殴り書き

@gyozamilk

姉の門出

アラームが鳴っては切る,これを繰り返したのも何度目か。かれこれ15分程度目覚まし時計と格闘をした末ついにアラームは鳴りやんだ。気の赴くまま惰眠を貪ることができるようになり,俺は再度布団にくるまる。


時刻は朝の七時。平日であれば学校に行かなくてはいけないという義務感から眠い目を擦って無理やりにでも布団を離れる必要があるのだが,今日は違う。辛い部活も,退屈な予定も,提出期限が迫った課題もない,まさに理想的な休日。


ブラインドの隙間から差し込む朝日,遠くから聞こえる鳥のさえずり,リビングから香る炒め物の匂い,実に平和な朝。こんな日は昼まで寝るに限るのだ。昼に起きて,冷蔵庫に押し込まれた朝食兼昼食をかきこんで,少しゲームしてまた寝る。次に起きたらもう夜。あとは夕飯食べてお風呂入って寝るだけ。あぁ,なんて理想的な日なのだろうか。


そのはずだったのに,姉はこれを許してはくれなかった。


九時を過ぎたころにそれはやってきた。


「いつまで寝てんの。早く起きてくんない?」


突然やってきた姉は,ドアを少し開けて俺に呼び掛けた。わずかに体を起こして目を向ける。


「なん?」


「花見行くよ」


行くわけねーだろ何言ってんだ。俺にできることは,精一杯の不満な顔をして姉の顔を数秒眺め,もう一度布団にくるまることだけ。これで大抵の場合はスルーしてもらえるため,面倒事を回避するときの常套手段となっている。


しかし,今日はどうやらいつもと違ったらしい。


「映画二人分予約取っちゃったから早くして」


そんな話聞いてない。なんで俺の分まで取ったのだろうか。確かに見に行きたいとは思っていたしどの気持ちはとても嬉しいが,今日のこの時間は迷惑極まりない。


「寝たい」


「あと一〇分」


「足りない」


「映画九時四〇分からだから」


時刻を確認すると,ちょうど九時十五分を回ったところだった。ここから映画館を含んだ大型ショッピングセンターまでは自転車で一五分はかかる。今起きたとしても,俺に与えられた時間は一〇分しかない。


「本当に予約したの?」


「お金勿体ないし,今日行かないと次いつ行けるかわからないし」


姉の服装を確認すると既に準備をほぼ終えていた。布団越しに見ていたため気が付かなかった。


「はぁー」


布団に顔を埋め,大きくため息をつく。寝たい,でも行かないのは勿体ない,という葛藤に苛まれる。


「一〇分後に出るからね」


そういってドアを開けたままドタドタと去っていった。


映画の予約を取ってくれたことは嬉しい。誘ってくれたことにもとても感謝している。しかしタイミングがあまりにも悪い。今日はもう少し寝ていたかった。

姉が去っていってからしばらく俺は布団に顔を埋めたままボーッとする。それから,曖昧な決意のままのそのそと布団を後にした。


それからしばらくして。


「もー準備が遅いから!」


「そんな怒らないで,謝るから」


上映時間の初めの方はどうせ広告だしまぁ間に合うだろう,とゆったりとしたペースで準備をしたのだが,思いのほかやることが多く時間がかかってしまった。その結果がこれである。


映画館に向けて自転車をとばす二人。一人はしっかりとした外出の装いであるが,後ろに続くもう一人はパジャマみたいな服装に寝ぐせと,ついさっき起きたことがバレバレな装いだ。


どうしてこうなったのか。それは俺の段取りがあまりにもお粗末であったのが原因だろう。


あまりの眠さゆえに数分間は放心状態,身嗜みを整える前にコーヒーを落とすという愚策,姉に急かされて顔を洗ったが流れでコーヒーを飲む前に歯を磨くという奇行,しまいには家を出る直前にスマホが見つからず姉と探し回る遅延行為。全面的に俺が悪い,怒るのも当然だ。


怒る姉を宥めながら自転車をとばし,小走りで劇場に向かう。辛うじて本編開始に間に合ったことに安堵し笑顔をこぼす姉であるが,その少し後ろを追う俺はすでにげっそりとしていた。こんな過激な始まり方をする一日など滅多にない。映画はとても楽しみであるが,眠ってしまわないかという不安もまた大きい。椅子に座ると,わずかではあるが睡魔に襲われて焦る。せっかく頑張って来たのだ,どうせなら楽しみたい。


広告の映像が止み,会場が暗くなる。もうすぐ本編が始まる。数年ぶりの続編であり,完結である。見終わった後にその顛末を姉と一緒に語りたい。そう易々と眠るわけにはいかないと決意し,俺は映画の世界へとのめり込んでいった。



映画が面白かったことと,かつ内容が難しかったこともあり,結果として最後まで映画を見切ることができた。


達成感と満足感の余韻に浸りながら,映画館を後にする。


「面白かったね」


「面白かった」


「難しかったね」


「分からないことだらけ」


「私も」


完結と謳うだけあって様々な伏線の回収とその説明が多く含まれていて,もう一度見直した方が良いかも,と思うほどに濃い内容となっていた。どこかのネタバレサイトで解説を見ないと消化しきれない程である。家に帰ったら考察動画を漁ることになりそうだ,と考えながらショッピングセンター内をエスカレーターで下っていく。


「甘いもの欲しい」


「すごい頭使ったから私も欲しい」


「スタバいくか」


「新作飲まないと」


パッと顔を輝かせて急いでスターバックスへと向かおうとする姉の後を追う。


姉の甘いもの事情に付き合っている訳だが,俺としても甘いものは摂取できるし,一人で行くより二人で行く方が楽しいし,そもそも俺一人では陰キャ特有のパッシブスキルで入ることすらできないので何かと都合がいい。姉に誘われては後をついていくことはしばしばある。


スターバックスに到着し,桜フラペチーノを注文して机に向かう。


「おいしい!」


「今年のは当たりだね」


「でさ,~~の意味わかった?」


少し休憩するのかと思っていたが,姉にそのつもりはないようだ。気になっていたことを俺に相談し始める。


「~~ってことだって解釈してる」


「じゃあ~~は?」


「それは全く分かんない。~~も気になってる」


「それは~~ってことなんじゃないかな」


このような感じである。


姉はオタクというほどオタクをしているわけではなく,厳選していくつかのアニメにとても没頭するタイプだ。そのうちの一つが今回の劇場版化しているタイトルなのだが,女性の知り合いでこの作品に興味を持っている人が少なく,情報が共有できる人がいないことを悲しんでいた。姉がそこまで没頭する作品がどんなものなのかが気になって何となく見たことで俺もその作品に引きずり込まれ,姉の話し相手になることとなった。今回完結すると発表されて以来ずっと俺を映画に誘ってくれていたし,こうして満足そうな姉の顔が見れて俺としても嬉しい。


あれやこれやと話しているうちに,気が付けば店内は込み合っていた。席を探す人がちらほらと見え始め,レジには列が出来ている。


「お客さん増えてきたし,そろそろいくか」


「結構話したね」


飲み切った容器をごみ箱に捨てる。机を綺麗にしてから店を後にし,トイレを済ませて駐輪場へと向かう。


「花見どこ行くの?」


「上野公園」


「え,いまから?」


「まだ昼過ぎだからね」


外に出ると,太陽はまだ高く昇っていて,沢山の人が活動をしていた。あまり実感がないがまだ半日もたっていないのだ。姉に起こされることが無ければ,今頃起きていただろう。


既に充実した一日を過ごすことができた。もう家に帰ってダラダラしてもいいとは思う。でもああいっているのだ。もう少し付き合ってあげよう。

そう思い,駐輪場へと向かう姉の背中を追った。



花見といえば上野公園と言われるだけあって,上野駅は人でごった返していた。公園口の改札を出て,桜の名所に向かってぐんぐんと進む姉を見失わないようにあとを追いかける。


姉の背中を追いかけているとき,ふと姉の背中からどこか寂しさを感じた。これは感覚的なもので根拠はないが,そう感じずにはいられなかった。姉はどこまでも楽観的な性格で心配事や悩み事に強いと俺の中で有名だ。そんな姉が一体何を感じて,何に悲しんでいるのだろうか。聞いてあげることぐらいはできるだろうか,とりあえず人の間を縫って姉のそばを目指した。しかし,なかなか追いつくことが出来ず,その背中を負い続ける。


流れがわずかに左へ曲がる。そこには,満開を迎えた桜が並んでいた。桜吹雪があたりを包み込み,そこにいる人々を魅了する。


桜を撮ろうとカメラを構えている人がいて,桜を楽しむカップルや夫婦がいて,会社の集まりで桜を見に来ている人がいて,そうやっていろいろな人の中に,俺と姉がいる。


姉は人の流れから外れたところで立ち止まり,じっと桜を眺めていた。やはりその様子にはどこかうら悲しさを覚える。直接聞いてみたかったが,今の姉に話しかけるのは憚られる。とりあえず姉のそばに行き,姉と同じように桜を眺めていると,しばらく周囲にいる人をみてあぁそういうことかと,理解が及んだ。


今年をもって姉は社会人となり,一人暮らしを始める。俺も姉も今までずっと実家暮らしで毎日顔を合わせていたが,その生活ももうすぐ終わるのだ。


「姉ちゃん」


「ん?」


桜にじっと見ていた姉が振り返り,俺の方に目を向ける。そういえば,今日初めて姉の事を姉ちゃんと呼んだかもしれない。


一人暮らしといっても実家から片道一時間のところで,それほど遠くに行くわけではない。しかし,これから姉ちゃんと会うことが減っていき,名前を呼ぶことが減っていき,少しづつ遠くなっていくのだろう。そう思うととても寂しい。まるで姉ちゃんの事が好きであるかのような言葉だが,そういうのとは少し違う。きっとこれが,家族ということなのかもしれない。


「社会人ってどんな感じなの?」


「私にもわかんない。これから知っていくことだからね」


「そっか」


「なんでそんな辛気臭い顔してるの。せっかくの花見なのに」


「少しずつ変わっていくんだなって思って」


「生きるってそういうことだからね」


私も最近知ったんだ,と笑いながら桜の方へと向き直る。二人して桜を眺める。二人が見据える先はもう全く違うものである。


俺と姉ちゃんは同じじゃない,どれだけ一緒に過ごしてこようがいつか必ず別れは来る,その始まりに差し掛かり,俺は切なさを覚えていた。


「少し不安なんだとおもう」


「不安なんだ」


「そう。一人で生きていけるかなって」


「珍しい,いつもはあんなに楽観的なのに」


「楽観的なのはね,ぼんやりだとしても先が見えてるから。これからの事は先が全く見えてない。だから不安なんだと思う」


「そっか」


「家だって本当は出たくない」


「出なきゃいいじゃん」


「そうも言ってられないからね」


何かを諦めたかのように,小さく笑う。


「私は私の人生を歩む。もう大人だから」


そういう姉ちゃんの面持ちは,それはもう凛々しく力強かった。


「今日は本気で子供に戻れる最後の日。だから、付き合ってくれてありがとう」


「俺の方こそ,起こしてくれてありがとう」


「ありがとうの重みが違うね」


「今のは俺史上最大のありがとうだから」


二人して笑いあう。


「そろそろあっちいこっか。冷える前に帰りたいしさ」


「あとで写真とろうよ」


「良いね!」


姉ちゃんは何か吹っ切れたかのような軽い足取りで歩きだす。少し差が開いてから俺もゆっくりと歩きだす。


この差が埋まるまで,あと二年はかかるだろう。そんなことを考えながら俺は姉の背を追った。

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