第2話 中編




 私と第2王子ジャルラン殿下が話し込んでいるうちに、パーティはこれからダンスに移ろうか、というタイミングに差し掛かったようだ。


 卒業記念パーティでは主席卒業生がファーストダンスを踊る栄誉に浴する。


 主席卒業生であり私ジャニーン=ハールディーズ公爵令嬢の婚約者である第一王子ジョアン殿下の姿を探す。


 彼はダンスフロアの真ん中に既に移動してきているようだ。


 参加者はいよいよダンスが始まるのかと期待してジョアン殿下を見つめていたのだが、侯爵子息のランドルフ=エドワーズや伯爵子息のアンソニー=メイヤーら数人が殿下の側から離れようとしない。平民出身で魔法学園特待生であるマリア=フライスが唯一女性としてジョアン殿下に寄り添うようにはべっていることも、周囲で様子を見ている参加者に違和感を抱かせた。


 「皆、聞いてくれ! 皆に伝えたいことがある!」


 ダンスフロア中央で取り巻きに取り巻かれたまま、卒業生主席にして第一王子ジョアン=ニールセン殿下が広間にいる参加者、来賓によく響く高めの声で呼びかける。 

 背の高い彼は周りの彼を取り巻く貴族令息方よりも頭一つ抜け出した身長だ。小麦色の金髪は広間のどこからでも目に入る。


 この魔法学園の卒業パーティに参加している大勢の生徒と来賓の父兄は、式次第とは違った状況、タイミングで掛かった第一王子殿下の声に、何事かと戸惑いつつも彼の方を眺める。


 まだ私の隣にいる第二王子ジャルラン殿下も、兄の常と違った様子に違和感を感じているようだが、表情は努めてポーカーフェイスを崩していない。


 彼の両親である国王陛下、王妃陛下も貴賓席から彼に注目している。


 普段は表情を表に出さない国王陛下と王妃陛下が軽く驚いている様子が伺える。


 つまり事前に両陛下の耳に入れていない行動を第一王子殿下は取っているのである。


 「ハールディース公爵令嬢ジャニーン、こちらへ」


 第一王子殿下が私の名を呼んだ。


 ファーストダンスの相手を婚約者が務めるのは慣例だ。そのための呼び出しだろうか? だが周囲を令息やマリアに取り巻かれているのに?


 いぶかしみつつもジョアン殿下の前に進み出で、カーテシーをする。


 と、殊更に声量を上げたジョアン殿下の声が広間に響く。


 「ハールディース公爵令嬢ジャニーン、私とそなたの婚約、今日を持って破棄する!」


 ???


 ?????


 何を言われたのか、理解できない。


 婚約破棄、と言ったのか? 何ゆえに?


 「もう一度言おう! 私はここにいるマリア=フライスと、一生を共に過ごすことを決意した! それ故、ハールディース公爵令嬢ジャニーン、そなたとの婚約は破棄させてもらう!」


 え? 何故マリア?


 マリアは私より一つ上、殿下と同じ卒業生だけれど、私とマリアの仲がいいことは、殿下、あなたも当然ご存じなのでは?


 「殿下、色々とお聞きしたいことはございますが、」


 「口を慎め、ジャニーン! 色々と言いたいことがあるのは私だ! まず聞け!」


 私の言葉を途中で遮り、芝居がかった尊大な態度を取るジョアン。滅多に見ることがない姿だ。


 しかし、ジョアンが演技ででも怒りを表すと大半の人間は委縮するが、私はけっこう長い事一緒に過ごしているので耐性ができているのか全く気にならない。


 とりあえず、彼の言うことを聞いてみるか。


 「まず一つ目。そなたは公爵令嬢としての立場をかさに着て平民であるマリア=フライスにいじめを働いた!」


 へ? 初耳なんですけど。


 「とぼけようとしても無駄だ! 夜な夜な騒音を立てて学生寮の下の階のマリアの集中を乱し成績を落とさせようとしていたのは調べがついている!」


 時々お母さまの淑女教育の特訓を応用した訓練をしていたけど、あれ下に響くことがあったのね。音を響かせるなんて不覚もいいところよ。お母さまに知られたらと思うと……ゾッとする。  ごめん、マリア。


 「更にマリアが心を込めて作った菓子を無理矢理奪い取ってむさぼった! マリアは泣いていたそうだぞ!」


 マリアの出身地のフライス村は私も知っているが、まだまだ嗜好品を好きに買えるほど物流が整っておらず、お菓子の材料の砂糖や上質のバターは貴重品で殆ど手に入らない。


 だから学園入学後に私はマリアと一緒にお菓子を作り、作り方と材料の調達場所を教えていた。


 もしかして学園の庭で何人かの令嬢方と一緒に作ったお菓子を食べていた時のことだろうか?


 あの時はいつもと趣向を変えて全員でじゃんけんをして、勝ち残った者だけがお菓子を食べられるという仁義なき戦いをした。5人参加でお菓子は10個用意したから、食べられない人は出ないって思ったけど、何故か私とマリアは全然勝てなかった。最後の1個は皆さん譲って下さったのだけど、マリアは「これ、勝った方が食べることにしませんか?」と言いだしたので「いいの? 自分が作ったお菓子すら食べられなくなるわよ?」と言って勝負に乗った。


 結果私が勝ったので、冗談でマリアに見せつけるように食べて、マリアも悔し泣きの演技をした。楽しかったな。


 「どうだ! 思い当たることがあるだろう!」


 あれを思い当たると言っていいのだろうか? いじめと言うにはかなり無理筋だと思うのだが。


 私たちと一緒に庭でお菓子を食べていた令嬢方は、もう、何と言うかジト目でジョアン殿下を見て何かヒソヒソと話している。


 ともあれマリア本人がどう思っているのかだ。マリアがいじめと思えばいじめなのだろう。もしかして本当に私の身分に気を使って嫌だと言えなかったのかも知れない。


 そう思いジョアン殿下の横に佇むマリアの様子を見る。


 ジョアン殿下が左手をマリアの腰に回し、仲睦まじそうな様子を出そうとしているが、そうされているマリアの表情はただただ驚愕きょうがくで満たされている。嬉しいとか喜びの驚きではない。心なし蒼ざめた顔色になっている。


 これは、多分、マリアは自分がこのような事態に巻き込まれるとは夢にも思っていなかったのだ。


 「次に二つ目! そなたは王族の婚約者としての立場を忘れ、王子であるこの私をないがしろに……」


 コイツジョアンが何だかんだと婚約破棄の理由を述べているが、もう真剣に聞く気はない。


 さっきのマリアへのいじめで挙げられた内容でもう十分わかった。


 コイツジョアンはバカ王子ではない。自分に気がないマリアを強引に自分の物にしようとしてこんな茶番をしかける、そんなことはしない。


 大体コイツジョアンは男女の情についてはストレートに伝えたり伝えられたりすることは苦手だ。


 婚約者の私との間でも、雰囲気になると上手く話を逸らして逃げてしまう。


 大体、博識なコイツジョアンが、ロマンス小説の婚約破棄で使われる定番の言葉『真実の愛』を知らないはずがない。




 さっきの婚約破棄宣言の場面で『真実の愛』を使わなかったのは、自分に関して愛や恋という言葉を使うのが照れ臭い、という理由も大きいだろうが、それだけではないだろう。


 『真実の愛』を理由にした婚約破棄をしたら、完全にマリアのその後の自由を奪ってしまう事になる。


 そうならないよう最低限の配慮、いわば言い逃れができる余地をあえて残した言い回しにした、ということだ。


 暴挙の中に最低限の配慮を潜ませるだけの頭を廻せるコイツジョアンが仕組んだこの茶番。


 今更バカじゃないコイツジョアンが、本当に今更、自分をバカ王子と周囲に思わせたい、という何で今更、な意図でやっているようにしか見えない。


 実際、学園に在籍している生徒たちは、特にコイツジョアンと接する時間が多い生徒は、コイツジョアンがどれだけ優秀か良くわかっているので、本当に今更そんな茶番を打っても意味がない。


 実際3年間一緒に過ごしてきた卒業生が婚約破棄劇ちゃばんを見ている反応は、「また殿下が一騒ぎ起こしてるな~」と生温かい目をしているし、中にはここぞとばかりに供された料理を掻き込んでいる者もいる。


 となると、普段は風評程度しか知らない者、つまり生徒の親の貴族たちにコイツジョアンは恋愛に対しては全くのバカで、思い込んだら周囲の迷惑も考えず突っ走る傍迷惑はためいわくなバカになる、そんな王子にこの国を任せるのは不安だ、そう思わせたいのだろう。


 いや、まあ周囲の迷惑を省みずに巻き込みまくって突っ走ることは、恋愛以外で多々あるけどね。結果オーライなだけで。


 直接ジョアン殿下を知らない生徒の親の貴族達は、生徒と違って場の成り行きを固唾を飲んで見守っている。



 「待て、ジョアン! 先程から聞いていれば愚にもつかない口上ばかり述べおって。おまえはそんなにも愚かだったのか!」


 「そうですジョアン。事前に相談もなくハールディーズ公爵令嬢との婚約破棄を口にするなど、あなたは正気ですか!」


 国王陛下ご夫妻が、さすがにこれ以上は黙って聞いていられぬと貴賓席から進み出てジョアン殿下を強くいさめにかかる。


 「両陛下、私はこの平民であるマリア=フライスと3年間共に勉学を重ね、彼女の優秀さに常日頃から目を見張る思いで感心しておりました。今後のアレイエム王国の発展、怨敵エイクロイド帝国打倒のため、こうして民の中から芽吹いた新たな可能性、この目で行く末を見届けたいと思うようになったのです」


 「詭弁を弄するでない! ジョアン! 確かに我が国の今後の発展のため、更には怨敵エイクロイドを打ち破るため、民の中から出てくる力に期待した。そのためにこの魔法学園も設立した」


 「ですが! ジョアン!」


 「そのために今の地盤を揺るがすというのは心得違いも甚だしい! 今の近代化政策は我が王家とハールディーズ公爵家の強固な繋がりあってのもの! これが断たれるとなれば、この学園を始めとする近代化政策など水泡に帰す! その程度の道理も忘れたかジョアン!」


 「我が王家とハールディーズ公爵家の関係、わからぬ貴方ではないでしょう? それが婚約破棄などと……」


 ダニエル陛下とイザベル陛下が息ぴったりに叱責する。阿吽の呼吸だ。



 「両陛下、そもそも我が王家にはたわけた私しか男子がいない、そんなことはありませんね?」ジョアン殿下が言葉を続ける。


 「そもそも、我が弟ジャルランは、王として十分以上の威厳と素質を備えている、と私は見ております。将来陛下の後を継ぎアレイエム王国を高みに押し上げ至高の王として国を司る、そんな姿が私には見えるのです。陛下がこれまで王太子を決めずに来られたのは、我が弟に婚約者が定まるのを待っておいでだったのではないですか?」


 「不敬ではないですか、兄上! いくら親子とはいえ陛下の御心内おこころうちをこのような場所で問うのは僭越せんえつに過ぎます!」


 横合いからジャルラン殿下が兄を諫める。


 「いや、このような場であるからこそ僭越せんえつなのをあえて承知で言わせていただこう。我が王家でハールディーズ公爵家の令嬢を娶り、陛下の後を継ぐのはジャルラン、おまえこそがふさわしい。剣術全国大会でハールディーズ公爵と互角に打ち合えるだけの剣の腕、数年鍛錬を続ければ公爵に並ぶ程の強さになろう。公爵から令嬢を託されても守り切るだけの実力も十分、となれば私などよりも公爵は安心しよう」


 「兄上、そのような申し様もうしようはジャニーン嬢をまるで物のように扱うかの言い様いいざま。ジャニーン嬢が哀れとは思わないのですか!」


 「ならば問おう、ハールディース公爵令嬢。私のようなたわけ者よりも、ジャルランのような一途に思いを遂げようとする男の方が国を導くにふさわしいと思わぬか? そんな男と共に添い遂げたい、そうは思わぬか?」


 さては先程ジャルが私のところに来て話をしていたのは、コイツジョアンが裏でそれとなく周りを使ってジャルを誘導していたのね。私への糾弾から話の骨子がズレてきていると思うけど、コイツジョアン、勢いで押し切るつもりのようだ。何臨機応変に対応してんのよ、そーゆうとこなのよ!



 「そういうことであれば……ジョアン第一殿下と私の婚約破棄の件、謹んでお受けいたします……













 とでも私が言うとお思いですか!」



 言うや否や、私は瞬間左足で地面を蹴り、ジョアン殿下の右懐に低い姿勢で飛び込む。


 伸びあがる勢いと引き付けた左足の反動を左拳に載せ、突き上げるようにジョアン殿下の右脇腹に左フックを叩き込んで差し上げる。


 「ぐふっ」


 長身のジョアン殿下の体が、くの字どころかフの字に折れ曲がる。


 私は殿下の下がったアゴに、先ほどの左フックの反動を逃さず、円を描きつつ打ち下ろすように渾身の右フックを叩きこんで差し上げた。


 ガスッッ、ギョリン。



 ジョアン殿下の体は床から45°の角度で錐揉きりもみ1回転し、バタリと倒れた。



 多分一連の動きをしっかり目で追えたのは、今でも忙しい公務の合間を縫って鍛錬を続けておられる国王陛下、それと会場内の警備についていた騎士の面々だけだろう。


 お父様と一瞬でも互角に打ち合えたジャルラン殿下にも見えたかも知れない。


 他の人々には、私がジョアン殿下の位置に急に現れ、真横にジョアン殿下が吹っ飛んだように見えた筈だ。


「マックノーウチ……」


 辛うじて意識を残していたたジョアン殿下は意味不明な呟きを残し、白目を剥いた。



 私の右隣には先程までジョアン殿下に腰に手を廻され、『はべっていた』風に演技させられていたマリア=フライス。


 マリア視点でも、いきなり私がジョアン殿下がいた位置の斜め前に現れたように感じているはず。


 口に両手を当て驚愕きょうがくの表情を浮かべている。


『驚かせてしまったわね。事情は後で、いつものように私の生徒寮のお部屋で詳しく聞かせて』


 マリアにだけ聞こえるよう小声で素早く伝える。


 周囲の様子を確認すると、殿下の取り巻きのランドルフ=エドワーズやアンソニー=メイヤーも何が起こったのかと目をパチクリさせている。殿下は彼らにもこれから何をするのか伝えていなかったようだ。


 ジョアン殿下に翻意を迫った国王陛下夫妻を始め、ジャルラン殿下以下周囲で見ていた者、皆呆気あっけに取られている。


 何が起こったか誰も把握できていない今なら事態を穏便に、はもう難しいか。


 破天荒はてんこうに、有耶無耶うやむやに、なら収束出来そうだ。




 私は国王陛下夫妻に対し、ゆっくりと、うやうやしくカーテシーをして謝罪の言葉を口にした。



 「国王陛下ご夫妻、ならびにご来場の皆さま、はしたない姿をお見せしてしまい、お恥ずかしい限りです。皆様のお目汚し、申し訳ございませんでした。ことに陛下におかれましては突然のことでお心をわずらわせたこと、の殿下に替わり、お詫び申し上げます」




 後編に続く

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