第18話

 ゲームの序盤でホド王の栄光を描き、大国の権威ある王の名を広く知らしめる。村の少年のシンは中盤で一度死に、魔王となって復活した後にラストシーンで打ち倒されて再び死ぬ。

 何人ものプレイヤーがそのストーリーを見続けて“ホドの栄光”と“シンの死”を認識する。ひとつずつは微々たるものでも何百、何千と積み重なれば、それは擬似的な“観測結果”として確定していく。

 発売に漕ぎ着けたゲームは、アインが思っていた以上に地球世界で広く販売され、受け入れられた。

 それからしばらくして、創世世界ではついにダアトの村にアインとシンという名の子供たちが生まれた。魔物の活動が活発化し、魔王と大魔の復活が囁かれるようになり、創世世界で大改編が始まろうとしていた。

「ゲームが大改編の引き金を引いたのか、創世世界の大改編があるから地球世界でそういう話のゲームになっていったのか、卵が先か鶏が先かー、ってヤツだな」

「……」

 実際のところはアインにだって分からない。星の定めに介入したつもりで、結局すべてが星の定めのままなのかもしれない。アインが星辰を持つ観測者であり、星径の星である以上、星の定めという概念からは逃れられない。

「ゲームを何周もするプレイヤーも当たり前にいるし、そういうのが大改編の進行を加速させたのは間違いないだろうけどな」と新を見やれば、気まずそうに俯いた。こちらがそう仕向けたという話をしているのに、知らぬうちに計画に加担したことに罪悪感を感じているらしい。

 腰の辺りの高さにある、緩く波打つ水銀の髪をかき混ぜてやる。鬱陶しそうな表情で見上げてくる金と橙の入り混じった瞳が、朝の光を弾いて眩しく光る。

「……ゲームの名前がジェネシスになったから、観測世界の仮称は“創世世界”にしたんだが。アイツはそれを『皮肉だな』って嘲ってたな」

「自分たちで勝手に“つくる”世界だからってこと?」

「まあ、そんな感じ」

 首を捻る新に曖昧に頷く。

 地球世界の宗教的書物、創世記に“楽園追放”というエピソードがあることは後になって知った。

(禁断の知恵の実に手を出して楽園を追われる人、か)

 禁忌と知りつつ犯した罪の報いを受けることをシンは理解し、望んでもいたように思う。彼の不幸は、罪を唆す蛇と出会ってしまったせいであるのに。

(なんでそういうところまで似ちまうかな……)

 悪魔さえいなければ、出会わなければ、無垢なまま、罪を知ることさえなかったのに。

 苦々しい思いが胸中に広がる。唆した蛇は、その後も楽園で笑っていられたのだろうか。



 ◇

 

 シンは創世世界で“いずれ魔王になる少年シン”の筐体と接続し、己の〈復活〉と〈更新〉の力を駆使して時間操作の能力を持つ魔王に相応しい肉体へと仕立てていった。そして幾度も創世世界ごと時間を巻き戻しては、魔王になったシンを勇者の一行に殺させ続けた。随分な力技だが、ゲームの周回プレイの概念とも上手く重なって、効率は良かったようだ。

 実際のところシンが創世世界で何回繰り返したのか、何年の時を過ごしていたのか、アインは知らない。

 創世世界へ接続するたび、目に見えてホドの街は栄えていった。観測都市の標準時間ではそう長くもなかったはずの時の中で、町から街へ、やがて大陸一の大都市へと幾世代も重ねていた。その劇的なまでの繁栄ぶりは、シンの執念そのもののようだった。

 何度目かの創世世界への接続を終え、星鏡の間を覗きに行った時、ダアトから「ホドの輝度、少し持ち直してる」とシンへの伝言を預かった。けれど同時に、シンの輝度が奇妙に不安定だとも。

 言われて星命の樹を見上げれば、幾分かくっきりしてきたように見えるホドの星と比べ、シンの星は不安定な明滅を繰り返している。連星の死によって下がる輝度と、再生による復活、そしてゲームのキャラクター化したことで上がった存在強度とが、複雑に拮抗しているらしい。

 観測都市でシンの顔を見たのはいつだったか、思い出せないことにその時気がついた。地球世界での観測は刺激的であったし、創世世界に接続すれば“村の少年シン”または“魔王シン”に接続するシンを常に確認できていたからだ。

 少し前までホドの輝度を見るために星鏡の間に入り浸っていたシンが急に現れなくなれば、いかに信頼の篤い〈審判〉の星径といえど疑う者も出てくるだろう。ホドの輝度が上がっていることと、シンの輝度が不安定なことを、結びつける者もいるかもしれない。

(この辺でいったんやめとくかね……)

 輝度を自分たちの手で多少なりとも操作できることが分かった。今はそれで充分な成果だろう。

 少し創世世界に入れ込み過ぎているらしいシンを止めるにもいい頃合いだと思った。

 けれどその時にはもう、全てが遅かったのだ。

 

 数日、休養とシンの不在の誤魔化しを兼ねて観測都市で過ごす間、シンは一度も戻ってこなかった。

 創世世界に様子を見に行けば、その時はまだただの村の少年であったシンは芒洋とした瞳でぎこちなくアインを見返した。

「お前、もうちょっとうまくやれよな。観測都市に戻らなさすぎて、不審に思われてるぞ」

「かんそく、とし……ああ、そうか」

「なんだよ、接続ボケか? ホドの輝度はちゃんと上がってたからいったん仕切り直そうぜ。お前の輝度はうまいこと下がってはないらしいし」

「俺……私、の、輝度。そうか、そう、だな。だからまだここに“在る”のだな……」

 シンの手から、林檎の実がひとつ落ちた。瑞々しく食べ頃であったように見えたそれは、地に落ちた時には腐り果ててひしゃげていた。

「……おい、シン?」

「先に戻っていろ。私は“始末”をしてから行く」

「……」

 その短い会話でさえ、後から考えれば違和感はいくつもあった。アインはそれらの全てを、長く同じ筐体に接続しすぎたことによる接続不良だと片付け、ひとり接続を解除して観測都市に戻った。

 シンが観測都市の観測者としての自我を見失いつつあるように思えることも、村の少年の姿でありながら既に魔王としての力を得ているように見えることも、気づいていて放置した。

 どうせシンはまた創世世界の時間を巻き戻すのだろうし、接続を解除すれば元のシンに戻るだろうと楽観視していたからだ。


 それからまた幾日かして、一向に帰らないシンに焦れて、強制的に接続を解除してやろうと筐体を覆う布を剥いだところでアインの手が止まった。シンの筐体は明らかにやつれていた。

 観測都市の筐体は、栄養の摂取を必要としない。星辰が接続されてさえいればの話だ。中身のない筐体はやがて乾いて皹割れる。だから長期間の連続した観測は許されていない。

「おい、シン」

 筐体の肩を掴んで揺さぶり、星辰に働きかけて目を覚まさせる。さすがにこの有様では、ホドもメムも、栄光の塔のみならず他の塔の星々も怪しむ。気怠げに開かれたホドと同じ黄昏だったはずの瞳は、落ち窪んで充血し、凶事を告げる血染めの日没のように見えた。肩を掴んだ手が、骨張った指に異様な強さで握り返された。

「痛っで、おい、離せ」

「……アインか。ちょうどいい、話がある。地球世界に行くぞ」

「待てよ、シン。接続はしばらくやめとけ」

 止める間もなく、筐体から力が抜けた。星辰は既にここに存在していなかった。 

 この時に地球世界へシンを追わなければ、観測都市に無理にでも引き戻して話をしていれば、結果は違ったかもしれないと時々考える。

 けれど幾つかあった分岐点の、そのどれもで、シンは止まらなかった。止められなかった。

 

 ◇

 

「……ああ、“星核せいかく”って、分かるか」

 話の途中で思い出して新に確かめれば、曖昧に首を傾げる。

「星の源? から分かれたかけら、みたいな話はメムに聞いたことあるけど……星辰ってそれの強いやつを具現化した? んだっけ。星の擬人化みたいなもんかなって思った」

「そうだ。あー、ゲーム的に言うと、星冠とか星径の星辰は〈審判〉やら〈正義〉やらの概念を現した精霊、っつーか。星冠がその長の大精霊で、星径は上位精霊みたいな」

「ああ、なんかピンときたかも」

「で、各観測世界にもその概念は、その世界の理屈の中で何らかの形をとって存在している。それが連星と、連星の筐体が持つ星核の欠片だ」

 地球世界にはない概念を、言葉を選びながら説明してやる。

「連星の星核の欠片は、星辰を宿す器だとも言える。すべての連星と共有する魂の外殻──つまり、魂の容れ物だ。連星の筐体には、同型の星核の欠片、同じ概念の容れ物があるからオレたち観測者は自分の星辰を接続することができる」

「魂の、いれもの。……筐体、がもうそういうもんだと思ってたんだけど。アバターみたいな」

「筐体はあくまでガワで、本体は星核だな」

「…………ロボットのボディが筐体で、基盤が星核。星辰は特別なプログラム……って感じ?」

 下唇を軽く噛みながらしばらく考えて、ひとつ頷いた。この癖はずっと変わらない。新が子供の頃から。──シンと分かたれる前から。

「それが近いな。筐体はさ、その生を終えればなくなっちまうだろ。でも星核は消滅することなく、一旦“空に還る”。そして再び同じ観測世界の筐体で生まれ変わる──“星が降る”んだ」

「へえ……。……で、予想はつくけど、その大事な星核に、お前らはなんかしたんだな?」

 話の先が見えてきたらしい新がじっとりとした目つきで面倒そうに見返してくる。

「まー、そうだな……」

 新の幼い筐体を見下ろす。正確には、その裡にある歪な星核の欠片を。

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