第8話 許せないもの

♦水麗都市オオサカ一帯を覆う炎の明り。その中でも一層爛々と輝く炎があった。街を飛び回る人型のソレは周囲の明りを取り込み更に明りを増していく。火夏星だ。彼女は自身の輝きを増すごとに速度を増していく。そしてもう一つ。火夏星の輝きに照らされて僅かに見える蒼の影があった。ミホシである。彼女は火夏星の攻撃をいなし。逆に打撃し、刻み、裂いていく。


 一方はその不死性と形態変化の自由さで攻め。もう一方はその圧倒的な身体能力と神業的な身体操術によってそれを打ち砕く。人の外の領域での戦いが行われていた。


 水着防火衣姿の八ノ隊隊長アヤセはオオサカ湾に浮かぶ都市消火用消防艦船”大摂津”の艦上でその光景を見ていた。


 ……完全に出る幕がないわねえ。


 支援砲撃でも出来ればと考えたが戦いの次元が違う。これでは敵に向けて撃ったところで不確定要素にしかならないだろう。せめて火夏星が吸収しないように辺りを消火する程度の事しかできない。新規に開発された対都市火災用水門主砲”飛泉”であればその身を穿つこと叶うかもしれないがなにぶん的が小さく早すぎる。照準から発射まで数十秒を要する飛泉では当てる見込みがない。お手上げだ。


 アヤセが戦闘領域外の消火指揮を執っているところ通信が入ってくる。七ノ隊隊長ヒカリからだ。


 『……アヤセさん聞こえていますか?』


 「はあい聞こえてますよお。何かしらヒカリちゃん?こっちは今沿岸部の消火中よお」

 

 「そのことなんですが。先程ミホシさんから提案がありまして」


 「ふうん。ミホシちゃんが……あの娘がねえ。いいわ聞かせて頂戴。お姉さん何でもしちゃうわよ」


♦ウメダ

 「いけー!やっちゃえ~みぽしぃ!!」


 「隊長!よそ見しながら”五月雨”ぶっ放すの勘弁してください!!」


 野次を飛ばしながら救助に邪魔な障害物を破壊するハッピートリックと彼女の率いる四ノ隊の隊員たちがいた。野次が飛ぶその方向に一つの巨大極まる建造物が存在している。


 街中にそびえ立つ回転輪直径二百メートルを超える大観覧水車。街の観光の一番の名所でありオオサカのエネルギー供給を支える施設の一つである。この建造物を幾度も激突を繰り返しながら駆け上がっていく影があった。瞬影はやがてその頂点に届き頂上で打撃の音を街中に響かせる。幾度かの衝撃の後ひときわ強烈な殴音が響き炎がその頂点から叩き落とされる。


 火夏星だ。人外の膂力で高空から落とされた彼女は受け身もとれず地に落ち塵灰を巻き上げる。

 芥の帳を一陣の風が晴らす。同じく観覧水車の頂上から遅れて発射された蒼の流星は寸分違わず炎を穿つ。

 交差した炎腕に受けられた蹴り足の衝撃は止まることなくその身と炎を遥か彼方へと運び去る。


 

♦ツルミリョクチ

 一面に広がる花畑に風車が立ち並ぶのどかな公園。平時ではそのような光景が楽しめる大公園が今。燃えていた。公園内を闊歩する劫火と怪火の群れにより緑の広場は紅蓮の地獄と化していた。

 その地獄に隊長シゲユキを含む一ノ隊の面々は対峙していた。


 「皆様、劫火はワタクシが押さえますので怪火の方を頼みます。決して複数を同時に相手にせず陣形を組んで対処にあたってください。ここが市街地までの防衛ライン。一体も通すことのなきよ「ああ、ごめん通るよ」そうはいき……はて?」 


 一ノ隊の面々は割り込んできた声と共に突如として吹き荒れた旋風に身動きが取れなくなった。やがて吹き荒れる暴風は止み晴れた視界の先には。炎の群れが跡形もなく消え去っていた。


♦ドウトンボリ

 河川に隣接する繁華街にて消火救助活動を行っていた六ノ隊隊長タケトヨは未知の現象を視認していた。

 濃密な白霧をまき散らし川を高速で遡上していくその色は蒼と紅。二色を先頭にして交通の要所の一つである川はモーセの伝説の如く断ち割れていた。

 至近の距離まで到達したことで異常現象の詳細も見える。蒼と紅。ミホシと火夏星がその極熱で川の水を蒸発させながら戦っているのだ。仰向けに倒れた火夏星の顔面を前傾姿勢のミホシが掴む。火夏星が彼女の腹部を幾度も蹴りつけ抵抗するも意に介さない。後頭部を川底に押し付けながら削り爆進する。

 激闘が通過する。そこでタケトヨは気付く。戦いの後を追うものが熱を保つ白霧だけでないことを。

 それは赤の色。通過地点周囲のまだ消化しきっていない怪火を始めとした炎が戦いに吸い寄せられるように集まっている。


 「総員!退避ー!巻き込まれてはただごとではないからねえ」

 

♦サカイ

 鍵穴形状の大墳丘は周囲を水で隔てられ外部と断絶した灼熱の空間になっていた。              

 ミホシと火夏星が衝突するこの場を取り囲む炎の影がある。怪火の群れだ。彼らはミホシの一撃の余波により容易く霧散しまた、火夏星の指運に従いその身を溶かし彼女の武器に、一部にとなり果てる。

 それでも彼らは彼女らの元へと大挙する。理由は単純。火夏星がそうするように指示しているからだ。だが容易く消されるといっても彼らの行為は無意味ではない。 

 火夏星の手にかかれば彼女はより多彩で強力な一撃を放てるしミホシに対処をさせるならば確実に一手の対処を要求することができた。ただの一手しかしその一手が付け入る隙となる。


 ミホシが接近していた怪火を裏拳一つで炎を払い核まで破壊する。そうして空いた脇腹に火夏星はボディブローを叩きこんでいく。

 連撃はただの攻撃に留まらない。そこからの戦いの主導権を握る契機となる。

 打撃を繰り返す火夏星に対してミホシは手刀を振り下ろす。

 風を切り裂くその一閃を既に読んでいた火夏星は白刃取りを成しそのままとった刃をへし折る極め技の体勢へと移行する。

 顔をしかめ歯冠を擦る音をたてながらミホシが力技で脱出しようとすると火夏星は悪戯っぽく笑い。あっさりとその手を離す。脱出のための力は遊び、新たな隙となる。

 次の瞬間ミホシの後ろを取った火夏星はその背に抱き付き。重機をも容易く鉄くずと化する剛力でその身を締め上げる。もがくミホシの身体をさすり、撫で。戯れに力を込めその反応を愉しむ。

 ミホシは肘打ちを幾度も背後の女に打ち込む。剥がれない。怪火が拳を振るいそれを蹴り足一つで消し飛ばす。力が逃げる。締め上げがより強くなる。息を吐きだす。血管が浮かび上がる。炎祓としても埒外の対火性能を持つ蒼髪が燃えていた。全力で、最大限頭を前に振りかぶり跳ね上がるような勢いで後ろの女の顔面を打撃する。繰り返し。破砕する。

 火夏星を引き剥がしたミホシは背後に振り返る動作を溜めとする壊拳を放つ。拳の行き先。火夏星もまた煉獄の拳を振りかぶっていた。顔面狙いの双の打撃が二者を同時に打撃する。轟音が響いた。


♦ミホシと火夏星のオオサカ全土を巻き込んだ頂上対決は幾度もその戦場を変えて繰り広げられた。各地を巡る度その激しさは増し。戦いは数時間に渡って繰り広げられた。そして―——



♦オオサカ港

 オオサカ湾に面した船舶立ち並ぶ交易港。その上空から広間に堕ちて来るものがある。

 高速で硬いアスファルトの路面に叩きつけられたミホシは受け身を取るも衝撃を吸収しきれずに地面をバウンドし、転がり。炎の色を返す海面へと落ちる直前で止まる。身を震わせゆっくりと身を起こすミホシの前に空から優雅に炎の女が降り立った。


 優雅に歩む彼女にミホシは地を這うような姿勢で接近。下段から腹部を抜き手で穿つ。その手は挿し込まれた掌で容易く止められる。返す刀で炎熱の巨大な拳がミホシに叩きこまれる。咄嗟にガードするも先ほどの一撃とは対照的にその守りは砕かれ大きく体勢を崩すことになった。衝撃が腕の感覚を奪い。地から足が離れる。


 ミホシはまだ地についている片脚を跳ね上げサマーソルトを敢行。牽制と共に打撃を放ち距離を取る。だがそれは為されない。蹴り足は両の炎手に掴まれ脚部の肉が焼かれる。

 ミホシを捕らえた火夏星はそのまま戯れに振り回し幾度もアスファルトに叩きつける。叩きつけられる毎に地面には鶏卵のように容易く亀裂が入っていく。ミホシもたまらず空いた片足で蹴りを火夏星の身に叩きこんでいくが止まらない。際限なく振り下ろしが為されその度に地割れが発生していく。

 ミホシの口元から血が零れ散る。一拍の間を置き一際大きな衝突が発生しその身が地の底へと埋まる。


 しばしの沈黙のあと旋風が瓦礫を巻き上げ、下からカポエイラのような動きで回転しながら蹴りを放つミホシが飛びあがってくる。

 火夏星は一蹴、二蹴と放たれる打撃を捌くも変化した掌撃を喰らい二撃、三撃とその身に受ける。続く四撃目を肘で外に弾き拳を返してやる。躱される。次の打撃がくる。それをすんでのところで回避しその顔面にカウンターの拳を叩き込みミホシの身体は再び地を転がった。

 火夏星は悠然と歩みを進め嗤う。


 「うふふふふ。これで終わりかしら?そんなわけないわよねえ」


 体を震わせミホシは立ち上がる。見れば彼女の防火衣は至るところが焼け落ちその軽装や肌が露出していた。全身に打撃痕や火傷があり顔にも幾つも傷がある。常人では既に意識を保てぬほどの傷を得ながらも再び駆け。戦いを挑む。


 戦況は大きく変化していた。始まりはその極まった身体能力と技術力で火夏星を圧倒していたミホシであったが、あくまで人間であるミホシと現象に近い存在であり、再生し、疲労も蓄積しない火夏星では耐久能力に大きな差があった。

 それだけではない。オオサカ各地で戦闘を繰り広げた際に火夏星が吸収していった炎たち。それらを取り込むごとに火夏星の能力は強大なものになっていった。戦いの天秤は徐々に火夏星へと傾いていき今だ。


 幾度かの交差の後ミホシが再び宙を舞う。戦いにはなっている。だがそれだけだ。両者には既に覆らないほどの差が生まれていた。


背から衝突したコンテナを大きく凹ませ。ずるりと血の痕を残しながらミホシは地に落ちていく。

 

 火夏星はうなだれるミホシに歩み寄り語り掛ける。


「ねえミホシ。私たちってとっても似てると。そう思うのよ。そりゃあなたは私ほどじゃあないけど……でも、その力も、才能も、美しさも。今の世で何もかもが飛びぬけているのがあなたよ。私たちは特別な存在なの。わかるでしょ?誰もあなたに並び立てない。誰もあなたに敵わない。あなた程尊いものはない」


 なのに。


「ねえどうして?そんなあなたがこんなにボロボロになって。守る価値のない人間たちのために勝ち目のない戦いに挑むの?わかっているのかしら。たとえ私を倒せたとしても彼らから送られるのは感謝じゃないわ。何でもっと早く助けてくれなかったの?あなたが暴れたせいで色んな被害が出た!そういったところよ。人間っていうのは自分の手の届かないところにいる者に全ての責任を乗せるのよ。勝手なの。知っているでしょう?」 


 蠱惑的に嗤い、手を差し伸べる。

 

「私だけよ。ミホシ。私だけがあなたの孤独をわかってあげられる。裏切られた痛みを共有してあげられる。私だけが、本当の対等の存在でいてあげられる。私と来なさいミホシ」


 一笑の後。ミホシは答えを返す。


 「馬鹿なことを……いうものだね火夏星。僕は君の手は取らない。人々を価値がないと、そうは思わないよ。うん。彼らは……繋がり、紡いで来たんだ。か細い手で……ここまで、ね。人も賑わいも、建物も美味しい食べ物も皆そうやって作り上げて来たんだよ。それは……君にも、僕にも出来ないことだよ。それに、さ」


 もっと、もっと単純なことがある。昼のことを思い出す。


 「彼らはね。ありがとうってそう言えるんだ。一言そう言われただけで幾らでも力が湧いてくる。そんな素敵な言葉を彼らは人に言えるんだよ。それが別に……僕相手じゃなくてもいいんだ。それを繋いでいける人たちが。僕は好きなんだ」

 

 思い出すだけで力が入る。立ち上がれる。自然に笑みが零れる。


 「知っているかい?君は誰も僕に並びたてないと言ったけど。僕はそう思わないし。彼らの方も、そうは思っていないようだ」


 そんな未来が訪れるよう。今を守る。そのために拳を固める。


 その拳は振りかぶられることはなかった。


 「ふうん。そう、まだそんなこと夢見てるの。馬鹿ねぇ」


 ミホシの腹部を火夏星の手が貫通していた。


 「ぶっ……ごふ……」


 「今日。私が起きる前に何があったのかしらねえ。毎度毎度愚図な人間の戯言を真に受けて……」


 炎手はミホシの身を内から焼き。そして喀血するミホシの反応を愉しむよう戯れにかき混ぜられた。


 「ゴボ……げほっ……げほっ―――あガッ!?」


 「いつも言っているでしょう?そんなことを言うのは現実が見えてない愚かな子だけ。その子たちもいずれ現実を知って、勝手に諦めて。あなたを裏切り遠ざけるわ……」


 火夏星は腹を弄ったままミホシの耳元に顔を寄せて囁く。


 「せっかくあなたが無用に傷つかないように邪魔者を消してあげてるのに……直ぐ騙されるなんて……悪い子ね。ミホシ」


 その言葉を聴いた瞬間ミホシの頭は一気に冷え込む。そして思い出す。


 「ミホシ。君また冷蔵庫のなかみ生で食べただろう。こんなんじゃいくらあっても食費が足りない……!!そろそろ年頃なんだから美容にでも気を使って食事制限でもしたらどうなんだい?うん」


 ユキエおば……姉さんは小さな時から常に行き先を、どうすればよいのかを示してくれた。彼女は他の誰とも重ならない自分の人生を照らす灯のような人だった。


 「どこまでも付いていきますよ先輩!そんでもって追いついて追い抜いて。先輩と肩を並べる立派な消防士になってみせますから!!」


 センリは常にこちらの後をついて回る後輩だった。幾度の挫折を得てもなお折れず高みを目指す彼女の成長が自分にとっての何よりの楽しみであった。


 「大丈夫。ミホシさんの後ろは私が守るから。だから早く片付けて夕ご飯にしましょう」


 キリノは数十の消火ドローンを同時に扱う稀有な才能の持ち主だった。彼女が居なければどうにもならなかった現場が数多くあった。また多趣味であった彼女は自分に様々な彩を与えてくれた。


 みな炎で死んだ。目の前の女に殺された。自分はいつも何もできなかった。彼女たちに与えられたもののその何分の一も返すことなく別れを得ることとなった。


 怒りは人を強くしない。頭に血が上り冷静な判断力は失われ筋肉に無用な力が入り技のキレは低下する。だが。


 だが怒りは痛みを、疲労を。身体の限界を超えて一時的に無視させる。抜き手がより深く入ることも気にせず。ミホシの身体は跳ね。自らの拳を握りつぶすかのような鉄拳は火夏星の心臓部を乱打する。


 怒りに任せたミホシの猛撃。既に大勢は決したと考えていた火夏星にとってまさしく想定外のものであった。炎の膜が穿たれていく。


 許せないものがいる。目の前だ。遠くに人々の嘆く声が響く。人々の技術の粋を、願いを集めて建てられた建造物の炎の焼け落つ音が聞こえる。全てこの女がなしたことだ。今、傍らに彼女たちがいないのも。全て眼前の女と守れなかった己のせいだ。ゆえに。


 ミホシは乱打する。殴打し、蹴打し、千切り、毟る。迎撃の炎腕が腹部に突き刺さり、口元から血が溢れ出て来るが構わない。後退させられた分近づいた背後のコンテナを片腕で持ち上げ叩きつける。巨塊が溶け液状となって散る。それは広大な目くらましとなりミホシは火夏星の後ろを取る。燃ゆる身を掴み地面を転がるようにして投げる、投げる、投げる。

 投げて打撃を入れてまた投げる。繰り返す。猛攻。それでも攻撃するよりも攻撃される数の方が多い。血と汗が溢れ出る。それでも続ける。心の核を狙い続ける。


 「ちょっと……!?嘘でしょう!?」


 火夏星は珍しく焦燥した声を上げ。迎撃を繰り返す。それでも止まらない。その身の。特に核を守る部分がどんどん薄くなっていく。終わりの時が近い。


 鉄拳が炎の熱を奪い、手刀が火勢を削ぎ、抜き手が炎殻を貫き通す。そして遂に。炎の守りは消え。火夏星の核が露出する。


 「———————!!」


 「待ッ!?」


 神速の踏み込みで港全土に亀裂を入れミホシは抜き手を解き放つ。既に幾つかの指は折れ形が変わっているがそれでも今出せる最大で最速の一撃だった。風の抵抗を超え、音の領域を超え、黒の一点目掛け放たれる。


 オオサカの港に破砕の音が響く。

 


  

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