3章 観測都市
第15話
石でできた木の中にいるみたいだ、と
あたたかな掛け布団に覆われていて、頭の下には枕があって、──生きている。息ができて、瞬きができる。熱くないし、焼けていないし、からだのどこも痛くはない。
目だけで見回した室内には温かみのある橙を基調とした瀟洒な家具やリネン類があって、どこか
(世界観が違う、っていうか……別ゲーって感じ……)
右に顔を向けると、そこに壁はなくそのまま外が見える。夜の中に街の灯りがたくさん浮かんでいて、大きな塔のような建物がふたつ、ぬうっと聳え立っている。多分この部屋も、あれらの塔と似た系統の建築で、それなりの高さの階層にあるのだろう。
ここはおそらく先程までいたあのジェネシスの、創世世界とやらではない。明らかに違う世界観設定の建築物で、たぶんきっともちろん、地球でもない。
(観測、都市?)
やわらかな空気はほんのりと暖かく、知らない少しあまいような匂いがする。
「……メ、ム、」
出してみた声に、いつものような脳内からの返事はない。声はがさがさに掠れていた。布団から出した腕がやたらに細い、というか小さいことに気づく。寝込んでいて痩せた、というレベルではない。
(小さい?)
どう見たって幼い子供の腕だ。手のひらも、指が短くてぷにぷにしている。
「なん……これ……」
起き上がろうとしても、うまく力が入らなくて肘がかくりと折れた。
「入ります」
メムの声が聞こえて、新が返事をする前に扉が開いた。扉と言ったが、実際は壁がすうっと円状にくり抜かれたように見えた。室内に入ってきたのは、不思議な光沢の銀髪のセミロングを揺らした少女とも少年ともつかない性別不詳の人物で、やはりメムだった。そっと細められた赤い夕焼け色の瞳に、反射的に顔を逸らす。
「目が覚めましたね」
メムは水差しの載ったトレイを手に、ベッドサイドの椅子に座る。最初に宇宙空間っぽいところで会話した時点からずっと声だけでやり取りしてきたので、生きて動いているメムときちんと対面するのはほぼこれが初めてだ。
「異常はありますか?」
「え、と、」
手に包めるくらいの小さな丸いグラスに水を注いで渡されて、喉を潤す。檸檬水のような、柑橘風の爽やかな風味がある。何度か咳払いをして、おかわりを飲んで、ようやく整ってきた声はやはり妙に高い。まるで声変わりの前みたいな、というか実際そうなんだろう、子供の声だ。いい加減に諦めて、子供の姿である自分を認めることにする。
「あの、何で俺、子供の体? しかもすごい、ぎしぎしして動きにくい……」
ふかふかのベッドの上でどうにか座り直そうともぞもぞやっていると、メムが背中のあたりにいくつかクッションを差し込んでくれた。
「動かしにくいのは、あなたの観測都市での
「ここでの、筐体」
子供のサイズ感はよく分からないが、イメージとしては十歳にもなっていない気がする。
「あなたの今の
「ええと、メム。あっちの世界は、シンのからだは、どうなった?」
「……あなたの創世世界での筐体は、失われました。あなたの星辰は大変不安定な状態です。まずは観測都市で待機、静養を」
ブランケットを肩にかけようと伸ばされたメムの手から、身をよじって逃れる。
「……あれ、あの魔王は、シンだったんだろ。観測者の。せっかく見つけたのに」
「いいえ。あれはもう、観測者のシンではありません。筐体から接続解除ができませんでした。
淡々と話すメムは静かな表情でこちらを見ている。
「あの者の接続が解除できず、他の観測者の星辰にも悪影響が齎される可能性がある以上、該当観測世界での観測行動は継続不可能と判断。──創世世界を映す
「は、さい」
破砕。あの世界との繋がりは砕けて割れて、もう、失われてしまったのか。
「……もう、俺は、行けない、ってこと」
「あなたを含む、観測者は、ということです」
「あの世界を、見捨てたの……」
観測者のシンが、観測者の力でもってあの世界を滅茶苦茶にしようとしているのに。せめてそれを止めることもしないのか。つい、観測都市を、メムを非難せずにいられない。
「……それを受け入れたのは、あの世界のあの者の連星です。歪んでしまったあの者の星辰はいずれ星の巡りから外れるでしょう。観測者の、
「長くは、って。星の、メムたちの尺度で、だろ。今生きてるアインは、ラメドは、あの世界のひとたちは、魔王のシンに、
「……」
目を伏せてこちらを見てくれないメムに苛立ちが募る。新だってメムの夕焼けの瞳をまともに見られもしないけれど。
「……あなたの星辰はひどく疲弊しています。星辰は我々自身を定義する唯一のものであり、筐体のように替えはききません。今は何も考えず──」
「筐体だって。あのシンのからだにだって、替えなんてない。……俺が、死なせた」
あの世界で生きていた、ひとりの人間を。アインと共に惨劇を生き残った、幼馴染を。
「…………。観測者は、接続した筐体の──連星の強い意志に、望みに、完全に逆らうことはできません。連星が望まないことを強いることもできない。あの瞬間にあなたが選んだ行動は、連星の意志でもあったのです。──あなたがひとりで全て背負う必要ははありません」
やや長い沈黙の後、そう話しながらメムはブランケットを新の小さくなってしまった体に巻きつけた。寒さは感じていなかったが、あたたかく柔らかいものに包まれると、ささくれ立っていた心が少しだけ落ち着くのが分かる。
メムに罪はなく、責めても意味がない。観測都市が決めたことにメムは従っただけだ。
(俺、一応観測者、らしいのに。助けられなかったのは、見捨てるはめになったのは、俺の力不足だ)
震える息を吐いて吸う。もう一度。メムを責めても、──自分を責めても、無意味だ。全てはもう終わってしまったのだから。
創世世界のことを考えると、鮮烈に眩しい黄昏が胸の裡を灼いていく。見てしまえば死にたくなったはずの黄昏の中で、死ねないともがいたあの絶望と昂揚を。誰かを、アインを、死なせたくないと願ったことを。
「……アインと、ラメドに……死んでほしくない……」
テット、ヘット、ザインらの後から加入する仲間ももういなくて。アインとラメドは旅を続けるのだろうか。大魔や魔王を打ち倒せずとも、せめて生き残ってはくれないだろうか。
メムを見られないままぽつりと零せば、あたたかな腕が肩を包み込む。
「彼らの星はとても高い輝度を持っています。特にアインの星は、いつでも奇妙なほどに悪運が強いことで有名です。創世世界でも、きっと……」
心配も罪悪感もあったけれど。ただ、彼らの道行を最後まで共に見たかった、という気持ちがある。そう長くもなかった旅で、一緒に食べたもの、見た景色、初めての経験が、色鮮やかに心に焼きついている。
「
約束を、守りたかった。死なせたくなくて、だから、死んではいけなくて。
生きることを、願われていた。少年シンが
(もう少しだけあの世界で、生きて、みたかった)
「……今は、とにかく休養を」
硬く冷たく聞こえるけれど、心配の滲む声だった。この声に、安心をもらってきた。
思ったよりも強い力で、ぐいぐい布団に押し込まれる。横になれば、すぐに眠気が襲ってきた。
できなかったことも、これから何かできることがあるのか、も。
寝てからもう一度ゆっくり考えよう、と一旦全て投げ捨てて、布団に頭まで潜り込んだ。
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