威厳

命爆ぜる音が響き渡る。エントランスは原型を留めていない肉塊と臓物で溢れ,長く続く廊下は血で赤く染まっている。時々耳にする苦悶の叫びは,神に逆らった報いとでもいうべきか。

私は,遠くから聞こえてくるそれらの音を物ともせず,靴底を鳴らしながらゆっくりと歩みを進めた。数メートル後ろには,拳銃を携えて周囲に気を張り巡らす巨躯が三つ。目指す先は,組織の幹部が逃げ込んだであろう隠れ部屋である。



なぜこれほどまで事態がこじれてしまったのか。事の発端はある権利をめぐる会議に遡る。


数か月前,我々の組織に大きな取引が持ち込まれた。それは凄まじい規模を誇っていて,世界中の権力および資産家が名を連ねていた。一目見て,私たちだけでは扱いきることが難しいと理解したのだが,このような大仕事を前にしてやらないという選択肢は初めから無い。苦慮の末,我々は姉妹ともいえる組織にこのことを打ち明けることにした。その組織というのが「メンフィス」である。


メンフィスは私たちと同じ都市に拠点を構える組織であり,我々の組織とは長きにわたり共存共栄の道を辿ってきた。度々衝突を繰り返してきたが,互いに互いを尊重しあい,潰しあうことはしてこなかった。近年は彼らも我々も,何かと国家絡みや都市絡みの問題に見舞われて苦労していたこともあり,これを機に新たな組織の構築と本取引の共有についての話し合いをする場を設ける運びとなった。


当初,彼らは我々の提案に賛同している様子であった。しかし,順調に話が進んで組織の併合の話になると途端に歪み始める。


彼らは我々の組織を支配下に置くことに執着し,一切の譲歩をしないという。我々は併合について対等な関係を求めていたこともあり,その身勝手極まりない態度に呆れ果てた。


同じ都市で共存共栄をしていると言ってはいるが,我々は中心都市に拠点を構え,一方メンフィスは郊外に拠点を構えている。支配規模,運転資金,パイプの太さ,所有資産等,様々なことを考慮すると我々の規模はメンフィスの数倍にも及ぶ。


頑なに首を縦に振らないことに匙を投げ,我々は新組織の構築と取引の共有を白紙に戻した。取引もその承諾に猶予を貰い,今回の事が両組織間の確執にはならないように出来るだけの事をした。


しかし,彼らは我々の苦労を露とも知らず,組織の併合をしない上に取引の権利を譲渡しろ,と都合のいいことを言い始めたのである。これには我々の組織内でも不満の声が上がるようになり,力尽くで支配しようという意見を持つ者さえ現れ始めた。


その主張は最もなものであるが,私にとってそれは本望ではない。奪い合いには死が付き物である。せっかく拾った命であっても,それが私に忠義を尽くすためものであっても,限りあるものを無為に捨てられるようでは困るのだ。


だから私は言って聞かせた。いずれ彼らの組織を飲み込む時が来ること,我らが望んで血を流す必要はないこと,組織が大きくなっても私に仕え続けること,絶対に死んではならないこと。私の部下は実に聞き分けが良く,それ以降彼らと積極的に関わることはしなかった。



ある日,部下の一人が息を切らして私の部屋に駆け込んできた。職務中は基本的に私の部屋に入ることを禁止している。それにもかかわらず確認もなく駆け込んできた彼は,肩を大きく上下させながら私に向かって話し始めた。


「すっ,すみっませんっ」

「何の用だ」

「は,はいっ」

今にも泣きだしそうな顔で私を見つめる。嫌な予感がする。

「第六がっ,やつらに,もうっ!」


側仕え二人の表情が硬くなる。こういう時の直感は嫌というほど当たるのだ。


「人を集めろ」

「何人ほど集めますか」

「集められるだけだ」


今にも意識を失ってしまいそうなほど息を荒げる部下をその場に置いて,私は部屋を後にした。


第六拠点はメンフィスとの境界に最も近い場所に位置する我々の拠点,そこが襲撃されたという。予想を立てることはできるが,まずは現状の把握しなくてはならない。


側仕えの一人,ヒューゴが私の荷物を一式持って私の後を追ってきた。歩きながらホルスターを装備,ジャケットを羽織り,外套を纏って黒手袋を嵌める。エントランスに着く頃には外出の準備は完了した。


私以外の全ての携帯端末に着信が入る。部下召集の合図である。建物全体が慌ただしさを帯び,重たい金属をすり合わせる音がそこかしこから聞こえてくる。


エントランスを抜けて外に出ると,建物の前には既に車が準備されていて,運転手のアブドゥルが車のドアを開けて待っていた。車に乗り込み,衣服と姿勢を正す。私の反対側にヒューゴ,助手席にもう一人の側仕えであるアルバスが乗ると,車は動き出した。


ヒューゴは手に持っていたアタッシュケースを開くと中から拳銃と弾倉を取り出し,射撃準備を完了させてからそれを私に渡した。目的地まで車で数十分程度。焦る気持ちを抑えながら,窓の外を眺めていた。


第六拠点から少し離れた場所に車を止めて降りる。第六拠点であった建物は扉も窓も無く,壁という壁が爆発物で抜かれ,隙間から確認できる限り内部は家具や食器の類が散乱していた。銃を握りながら中へ進んでいくが,敵も味方も関係なく,息をしている者はそこにはいない。いくつか見つからない顔があったが,拉致されたと考えるのが妥当だろう。


私は過去に自分が犯した不手際を悔やみ,また同時に私の頭の中は,彼らに対する憤怒で埋め尽くされた。



いつの間にか,銃声も悲鳴も止んでいた。長く続く廊下に私たちの足音だけが寂しく響き渡る。歩き続けること数分,足の裏に付着した粘つく感触がやっと消えた頃,通路の突き当りに部屋があることを確認した。左手を僅かに挙げて前に出るように指示する。



鍵を破壊してゆっくりと扉を開け,室内に敵がいないことを確認してから足を踏み入れた。組織のボスの部屋であった場所だろうか,そこには数々の趣向品が保管されていた。金になりそうなものがそこらに転がっている。机の上には一本のウォッカと二つのグラスが置かれていて,机の脇にはお気に入りのワインらしきものがガラスのショウケース内にずらりと保管されている。


銃をしっかりと握りながらゆっくりと部屋の中を進んでいく。部屋の奥まで入ると,左の方から唸り声が聞こえてきた。三人に目配せをし,音のする方へと少しずつ向かう。


棚の影から確認すると,そこには拉致されたと思われる部下が数人,椅子に縛り付けられて力なく項垂れていた。周囲に人影が無いことを確認しながらゆっくりと近寄る。私から見て一番手前にいた部下は,近くに人の気配を感じると怯えた様子で息を荒げ,椅子から逃れようと藻搔き始める。


「落ち着け,俺だ」

「!ボス」


ゆっくりと顔を上げる。彼の両目は既に潰されていた。横に続く二人は既に息絶えているのか,私の声を聞いても動く様子はない。


「ボス,申し訳ありません」

「あぁ」

「情報は何も漏れていません」

「そうか」

「こいつらも,何も話してません」

「そうか,耐えたか」


何も見えていないだろうはずなのに,まるで俺がどこにいるかが分かるかのように真っ直ぐと俺の顔を見て,嬉しそうに口元を歪めた。


「お願いがあります,ボス」

「なんだ」

「こいつらの所に,行かせてください」


こいつら,とは横の二人のことだろうか。二人とも先に命が尽き,こいつだけ生き残ってしまったために最後まで苦しみ続けたのだろう。その苦痛が俺には分からない。


「ボスの邪魔だけはしたくないです。お願いします」


歯がなくなった口を必死に動かす。達成感と死ぬことができる安心感からだろうか,潰された目の端からぽろぽろと涙を溢れさせていた。


私は傷が付けられていない肘元を軽くたたいてから,体を起こして銃口を彼の眉間に当てた。


「感謝します,ボス」


引き金を引く。反動で頭が後方に倒れ,再度力なく項垂れる。


ゆっくりと,手をおろした。このようにして部下を殺したのはいつ振りだろうか。己の不甲斐なさに腹が立つ。自分に対する怒りを自覚しながら,私は他の二人のもとに行って,その頭に一発ずつ鉛を打ち込んだ。


できることなら今すぐにでも彼らを安らかに眠らせてやりたい。こんな部屋から連れ出して,海が臨めるような場所に埋めてやりたい。


「ボス」


しかし,そうも言っていられないのが現実である。感傷に浸っていられるのもつかの間であった。


私が彼らを弔っている間に,アルバスは隠れ部屋の入口らしき空間を発見していたようだ。私がそこに向かったときには,ヒューゴとアブドゥルによる壁の破壊が完了していて,通路らしいものを確認できる状態になっていた。


私は,机に置かれていたウォッカを手に取り,アブドゥルの後を追って細い通路を突き進んだ。銃をしっかりと構えながら進んでいく。障害物になる物はないが通路の幅は数メートル程度ある,投げ物は怖いが最悪ここで会敵しても左右に振れながら撃ち合えばどうにかなるだろう。


通路の先に開けた空間が確認できたとき,突然としてそれは起こった。


向こう側から覗く顔。銃声。アブドゥルの体がぐらりと揺れる。体を小さくしながら,アブドゥルの体を利用して敵の方に銃口を向ける。銃声。叫び声。銃声。爆発音。銃声。


僅か数秒で状況は決した。三人に確認をとる。被弾者が二名。しかし,それも防弾チョッキ越しの被弾に留まり,実質的は被害は無に等しい。


「go」


私の合図と同時に,一斉に走り出した。通路を抜けると開けた空間に出た 。


そこは絵に書いたような隠れ部屋であった。数日間は持つであろう食料と水,衣服の着替えと古びたラジオ,先ほどの部屋にあったワインも結構数置かれているようだ。


敵は皆床に倒れていた。荒い息を上げながら這いずるもの,額に銃弾を受けて目を開けたまま動かないもの,その場に力なくうずくまるもの,合計六人。


その中に顔を知るものが一人いた。私はしっかりとした足取りで馴染みのある顔のもとに向かう。


「他の奴を始末しておけ」


銃声。三人が確実に,息がある者を殺していく。その音を聞きながら,俺は男の前に膝を着いて尋ねた。


「アンチェル。こうなる事は分かっていたはずだ」

「お前がいなければ!」


顔を歪めながら,噛みつかんばかりの勢いで吠えたてる。


「くそみたいな顔しやがって!お前がいなきゃあれは俺たちのものだった!お前が俺たちの邪魔をしたんだ!」


ドン,と後方から銃声がなり,アンチェルが左足を抑えて悶え苦しみ始めた。ヒューゴが太ももに一発撃ちこんだようだ。


「ヒューゴ」

「失礼しました」


私はその場で立ち上がり,アルバスに目を配る。アルバスはポケットからシガーケースを取り出し,タバコを私の口にくわえさせると火を寄越した。息を吸いながらタバコに火をつけ,細く煙を吐き出す。それから,手に持っていたウォッカをシャバシャバとアンチェルに注いだ。


「神はお前さえもお許しになるだろう。だが,私は許さん」


ウォッカがほぼ空になったことを確認して,瓶を大きく振りかぶってアンチェルの頭に叩きつけた。鈍い音と共にガラスが砕けちる。アンチェルは殴られた箇所を抑えて蹲った。


手元に残っていた瓶の破片を膝元に突き立て,グリグリと捻ってみせた。アンチェルは声にならない叫び声を挙げ,俺から少しでも離れようと後ずさりをし始める。


太ももから破片を引き抜き,今度はそれを顔に押し当てた。何かが潰れる感覚と,響き渡る絶叫。アンチェルはそれを引き離そうとして私の手をがっちりと掴んできたが、手を払うとだらりと地面に落ちた。


アンチェルは小さな声でぶつぶつと何をかを唱えている。何と言っているかは確認できないが,おおよそ神への祈りだろう。冷めた目でその様子を観察しながら,ゆっくりと立ち上がる。


「感謝しろ。火葬はしてやる」


私は少し後方に退いてアンチェルと距離をとると,半分近く吸ったシガーを指で弾いた。それは放物線を描いて飛んでいき,吸い込まれるかのようにアンチェルの膝に不時着する。一度弾んでから今度は火を下に向けて落下し,大きな炎を起こした。炎に飲み込まれたアンチェルが,日の中で体を捩じらせている。


響き渡る低い唸り声。物凄い熱気と,肉を焼く臭いが部屋に充ちる。


手に持っていた銃をヒューゴに渡し,血の滲んだ手袋を外して火の中に投げ捨てた。アルバスから新たに手袋とタバコを受け取り,火をつけると今度はそれを深く肺まで入れてから勢いよく吐き出す。


悶え苦しむ様子をじっと眺めながら,私はどうしてこんなことをしているのか,という疑問に苛まれた。


こんなつもりではなかった。大勢の部下を死に追いやり,私の手で部下を殺し,姉妹ともいえる組織を潰し,挙句の果てにはそのボスを火炙りに処している。どうしてこんなことになってしまったのか。


ふと頭の中にそのような考えがよぎるが,考える段階というのはとうに過ぎさっている。ここからは行動が全ての段階だ。


炎の中で,体を丸めて動かなくなったアンチェルを確認してから,私は急ぎ足で部屋を後にした。



車に揺られながら,窓越しに外をじっと眺める。本部に戻ったらやるべきことが多くある。残った仕事,証拠の隠滅,謝罪回り,獲得した地区の支配,部下の補充,取引の締結,例を挙げたら枚挙に暇がない。


考えてはいるが,私の意識はここにあらずだった。


私という人生は今,どこに向かっているのか。このような一族に生まれ,数ある子供の中から才能を見出され,ボスとなることを義務付けられて青年期を過ごした。


父が早くに亡くなり,その後継として首魁に着いた私であるが,私と父とでは方針が大きく異なった。死神として恐れられた者の子として私もそうであることを望まれたが,私は争いを一切好まない性格であった。面倒事はできる限り穏便に済ませたい,そう願って活動をしてきた。


こんなことでは血の気が多い部下が去っていってしまうのではと危惧したこともあったが,私の自覚が無いところで死神の子としてその才能を発揮しているようで,部下からの信頼は依然厚く,組織も拡大し続けている。


まだ私が幼い頃,誰かがこんなことを言っていた。私の父も昔は争いを好まない人だった,しかしある日を境に化物に生まれ変わった,と。


私が知る父は,紛れもなく死の使いであった。敵を見つけては撃ち殺し,火で炙り,海に沈め,地に落とし,ときにはミンチにすらしていた。


少しずつ,父に近づいてしまっているのではないだろうか。私も,父のようになってしまうのだろうか。


私は,私が分からなくなりつつある。私の内にある,死に対する意識が曖昧になってきている。


私は,どうすればいいのか。


いくら考えようと答えの出ない問に頭を抱えるのが嫌で,私はすべきことに意識を移した。まずは,今回の事態の経緯と現状の把握から。目の前に散らばる物を順番に片づけていけば,自ずと未来は開けてくるだろう。


私は,考えることを放棄した。


現実から逃避して下したこの決断が,のちに己の存在意義をさらに曖昧にし,さらには組織のさらなる拡大へ繋がることを,この時の私は知る由もない。

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