第10話

 買い物を終えた後は王都の西端まで移動して、そこの宿で一泊することになった。明朝から西門近くの“転移陣てんいじん”を使って移動するためである。これまたゲームでは終盤にしか使えなかった便利機能で、転移の陣が相互に設置されている大きな街同士の移動は一瞬で済む。

 夕食を摂ってから、ラメドの部屋で旅程の確認をするために集まった。

「最初の目的地は隣街で、そこから西の峻国しゅんこくへ入ります」

「……西? 魔王は東の果てにいるんだろ」

 アインが低い声で口を挟む。

 アインとシンの住んでいたダアトの村はこの大陸の東にあった。深く広大な森と、険しい山岳がある。山の向こうは数百年前までは人が住んでいたが、増加する魔物に追われて放棄された。今では東の地は魔物のみが棲む荒れた土地だと言われている。

「先に各地に現れた大魔だいまを倒さなければなりません。大魔は魔王から力を分け与えられて生み出された脅威であり、東の果てへ通じる道を封印する要石の役割も持っています」

 ジェネシスのゲームでもそういう設定だった。ラストダンジョンで待つ魔王を倒すためには、その前に各地のダンジョンを巡って中ボスを倒してレベルを上げなければ先に進めないようになっていた。

「大魔を完全に消滅させられるのは私とアインの持つような宝器ほうきのみ。……現状で動ける宝器の遣い手は我々しかいません」

 数百年、あるいはそれ以前から、魔王の誕生と共に神から人へ与えられた救いが宝器である、と言い伝えられている。この大陸の子供たちが最初に読み聞かせられる絵本だ。初代勇者たちは宝器の力で魔王と対等に戦ったが、倒すことは叶わず、ただ長い眠りに就かせた。以来、およそ百年に一度目覚める魔王と大魔を、代々の勇者が倒しては束の間の平穏を取り戻してきた。

光国こうこくに所属する、アインの聖剣。私の聖弓。西の峻国にある治癒士の聖錫、そして北の理国りこくにある魔術士の聖杖。……これが現在確認できている宝器です。治癒士であるシンは聖錫が使える可能性がありますね」

(そうそう、峻国へ聖錫の遣い手に会いに行って。そんで地下聖堂の大魔戦でシンは死ぬんだった。……ん?)

 ゲームでは聖錫はザインというヒロインが使っていた。正規の遣い手の枠はザインのはずだ。峻国には他にも槌を扱うテットと槍のヘットという姉弟もいた。……はず、なのに。

「宝器って、それだけ? 他に宝器とその遣い手はいないのか?」

 疑問を少しぼかして伝えると、ラメドは一度きつく目を閉じた。

「……峻国には私の他に聖槌のテット、聖槍のヘット、聖錫のザインの三名がいました。しかし皆、大魔との戦いで命を落としました。一月前のことです」

「え……」

「……」

 三人とも、中盤から加入する大事なメインキャラクターだ。絶句した新の横で、壁に寄りかかっていたアインも息を呑む。

「峻国の大魔は現在地下聖堂に封印されています。ザインがその命と引き換えに聖錫を使って封印を施したおかげで、私は生きながらえました」

「宝器の遣い手が四人もいて……?」

 アインの直接的な言い方はどうかと思うが、それは新も思うことだった。ラメドはただ静かに頷いて事実だと肯定する。

「我々四名は軍属として共に戦闘訓練を積み、連携も確かに取れていました。大魔は消滅間際まで追い詰めたはずでした……灰色の影が大魔を覆うまでは」

 蘇ったのです、と零した声は、怒りか憎しみかで掠れて震えていた。

「灰色の影からは強大な魔力を感じました。おそらくあれは──魔王の力だったのでしょう。我々がつけた傷は全て消え、更に力を増した大魔に、我々は敗北した」

『魔王によって“蘇った”……』

 メムが何か考え込むように小さく呟いたが、その後に続く言葉はない。

『…………』

(……メム?)

『……。いえ。今はそちらの会話に集中してください』

(あ、うん)

 ラメドに頷き返し、先を促す。

「その後、私は峻王の命で光国に遣わされました。危難を伝え、また聖剣の遣い手に協力を求めるためです」

「……聖剣は宝器の中でも最も強い力を持っている。聖剣の力は魔王にとって最大の弱点だ。だからダアトは東の果ての近くにありながら、今までずっと無事だったんだ」

 は、と短く息を吐いたアインが項垂れる。

「そう、親父から聞かされてた。……親父に何かあったら聖剣を継ぐのはオレとカインだからって」

 現れるはずのない場所に突如現れてしまった大魔と魔物。あの平和な村に、アインの父親以外にまともに戦える人間などいなかった。皆、聖堂に逃げ込むことすらままならなかった。狼の魔物だけだったならまだしも、大魔のあの魔力の籠った突進や咆哮は、普通の人間が躱せるようなものではない。あの時新が避けられたのは運が良かっただけだ。

(──炎狼の、片目)

 アインと新が村についた時から潰れていたあれは、アインの父が聖剣でつけた傷だったのだと思い至った。けれど村人や家族を守りながらの戦いでは、聖剣の遣い手といえどひとりで倒すことは敵わなかった。もしかしたら、幼い息子カインだけでも生き延びさせようと最期に聖剣を託したのかもしれない。──もしかしたら。カインがそれまでに負った傷で命を落とす前に、聖堂に新たちが辿り着けていたら。カインだけでも助けてやれたのかもしれない。

 今更気づいてしまった事実に、アインはそれを知っていただろうことに、心が重く沈み込む。アインの顔が見られなかった。

「村の大魔は、オレたちが消滅させた。……もう、終わったことだ」

 その囁きは、新を慰めるようにも、自分に言い聞かせているようにも取れた。

「私は光国の騎士と共にダアトに向かっておりましたが、村の方角に黒煙が見えた時、まだ二日分ほど離れていました。……間に合わず、申し訳ありません」

 ラメドが深く頭を下げるのへ、新は慌てて首を振る。

「ラメドが謝ることじゃないだろ。……ラメドだって、死にかけたばっかりで。怪我とかはもう大丈夫なのか」

 新の言葉に、「ええ、光国でも治癒士の治療を受けましたから」とラメドが小さく笑う。

「さて、旅程の話に戻りますが。まずは隣街に移動し、魔物の討伐で戦闘訓練をしましょう。宝器の遣い手は、戦い方は宝器が知っていますが……シンは戦闘経験はありませんね?」

「えーと、ほとんど。治癒術も自己流みたいなもんだし、聖錫が使えるかどうかだって、行ってみないとわからない」

 新が現時点で使える治癒と戦闘補助の術をラメドに説明しつつ、背中にいやな汗が伝うのを感じていた。

 ここはジェネシスのゲームではない。ないのだから、当然ゲームシナリオと違う部分も出てくるだろうとは思っていた。だからといってこんな極悪ハードモードに改悪されているだなんて、ひどい話があるだろうか。

(メインキャラが既に死んでて、回復役も宝器が使えるかどうか分からないシンしかいないって、正直詰んでるんじゃ……)

『観測都市へ、危険度の設定変更と早急に救援を派遣するよう伝達しました。テット、ヘット、ザイン……皆高い輝度を持ち、それぞれに運命と役割を持つ星径の星です。彼らの連星であれば、この世界においても大改編に関わる重要な役割を期待されていたことでしょう』

 硬い声のメムが早口に告げる。

(救援、って……観測者が接続すると、強くなんの?)

 新も一応観測者の枠だと思うが、シンのからだが劇的に強くなったという感覚はまったくない。

『観測者は本来、己の星辰の持つ力を知覚しています。特に星径の星には、定めを果たすために星冠から分け与えられた力があり、観測世界においても行使することができます』

(ああ、星径、って特殊スキル持ちって感じなんだっけ。藍川の悪魔の羽みたいな)

『星径の者は皆それぞれに観測世界に赴いており、すぐに救援に来られるとは限りません。くれぐれも危険な戦闘は避けてください』

(気をつけはするけど……結構猶予ない感じだよな……)

 ゲームのストーリーよりもずっと事態は逼迫していて、魔王側に対して完全に後手に回ってしまっている状態だ。

 メムとの脳内会議の合間に、ラメドに向けて一通りシンの手持ちの術を開示し終えた。治癒の程度や補助術の効果を知ってもらってパーティの戦略を立てるためだ。

 魔王の謎の能力や宝器の遣い手の死亡といった重苦しい話が続いた中で、ようやくラメドが少し頬を緩ませた。

「……シンは思った以上に多様な術を習得しているようですね。大変結構です」

「え、そう? どれもそんなに強くないけど、役に立てたら嬉しい」

 家にあった本から習い覚えた(という設定の)基本の術ばかりだが、そう言ってもらえると気分が上がる。

 ラメドの「そろそろ明日からの旅に備えて休みましょう」の声に椅子から立ち、アインと部屋を出た。


「……そもそも、治癒士の素養自体珍しいんだ」

 廊下を行く間にアインがぼそりと教えてくれる。

「マジ?」

「そうだ。ダアトみたいな小さな村で、素養を持った人間が生まれたっていうのは結構すごいことなんだぞ」

「へえー……」

「だからシンは村の男衆がやる仕事は免除されてたんだけど……気づいてなかったのか?」

「……全然」

 家の手伝いはしていたつもり……の記憶であるから、シン少年は特に疑問に思っていなかったようだ。でも確かに、狭くて人口の少ない村となれば、未成年でも働き手として駆り出されていてもおかしくない。例えば村の遣いで、馬を使って王都と行き来していたアインのように。

「シンらしいな」

 はは、とアインが声を上げて笑うのを、ものすごく久しぶりに見たような気がする。村では(派手な金髪頭のせいもあって)どこにいても目立つ人間だったから、誰かと笑い合って会話している姿がよく目についた。

「……うるさい……」

 小突いてやろうと握った拳は、それよりも早くアインに掴まれた。

「……貴重な治癒士なんだから、本当は戦いになんか連れていくべきじゃ……」

 言いかけたアインを急いで遮る。

「回復役はどうしたって必要だろ。俺程度だって、いないよりはましだ」

「シン、真面目に聞け」

「ずっと思ってたけど、お前ちょっと過保護っぽいっていうか……」

 同じ村で生まれ育って、同い年で、同じ“人間”であるはずのアインにまで、そんな風に守られるようなのはいやだった。

(──俺だけ、知らないで。蚊帳の外で)

「俺の心配するより、もっと自分のこと考えろよ。前線で戦わなきゃいけないんだし。……おやすみっ」

 また残れなんていう話になる前に、慌ててアインから距離を取って部屋に逃げ込んだ。


 

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