静かな夜

二十時過ぎ,雨が降らないことを確認してから家を出た。夏も過ぎて秋に差し掛かった時期,九月にしては冷えた風が肌を優しく撫でる。陽は既に落ち,大通りを行き交う人影はほぼない。この時間帯に,少し目立つ白い上着を着て散歩に出かけることが私の日課となっている。時間にして一時間程度,長いときには二時間程度,目的地を決めることなく歩き続ける。

二年半前に大学を卒業し晴れて社会人になった私は,思っていた以上に忙しい社会に飲み込まれていく中で,自分の時間を確保しようと試行錯誤をしていた。自分の時間とは何かを考えてみたり,自宅でできることをあれこれ試してみたり,ゲームや読書に明け暮れたこともあった。そうして最後に辿り着いたのが散歩である。初めて散歩したのは今から二年前の大体この時期だ。



今から二年前,入社してから半年程度が経過し,ある程度会社に馴染んでいた私は,同期や同世代と競争をくり返し,勝った負けたと一喜一憂していた。結果至上主義の会社であったため,いい結果を出せば給料もよくなるし,社内でも評価が高くなる。場合によっては,若くしてプロジェクトを任されることもあるらしい。

その中で私は下位を争っていた。私よりも優秀な人間は沢山いて,評価される人を見て劣等感に苛まれる日々。自分にもどこか他人より優れているところがあると信じていた私にとって,評価されない現状は重く精神的な苦痛となっていた。

「自己成長」やら「やりがい」といった使い古された名目で残業に追われ,退社するのは早くて八時過ぎ,家に着くのは九時過ぎ。仕事柄休日も仕事に追われることが多く,休むこともままならない。帰ってから何かをする意欲も湧かずに毎日をゲームに費やし,勝ったら神ゲー,負けたら糞ゲー,それを反復横跳びして不満を蓄積させていく日々。会社で抱える精神的苦痛に加え,ゲームによるストレスで自分が少しずつ狂い始めていたことを理解していた。しかし会社もゲームも辞めることができず,ニコチンとアルコールを過剰に摂取し,それらに依存した生活を送っていた。

そんなある日,大量に買い溜めて置いたタバコを切らした。タバコを吸いたいときに吸えないということに対して酷く苛立ちを覚えた私は,吸いたいという欲を抑えることができずにコンビニまで買いに行くことにした。

急いで着替え,スマートフォンとイヤホンをポケットに押し込んで家を出る。時刻は既に日を跨いでいたこともあり,外は静寂に包まれていた。冷えた風がそっと吹く。その風は不思議と,私の頭に上った熱を奪い,意識を穏やかにしていった。正気を取り戻してあたりを見ると,そこは今まで自分がいた世界とは全く違って見えた。安らかで,柔らかく,どこか優しさを覚える,そんな世界。ふと,社会人になってから自宅と会社の往復以外で家を出たことがほとんど無かったことを思い出す。実に半年ぶりの外出ではないだろうか。言い表せない解放感に包まれながら何の気なく空を見上げると,その日は雲一つない快晴で,数多の星がらんらんと輝いていた。

冷静になった私は,無意識のうちに現状を俯瞰していた。そして私は,自分が置かれている世界がいかに狭いものであったかを理解した。社会にしばらく身を置いて,どうでもいい会社の,どうでもいい規則の下で,どうでもいい人との競争にムキになっていたことにやっと気が付いた。

そうだ。私は昔から他者と比較をしてこなかった。他者に迷惑をかけない程度であれば,他者の価値観などどうでもよかったのだ。全ては自分の人生を楽しむため,私が思う理想を実現するために,やりたいことをやりたいようにやってきた。私は,そういう人間だった。

全身から力が抜けていく。人生を楽しもうという懐かしい感覚が,意識の底の方からじわじわと湧き出てくる。凝り固まった思考が解れ,気持ちが楽になっていく。

虚無の連鎖から一歩外に出た途端,私の思考は分からないことで溢れた。

どうしてこの地獄を受け入れていたのか。どうしてこんなに頑張っていたのか。何をしたかったのか。どこに向かっていたのか。分からないことが浮かんでは次の疑問によってかき消されていく。

私は知っている。これらの「なぜ」「どうして」には答えが無い。これは,考えることを辞めた人間が無意識のうちに陥ってしまう愚かな状態に起因するものだ。認めたくないが私は,忙しいことに甘え、私よりも優れた人間に対する嫉妬や劣等感すらも言い訳にして,考えることを放棄していたのだ。

私は他者と比較された程度で落ち込んでいたことを酷く恥じた。人生を楽しむという,誰よりも幸せを理解していたはずの私が,どうでもいい会社の歯車として利用されていたことに気が付けない自分の未熟さを恥じた。

様々なことを注意され,叱責され,ときには殴られさえした。そのたびに私は,怒られることは悪で,怒られないことこそが善だと,そう勘違いをして過ごしてきた。まったく違うのだ。怒られることは問題ではない,改善できることこそが善なのである。

なぜこの程度のことも忘れていたのか。なぜ会社の中という小さな世界で優秀になろうとしていたのか。長い時間理解していたことすら歪めてしまう,環境とは怖いものだと改めて理解した。このまま私はこの会社にいて本当に大丈夫かと,このとき初めて真剣に考えた。

気が楽になった私は,それからゆっくりと近所のコンビニを目指した。感覚を研ぎ澄ませて世界を敏感に感じ取る。肌に触れる服の感触,体を包み込む風の冷たさ,空から聞こえてくる風が唸る音,道なりに続く街灯と信号の明かり,どこからか漂ってくる家庭的な料理の匂い。久しぶりに感じる日常に懐かしさを覚えながら歩き続ける。

しばらくすると,向こうにコンビニが見えた。街灯と信号だけが光る道で,その光は煌々とあたりを照らしている。店内には店員以外の人影はない。タバコだけを買いに来たつもりだったが,久しぶりに大学時代によく買っていたものを買うことにした。ホワイトチョコとレモンティー,そしてタバコ。店を後にして,ホワイトチョコを一つ口に放り込むと,懐かしい甘みが口いっぱいに広がる。ホワイトチョコが溶け切った後,口の中に残る余韻をレモンティーでさっと洗い流す。そして,タバコ。

あぁ,こんな感じだった。毎日こうやって,人生を楽しむことをひたすら考えていた。就職活動のとき,最後の最後に私は,人生を楽しむための苦労は厭わない,という結論に至って,それから社会に出たんだ。忘れていた,苦労は楽しむためにするものだった。

まだ何か忘れていないか,私は思い出すことにした。イヤホンを取り出し,学生時代に毎日聴いていた曲を選択する。流れてきた音楽に耳を傾け,タバコを吸いながら思い出す。そういえば,この曲を聴きながら毎日筋トレをしていた。この曲を聴きながら自分の将来をイメージしていた。そういえば。そういえば。

一つ,また一つと思い出を掘り起こしていき,最後に,私の人生観を築いた言葉を思い出した。

「命があれば万事は細事」

「大抵のことはどうにかなる」

パチパチと,頭の中で何かが弾ける感覚に襲われた。そうだ。これである。これこそが,私たる所以である。すっかり忘れていた。私は「まぁ,どうにかなるっしょ」という思考で生きてきたのだ。

すっきりとした私は,軽い足取りで自宅を目指した。そして,学生時代の私のように,こう思うのだ。

さて,明日は何をしようか。明日はどう楽しもうか。



私は川沿いを歩きながらぼんやりと過去の自分に思いを馳せていた。

あれから二年。私は依然としてあの会社に勤め続けている。その間にも,忘れられないような出来事は色々とあった。楽しいことも,苦しいことも,辛いことも,悲しいことも,本当にたくさんのことがあった。しかし,全くもって精神的な苦痛はない。

あのころとは打って変わって今は充実した生活を送ることができている。あの日から二週間ほどはやはり苦痛を伴ったが,散歩を毎日続けているうちに少しずつそれも和らいでいった。ゲームをする時間が減っていき,かわりに散歩の時間が増えた。散歩のついでに筋トレをするようになり,肉体的な疲労から自ずと睡眠時間が増えた。睡眠時間が増えたおかげで,精神面も安定し始めた。そうして夜が変わり、朝が変わり,昼の活動が変わっていった。誰かと時間を共有するようになり,人間関係も大きく変化した。時間が経つにつれて顔つきが変わったことに気が付いたときは私もびっくりした。

あの日タバコを切らすことが無ければ,私はずっとあのままだっただろう。自分に目的を与えることができない私が行きつく先は精神の死を除いて他にない。楽しくない人生など,死んでいるのと同じなのだ。人生とは生を謳歌してこそ,そこに意味がある。

今の私はどうであろうか。もしも仮に明日事故にあって命を落とすとして,その時に私は自信をもって生きたと言い切ることができるだろうか。

答えは全くのNOだ。私はまだ,自分の人生すら楽しみ切れることができていない。まだまだやりたいことは沢山あるし,やり切れていないことも沢山ある。人生を楽しむとは,最大にして最高難易度の課題なのかもしれない。最近私はつくづくそう感じるようになってきた。

どれだけお金を得ようと,絶対的な幸福を得ることができるとは限らない。お金ができることは不幸を回避することであり,それは幸せであり続けるための手段に過ぎない。人は安定求める。不安をなくすために一定の収入を得ることを選択し,安定を得ることは精神的な負担を軽減する。だから私は仕事を辞めないことにしたのだ。仕事を辞めず,一定の収入を得て精神的な安定を保ち,かつ人生を楽しむために考え続ける。これが今の私にできる幸せの形の一つだと確信している。

川沿いを抜けて住宅街へと向かう。そこに建つ見慣れた一軒家の玄関を開けると,甘い匂いが香ってきた。脱いだ靴を揃えて,廊下を歩いて突き当りの扉を開ける。

「ただいま」

「お帰り。もうすぐできるから少し待ってね」

「ん」

彼女がキッチンに立っていた。今日の夕食は大学芋,秋刀魚の煮つけ,昨日残った秋野菜のミネストローネだろうか。

手を洗うついでにシンクに置かれた洗い物や天板を手早く片付け,食器棚から食器を取り出す。

「ありがと」

それからソファに腰を掛け,勢いよく飛びついてきた犬を撫でながら,キッチンに立つ彼女をぼんやりと見つめた。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

首をかしげる彼女から目をそらし,俺の腹の上で撫でろ撫でろと一生懸命訴えてくるその目をじっと見つめる。

彼女は会社の一つ上の先輩で入社時から色々と面倒を見て貰い,縁あって交際するに至った。それももうすぐ二年目となり,俺としては結婚も視野に入れている。ただ,彼女が俺のことをどう思っているかが分からず,なかなか言い出せずにいるのが現状だ。人生を楽しむと一丁前のことを言ってはいるが,やはりこういうことには神経質になる。

いつ切り出すか。今週末は交際二年の記念日があり予定も組んでいる,そのときがいいのだろうか。いいや,それじゃ少し気障ったらしいか。そもそも,私の方が年下なんだし,向こうから声をかけられるのを待つべきか。いや,それは男としてどうなのか。

分からない。結婚一つとってもわからないことだらけだ。いずれ私も家庭を持ち,新しい幸せを築くことにある。そこはもっと分からないことだらけで苦しむこともあるだろうが,本質は一つ,楽しむことだ。

「これ運んで」

盛り付けを終えた彼女がカウンターに皿を並べていく。私の服にがっしりと捕まっていた愛犬を下ろし,カウンターに置かれた皿を机に移動させながら私は彼女にこう聞いた。

「ねぇ,俺に直して欲しいところとかある?」

「え?ないけど」

「無いの?」

「無いよ。本当にない。あなた以上の男性にあったことないっていつも言ってるじゃん。強いて挙げるなら,そうだなぁ,一人で考えすぎることかなぁ」

「俺そんなに考えてるかな」

「考えてるよ。考えすぎ。私結婚したい」

突然の暴露に思考を停止させて皿を移動させる私であるが,彼女は曇りのない満面の笑顔でじっと私を見つめてくる。これは彼女なりの威圧である。

つまりは,こういうことなのだ。「まぁ,どうにかなる」のだ。

「・・・そっか,うん,そっか」

彼女の言葉を何度も咀嚼し,理解する。安堵半分,緊張半分といったところだ。正直会社のプレゼンよりずっと緊張している。彼女の方を見ると,表情が一気に柔らかくなり,華が開いたかのような明るさに包まれていた。

「いつもみたいに、考えとく,って言わないんだね」

彼女は,俺の考えなんてぜーんぶお見通しってわけ。だから私はあえてこう言うのだ。

「考えとく」

「うん、待ってる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る