第7話
薄荷(のような)草で馬車酔いを誤魔化しつつ、眠れるだけ無理やり寝て過ごすうち、ようやく馬車は王都に入った。メムの声が頭の中で『四日経過しました』と律儀に教えてくれるが、酔って寝て起きて酔ってを繰り返していてあまり記憶がない。
石畳で舗装された道をゆるゆると進むのは比較的ましで、新は馬車旅の最後の一時間だけは多少楽しむことができた。
車窓から眺める王都は、橙の煉瓦造りの家々が区画ごとに整然と立ち並び、どっしりと堅牢で落ち着いた雰囲気の街だった。
大陸の南に位置し、港からは豊かな海洋資源が採れ、北側には広大な穀倉地帯を擁する。北の
ということを、ラメドの解説と、街を行く人々や店に並ぶ交易品などから情報を収集したメムの補足で知る。
歴史も地理もテストを一夜漬けで乗り越えるタイプの新だが、実際の街並みや商品を見ながらの
時間を掛けて街の中央を突き進んだ馬車は、やがて光国王都中央にそびえる城に辿り着いた。オレンジがかった巨大な円柱が立ち並ぶ、パルテノン神殿などを思わせる巨大で威容のある城が小高い丘の上にそそり立っている。柱の装飾には鏡のように磨かれた銀がふんだんに使われていた。
「海に夕陽が沈む際、壁面や銀装飾が橙に染め上げられる様から、“世界一黄昏が美しい国”と謳われています」
ラメドが教えてくれるのを、うんざりした思いで聞き流す。美しかろうが何だろうが、早く屋内に入ってしまいたい。黄昏が始まる前に到着できて本当によかった。
話は通されていたようで、城に入ればすぐに王に謁見する運びとなり、新もアインも風呂に入れられ髪を整えられ真新しい服を着せられて、良家の子息のような体にされた。ラメドも礼服らしい長い丈の上衣に着替えてきて、髪も丁寧に編まれて纏められている。
ゲームでは家臣の立ち並ぶだだっ広い謁見の間での王との対面だったと記憶しているが、今回呼ばれたのは暖かな日差しが降り注ぐ温室のようなサロンだった。
最初に現れたのは、流水のような銀髪を腰まで伸ばし、赤い夕焼けの瞳を持つ少女だった。橙の布をゆったりと組み合わせた衣服だが、はっきり女性だと分かる姿をしている。
「第一王女、メムと申します。父が来るまで、もう少々お待ちください」
(……メム?)
思わず脳内にいる方のメムに話しかける。
『
(え、他の世界では違ったりするの)
『観測世界によって年齢・性別・趣味嗜好・所属環境などに差異があります。生を終えた連星は、再び類似した形態で転生しますが』
(メムと違って)口元に柔らかい笑みを刷いた王女は、小さいながらも繊細な銀細工と橙の宝石で彩られたティーテーブルに、お茶と茶菓子とを用意させて退室していった。
(メムはこのひとのからだ……
『私の星はこの創世世界を写した“
(ふうん……?)
星辰の年数はよく分からないが、年齢制限があるらしい。車の免許みたいなものだったりするのかもしれない。しかしもしもメムなしで観測のかの字も知らないまま放り出されていたら、戦い方も分からずに最初に遭遇した狼の魔物にあっさり殺されて終わっていただろうから、何にせよメムの助けがあってよかった。
それにしても、と横目で隣に座るアインを見遣る。
(連星──並行存在って言っても、まったくおんなじ人間ってわけじゃないんだな、やっぱり)
アインと藍川は顔だちこそそっくりだが、体格も性格も、話し方すらあまり似ていない。生活環境や本人の気質の問題だろうか。
(地球の、っていうか。宇宙人みたいなもんらしいけど、あの藍川がひねくれすぎな気もする)
茶菓子のクッキーらしき焼き菓子に手を伸ばすと、取ろうと思っていたそれは横から攫われてアインの口に収められる。「うん、まあ、うまい」とかもごもご言うのにため息だけ返して別の一枚を取る。
(毒見のつもり、ってか……?)
他人を信用せずに最初は疑ってかかるところは、藍川とアインは似ているかもしれない。身内か自分より下だと判断した相手以外は、とりあえず敵とみなして攻撃する。
多分、というか確実に少年シンはアインの身内側に入れられている。特にこのアインの場合は、シン以外の身内を突然に失ってしまった分、余計にシンを守ろうという意識が強く働いていそうな気がする。
つらつらと考え事をしている内に、サロンの扉が侍従たちによって恭しく開かれ、一目でこの城の主人だと分かる威容ある人物が姿を見せた。立ち上がるラメドに倣ってアインとシンも立って迎える。
「待たせた」
王女のメムと血の繋がりを感じさせる、すべらかな銀髪をゆったりと束ねた背の高い男性だった。
(ホド、だ)
「光国王都の守護を預かるマキユ=ホドだ。私的な茶の席だ、楽にして構わない」
宇宙空間、観測都市で見たあの人物と、そっくり同じ姿をしていた。瞳の色は間違いなく新の苦手とするあの黄昏色だろう。口元まで見て、それ以上は視線を上げないように努める。間近で対面したことのない為政者の圧倒的な存在感と、たましい、のようなものが奥底で震えるせいで、体が固く強張るのを他人事のように感じる。
「峻国の勇者、協力に感謝する」
「いえ。……アイン君、シン君。この方は賢君の呼び名も高い、民の声もよく聞かれる王です。そう、緊張せずとも大丈夫ですよ」
ラメドが安心させるように笑みを浮かべて、陶器からおかわりの茶を注いでくれた。気づけば給仕も誰もいなくなっている。
「……初めまして、シンです」
沈黙が落ちて、とりあえず名乗って会釈する。作法についてはシンも新も何も知らないので、どうしようもない。アインに顔を向けると渋々といった様子でぼそっと「……アイン」とだけ喋った。
「経緯は聞いた。ダアトの村を襲った惨劇、誠に遺憾に思う。諸君らの悲嘆は察するに余りあるが──回りくどい言葉は嫌いだ、単刀直入に言おう。アイン、聖剣に選ばれし遣い手よ」
続く言葉は新の知る通り、「勇者となり魔王の復活を阻止せよ」だった。
お約束の、プロローグ部分が終わって物語が本格的に始まるシーンだ。新にとっては、追加されたムービーのせいでマンションから飛び降りて挙げ句の果てにはトンデモSFに巻き込まれるはめになった、苦々しい情景……になるはずだったが、ムービーとは大分変わっていた。ゲームと違って他の大勢の目があるわけでもなく、王の言葉からは悼みと配慮が感じられる。
アインや少年シンのような平民にとって、国の王という絶対的な上位者からの命令に拒否権はない。
そして新にとっても、ホドの言葉は絶対命令に等しい力があった。新の中にある、新の根本を形作っているらしい、観測者シンの魂──星辰が、彼の言葉に従いたがっている。逆らうことなど考えられない。それどころか、新も少年シンもこの王のことをほとんど何も知らないのに、慕わしさのようなものすら感じている。
(俺が、観測者のシンが、……黄昏を見て死にたくなるのは)
黄昏がこのひとの象徴だからだ。
“ホドのために”死にたいのだと、言葉が、思いが、天啓のように降ってくる。
「……そんなに聖剣が、聖剣の遣い手が大事なら、なんで」
押し殺されたアインの声に意識を引き戻される。割れ間から噴き出すのを待つ溶岩のようにぐらぐらと煮え滾る熱が籠っている。
「なんで村を。もっと早く。大魔なんか来る前に。せめて、戦えない人間だけでも。なんで、……助けてくれなかった!!」
白くなるほど握りしめられた拳は膝に押しつけられて、テーブルを蹴り上げるのを堪えているようだった。
「大魔の出現が予期していたよりも尚早であった、と言っても無為な弁解にしかなるまい。……心より謝罪しよう」
一国の王に、ホドに頭を下げさせたこと以上に、憎しみの
「……アイン。貴方が憎むべき敵は、大魔であり、魔王です」
ラメドの取りなしにアインは答えない。代わって新がただ遣る瀬無い思いで首を振った。そんなことはアインだって分かっているはずだ。
(アインもシンも──俺だって、ただの子供なんだ)
家族も友人も知り合いも全部亡くしたばかりの、地球の安穏とした生活から切り離されたばっかりの、ただの十七の子供だ。
それきり無言で俯いたままのアインの方を見る。ゲームの勇者は「やります」か「わかりました」の選択肢しか持たなかった。けれどこのアインには、アインの絶望を隣で見てしまった新は、大人たちの身勝手な要求を突っぱねる権利があると思った。
ややあって、アインがゆっくりと顔を上げる。一度新の方を見た金の瞳は、何の感情だかわからない複雑な色を浮かべたかと思えば、すぐに逸らされ──王を真っ直ぐ見据えていた。
「……やります。オレが、魔王を、殺します」
「ちょ、ちょっと待った!」
先程までの激昂が嘘のように凪いで、何もかも諦めたひどい声音で言うものだから、割り込まずにはいられなかった。
「少し、少しだけでいいんで。こいつと二人で話させてください」
「いいだろう」
テラスへ繋がる扉をラメドが開けてくれたので、アインの腕を引っ張って連れ出す。
外に出た瞬間、まさしくあのムービーで見た黄昏が空を染め上げるところだったが、足元の芝を睨んでどうにか堪えた。今はとにかくアインのことだ。
庭の中程まで、アインは新に手を引かれるまま大人しく着いてきた。庭木に囲まれた東屋で夕陽に背を向けて腰掛ければ、アインも向かいに座る。
「なあ。嫌なら、納得してないなら、断ったって、」
「断れる立場でも、状況でもないだろ……。それに誰か、偉い人間に責任を擦りつけたかっただけの、八つ当たりだ」
狼狽える新に、強張っていたアインの口元がほんの僅かに緩んだ。
「でも。大魔だってあんなに強かったんだぞ。魔王を倒せってほとんど無理ゲーっていうか、死にに行け、って言われてるような、もんじゃん」
死にたがりの新が、藍川と同じ顔のアインを止めるなんて、藍川に知られたらきっと笑われる。それでも、死にそうな顔で声で、死にに行くつもりみたいに見えるアインを、“勇者だから”なんて理由で行かせてはいけないと思った。
ストーリーとしては村に伝えられていた伝説の剣をアインが使えた、魔王が復活する、それなら勇者になるのはアインしかいない、で、いかにも王道RPGの筋書きだ。これが本当にゲームならそういう設定だからと別に何とも思わないでいられるけれど。
「オレは“勇者”になるんじゃない。世界の平和とか、国のためとか、王の命令とか、全部……どうでもいい」
アインは本当に何にも興味のない様子で、美しく咲き誇る花々の向こう、遠くに向けて目を眇める。
「……オレたちの村は、もうない。家族も死んだ。全部焼かれて引き裂かれて、殺された。オレ達の平和は、なくなった。何をしても、返ってこない」
ひとつひとつ、なくしたものを、なくした事実をなぞって、塞がってもいない傷を殊更抉り返すような声で、言い方だった。それでもすべて事実であるので、頷くしかない。
「ただオレは、村が焼かれた理由を、全部の大魔を、魔王を殺して、消したいだけなんだ。オレにその力があるんなら」
「……復讐、ってこと?」
「他にやりたいことがない──なくなっちまった」
は、と笑い声にならなかった息を吐き出して、虚ろで昏い目を歪ませる。
同じ顔を持つ藍川零を十年以上隣で見てきた新も、幼い頃に少し遊んだ他は遠巻きに眺めるだけだったシンにしても、彼がこんな顔をするなんて知らなかった、と思う。いつもへらへらと笑っていたからだ。
アインが「父のような強い剣士になって冒険者になりたい」と言っていたのは、村の人間なら誰もが知っていた。その兄に無邪気に憧れていた弟の笑顔も、関わらないようにしていたシンですら知っていた。
(笑えるわけないよな)
ただの小さな村の子供だったアインとシンも、あの日村の皆と一緒に死んだのだ。家族を助けられずに生き残った罪悪感は、新が重なったシンと違ってずっと苛烈にアインの裡を焼き続けるのだろう。
少年シンならどうしただろう。アインと同じ村の出身で、同じように家族や知人、続くはずだった日常を奪われたシンなら、アインを止めたいと思うだろうか。あるいはアインと一緒に復讐を望むか。記憶は重なっても、今この瞬間にシンがどう思うかは、新には分からない。ただ、やりたくないことだけはいやでも伝わってくる。
(アインを、ひとりで行かせたくない──シンも、ひとりで遺されたくないから。……でも俺は、シンじゃない。真並新、なのに)
この先に待つ敵の強さを、戦いの苛烈さを知っている。生き延びられる保証もない旅にアインを行かせていいのだろうか。シンのからだも。アインにもシンにも、どちらの命にも想いにも、何の責任も持ってやれないのに。見合う覚悟すら持っていないのに。
『アラタ。我々にも、目的があります』
怖気づいた新へ、メムの声がいつもの静かな調子で告げる。
『この
(…………そう、だな)
やるしかないのは、アインと一緒で。一方でアインを勇者にしたい大人たちとも、新は同じだった。ならばせめて、
(……同じ道を)
「俺も、手伝う」
様々な覚悟を持って発した言葉に、しかしアインはすぐに首を振った。
「シンは王都に残れ。ラメドが便宜を図ってくれる」
「俺だけ安全なところに残るなんでできない」
険悪な雰囲気をしていたくせに、そういうところは周到に話をつけていたらしい。倒れたりへたばったりの醜態ばかり見せてきたせいか、アインはシンを気遣って世話を焼こうとする。
(俺はシンじゃない、
真並新だから、アインの幼馴染ではなく、アインほど傷ついてもいなくて、アインを利用すらする。中途半端な立場で、アインに守られる理由も資格もない。
「──俺も、他にやれることがないんだよ」
真並新の心のままに、真並新のエゴのためにそう言った。少しも笑えない気分なのに勝手に口角が上がるのを感じた。
せいぜい真並新として、観測者の立場で使えるものは何だって使って、アインの旅路の助けになろうと、決めた。
ぐ、と喉の奥で唸るような声がして、新が顔を上げると同時にアインが首を逸らした。
頬に伝う雫が夕陽に照らされて、一筋光る。
アインがずっと気を張っていて、ひとりきりでこの先を戦う覚悟と気負いがあっただろうことに今頃気がついた。
寄る辺のなくなった子供がひとりからふたりになっただけだ。地獄からまた次の地獄に向かうのに、道連れがひとり増えただけ。
(それでも、ひとりより、マシだよな……)
『……アラタ。実際の観測行動を行うのはあなたですが、……』
(分かってるって。メムも頼りにしてる。めちゃくちゃ。おかげで覚悟、決まったから)
このまま向かい合って座っているのも何となく手持ち無沙汰で、アインの隣に移動して、東屋の柵に頬杖をついてできる限り体を背けた。これで互いに顔は見えない。背中に重みがぶつかって、そのまま。
「せめて、お前は、死なせない」
アインの掠れた声が背中越しに響く。
「…………うん」
瞼を刺す黄金の光を知りつつ薄く目を開ければ、想像していた通り、──それ以上に美しい黄昏が花園と広い空を照らしていた。花弁や葉を透かす金色に、沈みゆく橙に、胸が詰まって呼吸が震える。
この黄昏のせいで死地に赴くのだとしても。アインも、この
(死にたい、なんて、言ってられない)
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