Pレンジ
堀田 要
第1話
第一部 …………Pレンジ
第一章 堀田 要
「……マンションの購入資金、二千万円を全部つぎ込んだっていうのは本当か?」
焼鳥屋のカウンター席で手羽先が焼けるのを待つ間、
「ああ、もう誓約書にサインしたさ」
事の重大さにも関わらず、堀田は平然としていた。ワインボトルを四十五度に傾け、自分のグラスに煉瓦色の液体を注ぎ足した後、
「おいおい、一体どうしちまったんだ。堅実を絵に描いたような堀田君が」
再び堀田からワインを勧められた角畑は、そう言った後に口元を引きつらせた。
「言っておくが、妙な宗教にハマった訳じゃないぜ……」
せわしなく串をひっくり返していた焼き鳥屋の主人は、ただならぬ空気を感じ取ったのか、思わず二人と目が合った。
「三十五歳になっても結婚せず、コツコツと貯めてきた金だ。そりゃあ、最初は随分色々と迷ったさ」
堀田は何かを咀嚼しながら、そのまま続ける。
「もう一生、独身のまま過ごす事になるのかと半ば人生に悲観していた時、とある世界と出会ってしまったんだ」
そう言って堀田は遠い目をした後、固唾を飲んで見守る角畑の方を向いた。
「何だ? 風俗の世界にでも目覚めちまったのか……こんな世界があったのか! なんて」
角畑は、わざとおどけてみせて堀田の心の内を探ろうとする。
「違うっての……VRさ。『ビハイヴ』って聞いた事あるだろ」
酒がまわってきたのか、堀田の身振り手振りは大げさとなり、饒舌になってくるのが分かる。
角畑はビハイヴについて自分が知っている事を思い出すのに、ネギマの串に刺さっている鶏と葱を半分以上、箸で引っこ抜く時間が必要だった。
そのうち周囲は、酒が入ったサラリーマン客達の喧騒に支配されてゆく。
「……確か巷で流行りの最新式バーチャル・リアリティの一種か」
「そう、カクさん、よく御存じで。でもゲームじゃないんだぜ」
堀田と角畑は京都出身で、小学校以来の幼馴染。
中学校を卒業すると別々の道を歩んで、それぞれ県立病院総務勤務の地方公務員と、小さな民間車検工場を経営する自動車整備士の職業に就いていた。
働く世界は違っても共に神戸在住で、今もこうして時々飲みに出掛ける腐れ縁の友人だ。
おまけに周囲の人間が次々と結婚し、ささやかな家庭を築きあげている現状の中、二人はまだ独身を守り通している。
そういった共通項もあり、お互いの友情には、ますます磨きがかかっていた。
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