kesitesimaunara

常盤木雀

第 話


 飽きやすい、というのかもしれない。

 わたしは何をしても、それを突き詰めるところまですることができなかった。早々に投げてしまうのとは違う。ゴールが見えたと感じると、興味がなくなってしまうのだ。


 例えば、性格を表すのに持ち出される「夏休みの宿題」。最初にさっと終わらせる人、コツコツこまめに取り組む人、最終日直前に慌てる人に分けられることがある。わたしの場合は、どれも少し当てはまらない。最初に頑張って消化するが、「あとこれとこれで終わり」と思ったところでやめてしまう。そして最後には、あと少しのはずだった残量を見て、追われるようにこなすことになる。ほぼ終わっていたはずの問題集は丸付けと直しが全部残っていたり、得意だからいつでも良いと先延ばしにしていた読書感想文があったり、苦労する。

 日常生活では、『残り少し』を使いきれずに放置してしまう。煮えるまであと少しの料理を、気付けば焦げさせたり煮立たせたりしてしまう。


 わたしが最後までできるのは、読書だけだ。

 本を読むのは、食事をするのと同じくらい自然なことだ。おいしいものを食べているときに食べるのを自主的に中断する人がいないように、途中で本を閉じることは少ない。読み始めればよほどでなければ最後まで読む。失敗したなと思っても、大抵は読み続ける。あの人が悪人で主人公とこの人が勝つ結末だな、と分かっても、そこで興味を失うことはない。

 むしろ読書は時間を制限しないと生活に支障があるほどだ。強い自制心があるから、何とか睡眠時間を三時間は確保できる程度の夜更かしで済んでいるのだ。

 しかし、本に触れ続けたことで書きたくなった小説は、そうはいかなかった。書くと読むでは、全く異なる。自分の中で終わりが見えると、書きたい欲が収まってしまう。



 この性格が災いしたのだろうか。わたしはどこかへ迷い込んでしまったらしい。


「この世界は、あなたの未完の世界です」


 既視感のあるような見慣れぬ場所で、小さな本が声で語り掛けてきたのだ。


「この世界を、物語を、完結させてください。それまではこの世界から出ることはできません。どうせいつか消してしまうなら、思い切って動かしてつぶして壊したって良いでしょう?」


 本の声は、怒っているように聞こえた。

 最近、わたしは長い物語を完成できなくなっていた。頭の中で世界ができあがれば、それが物語の終わりになったからだ。それを、この本は怒っているようだ。

 厄介なことになってしまった。完成できる自信がない。諦めてこの世界で生きる術を探すべきだろうか。


 いつから完成できなくなったのだろう。

 思い返せば、学生の頃は区切りまで書けていた。毎日のように、苦もなく書いて、友達に読んでもらって。ああ、そうだ。あの頃は、書き終わりがゴールではなかった。書いて、友達に声を掛けて、読んでもらって、感想をもらって、また続編を書いて、の繰り返しだった。

 読書も同じなのかもしれない。わたしの読書は、本を一冊読むことがゴールではないから、だから途中でやめることがない。課題で読まなければならない場合であれば、数章残してしまうこともありそうだ。


 それならば。『この世界から出ること』『この物語を完成させること』を目的にしてしまえば、きっとわたしは完結できないだろう。


「この世界から出たら、どんな良いことがあるの?」


 わたしは本に尋ねる。

 本は不服そうにしたが、わたしは態度を緩めなかった。


「何もメリットがないなら、わたし、この世界にずっといるかもしれないわ」

「それは困ります」

「困るのね」


 それならメリットを考えて、と伝える。

 わたしは、今、わたし自身の短所の扱い方が分かったのだ。うまく利用してみせる。

 おかしな世界。喋る不幸な本。他の世界への移動。題材は十分だ。書きたい気持ちが湧き上がってくる。

 あとは、この小さな本が、わたしに適切なゴールを示すだけ。

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