果てなき宇宙の涯《ゴール》
砂塔ろうか
果てなき宇宙の涯を求め
この世界には果てがない。
はじめ、地上は円形をしていて、どこかに必ず「端」というものがあるのだと思っていた。遥けき海原のそのむこう、そこには絶無の真っ黒な空間が広がっており、それがすなわち世界の
だが真実は違う。地上は丸く閉じていて果てなんてものはなかった。
宇宙は今も拡大を続けているとされ、それはつまり、果てが更新され続けるということだ。昨日果てだった場所が、今日は果てじゃない——とでも言おうか。
そういう意味では、遥けき星の海原のそのむこう、そこには果てがあり、同時にない。
かつて果てだった場所が無尽蔵に存在しているに過ぎないのだ。
だけど。もし。
そこに絶無の空間が生まれたら——。
◆
「
ドアをノックすること5回。菫の奴は未だに部屋から出て来ない。
たこ焼買ってきてやったのに……。このままじゃ冷める。
「ごめんねえ。
「いえ。おばさんは謝らないでください。これはあのバカが10割悪いんで」
僕は再び扉をノックした。トントン。トントン。トントントン……。
「……ぁ……ぃ」
「ん、起きたのかー? 菫ー?」
「……る……ぁい」
「菫? 入るぞー?」
扉を開けたその時だった。
「うるさいって言ってんだ
妙にしめっぽくて、やけすっぱい
「……ぐ、く、くせぇ……」
こいつ、さてはまた風呂入ってないな? 今度は1週間か、2週間か……。いや、違う。
この枕の湿り気とシャンプーの匂いからして、風呂には昨日入ったばかりらしい。その証拠に、伸ばしっぱなしの黒髪がPCの光に反射して、てらてら輝いている……まだ水気を帯びている。
タワー積みになったPCと壁いっぱいのディスプレイ。窓を塞ぐように置かれた本棚とその前に鎮座する専門書と資料の山。
天井に設けられたシーリングライトは常夜灯がわずかに灯るのみで、代わりに照らしているのはディスプレイの光。いつ来ても目を悪くしそうな部屋だ。
空気はどこか澱んでいるように感じられて、奥の壁に目を凝らして見れば、カビのような染みが浮き出てる。
そんな汚部屋の主が、中央の布団の上であぐらをかく蓬髪の少女——僕の幼馴染、日昏菫である。
「煉、さっきからうるさいうるさいって言ってたよな? 難聴なのかその耳は? 補聴器でも作ってやろうか?」
「小さい声でぶつぶつ言ってただけだろ……。てか、そろそろ部屋掃除しろよ……臭い……」
「乙女の部屋に踏み込んどいて言うことがそれかぁ!?」
「待ってろ。今、消臭剤買ってきてやる」
「人の部屋をトイレ呼ばわりたぁどういう了見だ!!」
「トイレよかくさいんだよ! ……よく引きこもってられんな」
「この部屋はオレの城だ。居心地いいに決まってんだろ」
……どうやらこいつの鼻はとっくの昔にイカれてしまったらしい。南無三。
「なんで合掌してんだ? ていうかその手に提げてんのなに?」
「ん? ああこれはたこ焼だよ。手土産にと思って」
「たこ焼!! んじゃ、さっさと食べようぜ! オレ、先にリビングに行って待ってっから!」
「お、おう……」
菫は僕のたこ焼をひったくるとすぐにリビングへと駆けてった。「待ってる」とは言ったが、菫が本当に待ってたためしなんか皆無だ。絶対一人で全部食う。
「……まあ、いいけど」
……そういえばこいつ、いつもいつもメシ食うときはリビングだな。世間一般の引きこもりとは違って。
念のために持ってきておいた脱臭剤を部屋の入口近くにこっそりと置き、扉を閉める。
案の定だ。僕がリビングに到着する頃にはもう、菫は最後の一個を口に入れるところだった。
「
「それはもういいよ。……そういえば菫。いつもメシ食う時はリビングに出て来てるけど、部屋で食べたりはしないのか?」
「いやだって……あの部屋で食べるご飯、クソまずいじゃん……」
「それは部屋が臭いからだろうが!」
閑話休題。
おばさんが買い物に出掛けていったのをいいことに、僕はそのままリビングで仕事の話をすることにした。
「……仕事の話だ。最近、この町で『黒いヒトガタに追いかけられた』という体験談が相次いでいるらしい」
「ヒトガタァ? ……もしかしてそれって、トンネルの中を走ってた車が遭遇したってやつ?」
「それは一例に過ぎない。ほかにも数十件。全員が口を揃えて、『夜、暗い場所にいると黒いヒトガタがどこからともなく現れて猛スピードで追いかけてくる』という旨のことを話している」
「ふぅん……でもそれって、どこぞのネット掲示板で口裏合わせて作った創作怪談なんじゃないのか?」
「だと良いんだが……ここ一週間で50名以上の行方不明者が出てる」
「ほう……?」
「というわけで、この噂が創作じゃないことを、まずは証明してもらいたい。期限は明朝10時。できるだろ?」
「オレを誰だと思ってんだ」
自信満々に菫は断言した。だが、明朝10時、僕は菫の報告を聞くことができなかった。
なぜならその日の夜。僕は遭遇し、逃げ切ることができなかったからだ。
猛烈な勢いで駆けてくる、あの、黒いヒトガタから——。
◆
真空崩壊というものがある。宇宙を滅亡に導く現象の一つとして考えられるモノだ。
だが、それが発生したところでこの世界の果ては生じてくれないだろう。なにせ、真空崩壊のスピードよりも速く、宇宙は広がり続けているのだから。
だけど。もし。
より速い真空崩壊を引き起こせたなら……。
◆
夜。うすぐらいトンネルの中には二人分の影があった。一つは髪をぼさぼさに伸ばした少女のもの。もう一つは初老の、気の弱そうな研究者のものだった。
「……日昏くん。本当にここで待ってれば蓮見くんを救えるのかね?」
「言い出したのは
「まあ、そうだけど。天才少女たる君の保証が欲しくて」
「オレがここにいる。それが何よりの保証さ。……というか、何か一文字足りなくないか? ホラ美……」
その時、トンネルの電灯がチカチカと明滅した。一度、二度……と続いて、ソレは現れた。
「来たっ! 教授!」
菫と氷見教授はサングラスをかけた。そして、黒いヒトガタから逃げるように一気に駆け出す。ヒトガタは追う。体験談によれば、車と併走することさえできるらしい。
だが、同時にヒトガタは、わざと手を抜いて、相手を疲弊させたがる。
そこが、菫たちの勝機となった。
菫たちが丁度10mを走り終えたところで、突如。トンネル中に強力な光が満ちた。先ほどまで真っ暗だったトンネルは瞬く間に光で満たされる。天井も、入口も、出口も、その全てに照射装置が設置されていたのだ。
トンネル内には赤外線センサーが取り付けられており、二人のうちどちらかが10m走ったところで照射装置が起動するようになっていたのだ。
「————っ!!」
黒のヒトガタが苦悶の声を発する。菫と氷見教授は肩で息をしながら足を止め、苦しげに蹲まる黒のヒトガタの方へと近付いていった。菫が手に持つのは煉のスマホだ。その中には、ヒトガタと思しき人物と煉の会話が録音されていた。
「お前の目的は、光速よりも速い真空崩壊だそうだな……煉の奴が残してくれたよ。お前の、饒舌に語り出すその性分が仇となったわけだ」
「君自身が疑似的な真空崩壊領域を演じることでこの宇宙に宇宙の膨張より速い真空崩壊を生じさせようとしたのだろうが……所詮は紛いもの。己を『より低いエネルギー準位に移行している』と定義するために『高いエネルギーを放出し続ける』必要があった……だから、標的を取り込み続け、エネルギーを補い続けた。しかし、そのために君は吸血鬼伝承を構成要素の一つにしてしまった。……ゆえに、紫外線という弱点が生まれた。……まあもっとも、そうでなくとも君の目論見は失敗していただろう。人間のスケールで、真空崩壊など起こせるはずがないのだから」
氷見教授は護符を撒いた手をヒトガタの中に突き入れる。
「さあ、我々の大切な人を、返してもらおう」
トンネルの中に、ヒトガタの絶叫がこだまする。
「————っ! やっと……これでやっと……ゴールが、世界の果てが見られると、思ったの、に…………!」
「バーカ」
ヒトガタを見下ろし、菫が言う。
「真空崩壊のあとの世界がどうなるかも分からないのに、勝手に世界の果て扱いすんなよ。……あと、お前がこれまで
◆
——そんなこんなで、僕を含めた約50名が菫と氷見教授の作戦によって救出された。菫の奴には、珍しく見舞いに来たかと思ったら、警察に貰ったという感謝状を見せられたりもした。よほど嬉しかったのだろう。
一方で、氷見教授は警察からこっぴどく叱られるハメになったらしい。大方、菫は未成年だからってことで見逃されたのだろう。
こってり絞られた氷見教授が見舞いに来てくれたのは、僕が救出されてから1週間が経った頃だった。
「いやあ、紫外線照射装置のおかげで近くの変電所がイカれちゃったみたいでね。すごい額の損害賠償を払わなきゃいけないみたい」
「教授。一応電気系の資格とか持ってましたよね? やる前に気付かなかったんですか?」
「……72時間という制限時間があったとはいえ、そこは確かに反省点だと思うよ。うん」
「なんです? その72時間って」
「君が取り込まれてからの時間。それを過ぎては、我々は我々のゴールに到達できなかったろう」
「あ……」
そうか、教授と菫は僕のために……。
「……ところで蓮見くん。さっきから気になってたんだが、この、ちょっと臭う脱臭剤は?」
それは、僕が菫の部屋にこっそり設置した脱臭剤だった。何の意趣返しか、菫が持ってきたのだ。
僕は笑みを作って答えた。
「見舞いの品ですよ」
(了)
果てなき宇宙の涯《ゴール》 砂塔ろうか @musmusbi
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