第18話


 角畑は記憶をたよりに飛ぶように走って、今はなき銭湯の前まで辿り着いた。


「懐かしいなぁ……。そういえば……、両親と来た事もあったっけ……」


 そう紳士的に呟くが早いか、電光石火のスピードで迷わず女湯の赤い暖簾を掻き分けてドアを開いた。


「何? 僕? こっちは女湯やで。男は隣やん!」


 銭湯の番台に座る、汚い歯をした女主人の声は少年の耳に届かなかった。


 衝立の先に見えたのは…………、中年の関取のようなオバ様だったのだ。

 

 決して見たくはないのに、座布団を数十段積み重ねたようなオバ様のだらしない姿態から、なぜか目が離せない。 

 

 ――大量のイクラの搾り汁をかけたツナマヨを、串カツ屋の古い天ぷら油で一気飲みしたような気分となった。


 たまらず視線をもっと奥の方に逸らすと、今度はダイオウイカを一夜干しにしたような婆様の、一糸まとわぬ恥ずかしい姿が視覚中枢に投影される。


「はは……、女湯って男湯と違って、赤ちゃんを寝かせる台がいっぱいあるんだね」


 角畑の譫言のような台詞を聞くまでもなく、とうとう女湯から追い出されてしまった。


 ……考えてみれば真っ昼間からギャルが銭湯で入浴している訳がなかったのだ。


 すっかり萎んで、とぼとぼと歩く角畑の前に見覚えのある少女が現れた。


 恥ずかしそうに立っていた女の子は、おかっぱ頭に、くりくりとしたドングリまなこ、赤いシャツの下は、昔の子供が着用していたようなデニムのオーバーオール。それは元気な彼女に、何だかよく似合っていた。


「ええーっ? 久美子ちゃん! めっちゃ懐かしい!」


 角畑は思わず大声を出してしまった。井出久美子は意味が分らず、きょとんとしている。





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