エピローグ アイリ

水麗都市オオサカを襲った火夏星から数日。街では犠牲者の追悼もそこそこに、復旧に向けて炊き出しや人型重機による廃材の撤去、船舶での資材の運搬などが行われていた。


 そのような街中をミホシはノースリーブの衣装で進んでいた。その足は中央の大病院の方に向いていた。そこに滞在している人物と重要な仕事の引継ぎをしなければならない。


 街を進むと耳には様々な会話が入って来た。


 「重機が足りてねえよ。応援まだ来ないのか?」「資材通るよどいてどいて~……どけっつってんだろ!」

「酒~美味しいお酒だよ~。こんな時だからこそ酒!昼間から酒!これが効くんだ。お酒だよ~」「おげぇええええ」


 などなど聞こえて来るものは様々だ。そのような時の声にも心に留まるものがある。


 「知ってる?自治会長さん避難が間に合わなくて巻き込まれたって」「ワタシの友達の家も潰されちゃってぇ」「次はウチが襲われるんじゃないかって不安で仕方なかったわ」「ホントねぇ」


 「ミホシ様がもうちょっと早く炎を倒してくれたらよかったのにねえ」

 

 ……すまない。


 ただそう思う。己がもっと速ければ炎が街を蹂躙する前に消火することができただろう。己がもっと強ければ隊員たちをわざわざ戦場に駆り出し救助の手を減らすこともなかっただろう。彼らに起きた不幸も何もかも全て全て己の力不足が招いたことだ。


 「ここも、か」


 自責で満ちた思考を断ち切り足を止める。そこは数日前に立ち寄った和風喫茶のある場所だった。今はその面影もなく店の外装の大半が焼け落ちている。


 今朝は食パン二本分程しか食べていない。相手に復鳴を聞かせるというわけにもいかないので道すがら腹ごなしでもと考えていたのだがうまく行かない。どこも似たような惨状が広がっていた。一層自らの無力を感じて小さくなっている様に声を掛けるものがいた。


 「あら?大食いのお客様?」


 「おや君はここの店の……」

 

 焼け落ちた店内から出てきたのは数日前この店でミホシに給仕した中年女性の店員だ。彼女は店内の整理をしていたのかところどころある炭の跡を拭い喜ばし気な表情を作る。


 「あなたも無事でなによりです。本当は賞金を渡さないといけないんですけど。この有様なのでまたにしていただいてもよろしいですか?」


 「うん?賞金?いらないよ?それよりここも大変そうだね。とても美味しかったから残念だ」


 「苦労はありますけどこれから何とか取り戻して見せますよ。店も客もね」


 「それは楽しみだ。強いんだね。……こう思ったりはしないの?もっとちゃんと守ってくれたらよかったのにって」


 らしくないことを聞いていることは自覚はある。それは自分だけではない共に戦った消防士たちまでも貶めかねない問いだった。それでも炎の言葉が心に残っている問わずにはいられなかった。


 女性は店を眺めしばし迷った後ミホシに向き直る。


 「そうですねえ。同業者さんが無事だったりしたときはいいなーウチも無事だったらな。なんて思うんですがね。ウチは家族全員無事だったし。なにより炎と戦う人たちのことを間近で見てしまいましたからねえ。言えることは一つしかありませんよ」


 それは。


 「戦ってくれてありがとう。守ってくれてありがとうそれだけです」


 それは純粋な感謝の念。ただの普通の感情。それでも求めてやまなかったその言葉が心を震わす。鼓動を早くする。気付けば言葉が出ていた。


 「ありがとう」

 

 「え?」


 「ありがとうをくれてありがとうだ」


 「はあ……?」


 女性は戸惑った様子であるが構わない。自分は最大の報酬を貰ったのだ。今ならなんでもできる気がした。空腹も忘れ歩きだす。


 「じゃあ再開したらまた来るよ。楽しみにしてる。うん」


 「御贔屓にありがとうございます」


 ありがとうはこちらの台詞なのだと。そう思う。



 ♦運よく延焼を免れたオオサカ中央病院もまた火災により溢れかえった重軽傷者たちを受け入れ治療にあたっていた。


 院内はどこも怪我人で溢れ看護師たちが忙しなく動き回っていた。病室は当然満室。受け入れきれなかった人々をどこで受け入れてもらうのかが急務になっていた。


 その埋まり切った病室の一室にベッド寝転がり手持無沙汰にしている女性がいる。ナニワ消防署本部二ノ隊隊長リノンだ。彼女は廊下から足音が近づいてくることに気付くと居住まいを正す。そして扉が開かれる。

 

 「やあ。リノン」


 「ミホシか。予定より早かったな」


 現れたミホシの頬は少し上気し心なしか足運びが軽く感じる。


 「お前。何かいいことでもあったか?」


 「何でわかるの?」


 「それはお前……いや、折角早く来たんだ時間を無駄にするな。さっさと始めるぞ」


 「うん。気になるな。何で?」


 「いいから!引継ぎ始めるぞ!!」



 ♦「以上がウチの隊の主な業務だ。すまないな」


 「うん。なにも問題ないよ。ほかならぬ君の為だ僕は役目を全うするとも」


 病室のベッドで横になっているリノンはベッドの前のミホシに目を向け不甲斐なさそうにしている。

 ミホシは自分に任せておけというように握り拳を立てて見せる。リノンもそれに苦笑を返す。暫しの間をおいてミホシは目を細めリノンの右腕に視線を移す。ペタリと風に靡く右袖を。


 「その腕は……」


 「ああ。やはりどうにもならんらしい」


 リノンの右腕は火夏星の戦闘の際に焼け落ち砕けて消えた。高い再生力を誇る炎祓。その中でも最高峰の力を持つリノンであっても完全に消えてなくなった部位を再生することは叶わなかった。


 「——」


 言葉は全く告げられなかった。口から出かかったソレをベッドから飛んできた枕が顔面ごと塞いだからだ。リノンは烈火のように怒鳴りつける。


 「泣くな!謝るな!」


 「まだ何も言ってないのだけど……」


 「わかりやすいんだよお前は!」

 

 出鼻から挫かれたミホシは居づらそうに目を逸らしつつも顔面に張り付いた枕を剥がしリノンに返してやる。

                 

 「だって僕があと僅かでも早くついていれば」

 

 「神にでもなった気か?自惚れるなよ。お前はお前に出来ることしかできない。私もそうだ。それぞれが力の限りをつくした結果だこれは」


 全く、とため息を付き自身のなくなった腕のあたりを左手でさする。


 「キリヒコ隊長と相談してな。義手にすることにした。今の技術は想像以上でな。訓練しだいではこれまで以上の能力を発揮できるかもしれん。お前が最強でいられるのも時間の問題かもしれんぞ?」


 冗談気に笑って言うリノンに釣られミホシも顔を緩め。


 「うん。楽しみにしてる」


 僅かに瞳を濡らし期待と共に笑ってそういった。


 「ところで……だ」


 「何かな?」


 リノンはミホシに向き直り純然たる疑問を投げかける。どうしても納得できないことがあるのだ。


 「何故お前は早々に復帰している?お前、私よりも遥かに重症だっただろう。それこそ生きているのが不思議なレベルだったはずだ。一体。何をした?」


 火夏星との戦闘を経て半死半生だったミホシは今、顔に傷一つなく見るからに健康体である。そこにいかなる秘密が隠されているのか。最強の火消しの謎に今リノンが迫る。


 「ご飯をいっぱい食べたからね。リノンもいっぱい食べるといいよ。うん」


 そこそこ大きな胸を張って答えるミホシにリノンは頭を抱え。


 「お前……食事を万能の治療法か何かだと勘違いしてないか……?よしんばそうだとしても効果があるのはお前だけだぞ……多分」


 「そうかい?美味しいご飯を食べると何だか力が湧いてくるだろう?」


 リノンは頭を抱えたまま何かに気付いたようにハッと頭を振り上げた。


 「待て……お前が………だと?訓練校時代に学食の食べ放題を一人で無期限停止に追い込み食堂殺しと呼ばれた。バイキングに出ればその殆どを一人で平らげ開催元から海賊のように恐れられるお前が。……食べたのか?」


 「食べたよ?。ここの食事は美味しかったね。うん」


 「ここの職員たちが食料の備蓄が尽きたと騒いでいたのはお前が原因かっ!!」


 本来病院食とは徹底して栄養管理され決められた量のみが提供される筈だが、如何にして目の前のこの女は埒外の量を食すに至ったのだろうか。食に関することではいくら強権を振るっていても不思議ではない。この分野においては信用がない。普通に迷惑すぎるから止めろよとそう思う。


 実際のところ食すごとに傷が異常な再生する速度が上がることに気付いたこの病院の院長でもある三ノ隊隊長キリヒコが第二波の火夏星が発生した時のことを考えてと無理矢理供給させていたのだがそこはリノンたちの知る由ではない。


 姦しい言い合いを地の底から蠢くような音が中断させる。それは実際には地ではなく腹から響いていた。


 腹鳴の主であるミホシは澄ました顔で視線をリノンの顔からその付近のフルーツバスケットに目を移す。ニノ隊隊員たちが見舞品として持って来たものだ。


 「ねえ。リノン……」


 「わかった。何も言うな。食え。食ってさっさと行け」

 

 「うん。ありがとう」


 言うが早いかミホシは颯爽とバスケットを手に取り次々と果物を口に含んでいく。硬い皮も強靭な顎の前では無に等しい。次々と圧搾され吸い込まれていく。潤沢にあった見舞い品は瞬く間に姿を消し残されたのは細工が施された木籠のみである。


 「ご馳走さまでした。それじゃあそろそろ行くよ」


 「隊員たちのことよろしく頼むぞ」


 「任された」


 荷物を纏め病室から去るミホシにリノンは声を掛ける。


 「ミホシ……何かあれば頼れよ。わた……私たちはお前の力になれる今回のことでよくわかっただろう。心に留めておけ」


 ミホシは振り返らず。


 「うん。ありがとう」


 しかし明るく弾んだ声色で答え病室を後にしていく。


 後に残されたリノンは再び横になり天井を眺めつい今しがた去っていった彼女のことを想起する。


 「どれだけ見て来たと思っているんだ。本当にわかりやすい奴だよお前は」


 そう気づくまで随分時間がかかった。



 ♦大広間の一室で防火衣を身に纏った隊員たちが数列に跨って整列し、待機している。どの顔もそれぞれ落ち着かない様子で緊張した面持ちを見せている。

 そんな中で、彼らの正面に立つ黒い防火衣に蒼髪を携えた凛々しい顔の女性が一歩前に立ち。彼らに向かってよく通る声を放つ。


 「リノン隊長が療養から復帰するまでキミたち二ノ隊を指揮することになったミホシです。よろしく。私も人を指揮するのは馴れていないからみんなには不備を掛けると思うけど頼ってくれたら嬉しいな。うん。だからその一歩として……」


 「君たち一人一人の名前を教えて貰おうと思うんだ。短い時間だけど一緒に戦う仲間だからね。大丈夫。私は記憶力には自信があるから。絶対忘れない」


 ミホシの宣言に集まった百余名の隊員たちはどよめき顔を見合わせる。静寂な空間が一転騒がしくなるも騒ぎの元であるミホシはさして気にすることもないように続けていく。


 「じゃあ右の先頭の君。よろしくね」


 「ハ、ハイ!」


 指名された隊員は突然のことに動揺した様子であったが直ぐに落ち着きを取り戻し自らの名を宣言する。同様の流れが続いていったあるころ。ある女性隊員の番がやって来る。

 彼女はやや緊張気味で肩が強張っている。だがそんな彼女を見てミホシは顔を和らげる。見知った顔だったからだ。


 「ああ君は……。最近よく会うね。うん。私も嬉しいよ。それじゃあ……」


 あの日聞きそびれた言葉を掛ける。


 「君の名前を聞かせてくれるかな」


 その問いにの女性隊員は高らかに応える。


 彼女の名が響く。

 

 これは因縁の物語。水星と火夏星の決して相容れぬ闘争の物語である。


 そしてこれは出会いの物語でもある。最強の火消しとその新たな相棒との最初の出会いの話。


 「アイリっていいます。よろしくお願いします!ミホシさん!!」




















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水星のミホシ プテラノプラス @purera

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