のこと、冗談で悪魔だって言ったりしてたけど。そういえば、一回も嫌がったり否定したりしなかったなって、今気づいたわ」

 思うところは当然に様々あるだろうに、悪罵でもなしにそういう話をするところが、アインは気に入っていた。小さな顔を眩しく見上げて、心のままににやりと笑った。

「おうよ、オレは悪魔だからな」

 人を唆して、道を踏み外させて、運命を捻れさせる悪魔だ。欲求に抗えないまま己をも堕落させ、破滅させる、どうしようもない悪魔だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る