2章 旅と観測と観測者
第8話
あの後サロンに戻ってホド王と再び話し、アインは聖剣の遣い手として、シン──
もし晩餐会のようなものが催されるとすれば、ナイフやフォークのまともな扱い方も食事マナーも分からない(シン少年の記憶の引き出しも元からすっからかんのようだった)新はどうしたらいいのかと戦々恐々としていたが、実際はアインとふたり分を部屋に用意してもらえた。
「おおー……」
彩り豊かな食事が次々に何皿も、広いテーブルいっぱいに並べられている。給仕が必要か訊かれて落ち着かないのでと断ったら、いっぺんに全部セッティングしていってくれた結果だ。
「……めちゃくちゃ美味そうなのは分かるけど、見た目から味が想像できない」
「……オレも」
少年シンもアインも共に田舎者であるので、王都の、それも王城の食事などに縁があるわけもない。初めは恐る恐る手をつけたが、一品一品手が込んでいて繊細な味つけで、大変、とても、美味だった。
「あ、うま」
薄いオレンジの謎のペースト状のものは魚卵と芋か何かの混ぜ物のようで、ぷちぷちした食感と塩気が美味しい。
「こっちもいける。オレこれ好きかも」
見た目フライドポテトの揚げ物の中身はイカの食べ心地に近い。薄黄緑のソースはヨーグルトっぽい酸味のあるタルタルソースという感じで、後味がさっぱりしている。
アインとふたりでの食事となると話題に困るのではと危惧していたが、藍川と食べる時と同じ調子で問題なさそうだ。主に料理の感想を思いつくままにぽつぽつ話すだけで、気まずさは感じなかった。
ほっくりした白身の魚と歯応えのある貝と、色鮮やかな野菜がくたくたに煮込まれたスープを啜って一息つく。
「やっぱ魚がよく獲れるんだろうなー」
「でかい港があるしな。でも肉も美味い」
次に甘酸っぱい香りのする葉を解くと、中から蒸し煮にされた米(よりも平べったくて丸いが)と木の実が出てくる。
「あ、これ、母さんが……──」
よく作ってくれるやつ、と言おうとして、言葉に詰まった。ごく自然に口から出てきた「母さん」の響きに、シンの母はもう亡くなってしまったということに、新自身も動揺させられた。
「……うん。村でも、よく食べてたよな。オレの家は肉の入ってる方が多かった」
アインも葉を剥きながら、ゆったりとした口調で返してくれる。カインは甘いのが好きだった、と寂しげに微笑んで、小さな包みの中身を一口で食べた。新も倣って食べる。素材の味を生かした柔らかい味わいだったが、こればかりは、シンの記憶に残る包み蒸しの方が美味しいもののように思えた。
「……美味いけど、家のが、好きかな。でも母さんは、好きそう」
通夜、のつもりではない。まだ故人だという実感もない。観測者の新が抜けた後の少年シン自身が、時間をかけて向き合っていくだろうことだ。ただ、村での時間をなかったことにも辛いものにもしたくない気持ちが湧き上がるまま、家族はどの料理を好むかの想像の話をした。アインも、デザートの菓子をつまみながら「これ、食べさせてやりたかった」と零した。
「……なあ。全部終わったら、報奨金とかきっといっぱいもらえるよな。それであちこちの美味いもん買って、──墓参り、しよう」
食事を終え、それぞれに与えられた部屋に引き揚げる前に、思いついてそう言った。
「……それも、いいかもしれないな」
アインは曖昧に笑って、片手を振って部屋に入っていった。
(あ~~~、タイミングまちがった……まだそんな気分には全然なれっこないよな……)
美味しい食事で完全に気が緩んでいた。新も部屋に入って扉を閉めてから頭を抱えて蹲る。アインに対して、油断しているとついつい藍川と同じつもりで深く考えずに話してしまうし、やはりからだの中身が新では当事者意識に欠ける部分もあるだろう。
『いえ。復讐を行動の動機とする人間に、成し遂げた後の時間について考えさせることは、有効かと思います』
(えーと、もしかして慰めてくれてる?)
人付き合いなどには興味のなさそうなメムがそんな風に言ってくれるのは少し意外だった。
『……観測都市のアインの輝度など、多少上下したところで私には関係のないことですが。
(……だな。藍川のことはぎったぎたにしてやりたいけど、アインはちゃんと、救われてほしいっていうか)
メムと(主に藍川についての)意見が一致して、少し距離感が近づいた気がする。
まだ寝るには早い時間に、さてどうするかと考えたところで。メムにソファに座るように促された。
『時間のあるうちに、私たちは情報共有を行うべきです』
(ああ、確かに)
メムとはいつでも脳内で会話できるとはいえ、その間どうしても新は現実のことが
『地球世界でアインが制作したという物語について、可能な限り思い出してください』
つまり、ゲームストーリーについて知りたいということだ。同じ流れになるとは限らないという話もしたが、メムも知っていた方が取れる手が増えるかもしれない。
(でもなんかちょっとあやふやっていうか、すぐに出てこない部分とかあったんだよな……)
ラメドの名前も、重要な旅の仲間であるにもかかわらず咄嗟に思い出せなかった。
『同期処理を初めて行った影響かもしれません。あなたが筐体に馴染んできた分、より安定しているはずです』
(なるほど。えーっと、まずは……)
ゲームに登場した大魔は全部で四体いた。炎の狼は村で倒した。次に行く街で水の馬、隣の
(ざっくり言うとそれだけなんだけど。峻国がめちゃくちゃ大変で、そこまでは早く行けるわりに、ちゃんとレベル上げしとかないと地獄を見るんだよな……)
『戦闘訓練が必要ということですね。こちらで戦闘時の情報を解析して補佐は行えますが、最適な行動を取るためには筐体自身の身体能力も重要です』
(ああ、うん。訓練しろってことだろ。だけど、シンについてはあんまり強化する必要はなくて……──)
そこまで言って、大切な情報がすこんと抜けていたことを思い出した。
『それは何故ですか』
(そのー、シンって、死んじゃうから……)
『……は?』
メムのそんな声も言い方も初めて聞いた。無意味に両手の指を曲げ伸ばしたり鳴らしたりしつつ、続きの記憶を引っ張り出す。
(あの。ゲームだと主人公アインの幼馴染の治癒士シンは、……ゲーム中盤で死亡して、離脱する。しかも魔王の器にされて、最終的に魔王として倒すことになる、んだった、なーって)
『……彼らは魔王を倒すことを誓って旅に出るのでは?』
(そうなんだけど。復活したての魔王は、新しい体として、死んだシンの体を使うんだ。結局は最後にほんの少し残っていたシンの魂が魔王の動きを止めて、そのおかげでアインが止めを刺せたーってなるんだけど)
『…………。……あくまでそれはあなたの地球世界における娯楽作品の物語であり、実際の星の運行とは異なる可能性が、ある、はずですが……』
メムのハキハキした声音がどんどん歯切れの悪いものになっていく。
『そんな物語を、アインが、つくったと?』
とても訝しげな声でメムが言う。アインに対する含みもたっぷり含まれていそうだ。
(言ってたな、藍川。でもゲームってひとりでつくるもんじゃないし、購買層に合わせてなんやかんや変更したりさせられたりってのもあるだろうし)
『──観測都市での
(その星鏡って、昼間も言ってたよな。メムは映ってないからここには来ない、とか)
『はい。星鏡は、観測世界を映し出す鏡であり、観測都市と繋ぐ道でもあります。星鏡にはその観測世界に所縁ある星が現れますので、原則としてその者が観測を行うことになっています』
とメムが補足してくれる。
『地球世界と創世世界、二つの星鏡が顕現していたことを観測都市は把握していませんでした。顕現時に立ち会い、報告せずに隠匿した者がいたためです。──シンの持つ能力がそれを可能にしたのでしょうが、我々は、私は……シンがそのようなことをするなど、考えられなかった』
普段冷静で、ろくに感情を表さずに話すメムの声が揺れているのに気づいて、思わず尋ねる。
(その……観測者のシンって、どんなひと?)
『シンは〈審判〉を司る
俺とずいぶん違いそうな人物像だな、と他人事のように思った。
(シンのこと、メムは信じてたんだ)
『彼とホドはよく似ているように、私には思えました。使命を重んじ、為すべき事を為す。シンは〈栄光〉の星冠であるホドを尊敬し、星径として永く支えてきたと聞きます』
(聞いた?)
『私も星径の星のひとつではありますが、シンよりも、他の多くの星径よりも比較的若い星ですので。シンと同じほど長く存在する星径は今ではそう多くありませんが、……アインもその一人です』
(同級生? 同期入社? って感じか)
へえ、と興味を引かれて、クッションを抱えて座り直す。
『シンとアインは、司る定めも性質も振る舞いも何もかも相反するようでありながら、不思議と通じ合っている様子がたびたび見受けられました。私はシンと同様ホドより力を授かった星径ですが、シンについての理解は、アインの方が深いのでしょう』
(ホドがシンとメムの父さんとして。シンはメムにとって、年の離れた真面目だけど何考えてるか分かんない兄で、アインは何でつるんでるか理解できない悪友、みたいな感じか)
『星径と星冠の関係性を、観測世界で見られるような人間の家族構成に当て嵌められると齟齬が生じますが、ひとまずその認識で結構です』
やや不満げな声ながらも、メムは会話進行を優先することにしたようだ。それにしても、と聞き齧ったばかりのシンの人柄を思い返せば。
(繋がりがある並行存在、
半分以上独り言のつもりだったが、メムは『ええ、それでいいのです』とやや柔らかい声で同意してくれた。
『あなたの星辰からは、非常に微弱ですが、シンとホド、そしてアインの力を感じます。星冠から力を分け与えられ生まれる星径の在り方と、近しいものです。アインはあなたの本体がシンであると発言していましたが、おそらく今のあなたはシンに限りなく近しいながらも異なる星──双子の星、
(……俺がシンの双子ってなると。メムは俺にとって妹ってことになるかな?)
『無意味な比喩ですが。アラタの星の性質や成り立ちがどのようなものであれ、生まれたばかりの最も幼い星であることは事実です』
やや早口で念押ししてきたメムに笑う。
(はいはい、俺はせいぜい末っ子の三男だよな。まあ何でもいいよ、俺一人っ子だったから兄弟ができるのってちょっと嬉しい)
くすぐったい気持ちのまま言えば、小さく咳払いするような声が聞こえた。
『……話が逸れました。ともかく、今のその筐体にアラタが接続できている現在、“ダアトの村の少年シン”は観測者シンとアラタ双方の、あるいはアラタのみの連星であると言えます。そのシンの筐体に働きかけ、利用する“魔王”が今後現れるとするならば、』
(魔王の中身は観測者シンの可能性が高い、ってことか)
『世界に求められる役割や性質で言えば、あまりに乖離していますが。存在の規模としては納得がいきます。星径シンの星辰が、“小さな村の少年”の役割だけを課されるとは考えにくいのです』
(そっか。今まで会った人でそっちと関連がある人って、勇者と王様と王女だもんな。あ、もしかしてラメドも?)
『ええ。ラメドは〈正義〉を司る星径です。平等や正しさ、公平性を重んじる、信頼できる人物です』
(アインと違って?)
メムの声がシンのことを話した時のように滑らかで誇らしげだったので、つい茶化したくなった。
『……星辰と連星は、同一視すべきではありませんが』
前置きした上で、それでも話しにくそうにひとつ溜め息を零す。
『アインは〈悪魔〉を司っています。星径の定めは、すべからく世界に必要とされて顕れるもの。そこに優劣も善悪もありません。ですが、』
(メムの言いたいこと、たぶん分かるよ。あいつが悪魔の性質を持ってて、何考えてるのか分かんない危ない感じがあるって。──俺が
付き合いが長いからこそ、分かる面もある。
(あいつのやったことが良いことか悪いことか、それを楽しんでやったのか仕方なくやったのか。立ち位置とか、状況とか感じ方で、全然変わる。……本人に訊かないと詳しくは分かんないけど)
アインがシンを唆したということは充分考えられる。けれどそれを悪とするなら、それに乗った時点でシンもまた悪だ。一方で仮にアインがシンを助けるためなどの理由で観測都市の決まりを破ったのだとしたら、それは悪と言い切れるだろうか。
(しっかし悪魔かー……めちゃくちゃ納得するな……)
藍川は容姿も頭脳も身体能力も人並み以上に高いせいで寄ってくる人間が多かったが、彼らを面倒だと思えば小馬鹿にしたりからかったりとなかなかひどい対応をしてきた。それでも常に憧れめいたものを持たれていて、どこにいても目立つ奴だった。悪魔のようだ、と評されるのを何度も聞いたし、新だって言ったことがある。
(そういえば、地球でも悪魔の羽生えてたっけ……)
『星径の持つ力ならば、その観測世界の筐体では本来成しえない事象も発現させることができます。……その星径の反応によって、アインと、その近くにあったあなたの反応を捕捉しました』
(……そうだったのか)
力を使えば観測都市に見つかると分かっていて、それでも新を助けることを選んだわけだ。
(まー、大体自分の目的のためとかシンのためなんだろうけど)
次に会えたらボッコボコに殴ると決めているが、回数を多少は減らしてやってもいいかもしれない。
『あの者が自身の目的や望みに重きを置き、“面白ければやる”という思考の持ち主であることは、覚えておくといいでしょう』
(そうする)
話がひと段落ついたところで、ふあ、と欠伸が漏れる。夜もいい加減更けてきた。今日は長距離移動に加えて王様謁見イベントもこなしたことだし、さすがに疲れが出てきたようだ。
『ひとまずここまでにしましょう。道中でも思い出したことや気づいた事柄があれば、逐次共有を。あなたの記憶と一致する部分は有効に活用し、筐体の安全を第一に観測を進めるべきです』
(うん、分かった。おやすみ、メム)
布団に潜り込みながら言った言葉になかなか返事が返らない。
(メム?)
『いえ。……おやすみなさい、アラタ』
やけに柔らかく響く挨拶に、そういえばおやすみを言い合うのは初めてか、と少し照れくさくなった。
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