第14話

 広場の先に、山に張りついた山門のような威容を放つ入り口が見える。

「でっかい山にでっかい門……」

 山を見上げてぽかんと口を開けた新へ、普段は参拝客で賑わい、屋台も多く出ている広場なのだ、と警備兵の男性が残念そうに教えてくれた。張られた太い縄を持ち上げてもらって潜る。

「峻国の信仰の象徴、霊峰峻山です。地下聖堂に繋がる聖域の鍾乳洞の奥で大魔が発生し、現在は一帯が封鎖されています」

 説明しながらラメドが、続いてアインが縄を潜り、赤い砂利の敷かれた参道に並び立つ。

「……峻国の大魔って、どんなの?」

 ゲームでの知識はあるが、アインとも情報を共有するべくラメドに訊いた。

「地竜です。全身を岩の鱗で守り、鋭い牙と爪、太く長い尾を持つ。動きはさほど速くはありませんが、力が強い。尾の打ち払いには注意してください。最も恐ろしいのは口腔から発せられる熱線ですが……咽喉部と腹部は、テットとヘットが、最期に潰しました」

 魔王によって蘇った後の地竜の熱線によって、前回ラメドたちのパーティは壊滅させられたのだろう。聖槌のテットと聖槍のヘットは、己の死と引き換えに熱線を生み出す部位を破壊してくれた。そして聖錫のザインが一人残って地竜を縫い止め、ラメドだけが辛うじて生き延びた、ということか。

 凄惨な状況を思って唇を噛み締めつつ、頷く。地竜の特性は恐らくゲームとほぼ同じだ。すぐに瀕死にされる仲間を治癒術とアイテムで蘇生しながら、熱線が吐けなくなるまで体力値を削る長期戦になる。

 しかし高級装備でこちらの耐久力が上がっているとはいえ、人数は少ないし治癒士も新一人では追いつかないかもしれない。

(熱線が来ないんだったら何とかいけるか……? けど、そこから〈復活〉させられたら、俺たちも全滅だ)

「狙うのは鱗のない目か口、それと傷が残ったままなら喉と腹、か」

 アインがラメドに確認する。

「それがいいでしょう。……ザインの封印は、限定された範囲を生命を対価に宝器の力で封じた強力なものです。おそらく、魔王の力の介入も、周囲の魔力からの回復も不可能であるはず。封印を解除し、できる限り短時間で大魔を倒せば、今度こそ完全に消滅させられます」

『彼の言葉通り、周辺の魔力は最低値で安定しています。敵性体が活動している様子も観測できません』

(大魔の様子も、封印の中に入らなきゃ分かんないってことだよな)

 メムに返してから、アインとラメドに向かって頷く。

「……とにかく、行ってみよう」


 巨大な赤い柱が立ち並ぶ聖堂を、地下へ地下へと降りていく。ゲームではこの聖堂の中でも魔物が襲ってきたが、今は出てこないようだ。これもザインの封印のおかげなのだろう。

 聖堂の荘厳な内陣の奥、大祭壇の裏側からさらに奥へ降りる。

「わ……」

 そこから伸びていたのは、透明度の高い澄んだ赤い石の鍾乳洞の通路だった。両の壁面には魔術による灯りが等間隔に並んでいて、赤い鍾乳石を柔らかく照らし出している。

(千本鳥居みたいだ……本物は見たことないけど)

 この先の大きな空洞で地竜との戦闘になるはずだ。

 厳かな気持ちで通路をしばらく進めば、前方に薄赤く発光するものが見えてくる。通路の終わり、空洞の入り口で白い錫杖が空洞全体を光で包み込んでいた。

 その向こうには巨大な影が蹲っているのが分かる。小山のようなその影こそ、傷を負ったまま眠っている地竜だろう。こちらを振り返って最終確認するラメドに、アインと共に頷きを返す。

「今戻りました、ザイン……」

 ラメドが伸ばした手が聖錫に触れると、ぱりんとガラスが割れるような音がして光は消えた。錫杖の先端の赤い石からも、色がすうっと抜けていく。

「聖錫を頼みます、シン」

 聖錫を受け取ってから後ろに下がり、陣形をつくる。アインを前衛に、ラメドが中衛、後衛に新。

 地響きに似た音が巨体から発せられる。地竜の目覚めの唸りだ。

 ふたりに補助術をかける前に、手にした聖錫に魔力を通してみる。

(本来の持ち主だったザインはもういない。今だけでもいい。俺に、使わせてほしい。ラメドを、アインを、助けるための力を貸してほしい)

 拒まれることもなく、驚くほど素直に魔力が通り始めた。無色透明になった拳大の石に、今度は橙の光が灯る。

(使える)

 宝器の遣い手に選ばれた、かどうかは分からない。でも使えるなら何だって使わせてもらう。

 完全に目覚めた地竜が尾を振りかぶって、石筍せきじゅんを薙ぎ倒した。地竜の魔力を込められた石が、ミサイルの弾のようにこちらへ飛んでくる。

 アインとラメドが左右に避ける中、後方の新はひとり残って自身に盾を張った。新が願う以上の速度で魔力が滑らかに編み上げられていく。

「シン!?」

「大丈夫」

 遠いアインには届かないだろうが、つい呟く。現れたのは今までとは比べ物にならない程大きく強い魔力の籠った盾だった。以前水馬との対決では水刃の余波で割れてしまったものが、地竜の魔力の弾丸が幾つも直撃したって小揺るぎもしない。

「シン、貴方は……」

「宝器、使えるっぽい!」

 ラメドとアインへ報告に叫んで、ふたりへ攻撃力を上げる補助術を送る。アインが驚いたように剣を握り直すのが見えた。

『身体能力上昇率が前回使用時と比較しておよそ三割増加。宝器の補整と思われます』

(これならいける……!)

「三人で、勝とう」

 地竜は攻撃力こそ高いままだが、動きは元々遅いのに加えてさらに手負いの状態だ。喉元と腹部には鱗が大きく剥がれた生々しい傷痕が残っている。

 呻く地竜の口腔からは、熱線の代わりに血が滲む。素早さを上げたラメドが、地竜の尾を掻い潜って喉を狙い渾身の一射を放つ。深々と突き刺さった矢に、声も出せずに絶叫した地竜の吐息が鍾乳洞を大きく震わせる。

 わんわんと耳鳴りが響く中、アインが地竜の懐深くへ飛び込む。

(とどめだ)

 アインの白銀の剣身が地竜の腹を裂こうという瞬間、すべての音が消えた。

(──え?)


 無音。


 そしてあらゆるものが静止している。

 

 剣を振りかぶったアインも、すかさず次の矢をつがえたラメドも、最後の足掻きにか地面に叩きつけようとした地竜の尾も、彫像のようにびたりと動かない。跳ね飛んだつぶてさえも空中で静止したままだった。

『星辰の反応有り! 観測者シンのものです!』

 新だけが、新とメムだけが、動いている。


「終わらない」


 ぞ、と背に氷を差し込まれるような心地がした。耳の奥から、もしくは鍾乳洞の端から、遠さも大きさもよく分からない声が、わあんと反響する。

「何度でも。復活し、蘇り、永遠を巡る」

 地竜と新の間に、少年シンとよく似た、シンが成長したような姿の男が立っていた。

(“灰色の影”、だ)

 灰色の影が、人のかたちをしている。濃灰色の緩く波打つ髪はざんばらに顔を覆い、隙間から濁った黄昏の瞳がぎらつく。その色には身に染みついた黄昏への恐怖以上に嫌悪感を、おぞましさを感じた。

 何か、得体の知れないものと、新の理解できない狂気と、対峙している。

「殺さねば。殺されねば。何度でも。何度でも。何度でも。何度でも。──まだ、終わらない。終わらせない」

 彼、はおそらく新にも似ているのだろうが、性質も、見ているものも、何もかもがかけ離れているように感じる。

 絶対的に噛み合わない、異質なもの。正反対のベクトル。

(それに、シンより、ホドに……似てる?)

 しかしその目に理知的な光はなく、もっとほの昏い。その色に、眼差しに、纏わりつくような執念を感じて吐き気がする。

「お前を殺さねば。私は殺されねば。殺し、殺され、繰り返す。の星の永遠のため、何度でも」

 身動きできないでいる新に代わってメムが映像で現れる。

『観測者──〈審判〉の星径、シン。即時接続を解除し観測都市へ帰還してください。観測世界を崩壊させかねない程の干渉行為は禁止されています』

 硬く鋭いメムの声が、一呼吸置いて。

『……あなたの行為は、観測都市の……ホドの意に沿うものではありません。何よりこの世界にはホドの連星もいる。あなたが、探し求めていたものでしょう』

「…………ホ、ド…………」

 軋んで皹割れそうな音を零したシンは、ただ暗いばかりの鍾乳洞の天井を、眩しい光を仰ぎ見るかのように目を細めて見上げた。

「──そのために。私は、シンを、破壊する。破壊しなければ、ならない」

 地竜が灰色の影に覆われていく一方で、シンの姿は薄れて消えていってしまう。

「メム! 何とかできないのか!?」

『強制接続解除、実行不可──星辰が変質しています……!』

 振り上げられたままでいた地竜の尾が、洞窟の床面を叩き割る轟音が響いた。巻き上げられた土煙と破片の奥に、シンの姿はもう見えない。唐突に動き始める事態に、対処は何も取れなかった。新にとって、時間が止まっていたという認識が余計に邪魔をした。

「ッ何だ!? 急に地竜の動きが速く……!?」

 即座に地竜の懐から後方へ飛びすさったアインへ、魔力を纏った石筍の槍が放たれる。先に射線に入っていたラメドが大きく跳躍して逃れる。アインも当然に回避するだろう、と思って。

 アインが暫時こちらに横顔を向けたのが、妙にスローモーションで見えた気がした。──直線上後方にいたままだった新を、振り返った。

「ぐあッ」

 土煙に飲まれたアインの呻きが聞こえる。人の背を超える高さの石筍が幾つも突き立った隙間に、倒れたアインの足が見えた。

「アイン!?」

「来ます!!」

 ラメドの短く鋭い声に地竜を見れば、地竜は口の端が裂けるのも構わず大きくあぎとを開けた。

(──あ)

 傷ついていたはずの地竜の喉も腹も、ひとつの傷もなく硬い鱗に覆われている。蘇って、〈復活〉して、──致死の熱線が、来る。

(そうだった)

 ゲームのシンはそうやって死んだのだった。

 シンを庇ったせいで動けなくなったアインを、助けるために。

「シン!?」

「──ァァァァァァアアア!!!」

 どうやって間に合わせたのか、無我夢中で新自身にも分からない。けれど気づけばアインの前に立ち、盾の術で熱線を受け止めていた。張り直す。割れる。張り直す。割れる。張り直して割れて、また張り直す。

『熱線収束予測よりも、筐体の残魔力が尽きる方が先です。盾の発現後、直ちに回避してください!』

(それじゃ、アインが、死ぬ)

『今はあなたの連星の生存を優先すべきです! 星径のシンを止め、この世界の大改編を終えるためにも……!』

 術を絶え間なくほつれなくひたすらに繰り返す。極限まで集中しているからか、いっそ会話をする余裕が生まれたのをおかしく思う。

(……やなんだ、ってさ。筐体シンにとって、自分が死ぬより。アインを死なせる方が、絶対に、嫌なんだって。からだが嫌がることはできないって、本当なんだな)

 張ったそばから割られる盾を何度も何度も張り直すうち、手の爪が割れ、ばつんと皮膚が裂けて、血は滲む前に蒸発していく。

「もういいシン、やめろ!」

「シン、あと少し耐えてください!」

 アインとラメドの真逆の声が聞こえて、少し笑ってしまった。多分背後ではラメドがアインを熱線の範囲から動かしてくれている。

(ずっと死にたい、死ななきゃ、って思ってきたけど。それは俺の感情じゃなかったらしいけど。──“生きたい”って思えたことも、なかったんだよ、俺)

『アラタ!』

 メムの戦闘補助にも、からだは従わない。シンも、そして新も、ここを動かないと決めている。

 髪と皮膚が焦がされる匂いが鼻をつく。全身が軋んで、血液が沸騰しそうで、息がうまく吸えない。

(今はちょっと、思うかも。きっとあいつらは──アインもラメドも、藍川も、気にするから)

「シン!!!!!」

 アインの叫びに振り返る。熱線の攻撃はもうすぐ終わる。このからだの魔力も。ラメドが矢を射つ。地竜の鱗に弾かれたが、同時に皹が入る。

 盾をもう一度張り直して。

「ごめんな」

 次の盾はもう張れない。盾を張るには魔力が足りない。

 次の矢をつがえたラメドへ、最後の魔力で攻撃力強化の術を送った。受け取ったラメドが目を見開く。

 盾が割れて、熱線がからだを灼いていく。視界が赤くなって、感覚が遠くて。

『強制接続解除!』

 ラメドの矢が一筋の光の軌跡を描いて、皹の隙間を掻い潜って地竜の心臓へ突き立った。

「────ッ!!!」

 アインの声はもう音として耳に届かない。何も聴こえない。後悔が胸に湧き上がる。

(“シン”を死なせてごめん。最後まで一緒に行けなくて、ごめん。……ほんとは、もう少し、)

 シンとして、この先も行きたかった。

 死にたくなかった──生きたかった。

 最後に見えたのは、黄昏のいろだった。新に死を運ぶその色からは、やはり逃れられなかったらしい。

 ぶづんと嫌なノイズがして意識が途切れた。 

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