第3話 後編




 私は国王夫妻に対し、ゆっくりと、うやうやしくカーテシーをし、謝罪を口にした。


 「国王陛下ご夫妻、ならびにご来場の皆さま、はしたない姿をお見せしてしまい、お恥ずかしい限りです。 皆様のお目汚し申し訳ございませんでした。ことに陛下におかれましては突然のことでお心を煩わせたこと、の殿下に代わり、お詫び申し上げます」


 「ハールディース公爵令嬢、これは一体どういうことなのだ?  そこに倒れているたわけ者の第一王子の乱心ではないのか?」


 「いえ、陛下。これは殿下の『いつもの』悪戯心いたずらごころで引き起こしたにございます」


 「『いつもの』と申すと、いつぞやの王宮スライム事件と同じということか」


 ああ、そんなこともあった。


 生物の排泄物を消化してくれるスライムを、排泄物がそこかしこに堆積たいせきしていた遷都せんと前の王宮に放った事件だ。


 あの時も事前に誰にも相談せずに実行し、ジョアン殿下は陛下に相当なお目玉を食らったのだ。


 「王宮スライム事件の折も、殿下は誰にもご相談なく実行され、両陛下を始め王族、王宮詰めの武官、文官、女官を随分驚かせたと聞き及んでおります。その後陛下に諭された殿下が理由を述べてみれば、皆納得のいくものだったかと」


 「今回のこれも、それと同じようなこと、と」


 「はい。私の方からまずはご説明させていただいてよろしいでしょうか?」


 「うむ。聞かせてくれ」


 さて私の脳細胞、頼む。


 あんにゃろうジョアンがこんなことをやらかした本当の理由は、後でキリキリキリと締め上げて聞けばよい。


 あんにゃろうジョアンがこんなことをやらかした最もらしい理由。それを今必死で考えねばならない。


 「実は数日前、私は殿下に相談を受けました」


 本当はされてないけど。


 「ほう、どのような内容だ?」


 「この国初めての、全ての国民に開かれた魔術学園の初の卒業パーティ。何か通常のパーティで終わらせるのは面白くない。全ての国民に開かれた学園を象徴する何かを入れ込むことはできないだろうか、と」


 重ねて言うが本当は相談されてない。


 「ほう、それで」


 「そこで私も考えました。サプライズで、平民である特待生のマリア=フライス嬢の素晴らしさを、殿下がパーティに出席される皆様に紹介する機会を設けてはいかがだろうか、と。

 マリア嬢は殿下に僅かに及びませんでしたが、優れた成績を残された優秀な女性。

 私も一つ学年は下になりますが、親しくさせていただいております。

 王族の殿下が分け隔てなくマリア嬢と交流している姿を皆様にお見せし紹介する。

 ただ、知のため。国民に開かれた学園を象徴すると思いましたので、殿下にお伝えいたしました」


 更に重ねて言うが、相談されてないのでこんなことも言ってない。


 「確かに、知の分野は教会や貴族だけに留め置いていては発展はない。そのため全ての国民から有能な者を見出すため、切磋琢磨せっさたくまし高めあうために魔術学園を設置したのだ。その点においては問題にはならない。続けてくれ」


 「それで今日、殿下にエスコートされ、卒業パーティの会場に入る馬車で殿下に伝えられました。『この間言われたこと、筋を考えてきたから演じてほしい』と。随分急だと思いましたが、元々は私が提案したことです。やります、とお答えしました」


 会場までのエスコートはされたが、当然こんな会話はしていない。


 「あいつは相談なく事を運ぼうとするのは全く変わらん。昔の王族なら許されるかも知れんが、これからはそのような時代ではない。それでこれはその筋書き通りなのか?」


 「はい、ほとんど筋書き通りです。ただ、彼は当のマリア嬢には具体的な話をしていなかったらしく、マリア嬢はただただ殿下と共に行動していただけです」


 多分マリアに関しては間違っていない。


 昨夜はマリアたちと最後のパジャマパーティをしたのだが、彼女の屈託ない様子は私に重大な隠し事をしているようには見えなかった。


 とりあえず彼女の嫌疑は早めに晴らしておいた方がいい。


 私は視線をマリアに飛ばし、アイコンタクトする。


 「畏れながら陛下、発言してもよろしいでしょうか」


 「マリア=フライス。発言を許す。 ところで今は慮外者りょがいものの第一王子のせいで中断してはいるが、全国民に開かれた魔法学園の卒業パーティの場。

 パーティ参加資格がある者は、パーティが終わるまでは私にも、この場の貴族諸侯にも、発言許可を取らず発言することを許す。また、多少の無礼な物言いについても同様とする」


 「ありがとう存じます、陛下。

 私マリア=フライス他4名の平民出身者は、高貴な身分の皆さま方とは違い学園の生徒寮より王宮まで移動するための馬車などは持ちえません。本日のパーティ参加にあたり、ジョアン第一殿下のご高配により恐れ多くも王家所有の馬車、当然王家紋は外したものの使用をご許可いただきました」


 「運営にあたり、平民の生徒への配慮が行き届いていなかったようだな。我が国初の試みであるからこそ、これまでとは違った配慮が必要となる。今後の課題としよう。今回はジョアンがその足りない部分を埋めた、ということなのだな」


 「その通りです。それで今日はジョアン殿下に同乗していただいた王家の馬車で私達平民出身の生徒は王宮入りしました。私達はパーティ会場の受付の設置など、学園が行う会場設営部分のお手伝いをしようと思っていたので随分早めに王宮入りさせていただきました。その時に殿下から、『今日のパーティで来賓方にマリアの紹介をするから、パーティの間は一緒に回って欲しい』と頼まれたのです」


 「なるほど、ではマリア=フライス。そなたはたわけ者の想い人ではない、ということで間違いないのだな?」


 「はい、陛下。その通りです。殿下には幼いころからフライス村でお世話になっており、私にとっては新たな道を開いて下さった大恩人です。そのようなお方に想われるだなど、考えることすら畏れ多くこの身が消え果る程のものです。ですが、今日の卒業パーティで私を来賓の貴族家の方々に紹介していただけるということは、何より殿下が私の努力を認めて下さったのだ、と思えて嬉しく思いました」


 マリア、ナイスよ!


 何とかこの方向で有耶無耶うやむやまで持っていきたい。


 「だが、マリア=フライスよ。たわけ者にそのような恩を感じているのであれば、たわけ者がその方を慰み者にしようとしても断れないのではないか? どうなのだ?」


 「不敬を承知で申し上げますと、普段の殿下の女性に対する言動、確かに好色そうな物言いをされることが多々ございます。

 ですが、殿下は女性が本心で望まぬことを無理に押し通してでも思いを遂げる、というような強引な手段を取ることは好まないお方です。 

 普段の好色そうな物言いも、あえて女性達から距離を置かれるために、わざとされている節がございます。それに」


 マリアがチラッと私を見て言う。


 「殿下が想っておられるのは、私などが一生かかっても到底敵わない、それは素敵な貴婦人レディです。

 その方がおられるからこそ、殿下は苦難をいとわず道を違わず今日まで進んで来られました。 殿下は滅多に口にされませんが、その方の話題を出される時、本当に幸せそうな表情をされるのです」


 「本来であればそこに倒れているたわけ者から直に聞くのが筋であろうが、これだけの騒ぎを起こしたのだ、聞いてもかまわんだろう。マリア=フライス、そこのたわけ者が想っている者の名を教えてくれ」


 「ジャニーン=ハールディーズ公爵令嬢です、陛下」


 「何と! 聞き間違えたか……? 済まぬがマリア、もう一度聞かせてくれ」


 「ジャニーン=ハールディーズ公爵令嬢と申し上げました、陛下。

 こちらにおられるジャニーン=ハールディーズ公爵令嬢が、ジョアン=ニールセン第一王子殿下の想い人です」


 あんにゃろうジョアン、私には甘い言葉なんぞ全くささやくことないのに、マリアたちの前では私のことを好きだと解りやすい態度取るなんて……そーいうのは直接本人に言いなさいよ!


 嬉しいけどね。


 「あやつは……あやつは……どれだけたわけているのだ! 己が愛する婚約者を、愛していながら大勢が集まるパーティの場で婚約破棄などと口にして貶めるとは……何を考えているのかさっぱりわからん! たわけどころではない、ドたわけ、いやクソたわけだ! いや、それでも足りん!」


 ダニエル陛下、あまりの感情の揺れ動きで王族らしからぬ言葉が。

 無礼講を王が率先して体現している、ということでいいのか。

 保護者の貴族方は驚いているが。



 「陛下、先程の話の続きをさせて頂いてもよろしいでしょうか」


 マリアに話をパスしたら、とんでもないリターンが返ってきてしまった。


 何とか話をまとめないと誤魔化さないと




 「ジャニーン、今回のことはどのように詫びて良いのか見当もつかん。が、とりあえずそこのクソたわけは一生幽閉し外には出さん! 改めてガリウスやジュディにはワシが直接詫びに出向こ……」


 「陛下。私からも少しジャニーンに質問させて下さらなぁい?」



 ダニエル国王陛下の言葉を遮り、イザベル正妃陛下が私に向き直る。


 「ジャニーン、先程の話ですと、ジョアンが話した筋の通りにあなたは演じた、ということでよろしいのねぇ?」


 「はい、正妃陛下。それに間違いありません」


 改めて言うけど、実際はそんな話されてないけどね。


 「偽りではあったとしても、あなたへの婚約破棄の宣言、愚にもつかない理由を並べての糾弾も含めて承知し演じた、ということで本当に宜しいのぉ?」 


 「はい、その通りです」


 本当はされてないけどね。


 「その申し出をあの子ジョアンにされた時点で、公爵令嬢としての誇りを踏みにじられたも同然とは感じなかったのぉ? 貴方はジュディの娘。私の友人ジュディ=ハールディーズが娘に貴族としての誇りや振る舞いを教え忘れる、なんてことはないと思うのだけれどぉ」


 「はい、私のお母さまジュディ=ハールディーズは娘の私に、それは厳しく貴族女性の心得や振る舞いを教えてくれました。ジョアン殿下との婚約が決まってからは特に、私の振る舞い一つで王家の、引いては王国の行く末を損ねることもあるのだと、それはもう厳しく体に教え込まれました」


 「そうね、ジュディはその点を抜かったりするような女性ではないわねぇ。 なら尚のこと無礼な申し出をしたあの子ジョアンに対しての貴方の態度がわからないわぁ。 

 貴族の結婚は家と家とを繋ぐためのもの。当然当人同士の仲が良いに越したことはないけれども、それ以上に家同士の事情が優先されるのは当然。 冗談でもそれを否定する相手ならば乗り換えることもおかしなことではない。

 何故そのようにその時点であの子ジョアンに伝えなかったのぉ?」



 それなー、多分だけどあんにゃろうジョアンの本当の狙いは多分、そこだったと思う。

 弟のジャルラン殿下が私に対して未だに未練があるってことを普段の様子で察してたんだろうな。

 それで自分が身を引こうと考えたんだろう。

 他者の気持ちや感情を読むのが上手いからなあいつジョアン


 ただ、そうする上で多分一番障害になるのが私の気持ちだと考えた。 


 婚約してから8年、あんにゃろうジョアンはヘタレだから、お互いの気持ちを言葉に出せそうないいムードになったりすると話そらして茶化して逃げるばかりだったが、それでも私の気持ちはあんにゃろうジョアンに伝わっていたはずだ。


 長い付き合いだから私の性格もあんにゃろうジョアンはわかっている。


 通常の、穏便な手段での婚約解消と改めてのジャルラン殿下との婚約。両陛下はすんなり認めたとしても、肝心の私とハールディーズ家は絶対に首を縦に振らないということもわかっていたはずだ。


 だから魔法学園の卒業パーティという、限定的ではあるものの王族以外の耳目があり、誰もが簡単に動きづらい機会を使って、婚約破棄を突き付けるバカ王子を演じて周囲に愛想を尽かされ、あわよくば私も愛想を尽かして見限るように、最低でも周囲の流れで私が拒否できないようにしようとしたのだろう。


 参会する貴族父兄にも自分が手のつけようもないバカ王子だと印象づければ、ジャルラン殿下が王太子になる空気も作れると踏んでのことだ。


 自分ジョアンがどうしようもないアホ王子のレッテルを貼られさえすれば、私とジャルラン殿下がくっつき、宙ぶらりんになっている次期王太子をジャルラン殿下に決定する流れができる。ひいては王国の体制の安定にも繋がる。


 本当にいいことづくめに思える。



 



 あー、改めて怒りが湧いてきたわ。


 あんな茶番で簡単に愛想を尽かす女だと思われてたことも腹が立つし、自分ジョアンが泥を被れば何とかなるって思いついたら安易にそれを実行するっていう、自分を安く見た考え方にも腹が立つ!


 あいつジョアンは自分が思っている以上に、多くの人に必要とされてんのよ!


 上等よ。あんたジョアンの安易な行動の落とし前はキッチリつけるし、絶対に私からは逃がさないんだから!



 「ジャニーン、なぜ答えないのです? たわむれでも婚約をを否定したあの子ジョアンに、家と家とを繋ぐためには相手を替えることも辞さないと、なぜはっきり伝えなかったのぉ?」


 おっと、正妃陛下の追求が厳しい。


 イザベル陛下も実子のジャルラン殿下が頑なに縁談を断っている理由を表には出さないものの、内心察しているはずだ。


 当然ながらこの状況を渡りに舟と利用しようと考えているのだろう。


 ここで私が少しでも婚約者交代を肯定的に答えてしまうと、手練手管てれんてくだで手繰り寄せられてしまう。


 ここでジャルランは私に惹かれている、けれど私はあいつジョアンを選ぶ、とストレートに言い放てば、それはそれで一つの解決か。


 私もアイツジョアンも、お互い家も国も捨てたってかまわないのだ。


 あいつジョアンとなら、人が生きて行ける土地であればどこでも暮らして行ける自信がある。


 だがそうする訳にはいかない。


 まだまだこの国にはあいつジョアンの力を必要としていることがある。必要としている者がいる。


 あいつジョアンは全く立場にこだわらないが、王族としての立場でないと成し遂げられないこともあるのだ。



 絞り出せ私の脳細胞! ほんわりとこの茶番が終わる、そんな筋を。



 「正妃陛下。少し長くなりますが聞いていただけますか?」


 「ええ、是非お聞かせ願いたいものだわぁ」


 「何故私が貴族の婚約を蔑ろにしたジョアン殿下の筋書きに怒らずに乗ったか、ですが、昨今貴族や豪商など富裕層の子女の間で流行っているロマンス小説、というものをご存じでしょうか?」


 「初めて耳にしました。それはどのようなものですのぉ?」


 「小説と呼ばれる、本として出版されているお話の一ジャンルです。旧王都に店を構えるホーン・リバーという出版を主に手掛ける書店から沢山のロマンス小説が出版されていますわ」


 「そうなのですね。寡聞かぶんにして知りませんでしたわぁ」


 「王家の方々からご覧になれば取るに足りない絵空事に思われるでしょうが、ロマンス小説と呼ばれる小説は男女の仲を描いた内容です。

 本を購入できる層に合わせて、登場人物は架空の貴族の男女であることが多いですね。そうした登場人物が様々な恋愛模様を繰り広げるお話しが殆どです。

 登場人物の気持ちに入り込み、疑似的に素敵な、あるいは悲しい恋愛を、まるで自分がしているかのように感じられるので非常に人気がありますわ。

 このパーティに参加されている皆様の中で、ロマンス小説を読んだことがある方はどれくらいおられるかしら? お手を煩わせて恐縮ですが、読んだことのある方は挙手していただけませんか?」


「私、お茶会をしながら皆様と感想を言い合うのが楽しみで」


「私は勉強の合間の息抜きがてら読んでいますわ」


「夜、お風呂の後にリラックスして読むと浸れますわよ」


「昔片思いだったあの方を思いながら読んでしまいますわ」「おい、そんな話初耳だぞ? 娘の前で何を」


 口々に己のロマンス小説ライフを語りながら、殆どの女子生徒、そして何人かの男子生徒、参会した貴族の夫人方の何人かが手を挙げている。


 ご夫人は少し抑えてね。


 「このように、ロマンス小説は非常に浸透しているのです。

 それで、近年ロマンス小説の内でも悪役令嬢物、婚約破棄物と呼ばれる話が流行っております。

 内容の多くは、身分の高い殿方と恋に落ちた身分の低い女性が、殿方の婚約者である悪役令嬢に苛めを受けながらも殿方と『真実の愛』を育み、最後にパーティの席など衆人環視の場所で悪役令嬢の悪行を糾弾し、幸せに殿方と結ばれるというものです」


 「まるで先程の一連の流れのようですわねぇ。あの子はそれを参考にした、とおっしゃりたいのかしらぁ?」


 「その通りです、イザベル正妃陛下。先程の騒ぎはロマンス小説をなぞったものなのです。

 それを事前に聞かされたからこそ私は婚約破棄を演じてくれと言われても、ロマンス小説の真似事を演ずると捉え、本気でジョアン殿下に貴族女性としての誇りを傷つけられたとは思わなかったのです」


 「なぜあの子はそのような小説を読んだことがあるのでしょう? あまり男性が興味を持ちそうには思えませんが。男性はもっと、こう、直接的な表現物の方に興味深々なのでは」「それ以上いけないそれ以上いけない


 ダニエル陛下とジャルラン殿下が口を揃えてイザベル陛下を止める。


 そのままダニエル陛下が言葉を繋げる。


 「つまり、先程の一連の騒動は、ロマンス小説にある題材を元にした寸劇だったということか」


 「その通りです陛下。ジョアン殿下の悪戯心いたずらごころが、来場の皆様には内緒でロマンス小説の一場面を寸劇で演じて見せて差し上げよう、という悪ふざけを思いつかれたのです。

 マリアを皆様にただ紹介するだけでは面白くないと思われたのでしょう。

 ただ、殿下の勝手な思い付きで身分違いの恋の相手役を押し付けられたマリアには殆ど事前に説明がなかったようで、これは殿下の落ち度です。

 伸びている殿下に替わって私から謝罪いたします、マリア。 驚かせてごめんなさい」


 「いえ、ジャニーン様に謝っていただく必要などありません。思えば私が殿下に頼まれて1か月程前に何冊かロマンス小説をお貸ししたのが悪かったのです。せめて婚約破棄物は抜いておくべきでした」


 マリアから元ネタ入手してたか。


 まあマリアが貸さなくてもアイツジョアンはどこかで読んで知ってたと思うけど。 


 「うーむ、しかしロマンス小説の浸透ぶりは大変なものだな。今回は寸劇だったから良いが、真に受けて行動する者が現れかねんのではないか? 聡明なマリアは違うようだが、平民や下級貴族の中には真に受けて貴族に取り入ろうとする者が出て来そうだが」


 「畏れながら陛下、平民の内からロマンス小説を読み、そのような勘違いをする者が出て来るとすれば、それはアレイエム王国にとっては憂慮はしつつも歓迎するべき事態かと思われます」


 マリアがおずおずと言葉に出す。


 「どういうことだ?」


 「平民がロマンス小説を読む、それはつまり平民が読み書きが出来る程に我が国の識字率が高くなっている、教育が行き渡っているということになります。

 また、平民がロマンス小説を読む、それはつまり本を買える金銭的な余裕ができ、本を読むための時間的余裕もできているということになります。それは国全体が豊かになっている証左しょうざではないでしょうか」


 貧しい辺境のフライス村出身のマリアは、あいつジョアンがフライス村で様々な生活改善を行ってきたことがようやく成果になりつつあることの生き証人みたいなものだ。

 生活を豊かにするには様々なものが必要だが、特に教育は重要だ。

 マリア自身がアイツジョアンがフライス村に行って村人と一緒にアイツジョアンの家庭教師の教えを受けたことで読み書き計算を覚え、それを自ら研鑽けんさんし高めたことで魔術の才能が開花し、魔術学園に特待生として入れることになった。

 元は教会で暮らす孤児だった自分が、しっかり勉学を修めることで人々の役に立ち生活を向上させる一助になったという体験を持つマリアは、豊かになった生活をアレイエム王国全体に行き渡らせたいと強く思っている。

 その思いを陛下に伝えようとしているのだ。


 「成程、一理あるな。マリア自身が豊かになる過程を経験しているからこそ言える言葉であろう。国民全体が豊かになる方策を決定し、実施する為政者いせいしゃとして心に刻んでおこう。

 だが、下級貴族など現状で本が読める者の内で近々に影響される者が出るとしたらどうだ? 貴族同士の繋がりをむやみやたらに壊すことには繋がらぬか?」


 「それにつきましては、然程の心配は必要ないかと」


 「ジャニーン、何故そう言えるのだ?」


 「ロマンス小説は、自分を小説の登場人物に仮託かたくし、疑似的な恋愛を楽しむもの。現実では起こり得ない事柄だからこそ、空想の翼をどこまでも広げて楽しむことが出来るのです。

 ロマンス小説を読む方々は皆現実とお話の区別がついた上で楽しんでおられます。

 現実に空想のような出来事が起こったと錯覚し、それにうかうかと乗ってしまうような粗忽そこつな方は、昨今厳しさを増す領地経営なぞ到底覚束ないこととなるでしょう。

 そのような方には民を預かる資質がない、と見てよいと思われますし、そのような方を炙り出す試金石となることでしょう」


 「随分と大きく出たものだなジャニーン。本当にそのようなものなのか?」


 「私のお母さまの受け売りですが、私もその通りだと思っております。お母さまもロマンス小説の愛読者ですが、決してお父さまを蔑ろにして愛の狩人になっている訳ではありません。

 むしろ自らの生活を立ち行かせるための仕事が人が生きる上で最も大切なこと、そして自分の仕事は夫であるガリウス=ハールディーズを支えること、と申しております。

 その上で、仕事ばかりでは心と体の余裕がなくなり、良い仕事が出来なくなってしまう。ロマンス小説のように仕事の合間に楽しめる息抜き、それがあるからこそ仕事も余裕をもって取り組めるので上手くいき、仕事が上手くいけば夫婦の仲も円滑になる、と申しておりました。

 両親の仲は娘の私から見ても睦まじく、年の離れた兄弟ができるのではないかと心配になる程ですわ」


 「ガリウスとジュディに新たに子ができるとなれば、盛大に祝いの品を送らねばならんな、ハッ ハッ ハ」


 陛下に笑顔が戻った。


 周囲の生徒や来賓も、思い思いに話をしている。


 主にロマンス小説の話題が多いけど。



 これである程度はアイツジョアンの仕出かしたことを誤魔化すことはできただろう。


 しかし、これだけでは私の気が済まない。


 だいたい、私の気持ちを知っていながらこんなことを仕組んだアイツジョアンにやり返してやらないと!


 アイツジョアンが一番苦手なことを衆人環視の前でやらせてカタにはめてやるのだ!



 「陛下、実はまだお伝えしなければならないことがございます」


 「どうしたのだジャニーン、これ以上まだ何かあるというのか」


 「はい、実は先程の婚約破棄の寸劇ですが、実は私の手違いで最後の部分がまだ終わっていないのです」


 「思い込みで婚約破棄をしたたわけ者に鉄槌を下した、それで良かったのではないのか」


 「本来でしたら婚約破棄を言い渡された私が、涙ながらに殿下の胸に飛び込み泣きながら愛を伝えて殿下がほだされて元鞘に戻り、マリアは怒りと悲しみを堪えながら二人を祝福する、というものでしたわ。

 ですがついつい、昔のお転婆な私が顔を覗かせてしまい、殿下の胸に飛び込んだあと殿下をぶっ飛ばし過ぎてしまいましたの」


 何度も言うようだけど、まったく事前にこんな筋を話し合ってないからね。


 アイツジョアンが一番苦手な「女性に愛をささやく」ことをやらせるために今私がでっち上げている。


 「そうか。そういうことであれば本来の最後の部分、是非披露してもらおうか。良いかね、イザベル」


 「ええ、よろしくてよぉ。そういう筋だったのであれば、確かに婚約破棄を演じるだけ、と割り切れるものねぇ。出し物として、楽しませていただくわぁ」


 「両陛下にそう言っていただけて有難く存じます、では」



 倒れているジョアンに近づく。


 私が近づくと薄目を開け様子を伺っていたことを隠すように目をギュッと閉じやがった。


 そうなのよ、私が殴ったくらいでコイツジョアンが気絶なんかする筈がないもの。


 私はヘタレジョアンの横に屈み、ヘタレジョアンの上半身を抱き起こす。


 そしてそのまま唇を動かさずに小声で喋る。



 『ちょっと、全部聞いてたんでしょう?』


 ……


 この期に及んでまだ気を失ってるフリしようとしてやがる。


 『ねえ、起こすために活を入れるフリして、もう一回ボディに拳をめり込ませてあげてもいいのよ?』


 『わかったわかった、ジャニーンには敵わないよ』


 ヘタレジョアンも私と同じように、唇を動かさず小声で返答する。


 『あんたさあ、マリアには、あんたが私を好きだってこと直ぐ感づくくらい態度に出してるくせに、好きな本人には何も言わないってどうゆうことよ』


 『ばっかおまえ、男って生き物はなあ、やせ我慢が皮を被って歩いてる生き物なんだよ』


 『意味わかんないんですけど! だいたいあんたが普段から私と一緒にいる時にもう少し好き好きオーラ出しておけば、ジャルが変に私に気を持ったりしなくて良かったでしょうが! あんたの変な、雰囲気で伝える力ってやつ、こういう時にこそ使うべきでしょう!』


 『そんな万能の能力なんかじゃありませんよーだ』


 『だいたい、アンタはね、自分のことを軽く考えすぎなのよ! アンタが犠牲になれば万事丸く収まるだなんて、そんなこと誰が望むのよ!』


 『何言ってんだよ、うちの両親とジャル、次の国王が誰になるのかわかってスッキリする貴族連中、皆にとって良いことしかないじゃないか』


 『アンタこそ何言ってんのよ! 私のお父様お母さま、ダリウス兄さん、それにうちの領地に住むみんな、フライス村のみんなにこの学園の講師の先生方、特に偏屈なブランドン先生、みんなみんな悲しむし困るわよ!』


 『ジャニーンは……困らないのかい?』


 『私は困らない! アンタの尻ぬぐいをしなくて済むから清々する! でも、でも……アンタがいなくなったら私が誰よりも一番悲しいわよ……』


 喋っているうちに図らずも私の目から涙が出てきた。


 悔しい。



 『ジャニーン、泣いてるのか……』


 『ええ、泣いてるわよ! アンタの仕出かしたバカな茶番の尻ぬぐい、ホントにどうしようか必死で考えたわ。ここでアンタの目論見通りになったら、アンタ本当に一生どこかに幽閉されて、ずっと土魔法で貴金属生成させられてたわよ……もう二度とアンタに会えなくなるところだったのよ!』


 『いや、親父はそこまでは……あ、でも俺の魔法だとそうなる可能性もあるか……。10年位で親父が解放しなかったら魔法の連続使用で飢餓状態になって死のうと思ってたからな、すまん』 


 『アンタのそういうところがッ、本当に、ホントに心配なのよッ! 何で一人で全部しょい込もうとするのよっ! 私やみんな、そんなにアンタにとっては頼りないのッ! もっと頼ってよバカァ! 頼りなさいよォ……」


 いつの間にか声が出ていた。


 涙声で、もう涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。



 「ジャニーン、そんなにも私のことを……済まなかった、そなたの想いを私は素直に受け取れなかったのだな。マリア=フライスに対しての様々な嫌がらせ、というのも愚かな私の勘違いだったようだ。済まない、ジャニーン。顔を上げてくれ」


 そう言ってジョアン殿下は私の涙や諸々の液体をそっとハンカチで拭う。


 私が誕生日に送ったハンカチだ。

 まだ刺繍が下手だった当時の私が刺繍したいびつなライオンのワンポイント。

 まだ使ってくれているんだ。

 そう思い一瞬嬉しくなったけど、けど。


 ていうかコイツジョアン、いつの間にかさっき私が陛下に言った筋書きで演技してやがる。


 本当にコイツジョアンのこういうところ、イラっとする。


 さっき喋ったのは私の本心だ。


 あれを聞いてもフツーに演技に組み込むコイツジョアンの頭はどうなってるんだ!?



 「ジャニーン=ハールディーズ! 私はそなたを愛している! 愚かな間違いを犯した私を、許してくれるだろうか?」


 いつの間にか立ち上がりやがったコイツジョアンが私の手を取っている。


 その手に導かれ私も立ち上がる。


 その手を外し、






 「許しません!」


 少し踏み込み右ストレートをみぞおちにぶち込んで差し上げた。


 「ドゥフッ」


 ジョアン殿下の長身がフまではいかずくの字に曲がる。


 私は下がったコイツジョアンの頭を両手で挟み込み、



 そのまま口づけをした。



 薄目を開けてコイツジョアンの表情を見ると、驚いたように目を見開いていたが、やがて観念したのか目を閉じ、そっと私の腰に手を回し、私の体を抱き寄せた。


 あーあ、これが私のファーストキスなのに。


 胃液の酸っぱい味だわ。



 などと考えていると、見守っていた周囲がワーキャーと歓声を上げる。


 「すごい! ジャニーン様の演技を見たか?」

 「ああ、自然に涙を流され、殿下への想いをぶつける場面、迫真そのものだ」

 「私、見ていてもらい泣きしてしまいましたわ……」

 「普段おちゃらけてばかりのジョアン殿下が、あんなに真剣に愛していると口にされるとは……」

 「これは小説にしてホーン・リバーに売り込むしか」

 「すごいサプライズですね! 結婚の日取り決めちゃえばいいのに……」

 「何てロマンティック……ブラボー! ブラボー!」


 会場全体から壮大な拍手が自然に湧き上がっていた。



 まったく好き勝手言って。


 まあ、いいわ。


 コイツジョアンからさせることは出来なかったけど、私のファーストキスはコイツジョアンに捧げることができた。


 一応は落とし前をつけさせたってことにしといてあげるわ。



 これからのコイツジョアンの人生で、絶対勝手にコイツジョアンが犠牲になるのを許す気なんてないから。


 そのためにもコイツジョアンからは一生目を離さない。死が二人を分かつまで、ずっと、ずっとだ。



 そんなことを考えて、私はコイツジョアンの顔を挟んでいた手をコイツジョアンの腰に回し、ギュッと腕に力をこめてお互いが一つになるかのように。

 唇を重ね続けた。










 おしまい

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