第6話

 コン、とノックの音で意識を引き戻された。立ち尽くしていたのは長い間のようにも思えるし、ほんの数分だったかもしれない。

 のろのろ振り返ると、戸口のところに剣をいたアインが立っている。

「シン、誰か来る。様子を見てくるから、」

「行く」

 ここにいろ、と続くだろう言葉を聞く前に、かさついた喉から声を出す。アインだけを危険な目に遭わせるわけにはいかない。

(なんだっけ、ええと、)

 咄嗟に頭が回らなくて、物事がうまく考えられない。

『複数名の生命体が接近中──人間です』

 メムの声が少し遠く感じる。

 家の影から村の入り口の様子を伺うと、馬に乗った、鎧を纏った大人が十人ほど見える。

(そうだ、騎士団が来るんだった……)

 生存者を探して保護するように、と先頭にいた年嵩の騎士が指示を出している。そして聖剣の確保を、と続けたようだったが、聞き違いかもしれない。

「あの旗。光国こうこくの国章だ」

 遠く揺れる旗を見てアインが呟く。剣と盾を組み合わせた、この大陸で最も栄えている光国の国章が見えたらしい。ここダアトの村は光国の東端にある。ゲームと同じように騎士団が村の様子を見に来てくれたのだろう。

 助けだ、と新の記憶もシンの心も感じて、すぐに出ようとするのをアインに止められた。新を家の影に残したまま、広場まで進み出て、鞘から剣をゆっくりと抜く。陽光を弾いて輝く剣身を、体の中心に真っ直ぐ掲げた。

(──なんで、剣を……?)

 一人の騎士が馬から降り、目深に被っていた外套のフードを下ろして「……宝器ほうき、聖剣」と呟いたのが、静寂の中で新にも届く。溢れ出てきたのは赤い髪で、それと同じ色の目を持つ騎士がアインに向かい合う。

 メインキャラクターであるはずの、見知ったはずの彼の名前がすぐには浮かばない。何だか頭の働きがやけに鈍い。

「聖剣はここに。……生存者はいない。皆、確認した」

 アインはシンを置いてひとりで行くつもりなのかもしれない、と急いで踏み出そうとした足が膝から折れた。

 アインの押し殺した声で、言葉で、開けないようにしていた記憶の蓋がついに壊れた。昨日見ないようにしながら、それでも見てしまった顔、髪、腕、足、服の一部。今まで“シン”は遠巻きにしていたつもりの、それでもすぐ近くにあった村での生活の“記憶”の中で、生きていた人たち。

 隣家のアインの家は、家族は、そのままマンションのお隣さんの藍川家で。村長の家も、お喋り好きのおばさんも、そういえばマンションで挨拶を交わす、見知った顔の人たちだ。

(そんなもの“思い出“さなくていいのに)

 新とシンの記憶が丁寧にひとつずつ結びついてしまって、切り分けられなくなる。目眩と吐き気が酷い。僅かに吐き出したものは今朝食べた林檎だと知っているのに、その赤さすら目にするのが辛い。地球での記憶とここでの“記憶”が絡まり合って、日常を生きていたひとたちが、自分の日常のパーツでもあったひとたちが死んだ、と認識してしまう。

 惨劇から一夜明けて、思ったよりも自分は冷静だと思っていた。ゲームだと割り切れれば大丈夫だろうと思っていた。全部甘かったのだと、全然自由にならない体にやっと気がつく。

 シン、と振り返ったアインの声が遠い。

「彼らには休息が必要です」

 騎士と目が合った。メインキャラクターであることは分かるが、彼の顔立ちの知り合いはいない。真並新しんなみあらたの近しい人間ではない。自分のよく知る顔が巻き込まれるのはもう見たくない。そのことに安堵を覚えて、途端に意識が落ちた。


 目が覚めて、やたら低く見える天井が目に入る。

(布……テント?)

 その中で、温かい毛布に包まれて寝かされている。少し離れたところでアインと、赤髪の青年騎士が話しているのが見える。どれくらい寝ていたのかは分からないが、それなりに眠れた実感があって、体が少し軽くなっている。

「大丈夫か、シン」

 アインがまたも水を差し出してくれて、更に体を起こすのまで手伝ってくれた。何だか気遣い度が藍川より高いというか、過保護そうな感じがする。

「力の使いすぎによる身体疲労と、精神的疲労が重なったのでしょう。回復の水薬で多少は落ち着いたかと」

 低く柔らかい、感じのいい声がそっと話しかけてくる。真紅の髪を背に束ねた、二十代半ばくらいの落ち着いた雰囲気の騎士だ。労しげに細められた目もまた赤く、ガーネットのように濃い色をしている。

 ラメドと名乗られて、聞き覚えのある音にようやくガタついていた記憶の引き出しが動いた。

(メインキャラの弓使い、だ)

 取説のイラストを精魂込めて実写化しました、という出立ちだった。生真面目そうな様子もそっくりそのままだ。精悍で整った顔面に眩しさを感じて気圧される。

 温かいスープの入ったカップを差し出されて、受け取ろうとすると横からアインに取られた。一口飲んで頷いて、こちらに渡そうとする。

「いやお前が飲みたいなら飲めよ」

 新しいのをもらえないかとラメドの方を見ると、何だか苦笑いをされた。ラメドは何故かアインの方に新しくスープを渡したので、諦めてそのまま飲みかけに口をつける。温かさと仄かな塩気、煮込まれた野菜の味わいが胃にじんわり滲む。

「アイン君には説明しましたが、シン君にも。我々は光国騎士団の先発部隊です。ここ、ダアトの村付近で魔物が活発化していると聞いて、王都から応援に来たのですが……」

 遅すぎました、と頭を下げられる。

「そんな、あなたのせいじゃないんですし」

「しかし、貴方方という生存者がいたことと、聖剣が守られたこと、そしてアイン君がその“つか”であることは僥倖でした」

「……結局聖剣と遣い手を確かめにきたんだろ」

「あ……アイン、」

 アインの態度をたしなめれば、ひとつため息をついて剣を鞘ごと腰から外した。そして鞘から抜いた剣をテーブルに置く。

(ほんもの、だ)

 昨日の戦闘時にはとてもそんな余裕はなかったので、改めてじっくり眺める。

 ゲームの荒いドット絵で表されていた聖剣が、実物として間近で見られたことはファンとして感動した。主人公の勇者が持つに相応しい、金と琥珀色の石で装飾された美しい白銀の剣だ。

「聖剣は大魔だいまを倒せる力を持つ“宝器ほうき”のひとつです。聖剣は魔物を退ける結界の要であったはずですが、村が襲われたということは、魔物の力がそれだけ強大になってきた──魔王復活が近いということの証です」

 ゲームでもそういう設定だった。村を襲った炎狼も、魔物を統べる凶悪な大魔の一種だった。

「この村は魔王の封じられた東の果てに近い。山脈に隔てられているとはいえ、一刻も早く離れるべきです。騎士団としては、聖剣に選ばれ、宝器の遣い手となったアイン君には光国の王都に来てほしいと思っています。もちろんシン君も一緒に」

 ここまでは新が寝ている間にラメドとアインの間で一度やりとりされていたのだろう。聖剣を鞘に収めたアインはラメドには返事をせず、シンを振り返った。

「……シンはどうしたい?」

「何で俺に振るんだよ、話のメインはお前とお前の剣のことだろ」

 つい幼馴染に返す調子で言ってしまってから、アインには王都に行ってもらう方がスムーズだと思い出した。ゲームストーリー通りに進行するとは限らないが、乗っかって問題ない流れには乗った方が楽だ。アインは光国で勇者に任命されて、魔王を倒すことを決意するのだ。

(そう、主人公の勇者は幼馴染と一緒に旅立って、色々ありつつ最終的に魔王を──……んん……?)

 何か引っかかったが、ゲーム知識の引き出しはやっぱり引っかかってうまく開かない。記憶がいきなり二人分になったことの弊害かもしれない。

「とにかく。……ここにいても、しょうがないだろ。また魔物が来たって……困る」

 皆の、墓が、と言おうとして言えなかった。墓をつくらなければならないことを、そこに収めなければならなくなったひとたちのことを、考えようとすると体の機能すべてが錆びついたように軋む。

「……弔いは、騎士団で請け負いましょう。遺品もできる限り探し、引き取り手があればそちらに。……貴方がたのためにも、一度ここを離れた方がよろしいかと」

 アインもラメドも新を見ていた。気遣われているのが分かったが、大丈夫とは口だけでもとても言えなかった。虚勢を張ることも平静を保つこともできず、この状況で新はどうしようもなく無力だった。


 王都までは馬車で数日かかるとのことだった。腰掛けにも寝台にもなる長持が両側に誂えられた、そう大きくはない荷馬車だ。御者役の騎士とラメド、アインと新の四人で乗る。

 初めて乗る馬車の揺れやゆったりと流れていく景色は、最初こそ新鮮だったが、数時間もしないうちに頭痛と胃を掻き回される不快感にのたうち回ることになる。

(地球でも、酔い止め、必須だった……)

 今更思い出しても遅い。新ひとりの都合で馬車を止めてもらうわけにも行かず、けろっとしているアインが恨めしい。

「せめて水は飲んでおけよ。……馬に乗る練習をしてりゃ違ったんだろうけど、シンは本読んでばっかりいたからなあ……」

「うるさい……」

 アインと少年シンは隣人で一応幼馴染ではあったものの、ここ数年は一緒に行動することすらほぼなかった、と記憶が言っている。会えば挨拶する程度で、陽キャと陰キャの幼馴染なんてそんなものだろう。新が普段藍川にしているような雑な態度を取るのも躊躇われるし、アインにどう接していいか迷っている。しかしアインの方は特に気にした様子もなく、やけに気軽にシンに構ってくる。

 腰元のポーチに常備してある薄荷のような葉を噛んでいると、少しだけ気分もすっとしてくる。そのタイミングを見計ったようにアインに水筒を差し出された。気が利くと言うべきなのだろうが、その余裕ぶったところや、いちいち気遣われているという事実にどうしても心がささくれ立つ。複雑な思いが顔に出ていたのか、ふ、と笑い声が溢れた。顔を向けるとラメドが口元を軽く押さえている。

「いえ、仲がいいな、と」

「「べつに」」

 反射的に言い返した言葉がうっかり重なってしまって、決まりがわるい。

 馬車に乗る前からラメドは新とアインに細々と気を配ってくれるのだが、人当たりがいいはずのアインはラメドに対して棘のある対応を貫いている。

 新としては、メインキャラと判明していて、裏表のない公明正大な騎士であるという為人を知っているラメドを警戒する理由がないのだが、アインはもちろんそれを知る由もない。ないのだが、それを抜きにしたって目も合わせないのは行きすぎているように思える。

 ラメドは実直そうな微笑みを小さく浮かべただけで、後は自然な仕草で窓の外に顔を向けた。広くもない馬車の中で漂う微妙な空気に、比喩でもリアルでも頭が痛い。

(陰キャに場を取り持つとか無理だし……あと車酔い設定なくていいのに)

『三半規管、並びに身体能力全般が平均値より低いのはこの筐体の初期仕様です。身体訓練である程度改善することができます』

(うーるーさーいー)

 すっかり存在を忘れかけていたメムに、こっちの世界でも運動不足を指摘されて、新は外套をかぶってふて寝を決め込んだ。

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